『はい、リクエスト入っております。ラジオネーム「ネコノツメ」さん。サクラさんこんばんは、はいこんばんは〜』
 竜馬がいなくなってから15分が経った。アリサは座って待っていることに飽きてしまった。待てど暮らせど竜馬は帰ってこない。
『…そんなに私といるのが嫌なの?』
 何度も何度も考えたことを、再度考え直すアリサ。竜馬は何度もアリサのことを、常識がないとか、くっつきすぎだなどと言っていた。アリサは日本で生まれ、育っているから、日本の常識に疎いことはない。その範囲内で、竜馬に懐いているつもりなのだが、周りから見ると奇異に映ってしまうのだろうか。
『…なんか、もういいや。すぐ戻るって嘘だろうし。探しに行こう』
 アリサはふらりと立ち上がった。ついこの間までならば、物事をプラスに考えることが出来た。だが、今は違う。そう、数日前のあの日。唐突に訪れた悲しみは、アリサのプラス思考を奪ってしまった。
 石川に来て、竜馬と暮らす間にも、アリサの感情が落ちることは何度かあった。そして今、落ちきってしまったアリサは、竜馬はきっと自分を嫌いになったと、そればかりを考えるようになった。
『ああ…』
 ぼうっとアリサが立ち上がり、歩き始める。竜馬の前では、何でもないように振る舞っていたが、それも限界だ。竜馬は優しいから、悲劇のヒロインのような態度をとれば、同情はしてくれるだろう。しかし、そんなことはしたくない。他人の優しさをあてにして、自分から嫌な女にはなりたくない。事、竜馬に対しては、ありのままでいたかった。
 ドスッ
「あう」
 ふらふらしていたせいで、誰かにぶつかってしまったようだ。おかしな方向からぶつかったせいで、肩に強い痛みが走る。謝ろうと振り向くが、ぶつかった相手の男は何も言わず、ずんずんと歩いていく。その態度が、アリサの心に怒りの火を付けた。
「ちょっと、あんた。ぶつかったんだけど」
 ぐいと男の肩を掴み、注意するアリサ。ぶつかったのは、何の変哲もない、どこにでもいるような中年の男だった。強いて言うならば、優しそうな顔つきをしている。
「あ?ああ、すまん」
 男が謝り、アリサの手をふりほどく。普段のアリサならば、そこでもう男を解放しただろうが、今のアリサは意味もなく怒りが沸き上がっていた。
「そんな謝り方でいいと思ってんの?ぶつかった肩痛いんだよね」
「なんだよ。気を付けなかったあんたも悪いんじゃねえのか」
「は?開き直る気?」
 くつくつと、アリサの中で怒りが煮えたぎる。犬尻尾が、いらいらと揺れた。これ以上何かあるようならば、手が出るかもしれないとアリサが思ったそのときだった。
「んなわけねーだろ!はははは!」
 大声で笑う声が聞こえた。アリサが視線をそちらに向けると、そこには快活に知らない集団と話す竜馬の姿があった。なぜだかわからないが、心臓が高鳴る。
「悪い、俺、そろそろ行かないといけん。一緒に来てる友達待たせてんだよ」
 竜馬が集団に片手を振り、その場から離れようとしている。だが、一人が竜馬の首をがっちり掴み、離さない。
「じゃあ最後!中2んとき、お前ミカサと付き合ってるって噂だったろ?」
 少年の一人が、竜馬に言う。ミカサという名前に知り合いはいないが、竜馬が付き合っていたというその女の子が、少し気になった。
「ないない、ねえよ!大体、ミカサと俺じゃ釣り合わねえから!」
 竜馬が大仰に否定してみせる。さっきまでケンカを売っていたことも忘れ、アリサはそちらに目を奪われていた。相手の男が何か言うが、耳に入らない。今、アリサの耳に入るのは、竜馬とその周りの集団の言葉だけだった。
「ミカサが獣人だからか?それとも、部活で忙しかったからか?」
「違う違う。そんなんじゃねえよ。わっかんねーかな」
「わかんねえよ。お前、なんでミカサが好きだったんだ?」
 竜馬と少年達はとても楽しそうに話している。先ほどまで高鳴っていた鼓動が、すうっと引いていくのを、アリサは感じていた。
「そりゃあなあ、おとなしくてさ、ものすげえ頭よくてさ。おまけに、すんげーきれいな髪だったろ。ミカサ、犬獣人だけど、美犬だと思うぜ」
「うわ、気持ちわりぃ!そんなこと思ってたのかよ!」
「うっせえな!だから言いたくなかったんだよ!」
 ははははは、と大きな声で笑い声が聞こえた。自分の知らない竜馬。そして、知らない竜馬が好きだった女の子…
 耳に入った言葉が、頭の中で何度か反響する。ぐわん、ぐわん、と音を立てて頭痛がやってくる。喉と、それに続く胸の辺りがぐぐうっと痛くなり、目が熱くなる。
「おい、聞いてんのかよ!ケンカ売ってきたのはお前だろ!」
 ぐい!
 アリサは強く引っ張られた。ぶつかった男が、鬼の形相でアリサを睨んでいる。その顔が怖かったわけではない。が、先ほどまでの怒りがすっかり醒めたアリサの心に、代わりに浮かんできたのは罪悪感だった。自分が世界一の悪になってしまったような、どうしようもない絶望感に耐えきれず、アリサは涙をこぼし始めた。
「ご、ごめんなさい…だ、だって、痛かったんだもん…いらいら、しちゃって…」
 心にも思っていない言い訳をするアリサ。泣いて謝るアリサに、男は少したじろいだ。男の方も、少なからず罪悪感を覚えたようで、謝って逃げるようにどこかへ行ってしまった。
「も、もう、やだ、やだぁ…竜馬…竜馬ぁ…」
 涙をぽろぽろこぼしながら、アリサは歩き始めた。こんなみっともない姿、人に見られたくはない。出来るだけ、人のいない方に流れていく。
 アリサは、脇に逸れる道の方へ歩いていく。その先は、屋台もないし、明かりもない、そして人もいない。雪も積もり、足下も危ない、上り坂になった道だ。ここならば、泣き顔は誰にも見られないと思ったアリサは、目をこすりながらそちらの方へ上っていった。


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