「…ん、ん…ちょっと、なんなのよ、これ」
がしっ!
狭いところに押し込められていたアリサは、前の壁を蹴り飛ばした。壁が外れ、音を立てて倒れる。外の開けた空間に、アリサは転がるように飛び出した。
「えーと、私は修平と祐太朗と、3人でいたとき、壁にもたれかかった。そしたら、くるんって回転して、ずーって落ちて…あー!」
アリサは背中に手をやった。コートが何かに引っかかってやぶれている。履いているスカートも破れているが、穴が開いたのはちょうどポケットのところで、下着や毛皮が外に見えることはなかった。コートはともかく、スカートはアリサのお気に入りの品だったのに。それだけで、アリサに怒りを起こさせるには、十分だった。
「ううう…許さない…なんでこんな目に!」
アリサは狼の形相で、一歩踏み出した。そこで彼女は気がついた。どうやらここは、倉庫だったようだ。ワインを置く棚や、中身のない段ボール箱などが転がっている。カビと埃の臭いに、アリサは鼻を押さえた。
「外に出ないと…」
出口を探し、アリサが部屋の中を見渡した。ちょうど壊れた棚が倒れ、出口を塞いでいる。棚に手をかけ、アリサがぐいと引っ張ると、木の板がばりばりと剥がれた。
「あ」
隣の部屋に、人影が見える。こっそりとアリサが隠れ、物陰から覗いた。こちらは、倉庫ではなく、ガレージか何かのようだ。まだ走れそうな、比較的新しい自動車が1台止まっている。シャッターの向こうは外なのか、漏れる光でぼんやりと明るい。そこにいる人影は3つ。1つは男性、残りの2つは女性のようだ。
「竜馬君、竜馬くぅぅん、あたしのこと好きですかぁ?」
真優美の声が聞こえる。いつもの真優美ではない、甘い声だ。男性に、女性が一人抱きついているところを見ると、あれは竜馬と真優美なのだろう。
「ああ、好きだよ。わかったから、離れてくれよ」
「嫌ですよぅ。だって、寒いんですもの。竜馬君とくっついてると暖かいんですものぉ」
アリサの目が、竜馬に頬ずりをする真優美を捉えた。心の底に嫉妬が芽生える。今まではアリサが、竜馬のことを恋人だと言っていた。しかし、ある事件を境に、竜馬とアリサは「お友達」であることを再確認していた。今でもアリサは竜馬のことが好きだ。だが、おおっぴらに竜馬にくっつくことはもうしないことにしている。そんなアリサでも、竜馬が他の女子と仲良くしているのを見ると、やはり嫉妬してしまうのだった。
「そう、だよな。私も彼氏が欲しいなあ。バカやってるだけで楽しいような…でも、私なんかを好きになってくれる男なんか…」
今度は、とても暗い恵理香の声が聞こえる。残りの女性の人影は恵理香のようだ。その場にいる人間の確認が出来て、安心したアリサは、物陰から姿を現した。
「ようやく見つけたわ〜。他の人は?」
アリサが気さくに声をかける。竜馬が一瞬びくりとしてアリサを見たが、それが知っている人間だとわかって安心したのか、硬直を解いた。
「もう一人、美華子さんがいたんだが、どこかへ行ってしまって…はあ…私に愛想が尽きたんだろうな…きっとそうだ…」
恵理香が、狐の耳を伏せ、テンションも低く答えた。
「あー、アリサさんだ〜。ふふん、竜馬君はあたしが好きなんですって。うらやましいでしょ?くぅぅん」
竜馬の腕にぶらさがっている真優美は、アリサに見せつけるように、竜馬の胸に顔を埋めた。
「あ、アリサ…すまなかった!私は、お前に取り返しのつかないことを…」
泣きそうな顔の恵理香が、アリサに抱きついた。まるで、幼稚園児か何かのようだ。
「…これは?」
真優美と恵理香を交互に見て、アリサが聞いた。先ほどから変だとは思っていたが、見れば見るほどおかしい。恵理香の背中を、アリサがぽんぽんと叩く。
「わからん。変な薬をかけられて、2人が変になって…」
「変な薬?誰かがいたの?」
「そうじゃないんだ。なんか、風船お化けみたいなのが破裂して粉薬が出たのと、天井の隙間から水薬がこぼれてきたので…」
いぶかしげな顔をするアリサに、竜馬が一部始終を説明した。風船とおもちゃのこと。カメラがあったこと。途中で階段に穴が開き、美華子が落ちたこと。竜馬の話を聞いて、アリサは誰かがこの建物に罠を張り、管理していたことを確信した。自分たちはそれを知らず、まんまと罠にかかってしまったのだと。
「…お前もそう感じたか。俺もそう思ったんだ。どうするよ」
まとわりついてくる真優美をあしらいながら、竜馬がアリサに問う。
「決まってるでしょ。落とし前つけるのよ。主を捜さなきゃ」
「そうは言うけど…こんな広い屋敷だぜ?どこをどう探せば…」
ぎゅうう
物を言う竜馬に、真優美が強く抱きついた。頬をすりすりと擦り寄せ、犬尻尾をぱたぱたと振る。
「へぇー。ずいぶん懐かれたのね」
アリサが竜馬を睨んだ。
「い、いや…俺達、友達に戻ったんだろ?だから、他の女の子と俺が仲良くしてても…」
竜馬がびくびくと怯える。冷静なアリサならば、別に気にもしなかったのだろうが、今のアリサは館の罠の件などで、頭に血が上っている。
「そうねえ。でも、もう少し私に気を使うとか、しないの?」
「そんな、無茶な…自由恋愛主義なんだよ、俺は。そりゃ、素直なお前は嫌いじゃないこともわかったし、真優美ちゃんだって好きだけど…」
竜馬の煮え切らない態度に、アリサが怒りを溜める。いつだって竜馬はこうだ。誰かを彼女に据えるでもなく、誰かと親密になるでもなく、誰とでも仲良くしようとして、結論を後回しにして…
「アリサも私と同じなんだ…竜馬に捨てられたんだ…う、ぐ、ううう…」
恵理香が哀れむように泣き始めた。彼女の言葉に、アリサの堪忍袋の緒が切れた。
「ちょっと、馬鹿なこと言わないでよぉ!」
がたあん!
恵理香を押し倒すように床に叩きつけるアリサ。床がみしみしと音を立てる。
ががががが!
「う、うわ!」
「きゃああ!」
一見頑丈そうに見えたコンクリートの床だが、どうやら限界が近かったらしい。がらがらと崩れ、4人は暗闇に真っ逆様に落ちた。
『え…死ぬの?』
アリサの心に、恐怖が芽生えた。どこまで落ちていくか、強い不安に襲われる。と1階層分ほど落ちたところで、4人は堅い床に叩きつけられた。時間にして10秒ほどだったが、アリサには10分にも感じられた。
「い、痛ぁ…」
アリサがお尻を押さえ、立ち上がった。横に、恵理香と、彼女の持っていた懐中電灯が転がっている。
「わ、私がこんな…こんな悪い女だから、神だか仏だかが怒って…」
恵理香はまた何か言って、めそめそと泣いていた。
「竜馬君、身を挺してあたしを守ってくれたんですか…?嬉しい!」
真優美の声に、アリサが振り向く。どうやら竜馬が真優美の下敷きになったらしい。竜馬は真優美の強い抱擁と、熱いキスを顔いっぱいに受けていた。
「ちょ、やめてくれって!くすぐったいくすぐったい!」
「くぅん、竜馬君は嫌でも、あたしはいいんですよぉ。竜馬君、好きぃぃ」
あまりにもとろけすぎている真優美に、アリサはすっかり呆れ果てた。愛をまき散らす女性は、端から見るとあまり良い物ではないようだ。前までの自分を客観視したら、こう見えるのかも知れない。
「ん…?」
アリサが鼻を動かした。今までと違い、埃の臭いがしない。見たところ、上に戻る階段はない。天井の穴のせいか、うっすらと明るいその室内。この部屋の中だけ、とてもきれいになっている。怪しさを感じたアリサは、そろりそろりと歩く。と、壁に背中がぶつかった。
パチン
何かのスイッチを押してしまったらしい。室内に明かりが灯る。最近まで人が暮らしていた形跡のある、片づいた部屋だ。皿や服、ガスコンロや流し台まである。
「生活空間、だよな。何か?人が住んでるのか?」
相変わらずすり寄ってくる真優美を押しやって、竜馬が立ち上がった。ガスコンロの前に立つアリサ。明るくなったことで、今まで見えなかったものが詳細に見えるようになった。置いてある鍋からは、何かの食べ物の匂いがする。腐っている臭いではない。
「なんなのよ、これ」
アリサが壁沿いに歩く。ちょうど、クローゼットの影になっているところに、ドアがあった。上の屋敷側にあるドアと違い、ここのドアノブは磨かれている。開くと、暗い階段が上と下に繋がっていた。
「お、置いていかないでくれぇぇ」
アリサの背中に恵理香が抱きついた。彼女を半ば無視して、アリサが階段を上る。一番上まで来ると、上下に開くフタタイプの扉があった。鍵のかかったその扉を開くと、先ほどのガレージに出た。どうやら、入り口から見えない隅っこに、下へ下りる階段があったようだ。
「おーい、アリサ。そこは?」
後ろから竜馬がアリサを呼ぶ。
「さっきのガレージよ。やっぱ誰かが住んでるのに違いないみたいね」
「マジかよ…この下には何があるんだろうな?」
下へと下りる階段を、竜馬が見つめている。アリサもそこまで下り、下を見た。暗い中に、永遠に続くかのように階段が存在していた。幽霊屋敷は、どこまで行っても幽霊屋敷らしい。下りるしかないと判断したアリサは、階段を一歩一歩、踏みしめるように下り始めた。別に怖いわけでもないし、足下が見えないからでもない。横に恵理香がくっついて、危ないからだ。
「竜馬くぅん。暗くなってくると、どきどきしません?うふふ」
「よしよし、わかったわかった」
薬で飛んでいる真優美に、竜馬は真面目に対応する気をなくしているようだ。真優美もよくつまらないことで性格が変わる、とアリサは思った。知っているだけでも、4度ほどおかしな状態になっている。そのうち2度は、アリサのせいなのだが。
「こうまでくっつかれるとやりにくいなあ…まあ、悪い気はしないけどな」
竜馬が微妙な笑いをしてみせた。
「何?真優美ちゃんならいいのに、私はだめなわけ?」
「いやまあ、なんつうか、ギャップ?」
じろりと睨むアリサのことを、竜馬が受け流す。その態度に、アリサはまたもやイラっとした。こんなに好きなのに、こんなに…
「怖い怖い怖い…帰りたい…」
アリサにひっついている恵理香が、泣きそうな声で言った。その口元に、人差し指を立てるアリサ。恵理香はその指を見て、黙れという意図を読みとり、静かになった。
「これ、は…」
最下層まで下りたアリサが、足を止めた。広さにして3畳半ほどのコンクリートの小部屋。目の前には、錆びた扉が立っている。ここだけ、あからさまに空気が違うことに気付いたアリサは、ぶるりと体を震わせた。
「開けるわよ…」
竜馬と真優美が後ろに来たことを確認して、アリサが扉に手をかけた。ゲームならば、この先にはボスがいるだろうその空気。たかだか扉相手に怯えてしまっている自分が、アリサは滑稽に思えた。
がちゃり…
「わ…」
扉の向こうは明るかった。置いてあったのは、AV機器やパソコン機器、そしてベッド、タンス。一人暮らしをしている男性の部屋に酷似している。自分が異次元に迷い込んだように思ったアリサは、目を擦った。
「…?」
竜馬もアリサと同じらしい。中に踏み込み、辺りを見回す。上にある屋敷とは違い、ここだけ別の空間のようだ。
「くそっ、ダメだ…こいつら勘がいいぞ…」
奥に誰かいるらしい。声が聞こえる。アリサは足音をさせないよう、こっそりと奥に入っていく。そこに見えるは、痩せた男の後ろ姿。その手元には、大きな操作盤と、ノートパソコンがある。ノートパソコンの画面はよく見えないが、どうやら屋敷の中が映し出されているらしい。男が座っているパソコンデスクの足下には、屋敷のあちこちから引っ張ってきたカメラのコードが、束になって置いてあった。
「くそ、くそっ!残りのやつらはどこに行ったんだ?屋敷のカメラは壊されるし…」
アリサは納得した。目の前にいるこの男が、この屋敷に悪意をばらまいた元凶だ。何の意図かは知らないが、様々なトラップを使い、自分たちが右往左往するのを見て楽しんでいたのだろう。急激な怒りに襲われたアリサは、そこに置いてあったティーカップを手に取った。
ガチャアアアアアアン!
「ぎゃああああああ!」
アリサの投げたティーカップは、1センチのずれもなくノートパソコンの中心に激突し、派手に砕け散った。男の叫び声が響く。
「なん、なん、なんだ貴様ら!いつの間に来やがった!」
男がパソコンデスクから立ち上がり、振り向いた。その際に、デスク上にあったビデオディスクがばらばらと落ちる。
「これは…バラエティのビデオだ。見たことがある。たしか、廃墟で驚いてる人たちを笑い物にするビデオだったような…」
足下まで転がってきたディスクを、恵理香が拾い上げた。
「何?要するに、盗撮されていたってこと?」
怒りを腹に溜め、アリサが物を言う。
「ねえ、盗撮ですって。あたし達がラブラブしてるの、撮られちゃってるんですよぉ?うふふ」
「あー、もう。わかったわかった」
相変わらず、竜馬に過度にすり寄る真優美を、竜馬は物憂げに追いやった。そんな2人を横目に見ながら、アリサは今までのことを分析した。要するに、自分たちはバラエティ番組の出演人物として利用されていたのだろう。
「ねえ、あんた。ちょっと聞きたいんだけど…」
どざざざざ!
アリサの言葉を、大きな音が遮った。アリサの右側、およそ2メートルほどのところにあったスリットから、3人の少年少女が転げだした。美華子、修平、祐太朗の3人だ。
「いたたたた…落とし穴かよ…ここは?」
修平が起きあがり、辺りを見回している。
「ああ、アリサさん!無事だったんだね!こうしてまたあえることがとても嬉しいよ!さあ、強く強く抱きしめておくれ!さあ!さあ!」
集団の中に、アリサの姿を見つけた祐太朗が、大きく腕を広げて駆け寄ってきた。竜馬の愛は欲しくても、祐太朗の愛を受け取るのはまっぴらごめんなアリサは、祐太朗の抱きつきをひらりと避けた。
べしぃん!
「ふげ!」
祐太朗が本棚にぶつかり、情けない声を挙げる。
「お前達、どうしてここが!?いいか、不法侵入したのはお前達なんだからな!文句を言われるいわれはないぞ!」
痩せた男が、ずり落ちた眼鏡を上げ、大きな声で一同を威嚇する。
「そんなことはどうでもいいのよ!私たちをビデオに撮って、笑い物にするつもりだったのは、わかってるんだから!どうせ、いいカモだとでも思ってるんでしょ!?」
ばしん!
手に持っていたディスクを、アリサが床に叩きつける。
「これぐらい、いいだろう!僕の買ったこの屋敷には、なんだかわからないが、ガキ共が荒しに来るんだ!何がお化け屋敷だ!何がホラーマンションだ!僕は、僕の財産を守るために、全力を尽くすだけだ!違うか?」
「へぇ?それで、進入者の滑稽な姿を写して、商品にしていいんだ?」
「ひっかかるお前らが悪いんだ!この映像は、ビデオとして売り出して、僕の生活費にさせてもらうぜ!」
眼鏡の男が叫ぶ。アリサの脳は、既に沸騰寸前だった。彼女はかなりプライドが高い。自分が不特定多数の笑い物になるなど、許せる性格ではない。だんだんと、アリサの態度が、冷静になっていく。目が、矢のような鋭さで、男を射る。
「むかっつくのよね。調子こいちゃって。入られるのが嫌なら、立入禁止とでも書けばいいのに。ネット上に噂が流れるの放置しておきながら…ねえ、管理不十分でしょ?あんたのやってることは盗撮に他ならないわよ。わかってる?」
じり…
アリサが置いてあった角材を手に取り、男に近づく。今の彼女を支配しているのは、こけにされたという怒り。美華子や修平にもその怒りはあるらしく、銃や拳を構え、男にじりじりと近づいた。
「う、うるさい!こんなこともあろうかと、僕は自己防衛にロボットを作っておいたんだ!」
男は、手元にあったスイッチを押した。男の後ろから、大仰な音を立て、ロボットが姿を現す。アリサや美華子、修平、竜馬は、以前に天馬高等学校で、機械工学部が起こした暴動を鎮圧した過去がある。機械工学部が使用したロボット達に比べれば、男が出したロボットは、がらくたのようだった。
『ガピー!侵入者排除…ガッ!?』
前口上を終わらせる前に、アリサが眉間に角材を叩きつけた。その衝撃で、ロボットは作動不良を起こし、停止した。アリサの腕力は、かなり強い。竜馬くらいならば、2、3人だっこしても大丈夫なほど鍛えている。その腕力に抗う術を、ロボットは持たなかった。
『ピ、ピピピピ…』
痙攣するロボット。どこかおかしくなっている様子だ。横に出た美華子が、手に持ったレーザーガンでロボットを撃つと、プラスチックで出来た外装が溶けていく。最後にバチンと派手な音を出して、ロボットは微動だにしなくなった。
「ぼ、僕の最高傑作が…」
男が唖然として、腰を落とした。その男に、アリサがつかつかと歩み寄る。アリサの腰に抱きついていた恵理香は、涙を目に浮かべ、腕を離してべしゃりと地面に倒れ込んだ。アリサはかなり怒っているらしく、まるで狼のような、今にも相手を食い殺しそうな顔をしている。
「ま、待て、悪かった!僕が悪かった!ゆ、許してくれ!ビデオは消すから…」
本格的に恐怖を覚えたのか、男がぺたんと座り込み、アリサに命乞いをする。今まで、屋敷の様々なトラップを操り、7人の少年少女に恐怖を与えた親玉とは思えない、情けない行動だった。
「さっきまでの威勢はどうしたの?どうしたの?くふふふ、お祈りはしてきた?」
まるで、どこかの吸血鬼のような言葉を吐くアリサ。何を言われたとて、この男を許す気は、アリサにはなかった。アリサの怒りが、マグマのように沸き立つ。
「食らええええええええええええ!」
ずどぉぉぉん!
「ぎゃああああああああああ!」
アリサの拳が、男の腹に、クリーンにヒットした。
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