「いやー、すっかり話しこんじまったな。アリサには悪いことをした」
 嬉しそうな竜馬がつぶやいた。久々にあった中学時代の友人達。懐かしさからか、中学時代の話をしっかりとしてしまった。気がつけば、かなりの時間が過ぎていた。話を終え、人に押されながら、前に進んでいく竜馬。苦労しながらも、ようやく入り口の鳥居を見つけた竜馬だったが、その近くにあったベンチにアリサの姿はなかった。
「あれ、ここじゃなかったっけ…」
 間違えたかと、周りを確認する。並んでいる屋台も、鳥居とベンチの場所も、みんな同じだ。どうやら、アリサは一人でどこかへ行ってしまったらしい。仕方なく、竜馬は誰も座っていないベンチに座る。アリサはそのうちここに戻ってくるだろう。一応、メールをいれておこうと、竜馬は携帯電話を取りだした。
「あれ…」
 携帯電話の電源が入らない。さっき取り出したときには、電池はフルになっていた。すぐになくなるとは、寒さのせいで放電でもしてしまっただろうか。
「おっかしーな。しゃあない。探しに行くか」
 竜馬がベンチから立ち上がった。携帯電話の電源が入らない以上、歩いて探すしかない。もし見つからないでも、そのうちアリサや竜馬の家族も来るだろうし、そのときには一緒に探す事もできるだろう。
 周りをきょろきょろと見ながら、竜馬が歩く。みんな知らない顔だ。もう夜も遅く、ここで年末年始の買い物をする気なのか、人が増えている。思えば、除夜の鐘が鳴るまで、それほど時間もない。そろそろ2045年が終わる。
「ん…?」
 何気なく見た、山へ登っていく道。足跡がいくつかついているが、その中の一つに見覚えがある。波線にハートマーク。アリサのブーツと同じ足跡だ。その足跡は、山の上へ上る道ではなく、林の中へ無理に分け入っていた。
「あいつ、こんなところに用があんのか?」
 その足跡をトレースするように、竜馬が脇道の方へ歩いて行く。他に誰も行く人間のいないこの道に、アリサは何か見たのだろうか。
 さく、さく、さく…
 雪を踏む音だけが響く。祭りの喧噪が、だんだんと小さくなる。アリサの足跡は、林に入った後にカーブして、ますますどこへ行くかわからなくなっていた。
 竜馬は、幼き日のことを思い出していた。この神社の山道は、どこへ続くかわからない道だと、真一に脅されたものだ。真っ直ぐ行けば、10分ほどで山の上にある展望スペースに出る。しかし、林の中に入ったことはない。小学生のころは、ここでスケベ本を見つけて来たという同級生もいたのだが、奥に入ったことはないと聞いていた。
 山のぐるりを囲むように、街が広がっていることを考えると、ここを真っ直ぐ行ってもそのうちに街には出るのだろう。だが、小さな裏山の山中に、何があるかは知らない。竜馬はだんだんと不安になってきた。
 アリサは一体、ここに何をしに来たのか。そんな些事は置いておいて、無事かどうかが気がかりだ。何かあってからでは遅い。ちゃんとアリサを見ていなかった自分に、竜馬は自己嫌悪を感じた。
 がさっ
「うあ!」
 情けない声を出す竜馬。音の方をちらりと見ると、茶色い毛をした何かが動いている。
「アリサ!?」
 竜馬が雪をかきわけ、そちらへ行く。茶色い何かが顔をあげた。人を食ったような顔、くりっとした目、そして太い尻尾。ただの狸だ。
「狸…狸って冬眠しないのかよ」
 竜馬がほっとすると共に、狸が雪をかき分けて逃げていく。呆れた竜馬は、肩を落としてアリサの足跡を追った。
「あ…?」
 気がつけば、斜面になっている。急な下りの斜面で、一部の雪が滑落しているところから、アリサは下に行ったようだと推察できる。何か手がかりがないかと辺りを見回すと、折れた木が立っているのを発見した。落ちそうになったところを、これでなんとかしようとしたのだろうか。
「…あのバカ、落ちたのか!」
 ずずずず!
 まるでスキーでもするように、竜馬が斜面を駆け下りる。滑り降りると言った方がいいかも知れない。
『もしかするとアリサは既に…』
 嫌な想像に、竜馬は顔を青くした。もっと優しくしておけばよかった。もっといろいろと話したかった。生きていてほしい。
「ん…なんだ?」
 下の方に、茶色い何かが落ちている。おっかなびっくり、足下に気を付けながら下りる竜馬が見たのは、雪をかぶって倒れているアリサの姿だった。
「アリサ!おい、大丈夫か!」
 下りきった竜馬が慌てて駆け寄る。竜馬の姿に気付いたアリサが、体を起こして立ち上がった。
「あ…り、竜馬?」
「お前、どうしてこんなとこにいんだよ。大丈夫か?怪我は?痛いところ、ないか?」
「あ…う、うん。怪我ないよ。ちょっと、散歩してたら落ちちゃって。えへへ」
 立ち上がり、雪を払うアリサ。外見的な傷はない。一つあげるならば、アリサの長い金髪が、雪と泥で汚くなってしまっているところだろうか。
「まったくもう。どこ行ったかわかんなくなったから探してたんだぞ」
 ぱっぱっ
 竜馬がアリサの髪を軽く叩き、泥を落とす。心配したんだぞとは、気恥ずかしくて、素直に言えなかった。
「心配かけてごめんね。でも、大丈夫よ。じゃあ戻ろっか。竜馬ったら、私を捜しに来てくれるなんて嬉しいわ〜。愛?愛なの?」
 アリサがふらふらと立ち上がり、自分の体に着いた雪を払った。竜馬はその仕草に、何故だかとても腹が立った。心配してみればこれだ。こんな軽いノリで…
「…勝手にしろよ。もう付き合ってらんねえよ。バカ女」
 アリサを放って、竜馬は雪を踏みしめた。ここからは上れないから、別のところから上に行く必要があるだろう。歩いた距離は、山を抜けるほどにはなっていないから、また道を探さねばなるまい。
「あ…ま、待ってよー」
 アリサが後ろをついてきた。その仕草も、行動も、竜馬は気に入らなかった。旧友にあえて嬉しかった気持ちも、すっかり冷めてしまった。何も言わず、竜馬が斜面沿いに歩く。雪は深く、一歩踏み出すのにも骨が折れた。
「ねえ、竜馬。ごめんなさい。そんなに心配かけたって思わなかったの。もう、勝手にあちこち行ったりしないから。だから、許して?」
 アリサが後ろから声を投げかける。アリサには、なぜ竜馬が怒っているかがわからなかったようだ。前から、アリサがなんで嫌なのか、言い含めてあるはずなのに。そこから、今の状況についても、わかるはずなのに。
「ねえ…無視しないでよぉ。そんなに私のこと、嫌い?」
 その一言が…悲しそうに言うその一言が、竜馬の最後の怒りを引きずり出した。
「ああ、大っ嫌いさ!俺がどれだけ心配したと思ってんだ!ここ、昼間でも薄暗くて誰も入らない森だよ!街ん中なのに、今にも妖怪が出そうなところに、お前の足跡だけあったんだぞ!どんなに心配したか、お前にわかるのかよ!」
 竜馬は振り返ると同時に、アリサに溜まりに溜まった文句をぶつけた。3歩後ろにいたアリサが、竜馬の剣幕にびくりと体を震わせる。
「いつもそうだ!人の心も知らずに突っ走りやがって!抱きつく、まとわりつく、あげくには空気読めない言葉で周りまで巻き込みやがって!そういう、思いやりのかけらもない、自己中なところが嫌いだって、前々から言ってんだろうが!昔いじめっ子だったからとか、もうどうでもいいってことに気付いた!今、この場にいる、目の前にいるお前の性格が大っ嫌いなんだよ!もうどうにでもなっちまえ!お前なんか、消えればいいんだ!」
 今までに溜まったものを、竜馬は全て吐き出した。これだけ言ってしまえば、もう後戻りは出来ない。今までに何度言っても聞かなかったこと。今までに何度教えても覚えなかったこと。全て、この言葉に込め、アリサにぶつけきった。竜馬の言葉に対して、アリサは呆然と立ちつくし、両の目で竜馬の顔を見つめていた。
「…ごめんなさい…」
 アリサが小さな声で謝る。竜馬はそれを聞いても、何も思わなかった。どうせ謝った後許したら、また調子に乗るのだろうと思っていた。隠すことなく、表情でそれを伝える。
「ごめんなさい…わ、私…竜馬が…ひ、ぐ…ぁぁ…う…う…」
 ぽと、ぽとと涙が落ちる。アリサの目から、涙がこぼれる。本当に悲しそうに泣くアリサに、竜馬は動揺した。確かに言い過ぎたかも知れないが、アリサがこれぐらいで泣くような少女だとは思っていない。いつもならアリサが言い返し、ケンカをして終わるだろう。いつもなら…
「お、おい…泣くなよ。また嘘泣きか?」
 言った後、竜馬はしまったと思った。アリサが本気で泣いていることは、いつもアリサを見慣れている竜馬が、一番わかっている。こんなこと口に出すものではない。竜馬は、自分が男として、格が落ちたことを感じた。
「そ、そうだよね…嘘泣きだって、えぐ…思われても…仕方ないよね…すんすん…」
 泣き続けるアリサを見ていられなくなった竜馬は、俯いた。怒りに任せて、他人を傷つけることに、自己嫌悪を感じる。別に、相手が女性だったから嫌になったわけではない。例え男性だったとしても、暴力的な言葉や行動で傷つけるのは、竜馬が好むやり方ではなかった。
「あ、アリサ…そんな、泣かないでくれ。俺が悪かった。言い過ぎたよ…」
「り、竜馬は、悪くないよ…わ、私が悪くて…う、うああああん!」
 とうとう、アリサは大声で泣き始めた。こんなことになっても、周りに人がいなくてよかったとか、父や祖父に見られなくてよかったなどと思ってしまうことが、竜馬はとても嫌だった。
「悪かった、泣かないで…ともかく。なんとか上に戻ろう。な?」
 ぐい
 竜馬がアリサの手を引っ張った。と、アリサが雪の上に尻餅をついた。
「あ!強すぎたか、悪い…」
 竜馬がアリサの手を引っ張り、起きるのを手伝う。しかし、アリサは起きあがることが出来なかった。鳶足のまま、なんとか起きあがろうともがいて、泣き続ける。おかしい、と直感で感じた竜馬は、アリサの両足首を握った。
「いだあ!いだいよ!うあああん!」
 アリサの泣き声が大きくなった。アリサの右足に違和感を感じる。異様に膨らみ、体の他の部位に比べて熱をもっている。その部分がどうなっているか、竜馬は直感で理解した。
「お前…捻挫してんじゃねえか!なんで言わないんだよ!」
 驚いた竜馬が、また大声を出した。
「だ、だって、心配かけたく、なくて…ごめんなさい!ごめんなさい!あああん!」
 アリサがびくりと、叱られた子犬のように震え、また泣き出す。
「ち、違うんだ!ただその…心配だったから…ほら、おぶってやるから、行こう?」
 半ば強引に、竜馬はアリサを背負った。剣道をしていた時代の筋肉がまだ残っているのか、それほどの重さは感じない。竜馬は混乱していた。最近のアリサのことを、普段と違う違うと思っていた竜馬だったが、こんなことになるとは思ってもいなかった。確かに、竜馬の行動もあまり誉められたものではない。一緒に行動しなければならなかったのを放置し、30分も話し込み、あまつさえ最後に怒鳴りつけてしまった。
 背中に感じるアリサの重さと暖かさ。そして泣き声。そんなに重くはないはずなのに、とても重く感じる。
 数百メートル歩いたところで、竜馬は小さな道に突き当たった。道自体は、コンクリートでも舗装されていない、土の道だ。雪が丁寧にどかされているところから、竜馬はここを通る人がいるのだと判断した。今は誰も通っていないし、人の気配もしない。ここを通れば、祭りの方へ戻れるかも知れないが、泣きじゃくるアリサを連れてもいけない。
「ん…?」
 道沿いに、ベンチが設置してある。木で出来た古いもので、雪が積もっているが、休むことは出来そうだ。竜馬は道まで行き、ベンチの雪を片手で払うと、泣き続けるアリサを座らせた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
 謝り続けるアリサを見て、竜馬の胸が痛む。竜馬はアリサの横に座り、アリサの肩を抱いた。そして、ぽんぽんと優しく叩き続けた。


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