「美味しかったですね〜」
 店を出て、真優美がにこにこしながら言った。
「みんなで食べる食事は楽しいわね」
「うん。まったく」
 アリサの言葉に、竜馬が調子を合わせる。
「それにしても、入学一日目で、こんなに人と知り合えるとは思いもしなかったよ」
 一同の顔を見回して修平が言う。
「ほんとほんと。もうなんか、仲良しグループって感じですよねぇ。あはは〜」
 真優美はとても楽しそうだ。スキップするようにぴょんぴょんと小さく飛び跳ねている。
 どすんっ
 通りにいきなり、何かが倒れるような音が響いた。4人が音の鳴った右側を見ると、公園の中で、老人が地面に倒されているところだった。老人を突き倒したのは若い男のようだが、フルフェイスのヘルメットをかぶっているので、顔が見えない。腕には老人の物であったろう、小さなカバンを持っている。
「ひったくりだぁ!」
 老人の声が響き、男は公園の中に逃げ込んだ。
「追いかけよう!」
 竜馬が自転車に乗ろうとして、公園の入り口に気が付いた。入り口には車止めがあるが、その幅は狭く、自転車も通り抜けることが出来ない。通り抜けたとしても、中は砂利が敷いてあり、真っ直ぐ走るのは難しいだろう。やむを得ず、竜馬とアリサは自転車を置いて、老人に駆け寄った。
「うんしょっと…大丈夫ですかぁ?」
 真優美が老人を引き起こし、倒れていた杖を握らせる。
「わしは大丈夫だが、カバンが…」
「それなら任せてください〜。困っている人を見捨てておけませんから」
 言うが早いか、真優美がひったくりの逃げていった方向へ駆けだした。
「おい、真優美ちゃん、どうすんだよ。もう逃げてるかも…」
「大丈夫です〜。この公園、入り口がここ一カ所だし、球技ができるようにフェンスが張ってあるんです。だから、ぐるぐるしていれば、見つかりますよ〜」
 真優美に言われて、竜馬が公園を見渡す。入って右手には桜が植えられた遊歩道があり、公衆トイレと茂みがある。左手には開けた空き地が広がっている。ひったくりが逃げて行ったのは遊歩道の方向だ。
「でも…」
 返答をしようとすると、すでに真優美はいなかった。もう中の方へ入って行ってしまったらしい。
「入り口から逃げ出せば、すぐ見えるな。一応、自転車でふさいでおこう」
 自転車2台を、公園の入り口をふさぐようにとめる修平。竜馬は近くのベンチに老人を座らせると、しゃがんで目線をあわせた。
「おじいさん、ちょっと待っててください。今とっつかまえて、荷物取り戻すから」
「いや、いいんだ、君たちに頼るわけには…」
「やりたいからやるんです」
 竜馬は立ち上がり、公園の中に足を踏み入れた。顔を叩いて気合いを入れる。
「あ、私ちょっと、トイレ行って来る」
 アリサが呑気に言った一言に、竜馬は思わず転びそうになった。
「えー?」
 竜馬は入れた気合いが、その一言で抜けていくのを感じた。
「俺らがいれば大丈夫だから、行ってきなよ」
 何か言いたそうな顔の竜馬を押しとどめ、修平が言った。
「ん、ありがと」
 アリサはにっこり微笑み、公衆トイレへと歩いていった。
「調子狂うなあ…」
 再度気合いを入れなおし、遊歩道に足を踏み入れる竜馬。ただ散歩をするだけならば、これ以上の場所はないだろう。暖かな日差しが、桜の花の間から降り注ぐ。
「どこ行ったんだろうな。真優美ちゃんもどっか行っちゃったし…」
 竜馬が警戒しながら足を進める。平日の昼間だからか、公園内には人の姿が見えない。
「知ってるかい?さっきのはフルフェイスヘルメットだけど、フルフェイスのマスクのことを、バラクラバって言うんだぜ」
 修平が得意げに話すのを聞き、竜馬はさらに気合いが抜けた。
「今はそんなこと話してる場合じゃないだろ?君といい、アリサといい、どうしてこう…」
 竜馬が呆れて言う。さらに続けようとしたときだった。
「のわあっ!」
 野太い男の声が公園に響き渡った。振り向けば、公衆トイレの前で、アリサが尻餅をついている。その目の前に立っていたのは、先ほどのひったくりだった。清掃用具らしきバケツとデッキブラシが転がっているところを見ると、掃除用具入れに隠れていたらしい。
「見つけた!」
 竜馬と修平が駆け寄ると、男はアリサを引き起こした。ポケットから折り畳みナイフを出し、それをアリサの首元に突きつける。2人は、あと3メートルというところで、立ち止まった。
「な、なんなんだ、お前ら!ここここいつは、俺が社会復帰するための、大事な金なんだよ!じじいの1人や2人、どうなったっていいじゃねえか!団子じゃねえし、次男でもねえが、自分が一番なんだよ、ボケェ!」
 その自分勝手な理屈に怒りを感じる竜馬。体に力が入る。ゆっくりと近づくと、男がぶるぶる震えだした。
「それ以上近づくなら刺す!いいか、刺すからな!刺すんだからな!本当だからな!」
 男がヒステリックに叫ぶ。アリサは耳元で騒がれてうるさいらしく、耳をぱたんと寝かせた。刃物を突きつけられているというのに、顔色一つ変えていない。竜馬は男の挙動を見て、本当に刺すかも知れないと思い直し、足を止めた。
「あ〜!ひったくり〜!」
 突然、公衆トイレの後ろから、真優美がぬっと現れる。今までどこにいたのかわからないが、だいぶ走り回ったらしく、息があがっていた。
「うるせぇ!こいつが見えないのか!黙ってろバカ女!」
 男がナイフをぶんぶん振り回した。
「ひい!あ…あ…」
 悲鳴を上げた真優美が、後ろによろよろと数歩下がる。目に涙が一瞬で溜まり、またもやあふれ出した。
「ふええええん!あーん!あーん!ごめんなさいぃ!でもバカじゃないもん!ふええええん!」
 大声で泣き出す真優美。その姿はさながら幼稚園児のようだ。スカートの端を両手でぎゅっと握り、涙をぽろぽろこぼす。
「泣くな、バカ!」
「えう、えう、あーん!あーん!バカじゃないもん!」
 男の叫ぶような声に、さらに真優美が泣きじゃくる。
「なあ竜馬。泣いてる真優美ちゃん、ものすごいかわいくないか?」
「だから、そんなこと話してる場合じゃないだろ!君はほんっと不謹慎だな!」
「う、うるせえ!そこ、ごちゃごちゃ言ってると、ほんとに刺すぞ!」
 竜馬と修平のやりとりに、ひったくりが声をあらげる。捕まっている当の本人、アリサはこの状況でも動じず、にっこり笑って竜馬に手を振った。
「なに手なんか振ってやがる!」
「いいじゃない、これくらい。了見の狭い男ね」
「てめええええ」
 わなわな震えながら、男がナイフを突きつける。ナイフは小さいが、これでも人は簡単に殺せてしまうだろう。ナイフの反射する光を見て、アリサの目の色が変わる。
「それより、いいの?こんなことして。私が誰だか、知っててやってるの?」
 大胆不敵にアリサが微笑む。目がすうっと細くなり、男を睨む。
「ただの女子高生じゃねえか!」
「本当にそう見える?ただの女子高生?くふふふ…」
 アリサの笑い声に、男が思わず身じろぎする。ヘルメットのせいで顔色は見えないが、手に大量の汗をかいているところを見ると、緊張しているようだ。
「ふええええん!あーん!バカじゃ、バカじゃないもん!」
「うるっせええ!」
 泣き続ける真優美に気を取られ、アリサをつかんでいる男の手が緩む。その隙を狙って、アリサは片足を折り曲げるように後ろに蹴り出した。
 どんっ!
「お、ぐう!」
 鈍い音がして、男がうずくまる。彼女の足は寸分違わず、男の股間を蹴り上げていた。
「今よ!」
 アリサの言葉に、修平が一気に間合いを詰める。男が立ち上がる前に、彼の正拳が男の肩にぶち当たった。男は小さく呻き、ナイフを取り落とす。竜馬がそのナイフを、遠くに蹴飛ばしながら、足下に落ちていたデッキブラシを拾い上げた。
「だああああ!」
 往年のロボットアニメよろしく、大声を上げる竜馬。振り上げたデッキブラシが茶色いしぶきをあげる。
「う、うわ!」
 思わず後ろに倒れた男のヘルメットを、まるでサッカーボールでも扱うかのように、アリサが蹴り飛ばした。つま先が彼女の顔の位置まで持ち上がる。ヘルメットがはずれて転がって行く中、竜馬がデッキブラシを正面に振り下ろすと、男の顔面にきれいに当たった。男は脇に抱えていた、老人のバッグを取り落とし、地面に大の字に転がった。
「さすが剣道チャンピオンね〜。面が一発で決まったわね」
 アリサは服のしわを手で伸ばしてなおす。
「知ってたのか」
「うん。一応ね。さて、と」
 ばしっ
 股間と頭を抑えうずくまっている男に、アリサは軽く蹴りを入れた。
「起きなさい。あなたは自分の罪を、あのおじいさんに謝らないといけないわ」
 アリサの冷たい瞳が男を見下ろす。
「ゆ、許してくれぇ、もうしない、もうしないから…お、俺、人生をやりなおしたかったんだよぉ、借金があって…」
 男が泣きべそをかきながら、顔を隠す。
「そんな自分勝手な言い訳が通用すると思ってるの?女を人質に取ったり、老人の荷物を奪ったり。ほどがあるわ」
「な、なんでもするから、警察だけは勘弁してくれよぉ」
「それは無理な相談ね。もし虫けらのように這いずりながら、靴を舐めて許しを請うても、私は毛筋の先ほども許す気はなくってよ」
 さらりと恐ろしいことを言いながら、アリサがナイフを拾い上げる。それを丁寧に折り畳むと、胸ポケットに入れた。
「あー、もしもし、警察ですか。あの、怪しいものじゃないんですが、ひったくり捕まえて…あの、ナイフを持ってて…」
 修平が警察に電話を入れている。その後ろでは、泣きやんだ真優美が、手の甲で目を拭っていた。
「あたし、バカじゃないもん…えぐ…えぐ…」
「うんうん、わかったよ。怖かったね。よくがんばったね。ほら、これで鼻をかんで」
 泣きやんだ真優美に優しい言葉をかける竜馬。ポケットから出したポケットティッシュを、真優美の手に握らせた。
「じゃあ改めて、私はトイレ行って来るわ。漏れそうなの」
 何事もなかったかのようにさらりと言い、アリサが公衆トイレに入る。竜馬は、彼女の予言が図らずも当たったことに気づき、疲れが押し寄せてくるのを感じた。


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