それからの話は簡単だった。アリサ達、7人が勝手に屋敷に忍び込んだことを謝罪する代わりに、男はビデオを消去するという話で決まった。そのビデオを、万が一のためにチェックしたアリサ達7人だったが、ビデオの内容はひどいものだった。ネズミに追われて逃げるシーンや、真優美が恐怖に泣き出すシーン、真優美と恵理香が薬にやられておかしくなるシーンなども、ばっちりビデオに撮られていた。
真優美と恵理香は正気に戻ったが、真優美は今まで自分が淫らな女になってしまっていたことを思いだしてめそめそと泣いたし、恵理香は自分がすっかり弱虫になってしまっていたことを思い出していらいらしていた。
「はあ…なかなかにアクロバッティブな経験だったね。もう8時だ」
帰りの電車の中、祐太朗が腕につけた時計を見て、ため息をついた。
「最近、アリサの殴り落ちが多いな。アリサが一発正拳を入れれば、なんでも解決している気がするよ」
恵理香が祐太朗の言葉に呼応する。
「それってどういう意味よー」
「そのまんまの意味だ。結婚式場でもそうだったじゃないか。あのときも大事件だった」
不機嫌になるアリサに、恵理香が過去のことを突きつける。
「しかし…まさか、こんな大仰な肝試しになるなんて、想像すらしてなかった」
竜馬が座席に深く座る。隣に座っていた真優美が、竜馬の言葉に、また目を潤ませ始めた。
「あ、いや、真優美ちゃんが悪いんじゃないんだ。もう泣くのは…」
「いいんです…あたしが行くなんて言わなければ…」
竜馬はフォローしようと声をかけるが、真優美はそれに聞く耳を持たなかった。
『うう…今日は竜馬君と仲良くなるために来たのに…あんなあたしを見て、竜馬君、嫌いにならなかったかなあ…』
悲しい考えが、真優美の脳裏をよぎる。これから、一緒にあちこち行こうと言っても、体よく断られるようになるんだ。きっと、そうだ…
「ひぐぅ…うえ…うええええん!」
真優美が顔を押さえて泣き出した。涙が後から後からあふれ出す。
「なんか、もう泣く周期入っちゃってるわね。別にもう誰も怒ってないから、安心してくれていいのに」
さっきまで力一杯真優美を慰めていたアリサだったが、流石にもう疲れたらしく、何も言わなくなった。
そうこうしているうちに、電車が駅に着いた。祐太朗を除く6人が、ここで降りることとなる。
「じゃあな。またなんかイベントあったら参加してくれよ」
竜馬が祐太朗に手を振る。
「あー、竜馬君、ちょっといいかい?」
「何だよ?」
ぐいぐいぐいぐい
竜馬が肩をつかまれ、電車の中にまた戻された。2人がひそひそと何かを話しているのを、真優美はちらと見た。一瞬、竜馬を乗せたまま電車が発進しそうな不安に襲われたが、急行との連絡のために停車時間が長いことを思い出して安心した。
「あー、わかった。努力はする」
祐太朗の腕をふりほどき、竜馬が外に出る。竜馬が肩に荷物を担ぎ直した瞬間、電車の発進を報せるベルが鳴り響いた。
「アリサさーん!また今度あおう!メールするよ!」
恥ずかしげもなく、祐太朗が大声を出して、アリサに投げキッスをしてみせた。うんざり顔のアリサは、祐太朗から目を逸らし、他人のフリをした。
「それじゃ、帰るか」
修平の言葉をきっかけに、ホームにいた6人はそれぞれの荷物を持って、階段を上り始めた。改札にカードをかざし、外に出る。休日の駅は、様々な人種でごった返していた。
「どうだった?今回は上手く行った方?」
一同から少し離れた所を歩きながら、美華子が真優美に囁く。
「全然ですよぅ…こんなの、想像してたのじゃないもん…」
思い出し泣きをしそうな真優美。そろそろ、この泣き虫な自分を卒業しなければならないと思ってはいるのだが、そうも上手く行かないのがつらい。
「ま、そういうときもあるよ。次回は上手くやればいいって」
ぽんぽんと美華子が真優美の肩を叩く。
「でもでも、嫌われちゃったら…」
真優美が涙目で美華子を見つめた。
「ちょっときつい言い方かもしんないけど、なんで最初から完璧に好かれようとするの?嫌われてもいいんじゃないの?」
「え?」
「一時的に嫌われても、また後で好かれるように、努力すればいいじゃん。人間関係の面白いところは、時間で変化があることなんだから。後2年以上あるじゃん?もう少し積極的に行ってもいいと思うよ」
そう言って美華子は、にっかり笑って見せた。
「そっか、一回で終わりじゃ、ないんだ…」
真優美は今まで、人間関係とはやり直しのきかないものだと思っていた。だが、美華子の一言に、今まで見えていなかった面が見えた。まだ、何度でも、やり直しはきくはずだ。
「じゃ…私はあっちだから。みんな、また月曜、学校でね」
「あ、うん。じゃあね」
美華子が一同から離れ、雑踏へと消えていく。残った5人は、美華子のその背中を見送った。
「そういえば竜馬。さっき祐太朗と何か話してたみたいだけど、何だったの?」
襟巻きを巻き直しながら、アリサが聞いた。
「え?いや、その…なんでもないんだ」
竜馬が目を泳がせる。内容について、聞かれたくなかったようだ。
「気になるじゃない。ねえ、教えなさいよ〜」
アリサが竜馬にじゃれた。と、そのとき、竜馬のポケットが震える。気付かない竜馬に代わって、アリサがするりと携帯電話を取り出した。
「鳴ってるわよ…あ、ちょうど祐太朗からみたいね」
竜馬にとって不幸だったのは、サブディスプレイにメール本文が表示されてしまうタイプの携帯電話だったことか。そこに表示された文字は、真優美には遠くてよく見えなかったが、アリサと恋人とか、ありがとうとか、そういう単語が見て取れた。
「こら、てめえ!人の携帯勝手に見るんじゃ…」
携帯電話を奪った竜馬だったが、アリサの体がぷるぷる震えていることに気付き、少しずつ後ずさる。
「へぇ〜。竜馬、まだ私を祐太朗に押しつけることを、諦めたわけじゃなかったんだ…」
アリサの言葉から、メールの内容が伺える。ちらと横を見る真優美。修平も、事を静観することにしたようで、じっと2人を見守っている。祐太朗も、よほどアリサのことが好きなのだろうと思うと、男性にそれだけ好かれるアリサが、少しだけうらやましく思えてしまう。
「ち、違う!誤解だ!努力するって言っただけで…」
「問答無用!このバカ竜馬ー!」
がぶぅぅぅ!
「いだあああああ!」
アリサの牙が、竜馬の二の腕に、深々と食い込んだ。アリサの牙の鋭さは、真優美も体験したことがある。だが、今は不思議と恐怖は感じなかった。そんなものをうち消すほど強いどきどきが、真優美に起きていたからだ。
「えーい、やめないか!また始まった!友達に戻ったんじゃなかったのか!」
恵理香が力に任せて、アリサを竜馬から引き剥がす。
「それとこれとは話が別よ!あんたも竜馬に肩入れする気!?」
「もっと穏便に事を済ませろ!毎度毎度噛みついて!お前はどうしてそう短絡的なんだ!」
「うっさいわね!乙女を売り渡すような真似する男に手加減なんていらないのよ!」
またケンカが始まった。アリサと恵理香も、よく飽きずにケンカをする。その騒動から、他人の顔をしてすすすと逃げる竜馬の腕を、真優美ががっしり掴んだ。
「え?どうしたの?」
まだ薬が残っていると思ったのだろうか、竜馬が一瞬固まる。
「あの2人は放っておきましょう。服を選びたいんですけど、一緒に来てくれませんかぁ?」
にっこりと真優美は笑った。精一杯の笑顔。恐らく、今この瞬間ならば、世界中の誰にも負けないだろう。
「いいけど…」
「決まりですね〜。じゃあ、修平君。あの2人のこと、後はお願いしますね〜」
きょとんとしている竜馬を引っ張りながら、真優美が修平の方を向いた。
「え、ええ〜?俺?」
「ごめんなさい。それじゃあ〜」
慌てる修平を後目に、竜馬を連れて真優美が歩く。修平は、真優美のことをどう思っただろうか。自己中心的だと思っただろうか。それとも、さっきまで泣いていたのに、珍しく立ち直りが早いと思っただろうか。そんなことは、どうでもいい。たまには、こういう我が儘もしてみたい。
暗い空に、冷たい風が吹いている。暗い夜を怖がる人間は多い。しかし、今の真優美は、竜馬と一緒ならばどんなに暗くても、どんなに怖いものが出ても、大丈夫だとすら思っていた。例えまたどこかの幽霊屋敷に行くことになっても、どんな廃墟に行くことになっても、竜馬と一緒ならば大丈夫だと。真優美はもう一度、愛しい相手の腕を離さないよう、しっかりと抱きついた。
(続く)
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