「えぐ…えぐ…」
 10分ほど待ち、ようやくアリサの涙が止まった。小さくしゃくりあげるが、大体は泣きやんでいる。何も言わず、肩を抱き続けた竜馬は、ようやくほっとして腕を戻した。
「その…あの…言い過ぎたと思ってる。すまん」
 俯き気味の竜馬が、小さな声で謝罪する。アリサは何も聞いていないのか、反応をしなかった。
「怒ってる…よな?さっきのあれ、本気じゃなかったっつか…いや、本音だけど、もうちょっと言い方があったっていうか…んーと…」
 しどろもどろになりながら、竜馬はさっきの言葉について、弁解をしようとした。が、上手く言葉がまとまらない。言えば言うほど、情けない言い訳のようになってしまう。
「…いいの。別に」
 ようやくアリサが返事をした。声は枯れ、がらがらになっている。竜馬はどきりとした。やはり、アリサは怒っている。自分のせいだと思うと、気が重くなる。
「何度も竜馬には言われてたもんね。わかってたよ。性格の欠点とか、不一致の部分とか」
 淡々と語るアリサの物言いは、何かを諦めきったかのようだった。彼女がふうと息をつくたび、竜馬はアリサがまた泣き出すのではないかと、気が気ではなかった。
「じゃあ、なんで直さないんだ?俺は理解すらしてないのかと思ってたんだが…」
 おっかなびっくり、竜馬が問いかける。
「…直せないんだ」
 ぽつりとアリサがつぶやいた。
「直す、じゃないの。私にとっては壊す、なんだよ。わかる?」
 アリサは顔を起こし、竜馬の方を向いた。竜馬も、アリサの方に顔をあわせる。目と目が向かい合う。ここまでアリサの目をまっすぐに見たのは、久しぶりかも知れない。前もあったような気がするが、すっかり忘れてしまった。
『そっか…アリサって、目が青なんだ…』
 まるでビー玉のような目…そして、深海のような美しい色に、竜馬は思わず見とれてしまった。こうしてアリサの目の色を見るのは久しぶりだ。
「竜馬のことは好きだよ。でも、私はその竜馬の好みに合わせて、無理矢理性格を矯正することは出来ないの。それってつまり、自分じゃないのよ」
 ふう、とアリサが息をついた。
「さっき、竜馬が私の知らない人たちと楽しそうに話しているのを見たわ。ミカサって誰?」
 アリサの出した意外な名前に、竜馬はたじろいだ。
「えーと…ち、中学んとき、同級生だったんだ。いいやつだったよ」
 竜馬が適当なことを言ってお茶を濁す。
「そっか。どんな人だった?」
「ど、どんなって…」
「竜馬、その人のこと、好きだったんでしょう?」
 なおも、アリサが話を突っ込む。それは、先ほどまで泣いていた少女と同一人物とは思えない、堅い芯の通った物言いだった。
「…見た目は獣人。毛が黒と白の2色で、髪が黒くて長いんだ。さらさらの体毛で、そんな仲良くもなかったんだけど、優しいところがすごい好きだったんだよ」
 過去を思い出し、竜馬が言いにくそうに話した。色恋沙汰の話をするのは得意ではない。ましてや、相手はアリサだ。自分のことを大好きだと言う相手に、恋愛の話をするなんて、どんな顔をすればいいのかわからない。
「そっか…私と同じ、獣人なんだね」
「ああ。獣人でも、結構違うところがあるけどな」
 2人がまた黙り込む。遠く、風に乗って、祭りの音が聞こえてきた。どうやらここは、神社からそう遠くもない場所だったらしい。
「…努力はしたんだよ。好きだから。竜馬に好かれたくて、努力はしたの」
 絞り出すような声で、竜馬に語りかけるアリサ。それがまた泣き声になるのではないかと、竜馬は気が気ではなかった。
「でも、だめなの。私じゃだめなの。どんなにがんばって変わっても、私は私なの。もう、性格は変えれない。ミカサさんじゃないから、竜馬に大好きって言ってもらえないの」
 つらそうに、苦しそうに、アリサが続ける。
「ねえ、竜馬。竜馬が今、好きなのは誰?私じゃ、ダメですか?」
 竜馬を見つめるアリサ。胸が痛くなり、竜馬は明後日の方向を向いた。この痛さは、前も感じた。アリサがいなくなってしまうかも知れなかったあのときと同じだった。
「去年のクリスマス前にね、お爺ちゃんが死んじゃったんだ」
「え…?」
 唐突な告白に、竜馬が聞き直す。冗談だろうと言わんばかりに。
「お爺ちゃんはすごい怒り屋なんだけど、私のことはかわいがってくれたの。ここ2年くらいは入院してたんだ。お父さんもお母さんも、忙しくてお見舞いにはなかなかいけなかったけど、私はちょくちょく行ってたのよ」
 特に悲しむ様子も見せず、アリサは淡々と話を続けた。
「おじいちゃんは私の話を喜んで聞いてくれたんだけどね、その中でもお気に入りだったのが、竜馬の話よ」
「へ?俺?なんで俺の話よ?」
「私の彼氏様としての話よ」
 竜馬の質問に、アリサがけろっとした顔で答えた。反論するべきか迷った竜馬だったが、おとなしく話を聞くことにした。ここで何か言っても、過去の事実は変えられない。
「お爺ちゃんがね、私が子供を産むまで生きていられるかわからないって言ってたの。だから、私の恋愛とかには、すごく敏感だったのよね。私は、竜馬と仲良くなっていく話をしたわ。そしたら、本当に嬉しそうに笑うのよ。アリサちゃんも婿さんを見つけて、すごく嬉しいってね」
 アリサの話を聞く竜馬は、複雑な気持ちだった。それは、人生の終わりを迎えようとしている老人を、アリサが励ましている場面が目に浮かんだからだった。
「現実では、竜馬は私をつっけんどんに扱ってたわ。でも、私はそれを、脚色したのよ。今日は彼氏が好きだって言ってくれたとか、今日はだっこしてくれたとか。春のお花見の話もしたし、夏のお祭りの話もしたわ」
「でも、俺は実際にはそんなこと言ってないし、やってないだろ?」
 アリサの言うことに竜馬が反論した。
「そう、ね。嘘は嘘だもの。いくらおじいちゃんを喜ばせるためでも、いけなかったと思ってる。でもね…」
 アリサの目が細くなった。
「それが本当になればいいなあって、ずっと思ってたの。素敵なカップルになりたかったのよ」
 ひゅう、と冷たい風が吹く。アリサが腕を組み、小さく震えた。
「お爺ちゃんが死んで、すごく悲しかった。でも、変に落ち込むと、竜馬は私に同情する。今までさんざ付き合ってきて、竜馬のことはよくわかってたわ。このことまで、竜馬を物にする道具に使いそうな自分が、怖かったのよ。だから、無理に明るく、いつも通りに振る舞ってた」
 アリサの言葉を聞いて、竜馬はようやく納得した。アリサはアリサでいつも通りに行動しているつもりだったのだろうが、確かに細部に違和感があった。落ち込んでいるようでもあったし、クリスマスにはアリサ自身が「最近悲しいことがあって」とも言っていた。
「でも今、ミカサさんの話聞いて、なんだか諦めがついちゃった。私はどうあっても、竜馬の一番好きな女の子にはなれないのね」
 アリサの目が涙で潤む。また泣き出すのかと、竜馬は心配になったが、アリサは泣き出す様子はなかった。目をごしごしと擦り、にっこりと笑う。その笑い方は、心底楽しそうないつものそれと違い、寂しげで悲しげで、なおかつ苦しげだった。
「その…なんだろう。俺の方が悪いみたいな気になってきた。でも、これはまあ、性格の不一致ってやつだから…」
「わかってるわよ。そんなに気に病むことはないわ。なんかもう、しょうがないしね」
 アリサが立ち上がる。スカートの尻をぱんぱんと叩き、捻挫した足に体重をかけないようにして、大きく伸びをした。
「おい…足、大丈夫か?」
 竜馬が立ち上がり、そっとアリサの肩を支える。
「くふふ。竜馬のそういう優しいところ、すっごく好きよ」
 ちゅっ
 アリサの口が、竜馬の頬に押しつけられた。頬に吐息を感じた竜馬が、一瞬固まる。
 ゴォォォォーン…
 遠くから鐘の音が聞こえてきた。もう、今年は残り1時間もない。そろそろ、家にいる酔っぱらい集団も、お祭りに来ていることだろう。
「あいたた、やっぱ捻挫しちゃってるみたい。上手く歩けないかな…」
 足を庇い、アリサがかがみ込む。そのアリサの前にしゃがんだ竜馬が、かがんだアリサを背中に乗せる。
「おぶってやるよ。ほら。最後に神社に行って、お参りして帰ろうな」
 アリサの両足を掴む竜馬。落ちないように、アリサの腕を首に回させる。
「…うん」
 アリサの声が揺れた。アリサの竜馬の首にきゅっと抱きつき、背中に頬が押しつけられる。長い髪が竜馬の肩にかかる。
「アリサ。その…恋人にはなれなくても、俺達友達だからな。だから、辛いこととかあったら、話してくれていいから…」
 気恥ずかしさを感じながら、竜馬が勇気を出してアリサに言う。
「…うん」
 元気よくアリサが返事をした。背中に暖かさを、耳には鐘の音とアリサの息づかいを受けながら、竜馬はしっかりと足を踏み出した。


 石川から東京に帰ってきたのは、正月の5日だった。7日には3学期が始まり、また面倒な授業を受けなければならない。竜馬とアリサが、竜馬の家の居間で、コタツにあたっている。外は雪。ここ数日、東京でも雪が降り続いていたらしい。昼間の空は、石川と変わらない、灰色の空だった。
「あー、寒い…一休みして、飯食いに行こうぜ」
 コタツに入って寝ころんでいた竜馬は、上半身を起こし、籠に入ったミカンを手に取った。皮を剥き、中を出す。
「飯って、どこに行くの?まあ、外食くらいはいいけれど」
 向かいに入っていたアリサが、手に持っていたシャープペンシルを置く。前に広げてあるのは社会のノートだ。2人は、冬休みに出された宿題の、最後の詰めをしていた。
「そうだな…牛丼、どうよ。久々に食いたい」
「えー?私、こないだ食べた。ハンバーガーにしない?」
「同じ牛肉だろ?米かパンかなんだから、牛丼にしようぜ」
「それは嫌よ。もう、わかってないんだから」
 むう、と2人が唸り、目と目を合わせた。
「2人とも、宿題は終わったの?言い合いなんかしてるんじゃないの」
 清香の部屋の襖が開き、清香が顔を出した。徹夜で何か作業をしているらしく、目が充血している。
「いや、アリサがわがまま言うから…」
「だって、竜馬が私の話を聞いてくれないんだもん…」
 2人は同時に清香に訴え出て、同時に相手を睨み付けた。
「はあ…あんた達はもう高校生なんだから、仲良くしな。お昼くらい好きなもの食べたらいいじゃない」
 ずるずると、清香が身を乗り出した。膝に付いた糸くずをゴミ箱に入れ、立ち上がった清香が、窓にかかったカーテンを開ける。
「そんなこと言ったって…意見が分かれるのは仕方ない。アリサは基本わがままだし」
 竜馬がごろんと寝ころんだ。アリサが言い返そうと、竜馬の方に身を乗り出したそのとき、ふとアリサの視線が、窓の外に行った。
「あ…」
 竜馬もつられて外を見る。はらり、と雪の粒が落ちていった。それ以上、もう雪は降ってこなかった。雲が割れ、日差しが差す。雪の止む、その瞬間と目を合わせたのだろう。
「…うん、いいよ。じゃあ、牛丼にしようか」
 くふふとアリサが笑った。ノートのページにシャープペンシルを挟み、広げてある学用品を片づける。
「あれ、珍しいね。アリサちゃんは結構我が強いと思ってたけど…」
 清香が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、アリサを見下ろす。コタツから出て、服装を整えたアリサは、清香の方を向いてにっこり笑った。
「だって、私と竜馬は、とっても大切な友達なんですもの」
 その言葉に、ますます意味がわからないといった様子の清香が、首を傾げる。その間に、竜馬とアリサは、靴を履いて外に出た。
 竜馬には、アリサが何を思っているか、理解することは出来ない。しかし、無理矢理に恋愛関係を口に出していた時より、アリサが幸せそうな気がした。本意はわからないけれど。
 雪が積もっていた。アリサが捻挫した方の足を庇うように歩く。そのアリサに肩を貸し、竜馬は彼女と歩調をあわせ、のんびりと歩いていった。



 (続く)


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