「ぢぐじょぉぉ、俺、もうだめだぁ…」
 男がぐだぐだしながらパトカーに乗せられる。その情けない姿を、竜馬は複雑な思いで見ていた。彼も必死だったのかも知れない。竜馬達4人は簡単な事情聴取も済み、既に解放されていた。
「あなたの荷物ですよ」
 ひったくり男から奪い返したバッグを老人に渡す竜馬。老人はしばらく竜馬の顔を見ていたが、深々と頭を下げた。
「ありがとう。本当にありがとう…」
「お礼なんていいです。やりたいからやっただけだし、そんなに気にしないで」
 老人は何度もお礼を言いながら、パトカーに乗っていった。これから、被害届けなどを書くのだろう。
「怖かったぁ…あたし、アリサさんが捕まってるのを見て、もしものことがあったら、って思ったら、怖くて怖くて…」
 真優美が先ほどのことを思い出し、涙目になる。アリサはそんな真優美の頭をそっと撫でた。
「心配してくれてありがとう。傷一つないから、大丈夫よ」
 にっこり笑うアリサ。その笑顔は、さながら天使のようだ。アリサの顔に、竜馬は思わずどきりとした。
「本当に事件起きちゃったなあ。びっくりだよ」
 修平が驚いたように言う。
「本当にって、なんですかぁ?」
「ああ、はったりよ。今日何かが起きるって、言ってみたの。こんな事件なら、毎日退屈しないし、いいかもね〜」
 アリサのひょうひょうとした態度に、竜馬はさらに疲れを感じた。
「不謹慎だな。トラブルを楽しむって…」
 そこまで言い、彼は何かを思い出した。そうだ、以前にもこんなことがあった。自分、獣人、トラブル…
「あああー!思い出したぞ!」
 竜馬が思わず叫び、真優美と修平が驚いてびくりと動く。自分の過去が、フラッシュバックするように戻ってくるのを感じた。そして、アリサのことを思い出したのだ。
「あら…思い出した?」
 にやにやと、いやらしい笑みを浮かべるアリサに、竜馬は向き直った。
「小学校に入ってから、2年生まで一緒だったろ。よくあちこち遊びに行って…」
「そうそう。あのころは楽しかったわ〜」
「都合のいいことだけ思いだしてるだろ」
 にこにこするアリサに、竜馬が噛みついた。
「都合いいも悪いも、結構仲良しだったと思うけど、違う?」
「お前から見ればそうだったかもな。でも、実際は…」
 竜馬が暗い声で言う。彼の表情は、先ほどまでの錦原竜馬ではない。別の人物に見える。
「何のことかしら?」
 とぼけた声のアリサに向かって、竜馬はずいと間合いを詰めた。
「いつもいつも俺が振り回されてたんだぞ…祭りの時は勝手に行動して俺が叱られるし、犬を怒らせて俺にけしかけるし、上履き隠すし、俺の机にエロ本入れるし、嫌いなおかずを押しつけるし!」
 堰が切れたように一気に詰め寄る竜馬。アリサはにこにこしながら竜馬の顔を見つめていたが、彼の言葉が終わると同時に、恥ずかしそうに斜め下を向いた。
「ほら…女の子って、好きな男の子をいぢめたくなるじゃない?私、竜馬君のこと、大好きで大好きで…」
 その彼女の仕草に、普通の男ならばどきどきしてしまうだろうが、過去の過ちを全て思い出した彼には、彼女の乙女仕草攻撃は通用しない。
「そうだよな、お前、俺のこと大好きだってあのときから言ってたよな。それで、それで…」
「あ、あのさ、もうその辺でいいんじゃ…」
 修平が微妙な微笑みで竜馬を諭すと、竜馬は修平に怒りの矛先を向けた。
「いいわけない!こいつ、俺のことを裸にひんむいて用水路に連れ出して、私を大好きって言わないと突き落とすって脅したんだぜ!」
 竜馬は大きな声で叫んだ。修平と真優美は呆気にとられ、お互いに顔を見合わせる。
「だってそれは、どうしても大好きって言ってくれなかった、竜馬君が悪いんじゃない」
「悪くない!結局俺は突き落とされて、風邪を引いたんだぞ!あんなに水が冷たく感じたのは、後にも先にもあのときだけだ!」
 水の冷たさを思い出したのだろう。竜馬は思わず身震いをした。
「他にも、どっかから拾ってきたエロ本で見た、中途半端な知識で興味持って、あんなことだの、そんなことだの、しようとしたりしなかったり…水泳の授業では俺のパンツ盗んだり…うう…引っ越して行ったとき、どんなに嬉しかったか…」
 つらそうな表情で、竜馬は言葉を切った。
「ごめんね、そんなにつらかったなんて。でも好きだからこそのことだったの…今だから言える」
 アリサは俯いている竜馬の両肩に手を置いた。
「今日一日、あなたを見ていて、自分の気持ちを再確認したの」
 ゆっくりと、一語一語噛むように言うアリサ。彼女の顔は大まじめだ。
「あなたを忘れたことはなかったわ。ずっと好きだった。付き合ってほしいの…」
 強く風が吹いた。アリサの長い金髪が、流れるように風を受ける。桜の花びらが公園に、2人の周りに舞い上がる。ドラマチックなその光景に、修平と真優美は何も言わず、二人を見つめていた。
「この…」
「え?」
 小さい声でつぶやいた竜馬の言葉を、アリサが聞き直す。キッと顔をあげた。
「このがさつ女!付き合うわけ、ないだろ!」
 竜馬の言ったその言葉を聞き、アリサは少しの間呆気にとられていたが、すぐにわなわなと震えだした。
「な、なんですってぇぇぇ…!この私のどこがいけないのよ!」
 いかにも自分が完璧だと言わんばかりのアリサに、さらに竜馬の怒りが噴き出す。
「さっきも言ったろ!セクハラしたり、上履き隠したり、嫌いなおかずを押しつけたり、パンツ盗んだりするところだ!」
「だから謝ったじゃない!こんなにこんなに好きなのに、女に恥をかかせる気!?」
「うっさい!この生来サディスト!俺が困ったり泣いたりするのを見て喜んでたんだろ!」
「そうよ、ええそうよ、何か悪いところでも?」
 とうとうアリサは開き直った。サディストであることを認め、なおかつそれを悪くないと言い切ったのだ。がっしりと竜馬の肩をつかんだまま、ふんと鼻を鳴らす。
「もういいよ、離せよ!」
 竜馬がアリサの腕を振り払おうと、手をぎゅっと押した。
「きゃあ!」
 アリサが悲鳴をあげる。だが、彼女は手を離さない。彼女が後ろに倒れるのに引っ張られるように、竜馬も前のめりに倒れた。
「うわあ!」
 ばたん!
 大仰な音を立てて二人が倒れる。アリサが下敷きに、竜馬が上に被さるようにだ。
「だ、大丈夫か?」
「まあ大変!」
 修平と真優美が心配そうに二人を覗き込む。だが、当の本人達はそんなことお構いなしのようだ。
「押し倒したわね!こんな堅い砂利道にか弱い乙女を押し倒したわね!なによ、あなたもその気があるんじゃない?おほほのほ〜!」
 アリサが勝ち誇ったような笑いを上げる。
「ふざけるなよ!このバカ女!」
 立ち上がろうと手をついた竜馬の背中に、アリサが手を回す。両手でしっかりと竜馬を抱き、離そうとしない。
「は、離せよ!」
「離すもんですか!」
 竜馬は自分の神経が混乱していくのを感じた。今目の前にいる少女は、どう見てもブサイクだとは言えない、かわいらしい顔つきをしている。かなりの美人の部類に入るだろう。先入観がなかったさっきまでは、竜馬の心は彼女に惹かれつつあった。
 だが彼女は、幼少時の竜馬に対し、様々な悪行をしてきた張本人だ。何を信じればいいかわからないまま、アリサの手の中でもがいていると、いつの間にか仰向けになっていた。アリサの腕が、自分の首にかかっている。彼女も状況を認識したらしく、首に掛かった腕に力を込め始めた。
「うぐぇ!?ぐ、ぐるじい…」
 アリサの腕をから逃れようと、竜馬は力を入れる。懇親の力を込めても、彼女の細腕を引き剥がすことができない。女性と密着しているという状況と、とても危険だという状況が、ますます彼を混乱させた。
「もう一度チャンスをあげる。私と付き合ってくれる?」
「いやだぁぁぁ…だれがだずげでぇぇぇ…」
「何が誰か助けて、よ!こいつ、こうしてやるぅ!」
 ぎりぎりと首を締め付けるアリサ。竜馬の顔色がだんだん悪くなる。
「は、ははは…これはやばいんでないの?」
 修平が乾いた声で笑う。しかし目は笑っていない。修平に、真優美に向かって手を伸ばしながら、竜馬は必死にもがいたが、だんだんと手が降り始めた。
「あががが…お、おっばいがぜながに…ぎう…」
 最後に一つうめき声を上げると、とうとう竜馬は意識を失った。


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