それから数時間して、車はようやく石川県についた。少し市街地から外れたところにある、竜馬の家。歴史ある家らしく、家の敷地は広いが、竜馬にとってそれはあまり重要なことではなかった。
運転席で、和馬が車を駐車場に入れようと奮闘している。久々に見る実家に、竜馬は昔のことを思い出した。ちょうどここから10分のところに、アリサがいた家がある。当時、アリサの家には父親がいなかった。東京で会社を興していたからなのだろうが、当時の竜馬は母子家庭だとばかり思っていた。アリサが父親のことを聞かれるたび、父親は遠くにいるのだと答えていたのも、誤解を招く原因となったのだろう。
「到着ー!あー、久しぶりね、この家も。お父さん、ありがとうございますー」
後部座席で、竜馬の横に座っていたアリサが、ドアを開けて外に出た。既に日は沈みかけ、夕方となっている。石川はここ1週間で雪が降り始めたそうで、地面は雪に覆われていた。
「ああ、うん、いいんだ」
気弱に和馬が笑う。アリサのあまりのハイテンション具合に、和馬はかなり押されてしまっていた。
「姉貴は知ってたんだな。アリサが来ること」
荷物を下ろしながら、竜馬がじろりと清香を睨む。
「もちろん。おいでって言ったのは私だからね。何さ?その目は」
「俺が反対するって思ったから、言わなかったのか?」
「アリサちゃんが、久しぶりに石川に行きたいって言ったから、誘っただけさね。なんでそう自分に繋げる?自意識過剰なんだから」
不機嫌を隠そうともしない竜馬を、清香が笑い飛ばした。彼女の言葉は嘘だ、と竜馬は直感的に感じ取った。もし来るだけならば、竜馬に話をしないのはおかしい。竜馬が反対すると見込んで、布団に包んだアリサを輸送するなどという、手間がかかる方法に切り替えたのだろう。
「あー、アリサさん!こっち来るなんて、聞いてなかったさー」
玄関の引き戸を開けると、廊下に一人の少女が立っていた。人なつっこい笑顔で、黒髪をツインテールにしているその少女の名は百合子。清香、竜馬の妹で、まだ中学生だ。
「帰ったの?早かったねえ」
後ろの方から、清香や百合子と似た顔をした女性が、にこにこしながら歩いてきた。こちらの女性の名は燕。3人の母で、和馬の妻にあたる。
「あー、百合子ちゃんにお母さん!お久しぶりです!」
アリサがぺこりと頭を下げる。
「あら?どちら様?」
「アリサです。アリサ・シュリマナ。覚えてません?」
最初はアリサが誰だかわからなかった燕だったが、少し考えて、ようやくアリサのことを思い出した。
「あー、アリサちゃん!こんなに大きくなって…来るって聞いて、布団を用意しておいたのよ。今、高校?」
「ええ。私、竜馬が通う高校と同じところに通ってるんですよ」
「すごい偶然ねえ。まま、上がってちょうだい?ほら、竜馬も、お父さんも」
車から荷物を運ぶ和馬と竜馬を、燕が急かす。
「じゃあ、おじゃましまーす」
アリサが靴を脱いで玄関に上がる。その後ろ姿を見ながら、竜馬は頭痛を必死に耐えていた。これから数日間、アリサと暮らすことになるとは、思ってもいなかった。父親は知らなかったようだが、母親のあの態度を見るに、既に連絡は来ていたようだ。
友達と遊びに行って、大晦日は徹夜して、紅白歌合戦が終わったタイミングで家を出る。近所の大きな神社の年越し縁日で心ゆくまで遊び、帰ってきてから年賀メールを送り…
そんな竜馬の、のんびりとした正月は、きっとうち破られるに違いない。考えなくてもわかる。疲労感を感じた竜馬が、自分の荷物を持って階段を上がる。2階に入って廊下を通り、右側の部屋が自分の部屋だ。
「ああ…」
部屋の襖を開けた竜馬は、漂ってくる懐かしい匂いに、思わず息をついた。竜馬の部屋は畳で6畳。こぎれいに片づけて家を出たが、そのときのままになっている。本棚に並べてあるマンガも、東京に持っていった分だけなくなっているし、置いてある古いパソコンも、マウスの位置までそのままだ。
「…あれ?」
竜馬は荷物を下ろしたとき、少しの違和感を感じた。埃が全くない。普通ならば、少しは埃が積もっているものだが、それがまったくないのだ。考えた後、母が部屋を掃除してくれたということに気づき、竜馬は心の中で頭を下げた。
「あー、ここが竜馬の部屋?」
後ろから竜馬に話しかける者がいる。アリサだ。アリサはひとしきり部屋の中を見回した後、自分の荷物をでんと置いた。
「ちょ…お前、なんでここに?」
「決まってるじゃない。ここで5日、泊まるんですもの。竜馬の部屋に一緒によ?」
当然だと言わんばかりに、アリサが言い放つ。竜馬は周りの景色が歪むのを感じた。なんとかして、アリサを追い出したいと考える。そのとき、竜馬の脳裏に、名案が浮かんだ。
「お前さ、正月を他人のところで過ごしていいわけ?親父さんとかお袋さんとか、寂しがるぞ?」
じっとりと、まとわりつくような視線で、竜馬がアリサを睨む。
「寂しいだろうなー。かわいい一人娘が、どっか行っちゃって。今からでも遅くねえよ、帰れば…」
「大丈夫よ。両親、お正月は石川に来るって言ってたもの」
「…なんですと?」
アリサの言う言葉に、竜馬は目が飛び出そうになった。
「2人は2人で宛があるのよ。こっちで長い間過ごしてたんですもの。知り合いの1人や2人、いてもおかしくないでしょう?仲がいい友達もいるから、そっちで泊まるんですって」
くふふと笑うアリサ。それだけ自由奔放な家庭ということか、それとも何か別の理由があるのか。どちらにせよ、アリサはこの正月、両親とはあうつもりのようだ。
「待てよ。長い間って言うが、親父さんは…」
「その疑問はもっともね。私が幼稚園に入るまでは、こっちにいたのよ」
「ああ、そういうこと…」
これで、竜馬は切り札を失った。アリサは今日から大晦日、そして正月は、ここで過ごすつもりのようだ。見たところ、妹と姉はアリサを大歓迎しているし、父親はアリサに圧倒されてしまっている。母親も、アリサに対して悪い感情は持っていない。つまり、アリサが正月を過ごすことに、異議を唱える人間は、竜馬しかいないのだ。
「いや、待てよ」
竜馬は一人、きつそうなことを言いそうな人物を思いだした。祖父だ。名を錦原真一と言う。竜馬が剣道を学ぶことを真っ向から反対した頑固じじい。彼ならば、竜馬と同じ考えを持つかも知れない。
「おう、竜馬。帰ったか」
噂をすれば影、だ。竜馬の部屋を、誰かが覗き込んだ。真っ白になった髪、細身で筋肉のついた体、そしてびしとした厳つい顔。彼が、錦原真一、その人だった。
「爺ちゃんか。久し…」
「お爺さんですか?初めまして。竜馬の彼女のアリサです!」
竜馬の言葉を遮り、アリサが元気いっぱいに頭を下げた。さて、この行動が吉と出るか凶と出るか。竜馬は出方をうかがうことにした。あわよくば、竜馬の望む方向に行くかも知れない。アリサには気の毒だが、東京に帰ったとき、土産でも食わせて頭でも撫でれば機嫌を直すだろう。ところが、事態は竜馬の思いもよらない方向に流れ込んだ。
「おお、聞いとるぞ。清香ちゃんが電話をくれた。せせこましい家で気の毒やが、これから1週間程度、ゆっくりしていきなさい」
真一が、まるで孫にでも接するかのように、フレンドリーに微笑んだ。
「おい、爺ちゃん、いいのかよ!思春期の男女が同じ部屋だなんて!」
竜馬が真一にを怒鳴りつけた。
「あー、大丈夫だ。何かした時にはお前、死んで詫びろ。なーに、介錯はしてやる」
真一ががっはっはと笑った。普通の人ならば冗談だと思うかも知れないが、真一は至って真面目だ。男女の関係どころか、ゴミのポイ捨てだって許さない真一だ。何かあったら、本当に命を落としかねないと思い、竜馬は身震いした。
「いやしかし、いい子を連れてきたじゃあないか。」
真一はずかずかと部屋の中に上がり込むと、竜馬の首に関節技をかけた。
「いだだだ!」
「挨拶も出来んようなのだったらどうしようかと悩んだが、どうやら杞憂で終わりそうだの」
ぐりぐりと、真一の拳が竜馬の頭を押さえつける。
「今、話は聞かせてもらった。お父さんとお母さんも来られるとな?いつ頃来るか、わかるかね?」
相変わらず、竜馬の頭をぐりぐりとしながら、真一がアリサに目を移した。
「今晩、来るそうです。何か?」
「うむ。一度お会いしたいと思っておった。うちで一席設けようじゃないか。何、よく俺や和馬、燕ちゃんの友達が集まって飲み会なんかするから、慣れてる。ご両親に、都合のいい日を聞いておくれ。なければ、またの機会だの」
真一がアリサに向き直り、にっかり笑った。物静かなこの老人が、こんなに気さくに話している。竜馬に彼女が出来たのが、よほど嬉しいのだろう。もっとも、竜馬自身は、アリサを彼女だとは絶対に認めないつもりだが。
「本当にありがとうございます!お爺さん、私、家のことを精一杯お手伝いしますね!」
アリサがまた頭を下げた。
「うむ、気安くジジちゃまと呼ぶがよいぞい!はっはっはっは!」
すっかり機嫌をよくした真一は、竜馬を離して、大股に部屋を出ていった。その後に続いて、アリサも部屋を出る。襖が閉まったその瞬間、寒い部屋に一人きりになった竜馬は、疲労を感じて座り込んだ。
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