エントランスから続く廊下も埃っぽく、暗かった。ただ、打ち付けられた窓の隙間から、少しだけ光が漏れている。そのため、先ほどよりはまだ明るかった。
「いっぱい部屋があるね。ここはなんだろう」
 美華子が一つの部屋のドアを開けて、中を覗き込んだ。
「どうですかぁ?何かあります?」
 真優美と竜馬、恵理香が後に続く。
「食堂、みたいだね。でっかいテーブルだ。奥に、厨房らしきところへのドアがあるよ」
 竜馬が目を凝らしている。かなり大きなテーブルと、たくさんのイスだ。テーブルの上にある燭台は、倒れた上に錆びていた。ここにある花瓶にも花がささっているが、エントランス同様枯れている。食堂内には窓もないし、漏れ入る光も小さい。余り奥の方までは見えなかった。
「早く奥に入ってよ。私たちが入れないじゃない」
 後ろにいるアリサがぶうたれた。真優美が奥に入ろうと足を踏み出す。と、床が軋んだ。場所によっては、踏み抜いてしまいそうな危うさがある。
「ちょっと待ってください。なんか、床が抜けそうで…」
 そろそろと、真優美が歩ける床を探した。
「本棚があるぞ。食堂で本を読むのか?それとも、調理書とか…」
 入って左側、ドアが開く側と反対に、恵理香が目を移した。大きな本棚に、茶色い背の本が大量に並んでいる。恵理香が何の気なしに、本を一冊手に取ると、本棚がぐらりと動いた。
「え?」
 ガタァァン!
「う、うわー!」
 一同が本棚から離れる。本棚は、横方向に側転するような形で倒れていた。大きな本棚のせいで、ドアが閉まらなくなったばかりか、人の行き来が出来なくなってしまう。
「すまない…」
 恵理香が狐耳を伏せ、謝る。
「大丈夫、怪我はないよ。おい、そっちは大丈夫か?」
 竜馬が背伸びし、上の隙間から向こう側を覗いた。その隙間も、かなり小さい。指が入るか入らないかくらいだ。
「大丈夫よー。ただ、すごい埃ね」
 向こう側からアリサの返事が聞こえる。その間に、真優美が本棚のあった足下を調べる。本棚と床の間に、隆起が出来ていた。そのせいで、本棚が倒れやすくなったのだろう。
「これ…倒れた方向に大きい本が並んでて、バランスを崩しやすくなってるね」
 本棚の中身を改めていた美華子がつぶやいた。
「とりあえず、そっちから本棚を蹴り倒してくれ。その後、どかして…」
「う、うわ!なんだあれ!」
 恵理香が声かけをした刹那、修平の怯える声が聞こえてきた。それと共に、何か小さい物が多く走り回るような音も。
「おい!どうした!」
 恵理香が一生懸命背伸びして、隙間から向こうを覗く。
「ネズミが…いっぱい…」
 放心した祐太朗の声だ。なんとか本棚をどかそうと、竜馬が努力しているのを見た真優美は、一緒に本棚を押したり引いたりした。が、びくともしない。中に入っている本は、相当に重いようだった。
「今ので驚いて出てきたってこと?え?こ、こっち来る?」
 アリサの声も聞こえる。しまった、と真優美は顔を青くした。確かに、ここは元は人が住んでいる建物だった。しかし、今は打ち捨てられて長い。別の生き物の根城になっているということだって、十分考えられた。
「やば!」
「きゃああああ!」
 どたどたと音がした。3人が、エントランスと反対方向に走って逃げていったようだ。少し遅れて、何かがなだれるような音が響く。
「あ…」
 歪んだ本棚に開いた隙間から、ネズミが顔を出した。どんどん中へ入ってくる。1匹1匹はかわいらしいその姿。だが、多く集まれば、それは恐ろしい捕食者の群になる。昔、ハムスターを飼っていた真優美は、ネズミの雑食性についてとてもよく理解していた。それと同時に、ネズミの歯の鋭さも。そう、人間すら補食してしまいそうな…
「きゃあああ!いやあああああ!」
 パニックに陥った真優美は、叫びながら走り出した。食堂の壊れかけたテーブルの横を走り、イスを蹴飛ばし、奥に見える扉へと急ぐ。
「真優美ちゃん!」
 その後を、3人が追う。真優美はドアを開け、奥へ転がるように逃げた。それなりに設備の整った、近代式の厨房だ。冷蔵庫があるが、電気が来ていないようで、動いている様子はない。遅れてきた3人も厨房に入り、ネズミが後から追って来られないようにドアを閉めた。
「なんだ、あれは…なんでネズミがあんなに?」
 恵理香が肩で息をする。
「知らないよ…でも、いてもおかしくなくない?」
 それに対して、美華子が返答する。4人の間を、沈黙が漂った。
「いや、いやああ…やだよう、やだよぉぉ…」
 真優美は頭を抱え、震えていた。がちがちと歯が鳴る。決して寒さのせいではない。後悔と恐怖が真優美をいたぶっていた。来なければよかった。やめておけばよかった…
「真優美ちゃん!」
 ぐっ!
 突然、暖かい腕に抱かれた真優美は、驚いて目を見開いた。暗がりの中、竜馬が真優美を両腕で抱いている。
「落ち着け。な?アリサも修平も祐太朗も大丈夫だって。あいつらは何も問題ないはずだって。とりあえず、電話しよう。な?恵理香さん…美華子さんでもいい、電話頼むわ」
 落ち着かせようとしているのだろうが、竜馬自身が既に憔悴しているようでもある。この言葉は、自分にも言い聞かせているのだろう。
「わかった…と言いたいところなんだが、これを見てくれ」
 恵理香が開いている携帯電話を出した。そのディスプレイに表示される「圏外」の文字。もしやと思い、真優美も携帯を開く。彼女の携帯にも、圏外の文字は表示されていた。
「山奥だからか?それとも、電波障害か?」
 竜馬も自身の携帯電話を見つめている。振ったり、再起動をしたりしているが、通信できそうな兆しはない。
「…なんだか、大変なことになってきたね」
 人ごとのようにつぶやく美華子だが、顔は至って真面目だった。真優美は、心の中で誓った。必ず外に出てやると。ミイラになんか絶対にならないと。


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