「遅いねえ…」
 コタツに入って、カセットコンロをかちかちいじくっている竜馬が、唸るように言った。既に歓迎の鍋も、下ごしらえは出来上がっている。後は最後にぐつぐつと似て、美味しくいただくだけだ。
 部屋の広さについては十分すぎるくらいだ。テーブルだって、ワイドなコタツを使っているので、問題ない。通常の家族に3人プラスされても、特に問題はないだろう。
「大丈夫さ。お父さんとお母さんが迎えに行ってるさ」
 相変わらず楽観的に、百合子が言った。だが、言葉とは裏腹に、百合子も暇をしているようで、今週発売の漫画雑誌をぼんやりと読んでいる。
「なんか、ごめんなさいね。こんな場をわざわざ用意していただいて…」
 申し訳なさそうな顔のアリサ。彼女も、こんな大事になるとは思ってもいなかったのだろう。だが、こんな状況でも竜馬への愛は変わらないようで、竜馬の隣に座って、彼の手をぎゅっと握りしめていた。竜馬は正直鬱陶しかったが、アリサのなすがままになっていた。
「申し訳ないことはないよ。アリサちゃんはいわばお客様なんだよ?」
 清香がにこにこと返す。彼女も暇を持て余しているようだ。先ほどから、皿や箸の数を、何度も何度も数え直していた。この空間に流れる、怠惰な空気だけは、どうしようもない。竜馬も何も言わず、あくびをひとつした。
「あ、帰ってきた」
 いきなり、百合子が立ち上がった。たたた、と玄関に駆けていく百合子。耳を澄ますと、竜馬にも車の音が聞こえた。エンジン音が鳴りやんだちょうどそのとき、百合子が玄関の鍵を開ける音が響き渡った。
「清香ちゃん、俺、粗相ある格好してない?してない?」
「いんや。強いて言うなら、着物はやめた方がよかったんじゃないかくらいだね」
 不安そうに、真一が聞き、清香が冷静に返す。竜馬はこういう場面を見ると、自分が真一の孫だと痛感する。確かに、彼に似た行動を取ることがあるのだ。だが、小さなライバル意識か、安いプライドか、ここまであわてふためくことはないと、竜馬は自分で自分を納得させていた。
「今更言われても遅い!ああ、仕方ないな!げ、厳格にいくぞ!」
 おほん、と偉そうに咳払いをする真一。その後、間もなく、居間へのドアが開いた。まず入ってきたのは、テンションの高い百合子。その後に、和馬と燕が入ってきて、最後に入ってきたのは、犬獣人の夫婦だった。男性の方には見覚えがある。アリサの父親、カイオヤだ。女性の方には見覚えがないはずだったが、竜馬は彼女をどこかで見たことがあった。体のラインが美しく、優しい眼をした、美しい毛並みの獣人女性。どこで見たか思い出すことが出来なかった竜馬は、軽く会釈をするだけで挨拶を終えた。
「アリサの父、カイオヤです。このたびは、本当に…」
「いえいえ、こちらとしても…」
 まるで結婚が決まったかのような騒ぎだ。真一とカイオヤが、お互いに慇懃に頭を下げている。その態度に竜馬は、カイオヤも日本人根性が身に付いているのだと思った。すなわち、自分より目上だと思える人間には、すかさず頭を下げるという風習だ。別に、サラリーマンのことを悪く言うつもりでもないし、礼を重んじる文化を悪く言うつもりもない。むしろ、些細なことだが、竜馬はカイオヤに好感を持てた。
『…はっ。いかん、いつの間にか、婚家の気分になってきてるじゃねえか』
 自分の考えを振り払う竜馬。このままじゃ、本当にアリサと結婚までしてしまう。ちらとアリサを見ると、うっとりと竜馬を見つめている。このままでは危ない。
「お、俺、ちょっとコンビニ行ってくるわ。足りないもんがあるじゃん?ほら、なんつったっけ」
 適当な言い訳をして、竜馬が席を立つ。
「ああ、そうだった。すまんけど、石川の地酒、頼むよ。思えば、日本酒がほとんどない。年越しに酒は必要だよ」
 ポケットから出した財布から、5千円札を渡す清香。確かに日本酒が少ない。竜馬は5千円を受け取ると、そそくさといなくなった。最寄りのコンビニまで、徒歩で5分。田舎とは言え、この辺りは便利な部類に入る。
『はあ…』
 竜馬はぼんやりと考えた。将来を。そして、アリサのことを。自分が好きなのは、控えめで優しくて、自分の意志を尊重してくれる女の子のはずだ。ここ最近のアリサの態度は、それに近づいてはいるが、どうも結婚まで考えるには時期早焦だろう。竜馬はぼんやりと、今仲がいい、他の女の子のことを考えた。
『竜馬くぅん、大好きなんですよぉ』
 肩までの銀髪パーマに、褐色の体毛を持つ獣人娘、真優美・マスリ。彼女はあまり頭はよくないし大食いだが、竜馬のことを一途に好いてくれる。まるで、愛玩用のわんこのようだ。
『…何それ。私には関係ないけど』
 茶髪のショートボブヘアーに、鋭い金色の眼をした人間少女、松葉美華子。銃の扱いが上手い彼女、何を考えているかわからないが、竜馬に好意は持っているようだ。以前、軽くではあるが、キスをされたこともある。
『好きなわけでは…ああ、もう!やめないか、こんな話!』
 キツネの耳と尻尾を持った、青銀色のロングヘアーのハーフ少女、汐見恵理香。常識もあるし、比較的まともではあるが、時代劇口調が抜けない少女だ。彼女に関しては、恋愛の線引きがわからず、比較的コアなことでも受け入れたり、逆につまらないことでも弾いたりする。
「みんな、かわいいよなあ…ん?」
 竜馬はいつの間にか自分が、コンビニの中で日本酒のパックを握っていることに気が付いた。慌てて会計を通す竜馬。清香から受け取った5千円札は、落とさずちゃんと持っていたようだ。
『いっそ、みんな俺を好きになってくれないかな…』
 男ならば一度は望む、ハーレムという形式を夢見る竜馬。簡単にだが、想像してみる。
『竜馬君、ご飯が出来ましたよぉ。今日は竜馬君の好きな麻婆豆腐ですよ?』
 真優美がエプロン姿で微笑む。配膳を手際よく済ませようとするが、真優美には少し無理だったようだ。もたもたと、配膳をする。
『ほら、買ってきたから。錦原、好きでしょ?』
 無愛想に、美華子が差し出すのは、竜馬の好きなウィンナーソーセージ。辛みのある、チョリソーというものだ。酒のつまみにもなるらしいが、竜馬はあいにくと酒を飲まない、これも、ご飯のおかずだ。
『食べさせてやるぞ。口を開けろ。あーん、だ。あーん』
 箸を持った恵理香が、豆腐を箸で摘み、竜馬の口の前に差し出した。竜馬は思わず、口をあんぐりと開ける。まさにこの世の春だ…と、そのときだった。
『あんた達ぃぃぃぃ!私の竜馬に、なにしてんのよぉぉぉぉぉ!』
 妄想に割り込んできたのはアリサだった。金髪の犬娘が、誰彼構わず、牙を剥く。泣き虫の真優美が泣き叫び、無表情な美華子がアリサから逃げるように離れ、アリサと仲が悪いようで仲がいい恵理香がアリサをぶん殴る。ハーレムが崩れていく。ハーレムが…
「お客様?2千と400円のお返しですが…」
 コンビニ店員の、戸惑ったような声で、竜馬は現実に引き戻された。商品とお釣りを取り、逃げ出すようにコンビニから出る。まさか、自分がこんな恥ずかしい妄想をする人間だと、コンビニ店員に気付かれたわけではないが、どこか恥ずかしい。逃げるように、早足に竜馬が家に帰る。
「ただいま…」
 居間へのドアを開けた竜馬が見たのは、まるでバカのようなどんちゃん騒ぎだった。大人が5人、子供が3人。みんな、思い思いに騒いでいる。
「そうですか!元ファッションモデルの方でしたか!道理で見たことがあると…ねえ、あたしも美人になりたいんです。何か秘訣は…」
「そうですね。燕さんは肌がきれいですから、そこを武器に…」
「あらやだ、肌がきれいだなんて!パリヴァさんこそ、美しい毛並みですよ!」
「お褒め、ありがとうございます。嬉しいわ」
 アリサの母と、燕が、熱心に話している。話から察するに、アリサの母は、パリヴァという名前らしい。ファッションモデルという単語が聞こえたが、確かに美人だ。花のような、とは彼女のためにある言葉だろう。アリサが美人なのも、わかった気がした。
「カイオヤさん、どうぞどうぞ。この酒は好きなんですよ。いやー、私どもの世代は、宇宙人襲来!の世代でしたからね。人一倍、銀河公用語を勉強したもんです」
「そうですか。私も、まさかニュースに出ていた未開惑星、地球で会社を興すことになるとは、夢にも思っていませんでしたよ」
「はは、未開惑星ですか。手厳しいですね。まあ、連邦に加盟していなかった惑星はそんな扱いでしょうな。カイオヤさんは、どんな趣味が?」
「地球に来る前は、マイナーな球技をやっていましたね。地球に来て、ゴルフなどを…」
 こちらでは、和馬とカイオヤが、嬉しそうに話しているらしい。2人とも、すっかり意気投合してしまっているようだ。とっておきだと言っていた特級酒が、まるで水のごとくなくなっていく。酒好きには、獣人も地球人もないようだ。
「アリサさんは、竜馬のどんなところが好きになったんさ?あんなダメな兄、いないと思うけど…」
「そうねえ…優しいし、強いし…何より、雰囲気かな。私、竜馬のためなら、なんでも出来る自信があるわ」
「嬉しいこと言ってくれるね。愚弟を好いてくれるなんて」
「愚弟だなんて…私の、とっても頼りになって、とっても頼りになる、旦那様ですよ?」
 端っこのエリアでは、百合子とアリサ、そして清香が、鍋をつつきながら竜馬のことについて話の花を咲かせている。竜馬がアリサの彼氏…否、旦那になった前提だ。竜馬にとっては、あまり嬉しいものではない。その3つのグループを見つめながら、真一がにこにこと微笑み、酒を飲んでいた。アルコールの臭い漂う居間の中は、竜馬にはあまり居心地のいいものではない。
「ほら、爺ちゃん。酒。置いてくぞ」
 しかめ面の竜馬が、真一の前に酒を置いた。紙パックの安酒だが、それでも石川の地酒だろう。ところが、パックを見た真一は、とたんに不機嫌な顔になった。
「ばぁか!これは、隣の富山県の酒じゃ!石川の酒じゃないだろうが!」
 べしぃん!
「ぎゃあ!」
 真一のチョップが、的確に竜馬の脳天を捉えた。
「あ…竜馬、帰ってきてたの?」
 アリサが立ち上がる。と、彼女は電光石火に竜馬に強く抱きつき、頬ずりをした。
「お、おい!やめろよ!」
 竜馬が顔を青くする。この一発で、竜馬とアリサが恋人関係というのは、到底否定出来るものではなくなってしまった。
「…大事にしていた娘が、男の子を好きになる。嬉しいようで、悲しいですねえ」
 しゅんとしたカイオヤが、和馬のコップに酒を注ぐ。
「いやあ、竜馬なんかで、申し訳ないと言うか…」
「いえいえ。立派な少年だと思いますよ。今時にしては珍しいです。私も、あんな少年の元に、アリサが行くことを望んでいましたよ」
「そんなことありませんよ。カイオヤさんも、そんな気を落とさず…まあ、結婚しているわけでもないですし、私たちは婚家でもなんでもないんです。仲良く家族同士で付き合っていければ…」
 カイオヤと和馬が、ぶつぶつと慰めあう。竜馬はこの宴会をぶちこわしにしたい衝動に駆られた。自分とアリサは付き合っているわけでもないのに、話だけが先行していくのは気に入らない。女はたくさん…いや、海に沈む砂の数以上にいるのだ。アリサに限定する必要もないはずだ。自分だけがなんでこんな不幸に。自分だけが…
「どうしたの?竜馬、お鍋食べないの?」
 とても心配そうに、アリサが鍋をよそった皿を竜馬に渡す。竜馬はアリサの顔にたじろいだ。朝と同じ、不安そうな顔だ。ここで否定すれば泣くんじゃないか…という、朝と全く同じ考えが浮かぶ…
「…ああ、ありがとう」
 結局、竜馬が選んだのは、アリサの機嫌を取る方向だった。
『そうさ、俺はへたれさ』
 更けていく夜を感じながら、竜馬は心の中で涙を流した。


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