これは、2045年、とある高校に入学した少年と、彼をとりまく少年少女の、少しごたごたした物語。
日常と騒動。愛と友情。ケンカと仲直り。戦いと勝敗。
そんな、とりとめのないものを書いた、物語である。
おーばー・ざ・ぺがさす
第二十三話「コンセントレーション」
人に備わっている潜在能力とは恐ろしいものだ。普段は使われない様々な能力。その一つに、集中力がある。その物事に固執というまでに集中した人間というものは、端から見ればまるで肉食動物のような殺気を放っている。
「彼女」は集中していた。瞬きをする時間すらもったいない。指先から足先、髪の毛の先にいたるまで、神経を研ぎ澄ませていた。ショートボブの茶髪、白く細い指、そして鋭い目。全てが、この作業を終わらせようと、一つの物事に集中している。ほんの小さな手ぶれが、まるで震度5の地震のようにも感じる。一見小さな、しかし大きな世界に、自分という矮小な存在が割り込むことに、半ばためらいながらも、彼女は指を動かし続けた。
もう少し、もう少しで全てが終わる。長い時間をかけたそれも、終わりがないわけではない。最後には終着点がある。その終着点に、すり足でもいい、這い蹲ってでもいい、少しでも早く近づこうと、彼女は力を入れていた。
「ん…」
これで最後だ。彼女は最後の工程を終わらせるため、右手を…
がちゃ
「美華子ちゃん、お茶が…」
「わあ!」
ばたたたたたたたた
突然の来訪者に、彼女…松葉美華子の世界は崩れ去った。兵隊のように整列された木の板…ドミノは、カーペットの上にばたばたと倒れた。美華子の表情が、驚きから悲しみ、そして怒りへと色が変わっていく。
「…真優美!」
美華子はその怒りを、入室してきた獣人娘に向けた。真優美・マスリ。銀髪パーマを肩まで伸ばし、焦げ茶色の体毛を持つ、美華子の友人である。2人とも、私立天馬高校の1年生で、学校が終わった後に真優美が美華子の家へ遊びに来ていた。
「だ、だって。美華子ちゃんのお母さんが、お茶をって…」
真優美はおろおろして、手に持ったお盆をテーブルの上に置く。お盆の上には、コップが2つと、菓子の入った皿が置いてある。
「…ああ、そう」
これ以上食いかかると真優美が泣き出しかねない。イライラを無理に飲み込み、美華子はふうと息をついた。
「あーあ。もう少しで、ドミノアートシリーズのピラミッドが完成するところだったのに…」
かちゃかちゃ
散らばったドミノを集め、美華子が乱雑に箱に投げ込んだ。最近、自分はなぜか怒りやすいようだ。これで人に迷惑をかけるようになる前に、改善しなくてはいけないだろう。
「ごめんなさい…」
しゅんとして、真優美が菓子をつまむ。少し怯えさせてしまったかも知れない。
「別にいいって。また作るから」
じゃらじゃらと音を立て、美華子がドミノを取り出した。設計図に基づき、1枚1枚、丁寧に置いていく。このドミノは、2対1の長さに加工された木の板を使用しているもので、裏表、半分ずつ別の絵がプリントされている。ドミノゲームの牌として使用することは出来ない、ドミノ倒し専用のおもちゃだ。上手く等間隔に並べて倒せば、ジグソーパズルのような絵面が出来る。1つのセットにつき、4つの絵を作ることができ、美華子は今ピラミッドの絵を作ろうとしていたのだった。
ドミノは、作る後に破壊する楽しさがある。積み木を倒すようなその楽しさは、完成した絵を見ることでも感じられる。
「それ、楽しいですかぁ?」
コップを手に、真優美が聞く。
「ん、それなりに」
かちゃり
また1枚、美華子がドミノを置いた。
「何か目標とかあるんですか?100枚作る、とか…」
「写真撮ってブログに載せてる」
「えー、美華子ちゃん、ブログあるんですかぁ!知らなかった…」
素っ気ない美華子の返答に、本当に驚いたらしい真優美が、軽く声をあげる。
「ドミノ倒しのアート専門とか?」
「ドミノだけじゃなくて、ギターのこととか、日記とか。パズルとか作ってアップもしてるよ。見る?」
相変わらず、ふわふわした感じで聞く真優美に、美華子が立ち上がった。勉強机で起動しっぱなしのパソコンでブラウザを開き、画面を表示する。
「ほへー…」
机についた真優美が、ブログを読み始めた。
「このミカベキナっていうのが、美華子ちゃんのハンドルネームですか?どうしてこんな名前に?」
「うん。ミカは美華子からで、ベキナは適当にキーボード打って、文字っぽくなったところを切り張り」
「へえ〜。そうだったんですか」
真優美はパソコンの画面に集中し始めた。これで当分、美華子はドミノに集中できる。ドミノ倒しは最近始めた趣味だが、ギターを中学3年のころから、射的を幼いころからやっている。特に射的に関しては、美華子の父親がクレー射撃の選手だったこともあり、いろいろなことを教えられた。その基本が実ってか、今の美華子は、狙って撃つ道具に関しては、天馬高校では他の追随を許さぬほど、技術が高かった。
部屋の隅には、雷のような形をしたギターがあり、壁のラックにはハンドガンが2つ飾られている。このギターは、夏に射的の景品として取った物。銃は、過去におもちゃとして譲り受けた物だ。どちらも、何度か不具合が起きているが、そのたびに真優美に直してもらっている。真優美は、普段は冴えないお間抜けわんこだが、機械や電子などの工作は驚くほど上手い。そのため、壊れたおもちゃや機械などを、真優美に直してもらうことがままあった。
「ん…」
かちゃ
ドミノを置いている間は、美華子はこの世界の人間ではなくなる。ドミノ1枚1枚が、まるで世界を構成する1つの要素であるかのような感覚に陥る。そして自分は、その世界を外から見つめる何かのように。ギターを弾いているときも、気が付くとこの感覚が起きている。音が世界、そして自分は傍観者。参加しているはずなのに、傍観に徹している。その、クールでハイな状況が、とても心地よい。
『こんな気持ちになるのって、いつからだったっけ』
冷静に、過去を見直す美華子。思えば、何かに集中する段になったとき、似たような感じを味わったことが何度かある。この、集中する感覚。現実感のない、甘い感覚。だが、そのときには、今より気持ちよかったような…
がっ
「あ」
ばたたたたたたたた
「ああー!」
ドミノが倒れた。今度は、最初に作った場所に、真優美の足がぶつかったのが原因だった。真優美は恵理香の大声で、自分が何をしたのか気づいた様子で、またおろおろし始めた。
「あ、あの…ごめんなさい…」
真優美がしょぼくれて謝る。美華子は何も言わず立ち上がり、そして…
「このバカダメわんこ!もう許さない!!」
真優美に襲いかかった。
「やめてぇ!やめてぇぇ!毛毟らないでぇ!うああーん!」
「うっさいバカ!この前はギターに傷付けるしその前はジュースこぼすし!もう許さない!」
「許してぇぇぇぇ!あーん!あーん!」
次へ
Novelへ戻る