入学式は何も起こらずに終了した。教室に戻った新一年生は、教科書を配られ、連絡名簿を配られた。他にも配布物はあったが、特に目立つものもない。竜馬はてっきり、先ほどの女性教師が担任になるものだと思っていたが、まだ担任は決まっていなかった。しかも、諸事情で、明日が休みになるという。
 その後、明後日の入学歓迎テストの予定が公表され、放課になったのは午後1時を少し過ぎるころだった。空は晴れ、春の暖かな陽気が、学校を包んでいた。
 玄関が混んでいて、靴の履き替えが出来ないと思った竜馬は、少し待つことにして携帯電話のメールチェックをしていた。その隣には、同じことを考えていた修平がいる。
「今年の入学生、たしか160人だって?多いのやら少ないのやら」
 流れる人の波を見ながら、竜馬が呆れたように言う。
「少ないんじゃないか。4クラスになるようにぴったりあわせたんだろうなあ」
「ん。志望はもうちょっと多かったみたいだけど、なんで取らなかったんだろう?」
「来る物拒まずじゃ、学校のレベルが下がるじゃんか。ぽんぽん取ってたら学校はだめになるんだよ」
「へぇー。なるほどねえ」
 修平の物知り顔に、竜馬は感心して答える。
「あら、竜馬君。そっちは確か砂川君。こんなところにいたのね」
 声をかけられた二人が顔を向けると、アリサがにこにこしながら片手を上げた。
「ああ、アリサさん。さっきは悪かった。言い方とか」
 失言をしないように少し警戒して、竜馬が携帯電話をポケットにしまった。
「大丈夫よ。それより、どう?お昼でも一緒に食べない?」
「金がないから、俺はパス。修平は?」
「んー…俺も、小遣いもう少ないな」
 適当に思いついた理由を言い、竜馬は同意を求めた。修平はしばらく考えていたが、竜馬の言葉に同意した。
「じゃあ、奢ってあげる。何でも食べていいわよ。一緒に行かない?」
 アリサの言葉に、竜馬と修平は顔を見合わせた。とまどう二人を見て、ふふんと鼻を鳴らすアリサ。懐から財布を取り出すと、するりと中から一万円札を出してみせる。1枚、2枚、3枚と増え、最後には扇のようになってしまった。
「これ、な〜んだ?」
「うわっ、すっげえ…」
 札束で顔をはたはた仰ぐアリサに、修平が思わず感嘆の声を漏らす。
「さすがに、女の子に奢らせるわけにはいかない」
 竜馬がしかめ面でアリサの札束を見た。
「んー、お近づきになれたから、って理由じゃ不満かしら?特に、竜馬君は初めてあったわけじゃないし、再会祝いぐらいしたいじゃない」
 アリサは竜馬の不機嫌に対しては知らないふりをするようだ。とても上機嫌な顔で、くふふと笑う。
「だから、俺は君とあった覚えがないんだってば」
「あら、そう?そのうち思い出すわよ、いろいろとね。じゃあ行きましょう」
 アリサはにこにこしながら下駄箱へ足を進めた。だいぶ人が減ってきているが、まだかなり生徒が多い。
「どうするよ、行く?」
 修平がアリサの後ろ姿を見ながらつぶやくようにいった。アリサの姿は他の様々な生徒の中でも、少し浮いて見える。美しいブロンドと、ふわふわの尻尾を目印にすれば、どこに行こうとも見つけられそうだ。
「行くしかないだろ。なんか、そういう空気になっちゃったし」
 靴を履き替える竜馬。その後ろに修平が続く。
「まあ、飯くらい、いいよな…うん、あの子かわいいし…」
 最後の方は独り言になりながら、修平が言う。竜馬は彼の言葉に返事をせず、校舎の外に出た。校庭に桜が咲いている。グラウンドは校舎の裏側にあるので、校庭には教員の駐車スペースや駐輪場しかない。竜馬は自転車の鍵を外し、自転車を引いて歩いた。
「先に言っておくけど、奢ってもらうのは、なんか困る」
 竜馬がアリサの方を見ずに言う。
「そう?無理しないでいいのに」
 アリサも自転車の鍵を外し、修平の方を向き直った。
「砂川君はどうする?」
「あ、俺もまだ金あるから、別にいいよ。適当に食いに行こう」
 沈黙が3人を包む。アリサと竜馬は自転車を引き、その間に挟まるように修平が歩いている。時折風が吹き、桜の花びらが風に乗って運ばれてくる。校門を出ても、誰も何も言わなかった。
「えっと、昨日やってたドラマ見た?」
 沈黙に耐えきれず、修平が話を切りだした。
「昨日やってたドラマって、トマトフレンズってやつだっけ。俺、見てないな」
 竜馬がぼんやりと答える。
「私見たわよ。今期始まった番組の中では、まあ面白そうね」
「うん。第一話からぶっとんでたよな。立てこもり犯のいる山荘にクレーンで突っ込むんだっけ」
「そうそう。昭和の事件のパロディなんでしょ?」
「なんだっけ、事件の名前思い出せない」
 楽しそうに話し出したアリサと修平を横目に見ながら、竜馬は自転車のハンドルを握りなおした。とりあえず学校からは出たが、どこへ向かっているのかもわからない。いつの間にか、車通りが多い道の、右側の歩道を歩いている。左右には様々な店が並んでいる。花屋、本屋、スーパーなどから、ラーメン屋やハンバーガーショップなどまである。歩いている人間も多い。と、その中から、竜馬は見覚えのある顔を見つけた。
「あれ?あれって…」
 竜馬の声に、修平とアリサも顔を向ける。そこには、楽しそうな顔の真優美がいて、スーツを着た男と話していた。
「誰なの?」
「ああ、さっき教室で知り合った、真優美・マスリって子。もう一人の男の人は知らないけど」
 竜馬の言葉に、少しアリサの目が鋭くなる。3人が近くを通ると、会話の一部が切れ切れに聞こえてきた。
「どうです?開運効果が期待できますよ。本当はこれ、100万するんだけど、今は新春だし、学生さんご優待で、90パーセントオフの10万円でいいですよ」
「え〜?ほんとにそんなに引いてもらっていいんですか?欲しいな〜」
「ええそりゃもう。お嬢さんかわいいですから、きっと似合いますよ?この指輪」
 どうやら真優美は怪しい販売員に捕まった上に、それと気づいていないようだ。スーツの男の手には、あからさまに安物とわかる指輪がある。竜馬はぴたりと止まり、真優美の肩を叩いた。真優美がきょとんとした顔で振り向く。
「あ〜、錦原君。それに砂川君も。さっきはお茶、楽しかったです〜」
 真優美がにっこりと笑った。
「ああ、やっぱりマスリさん。すいません、この子、俺の連れなんです。どこいったかわからなくて…」
「あ、ああ、そうだったんですか。あの、私は用事がありますので、これで…」
 竜馬が頭を下げながら言うと、販売員が微妙な愛想笑いをしながら、どこかへ行ってしまった。
「あれれ、指輪を買おうと思ったのに〜…」
 片手を頬に当てながら、残念そうな声で真優美が言う。
「あのね、マスリさん。いいかな?」
「あ、真優美でいいですよぉ。さん、って言われると恥ずかしいから、ちゃん、って言ってください〜。どうしたんですか?」
 純真無垢な笑顔を見せる真優美に、竜馬がため息混じりに言う。
「じゃあ、真優美ちゃん。今のはキャッチセールスって言って、効果もないし価値もないものを、高く売ろうとする類の人なの。君、騙されてたんだよ」
「え〜!そうだったんですか!あたし、全然気づかないで…錦原くん、物知りですねえ」
 真優美はとても驚いたらしく、声を大きくした。
「ねえ、その子、大丈夫なの?ぽわぽわしてるけど」
 呆れた声でアリサが言う。そこで真優美は初めてアリサに気づいたらしい。アリサの方へ顔を向けた。
「えーと、どなたでしたっけ…」
「初めまして。私はアリサ・シュリマナよ。アリサって呼んでくれる?」
「あ〜、初めての方ですね〜。初めまして、真優美・マスリって言います」
「ええ、よろしくね」
 にこにこしながらアリサの手を握る真優美。アリサも微笑んで、真優美の手を握り返した。
「しかし変ですね、あたし、アリサさんの顔、知ってるんですよ〜。なんでかな〜?」
「さっき教室で見たんじゃない?」
「そういうのじゃないはずなんですけど〜」
 手を離し、自転車のハンドルを握るアリサ。続いて、竜馬と修平が歩き出す。
「ちょうどいいや、真優美さんも一緒に飯いく?」
 修平が真優美の隣に立つ。
「真優美ちゃん、って呼んでください〜。えーと、皆さん、ご飯に行くんですか?」
「うん。行く先は…行く先は、どこだっけ?」
 そこで、竜馬と修平ははたと気が付いた。どこへ行くか、まだ決まっていないことに。
「そういえばその話をしてなかったわね。どこ行きたい?私はどこでもいいけど」
 アリサが一同の顔を見渡した。
「安くてそれなりに食えるところ、かな。修平と真優美ちゃんは?」
 竜馬が残りの2人に顔を向ける。
「俺はハンバーガーとかでいいよ」
「あ、いいですねぇ。あたしもそんな感じでいいですよ〜」
 3人の意見がまとまったところで、アリサがにっこり微笑む。
「じゃあ、そうしましょうか。少し戻ったところにハンバーガーショップがあったし、そこでいいんじゃないかしら」
「じゃあ、そんな感じで行きましょうか〜」
 まとめに入ったアリサに、真優美がにっこり微笑んだ。


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