翌日は土曜日だった。昼過ぎまで寝ていた竜馬は、自室のベッドから跳ね起きた。今日は午前10時から、竜馬が毎週見ている特撮アニメ、飲料戦者カテキングのスペシャル再放送があるはずだった。毎週月曜日に放映しているこのアニメだが、最近は忙しく、見逃した回も数回ある。それが再放送されるのが今日だったのだが、時計を見れば、残念ながら放送が終わっている時間だった。
「はぁ…」
 半ば憂鬱になりながら、竜馬がベッドから降りる。先ほどまで見ていた夢の内容が…と思い出して、竜馬はさらに憂鬱になった。夢の中でも竜馬は恵理香に罵倒されていたからだ。
「昨日はやっちゃったなあ…怒ってんだろうなあ…」
 襖を開けて居間に入る。コタツには、清香の吸ったであろう、吸い殻の入った灰皿が置いてある。昨晩作った鍋の残りは、もう汁しか残っていなかった。
「はあ…」
 食事をする気も失せて、竜馬はコタツに潜り込んだ。昨日の恵理香の言葉が、何度も何度も蘇る。
『出てけ!出ていってくれ!不愉快だ!』
 恵理香は、今までに見たことがないほどに、怒り狂っていた。いつも、恵理香がアリサとケンカしている場面を見ていたが、それより大幅に怖かった。何が彼女を怒らせたかもわかっているし、これからは反省するつもりでもあるが、失礼なことを言いまくってしまったかと思うと、叫びたい衝動に駆られる。
「今頃、何してんのかなあ…」
 視線を虚空に彷徨わせ、竜馬はぼんやりと恵理香のことを想った。


 そのころの恵理香は、誰もいない台所で、慣れない料理の真っ最中だった。彼女は料理が壊滅的に下手だ。今までに彼女が作って失敗した料理は数知れない。いつまでもこのままでは、いつか大変なことになると思った恵理香は、料理の練習をずいぶん前から始めていた。去年の9月から11月にかけては、料理を批評してもらう目的で、竜馬に弁当を作ってもいた。
 恵理香が前にいた高校は、あまりレベルの高い高校ではなく、恋人などは出来なかった。授業は中断することが多かったし、勉強したくても出来る環境ではなかったし、恋愛も不可能だった。友達もそれを見越して、家で自学自勉することが多く、不登校の生徒がテストだけを受けに高校に行くこともあった。恵理香も恵理香で、学校関係は重きを置かず、大衆演劇で助っ人ばかりしていたので、同年代の異性と交わる機会などはなかった。それだけに、男性相手に弁当を作るこの状況を、擬似的な恋人の間柄に見立ててときめいていたのは確かだ。
 竜馬に弁当を作っている間は、それなりに張り合いのある生活だった。朝早く起き、自分と竜馬の分の弁当を作る。しかし、竜馬が「手間がかかるだろうし、もういいんだ」と言ったときから、弁当を持っていくことはなくなった。彼女自身も弁当派から購買パン派になってしまったので、そのときに料理の練習もやめてしまった。昨日、エキャマに言われた言葉もひっかかり、久々に料理の練習をしてみようと思い立ったのは、自然な流れではあった。
「出来た、が…」
 フライパンの中身を大皿に空けて、恵理香は渋い顔をした。今回作ったのはジャーマンポテト。ベーコンとジャガイモだけあれば作れる、とても簡単な料理のはずだ。が、やはりと言うべきか、出来上がったものはあまり美味しそうには見えない。ベーコンは焦げているし、ジャガイモの方は生煮えなのが見た目でわかる。遅い昼食には嬉しくないメニューだ。否、昼食どころか、朝食にも夕食にもそぐわない。
「うーん…」
 湯気を上げる失敗作を前に、恵理香が首をひねった。とりあえず、フォークでジャガイモを刺して食べてみる。堅い歯ごたえ、中身は生。しかも、塩がきつすぎて、舌がおかしくなりそうだ。これだけ全部、ゴミ箱に捨てるのももったいないと思った恵理香は、ダイニングのテーブルについて、我慢して食べ始めた。
「うう…」
 恵理香の顔色が悪くなる。これも簡単に出来るはずの料理なのに。いつも、何をどう間違えているかがわからず、失敗ばかりしている。勉強でも、同じようなことが起きてしまい、失敗することがある。反面、体を使う授業…体育や実習などは、反復運動が多いため、かなり得意の部類に入る。演劇が得意なのも、その流れだろう。
『つまらないことを考えていても、これは減らない、なあ…』
 フォークを置く恵理香。今まで、自分の料理をしっかり食べ、アドバイスもくれた竜馬の存在が偉大だったことがわかる。だが、彼が性的暴挙に出たのとは別問題。昨日の竜馬を思い出すたび、恵理香は腹の中でふつふつと怒りが煮えるのを感じた。
「あーもう…」
 恵理香はフォークを置いた。それもこれも、全て竜馬が悪い。竜馬が…
「あら、恵理香。お料理?」
 いつの間にかダイニングに入ってきたエキャマが、恵理香のことをにこにこと見つめている。
「ああ、まあな。今日は出かけないのか?」
 こそこそと、恵理香が皿を隠した。
「うん。体力がもたなくて。恵理香、お料理苦手と言いながら、ちゃんとやってるじゃない」
「うーん…失敗だよ」
 おずおずと、恵理香が皿を見せる。それだけで、エキャマはどうして失敗と言っているかを理解した様子だ。顔が苦笑いになる。
「お料理の練習をしてるっていうことは、チョコレートを作る気に?」
「チョコレート…?」
 最初、エキャマが何のことを言っているかわからなかった恵理香だが、バレンタインの話を持ち出されたことを思い出し、納得した。
「作りはしないよ。昨日も言ったが、彼に贈ろうとは思えない」
 恵理香が首を横に振り、食事を続けた。あまりの塩辛さに涙が出る。
「頑固ねえ」
 苦笑いを見せるエキャマ。多少、呆れている様子だ。
「じゃあ、せっかく日本に来たんだから、あたしがお祭りに参加しようかな。かわいい男の子もいるし。恵理香、手伝ってくれる?」
 エキャマがキッチンに入り、業務用チョコレートの入った袋を冷蔵庫から取り出した。
「ばっ…あいつにチョコを贈るのはやめた方がいい!」
 顔を真っ赤にした恵理香が、エキャマの方をくるりと向いた。
「誰も竜馬君にチョコレートを贈るとは言ってないよ?恵理香、どうしたの?」
 恵理香ははっとした顔をした。はめられた。竜馬のことを強く意識しすぎたせいか、つまらないひっかけにひっかかってしまった。
「話せないかな。しつこいかもだけど、聞きたいよ」
「なんでそんなに聞きたがるんだ?」
「話せば楽になるかと思ったから。だめかな?」
 なだめるように、優しく恵理香に話しかけるエキャマ。恵理香の中で煮立っていた怒りと恥ずかしさが、だんだんと冷めていき、心が穏やかになっていく。
「いや、な。竜馬は恋愛にストイックな男だと思って、親しく友達付き合いをしていたのだが…」
 恵理香は全てを話した。彼がエキャマに好感を持ったこと。そこから繋がる話が男女関係のだらしない話だったこと。侮辱されたこと。帯を下ろされたこと。その話の中で、恵理香自身に責任があると思う部分は、包み隠さず話した。
「私は、あの発言がそう取られたことが恥ずかしくて…大きくケンカしてしまったものだ」
 こうして落ち着いて話してみると、なんのことはない。竜馬自身の性格は、恵理香はよく知っているつもりだし、本質は変わっていない。帯にしろ、ただの事故で済ませれば終わってしまう話なのかもしれない。あそこまでかっとなって、竜馬を追い出したことに、恵理香は恥を感じた。こんなに簡単にするすると話してしまった自分は、このことを心の底で、誰かに話したくて仕方がなかったのではないかとも。
「恵理香はどうしたい?その子に反省して欲しい?それとも、もう仲直りしたい?」
「そう、だな。私がなぜ怒ったか理解して、それをもうしないでくれるなら、それでいいよ。逆に私が謝らなければならないところもあるしな」
 ふうと息をつき、恵理香がエキャマの質問に答える。
「じゃあ、なおさらチョコを作ればいいと思うよ?きっと、竜馬君と、仲直り出来るよ。彼も、本気であたしのことを好いたわけじゃないでしょう」
 エキャマの言っていることももっともだと、恵理香はジャガイモを噛みながら考えた。しかし、自分の料理の腕を考えると、どうも手が出せない。自己反省が終わり、その次の一歩を踏み出すタイミングを見つけるべきなのだろうが、それは難しかった。
「そうだな…やってみるか…」
 恵理香は躊躇しながらも、チョコレートを作ることにした。もし失敗したら、なかった話にすればいい。それだけだ。
「うん、よく言ってくれたね。あたしも、地球のお祭りに興味があるから、手伝うよ。必ず成功させるって約束してちょうだい」
「え?約束?」
「うん。それとも、恵理香は無理?逃げる?」
 戸惑う恵理香に、エキャマが挑発的な笑顔を見せた。恵理香の心に、波が立つ。なかっったことに出来なくなってしまう…
「無理じゃない。わかった、やろう。やろうじゃないか」
 言ったところで、恵理香はしまったと思った。また乗せられた。どうも自分は、感情や突発的な思いつきで行動してしまう傾向にあるらしい。今までもそれで苦労してきたところはあったが、こうして気付いたのは初めてだった。
「よく言ってくれたね。楽しんでやろう?」
 したり顔でエキャマがにやにや笑う。これから作るチョコレートが、甘い仲直りの味になるか、苦いケンカの味になるかは、恵理香の腕にかかっている。いきなり大きくなった話に、恵理香は重圧を感じていた。


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