「さて、と…」
学校の昼休み。食事を終えた美華子は、携帯電話で自分のブログにアクセスした。カーソルを合わせ、昨日アップした記事をクリックする。最近の自分の記事に、新しく来るようになった人から、コメントがつくようになった。ただでさえコメントの少ない個人ブログだ。何気ない感想でも、とても嬉しい。美華子は、あまり感情を表に出すタイプではなかったが、コメントを読むときだけは別で、ややにやけながら携帯電話を握っていた。
「みーかこっ」
声をかけられた美華子が顔を上げる。目の前に、かなり長いブロンドで、黄色がかった白色の体毛をした犬獣人が、にんまりと微笑んで美華子のことを覗き込んでいる。この少女の名前はアリサ・シュリマナ。美華子と同級生で、親しい間柄の友人でもある。
「なに?」
「携帯なんか握ってにやにやして。何かいいことでもあったの?」
にこにこと微笑み、アリサが聞いた。
「ん。自分のブログ見てた」
アリサの方へやった視線を、携帯電話に戻す美華子。少し素っ気ないようにも見えるだろうが、これがいつもの美華子のスタイルだ。ブログを持っていることを、アリサには言っていなかったが、別に隠すことでもなかろうと思った美華子は、素のままでそれを口に出した。
「あ、いいな。私も最近ホームページやってるの。でも全然上手く行かないのよねー。難しくってさ。ねえ、もし良かったら、教えてくれない?」
アリサが美華子の机に腰掛ける。机に尻を乗せることを、気にする人もいるのだろうが、美華子は特に気にならなかった。
「私も教えられるほどやってないし。ごめん」
「そうなの?うーん、教えてもらえると思ったのにー」
気の入っていない美華子の返答に、アリサが悩み込む。
「何か載せたいものがあるの?」
かち
美華子の手が、ブログの記事をクリックする。文字の羅列に過ぎないコメントが、自分にこんなに嬉しさをくれるのは、その向こうに人間がいることを知っているからだ。もし、これが本当に意味のない、プログラムか何かで書き込まれた内容ならば、美華子は見向きもしないだろう。それに価値がないことを知っているからだ。
「うん。やってるスポーツのことを、ちょっとね。見せてもらっていい?」
「ん」
美華子が渡した携帯電話を、アリサが真剣な顔で覗き込む。
「そういえば、アリサも物騒だよね。西洋剣術とかアーチェリーとか合気道とか、そんなんばっかやってるじゃん。テニスとかの方がよかったんじゃない?」
「そうね〜。昔、尊敬してた先生に勧められるままに手を出しちゃったのよね」
美華子の質問に、アリサが上の方を見ながら答える。
「その先生の趣味が違えばもうちょっとおとなしかったかもね」
美華子が、アリサが差し出した携帯電話を受け取った。
「でも、勝負事っていいわよ?別にこういうスポーツに限ったことじゃないけど、あのハラハラ感はくせになるわ」
にっこり笑い、アリサが美華子の前で指をくるくるとした。
「そうだね。前、アリサはポーカーとかしてたみたいだけど、あれもそんな感じ?」
「うん。基本、私は負けず嫌いなところがあるからね〜。対戦物は得意よ」
本を見ながら言う美華子。アリサはそれに、カードを切る動作をして答えた。
「でも、音ゲーは負けてたよね」
さらりと美華子が言い放った。アリサが、うっと声を出し、黙り込む。昨年のゴールデンウィークに、美華子とアリサはリズムゲームで対戦をしたことがある。結果は美華子の圧勝。それ以来、何度かアリサと美華子は対戦したが、美華子はずっと勝ち続けていた。
「い、いいのよう!他のジャンルなら、私負けないわよ?」
ぷんすかと、アリサが美華子に食いついた。
「だが、ポーカーでも負けていたではないか」
「負けた…ん?」
後ろから声をかけられ、アリサが振り向く。美華子も、本から目を上げた。アリサの横に、いつの間に来たのか、銀髪ミドルで太い尻尾と大きな耳をした、ハーフ獣人の少女が立っている。
「恵理香!あ、あんときは、運が悪かっただけよ!」
アリサが、その少女に対しても食いつく。この少女は汐見恵理香。途中からこの学校に編入してきた少女で、大衆演劇を片手間にやっている。ことあるごとにアリサと衝突するが、仲が悪いわけでもない。他人面で見ている美華子には、この2人の関係が、親友なのかケンカ友達なのか判別がつかない。
恵理香が言っているのは、アリサが恵理香にポーカーで勝負を挑んだ時の話だ。お互い拮抗していたのだが、最後の最後に恵理香が逆転。こちらも、アリサが負けてしまっている。
「じゃあ、例えばアリサが上手いことって何さ」
ぱたんと本を閉じ、美華子が2人に向き直った。
「そうねえ。テクニックオンリーもいけるけど、テクニックと運が程良く絡むことは得意よ。例えば、麻雀とか…」
「まーじゃん?」
恵理香と美華子の声が揃った。
「な、なによ。変?」
怪訝そうな顔をする2人に、アリサがたじろぐ。
「変、というより…うーん、おっさん臭いね」
ずばりと美華子が言った。美華子の中で、麻雀と言えば、髭を生やした壮年の男性や、白髪の交ざった老年の男性が、4人集まってタバコを吸いながらかちゃかちゃしているイメージしかなかった。
「おっさん臭いって…言うわねえ」
アリサがむっとした顔で、美華子の頭をぐりぐりと撫でる。
「私も少しは打てるよ。かなり高度な思考ゲームだ。確率が物を言う」
「あ、わかる?そっか、恵理香は麻雀打てたんだ?」
「ああ。ただ、狙った牌が来るのも確率ならば、上手く上がるのも確率だ。だが、その確率を見据えるのは、技巧なのよな」
アリサと恵理香が、麻雀の話で盛り上がっている。
「ふーん。面白いんだ?」
「ああ。賭けてやらない分には健全だしな」
美華子が言った言葉に、恵理香が応えた。
「逆に、全部計算で出来るって言えばビリヤードよね。あれはキューでつつく角度によって全部決まるから」
「やったことある。難しいよね」
今度は、アリサの言葉に、美華子が返事をする。
「最近、集中出来ることがないんだ。かったるくて」
ぼうっと、宙を見つめながら、美華子がつぶやく。それは半ば、自分に宛てた独り言のようでもあった。
「授業中くらいは集中してるだろう?」
「別に。適当に聞き流してても内容はわかるし」
恵理香に対して、美華子が素っ気なく返す。
「興奮する展開がない。それが原因だね。2月入ってから何もイベントないし」
美華子が言葉を続けた。ドミノ倒しやギターは面白いが、集中度は今ひとつだ。例えるならば、戦っている相手しか見えなくなるような、本気の勝負がしたい。
「うーん…ボウリングとかどう?」
「ああ、いいかもな。あれは投げるまでが集中の世界だ」
少し考えてから、アリサが提案をした。恵理香も、それに同意をする。
「やったことない。つか、玉転がすだけでしょ?」
美華子が否定的な意見を返す。ボウリングというものに、美華子はあまりイメージを持っていなかった。中学のころ、友人と遊びに行くとしたら、もっぱらカラオケやダーツがメインだった。友人自体が少なくて、行く場所が偏っていたのもあるかも知れない。
「そうとも限らない。なんせ、真っ直ぐ玉を投げなければならないからな。かなりの難易度を要求されるんだ」
恵理香が、ボウリングの玉を投げるポーズを取った。
「前に一度、真優美ちゃんと修平と私で行ったときは、2人とも上手かったわ。特に、修平が馬鹿強いのよ」
修平というのは、砂川修平という、地球人の少年のことだ。体が大きく、空手をやっていたという。女性陣の共通の友人だ。
「修平が?意外だね」
「聞いたら、空手の正拳と同じにやると上手く行くんですって。真っ直ぐ突きだして、真っ直ぐ投げる。彼、カーブなんてこと、絶対しないもの」
どうやらそのときのことを思い出したらしい。アリサが、少し悔しそうな顔をした。勝負事が好きだと言いながら、負けまくってるじゃん、と美華子は心の中でつぶやいた。
「美華子も今度やってみればいい。1人ボウリングなど行ってみたらどうだ?案外、性に合うかも知れないぞ?」
恵理香が、にこやかに笑いながら美華子にボウリングを勧める。
「うーん…集中は出来るかも知れないけど、興奮しないと思う」
渋い顔をした美華子が、足を組み直す。
「興奮ねえ…私はいつもしてるけどね。だって…きゃうん」
流し目でアリサが教室の後ろの方を見た。そこにいたのは、中途半端な長さの髪を、ぐしゃぐしゃにしている人間少年…錦原竜馬だった。彼は、今ここにいる女性陣の共通の友人だ。アリサは彼のことが好きで好きでたまらないので、彼によくちょっかいをかけている。
美華子にとっての竜馬は、面白い友人の一人でしかなかったが、たまに人恋しいときなどは彼に「男」を感じたりもする。好きかと言われれば好きだし、どうだと言われてもどうとも言えない。この微妙な距離感が心地よい仲だが、竜馬には「何を考えているかわからない」と、はっきりと言われている辺り、美華子の感情は彼に上手く伝わっていないのだろう。
「私ねー、竜馬と一緒にハワイに行って挙式するのが夢なの。今ぐらいの時期にハワイに行くつもりなの。暖かい中、愛を囁きあうのよ。素敵でしょ?」
尻尾を振り振り、アリサが妄想を具体的に話し始めた。美華子は、アリサの話から興味が抜けるのを感じた。美華子が求めているのは、全身全霊の集中力を出し切れるシチュエーションであって、南国で抱き合って燃える愛をぶつけ合うシチュエーションではない。
がたっ
「どこかに行くのか?」
「トイレ」
美華子は立ち上がり、その場を後にした。アリサの妄想話が終わるころに戻ってくるつもりだ。このぬるま湯生活から、一瞬だけ脱却したいだけなのに、上手く行かない。美華子は、いらつきながら、トイレのドアを開けた。
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