「う…」
竜馬は頭がだんだんとはっきりしていくのを感じた。何か、柔らかい物の上に寝かせられている。公園のベンチではないのがわかる。目を開けると、そこには木の天井が見えた。
「あれ、ここは…」
起きあがって周りを見回す。本棚、ミニテーブル、パソコン、衣装タンス。自分が寝かせられているのは、大手家具メーカーで売っている、組立式の折り畳みベッドだ。
「あれ、俺の部屋だ…」
服装はというと、制服のままだ。ブレザーは脱いでいるが、ネクタイとYシャツはそのままで、靴下すら脱いでいない。窓から差し込む日差しが、夕方だと報せてくれた。携帯電話で時間を見ると、すでに6時を過ぎている。
「どうやって帰ったんだっけな…っていうか、何してたんだっけ…」
携帯を手の中でもてあそびながら考える。と、彼の耳に、数人の笑い声が聞こえてきた。隣の部屋からだ。
「なんだよ、姉貴が友達でも呼んだのか…」
ぶつぶつつぶやきながら、ベッドから起きあがった竜馬は、引き戸を開いた。
「あ、気が付いたか」
彼は一瞬目を疑った。いつも食事をしている丸テーブルに、清香の他に、修平と真優美がいたからだ。
「いやー、さっきは止めないでごめんな。手を出さなければなんとかなると思ってたんだが、まさか気絶するとは」
はははと笑う修平。清香はタバコをくわえながら、一緒に笑った。
「もう大丈夫なんですかぁ?」
真優美が少し心配そうに竜馬を見上げる。
「え?ああ、もう大丈夫だけど…もしかして、俺を運んでくれた?」
竜馬が座りながら聞く。
「そうだよ。お前、感謝しな?この子達、ものすごい心配してくれたんだよ?」
「ああ、うん…」
竜馬は少し自分が情けなく感じていた。偶然とは言え、中学剣道チャンピオンとして名を馳せた自分が、たかが首締めくらいで気を失ってしまうなんて。自己嫌悪が、煙のように心の中に広がっていく。
「そういや、俺を気絶させた張本人は?」
竜馬は3人の顔を順繰りに見る。
「帰ってくれてると嬉しいんだけどねえ。はははは」
笑いながら言うと、竜馬の頭を清香がこづいた。
「こら、そんなこと言うもんじゃないだろ。今時あんないい子、いないぞ?」
「はぁ?何がいい子だよ。俺、死にかけたんだぜ」
清香の言葉に、竜馬は不満を垂れ流した。きっとアリサはここまで来て、私が悪いだとか、夢にも思わないようなことを言って帰ったのだろう。そう竜馬は推察した。
「ああ、アリサさんのことか。彼女は…」
がちゃ
修平が口を開いたちょうどそのとき、ドアが開き、部屋の中に春風が吹き込んだ。何の気無しにそちらを見る竜馬。
そこには、数個の平たい箱と、スーパーの袋を持ったアリサが立っていた。
「あ、竜馬君。起きたのね」
竜馬は言葉を失った。そんな彼をほっといて、アリサは箱をテーブルの上に置いた。箱を開けると、トマトソースとチーズの匂いが部屋一杯に広がり、焼きたてのピザが姿を現した。3つある箱を全て開くと、器用にフタを手でちぎる。
「わあ、エッグピザ。あたし、大好きなんですよぉ」
真優美が目をきらきらと輝かせる。食器棚から清香が皿を出した。
「悪いねー。2人暮らしだから、食器がないんだよ。コップとか皿とか、適当に使ってちょうだい」
アリサが持ってきたスーパーの袋から、2リットルのペットボトルを出す清香。手際よくコップにジュースを注いでいく。
「ちょ、なんなんだよ、なんでいきなり、こんな愉快な食卓が広がっちゃってるわけ?」
竜馬はアリサからじりじりと逃げた。
「みんなで話してるうちに意気投合してねー。晩飯も一緒にってことになったの。でもほら、うち冷蔵庫ん中が空っぽだったでしょ?この子にお金渡して、買ってきてもらったってわけ」
清香が皿を適当に並べながら言った。竜馬はそんな姉に、怒りを感じた。自分がどんな目に遭ったのか、彼女は知らないのか。
「錦原くん、わかって上げてほしいなぁ…あたし、アリサさんがすっごく反省してるのを見て、思わず泣いちゃいそうになったんですよ〜?」
彼のぶすっとした表情を見て、真優美が言う。修平と清香が、同意するように頷いた。
「さっきはごめんね?私、少しやりすぎたわ…怒ってる?」
しおらしい顔を見せるアリサ。竜馬はその彼女の顔を見て、今までの自分の行いを思い出した。叫んで、怒鳴って、彼女の気持ちを知ろうともしなかった。長い間あってなかったということを忘れ、思いつくままに悪口を言った。もしかすると変わっていたかも知れないのに。
「いや…俺も、言いすぎだったかも知れない。ごめん…俺、もう怒ってない」
竜馬はさらに自己嫌悪を感じながら、頭を下げた。
「怒ってない?」
「もう、怒ってないよ」
「ほんとのほんと?」
「うん、本当だよ」
何度も念を押すアリサに竜馬が答えると、アリサはいかにもしてやったりという顔で、にんまり微笑んだ。
「あー、よかったわぁ。じゃあこれから、竜馬って呼ばせてもらうわね。あ、もう私たちの仲、お姉さん公認だから、そこのところよろしくね〜」
力強く竜馬に抱きつくアリサ。竜馬は、彼女に騙されたことに、ここで気が付いた。
「これだけ一途な子も今時珍しいよ?まあ、かわいがってあげるんだね」
「まったくまったく。うらやましいよ」
部屋の中に笑い声が響き渡る。
「もう、みんなったら…恥ずかしいわ。ね、竜馬?」
アリサは嬉しそうににこにこしながら、鼻先を竜馬の頬にこすりつけた。
またもや子供のころのトラウマが彼に蘇った。反省したふりをして、竜馬を騙す。そして次の瞬間には、何事もなかったかのようなアリサに戻っている。これは、竜馬が何度も騙された手口だった。
「こ、こいつ〜!騙したな〜!」
竜馬が叫びながら、両手でぎゅうぎゅうとアリサを押し戻す。
「あら、騙したなんて人聞きの悪い。ふふ、大好きよ」
その手に頬ずりしながら、アリサはさらっと言った。アリサの尻尾がはたはたと振れている。修平が、真優美が、清香が、2人のことをにやにや見つめている。
「な、なんだよ!みんなまで俺を騙したってのかよ!」
竜馬が周りに当たり散らす。彼の大声を聞いてもアリサは離れない。
「あうあう、そういうわけじゃないですよう」
「アリサさん、よっぽど竜馬のこと好きだったんだなって思ってな」
「男の粋ってやつさね。弟よ、お前も剣士なら、わきまえな!」
竜馬の頭の中には、これからの学生生活で起こる、様々なアクシデントが思い描かれていた。きっと彼は3年間、彼女から逃げ回ることにエネルギーを使うのだろう。そして、「一生忘れられない思い出」を背負って生きて行くのだろう…
「俺は…」
体がわなわな震え出す。
「俺は、俺は絶対認めねえからなああ!」
竜馬の魂の叫びが響き渡った。
(終わり。否、これが始まり)
前へ
Novelへ戻る