教室では特に事件らしい事件もなかった。竜馬が警戒しすぎているせいかも知れないが、特に怪しい生徒もいなかったし、何かが起きるような兆候もなかった。生徒は新しい仲間を探そうとしているだけに見えた。アリサが同じ組だったらしく、彼が座っている右後ろ側の席から遠い、左前の方に座っていた。竜馬は彼女が気になり、ちらちらと見ていたのだが、アリサはそれに気づかないようで、分厚い本をずっと読んでいた。
「なあ、竜馬。さっきの予言、信じるかい?」
 修平が竜馬の机に座りながら声をかける。
「何かが起きる、ねえ。具体的なところがわからないと、信じようがないじゃないか」
「だよな。入学式が起きた、っていうつまらない落ちがついてもな」
「あー、確かに。それも、何かが起きるうちに入るもんな」
 竜馬は何をするでもなく、ボールペンを手でくるくる回しながら、辺りを見回す。平和な高校の教室だ。何か起きそうな雰囲気すらない。
「気持ち悪いなー。あの言いぐさだと、あの子は俺のことを知ってるんだよな。でも俺は思い出せない…抱きつかれまでしたし、仲よかったんかな…」
 竜馬はアリサの背中をちらりと見る。ブロンドヘアが春の日を反射してきらきらしている。こうして後ろ姿を見ていると、ただの女の子に見える。ただの、というよりは、容姿がきれいな女の子に見える。
「ずっと前にあったことあるんだろうな。成長して見た目が変わったから、思い出が出てこないとかさ」
「そういうのだったらいいけど…なんかいやな予感がする」
 イスを後ろに傾けながら、竜馬が言う。
「怖いねぇ。気をつけないと」
「まあ、何が起きても、落ち着いて対処すれば…」
 ガンッ!
 突然、後頭部に強い衝撃を感じ、竜馬は机に突っ伏した。後ろに傾けていたイスが、前に戻り、がたんと大きな音を立てた。かなり硬い物が頭に当たったらしい。痛みが一瞬で駆けめぐる。
「いってえな!誰だよ!」
 先ほどまで言いかけたことも忘れて、声を荒げる竜馬。振り向いた竜馬が見たのは、一人の獣人の少女だった。体毛は褐色、髪は流れるようなシルバーブロンドで、肩まで伸びてパーマがかかっている。彼女も犬科の動物に似た顔をしているが、アリサよりはぺたんとした印象を受ける。
「ご、ごめんなさい〜、あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないです。気ぃつけてください」
 おろおろしている少女を睨む竜馬。彼の怒りを悟ったのか、ぱっちりと開いた緑の目に、たっぷりと涙が溜まる。涙はすぐに決壊し、ぽろぽろとこぼれた。
「わ、私、ドジで〜…うう、ううう…ごめんなさい〜」
「あ、や、泣かないで、あの…」
 あわて始めた竜馬の前に手を出し、遮る修平。彼は開いた片手を少女の目の前で振ると、さっと拳を握ってみせた。拳を開くと、手の中には小さな造花が、いつの間にか握られていた。
「まあ、すごい」
 少女は泣くのを止め、修平のその鮮やかな手並みに見入ってしまった。泣いたカラスがもう笑うとはよく言ったもので、小学生のように微笑んでいる。
「僕は砂川修平。こっちは坂本、じゃなくて、錦原竜馬君です。どうしました?」
 少女の手に造花を握らせ、修平が聞く。
「ああ、あの、あたしは真優美・マスリと言います。お茶を飲もうと思ったんだけど、水筒を間違えて投げちゃって…」
 真優美が足下に転がっている水筒を拾い上げる。2リットルは入る大型の水筒だ。ちゃぷちゃぷと音がするところから見て、まだ中身はたっぷり入っているらしい。
「ああ、なるほど。そういうことならいいです。もう痛くないんで」
 竜馬が少し無愛想に言う。もちろん皮肉が込められていたのだが、真優美はそれに気づかないらしく、にっこりと笑った。
「あ〜、ありがとうございます。あ、ちょうどいいから、一緒にお茶しませんか?あたし、紙コップ持ってるので〜」
 真優美の席は隣だったらしい。隣の席からカバンを取ると、中から紙コップを3つ取り出した。
「準備がいいんすね」
「ええ〜。だって、みんなで飲むお茶は美味しいでしょう〜?」
 修平の言葉に、真優美が答える。紙コップに水筒からお茶を注ぐ真優美。緑茶の上品な香りが、辺りに漂い、湯気が立つ。
「はい、どうぞ〜」
 真優美が紙コップを二人に渡した。
「ああ、なんか花見みたいだ」
 竜馬が正直な感想を言い、緑茶を一口啜る。
「そうなんですよね〜。春になると、むずむずするっていうか、動き回りたくなって、お花見に行きたくなるんですよ。お茶だけじゃなくて、やっぱり甘いお茶請けとかいいですよね〜。あたしはどら焼きとか、お団子とか好きなんですけど、みんなババ臭いって言うんですよ。なんでかなあ…」
 にこにこしながら真優美が答える。彼女の独特のペースは、普通の女子のそれとは明らかに違っていた。
「そういや、もうそろそろ廊下に並んだ方がいいんじゃない?入学式、始まっちゃうぜ」
 修平がお茶を飲み終えたコップを置く。教室につけられた時計を見ると、入学式まであと5分もない。
「え〜?だって、先生が来るでしょ?大丈夫のはずですよ?」
 ガラララ
 真優美がのんびりと言ったちょうどそのとき、前の引き戸が開き、一人の女性教師が入ってきた。入ってきたのは薄緑の体に、真っ白な髪をした教師だった。彼女は一番人口の少ない爬虫類体系のようだ。爬虫人体系の人類はおかしな進化をしてきたことがわかる外見になっている。大きな差違として、他の人類で髪があるはずのところには、羽毛のような毛が生えている。人間や獣人の毛髪と同じように伸びるし、性質も同じなのだが、触り心地は全然違う。目も、爬虫類のぎょろりとしたそれではなく、鳥類に似ている。獣人にしろ、爬虫人にしろ、人間と違うのは確かだ。教師が入ってくるのにあわせて、生徒が自分の出席番号の貼られた席に座る。
「ごめんごめん、遅れちゃって」
 あわてて教師が時計を見る。
「皆さん、私立天馬高等学校へようこそ。本当はちょっと挨拶や自己紹介をしたかったのですが、もう入学式の時間ですので、割愛します。移動しますので廊下に並んでください。出席番号1番から先頭で、21番で2列目になってくださいね」
 教師に言われ、生徒が立ち上がる。竜馬は改めて周りを見回した。机の数から見るに、クラスは40人編成のようだ。獣人、爬虫人、人間が、良い言い方をすればバランスよく、悪い言い方をすればごちゃごちゃに混ざっている。前にいる人間の出席番号を見ながら列に並ぶと、竜馬は後ろの方へ行くこととなった。一番後ろに並ぶ。
「あら奇遇ね。隣があなた?」
 先ほど聞いた声を聞き、そちらを向くと、そこにはアリサがいた。
「ああ、さっきの…何か用?」
「別に。ちょっと話しかけてみただけよ」
 列が動き出し、竜馬は前に習って歩き出した。アリサも同じように歩き出す。
「ねえ、私ってかわいい?」
 アリサが唐突に竜馬に言う。
「さあ。いきなりそんなこと聞かれても困る」
 彼女の表情から気持ちを読みとろうとしても、彼女は無表情で、何を考えているかわからない。竜馬は少し顔を赤くしながら、俯き気味に歩く。
「あのさ、もしかして、気を引きたくて初めてじゃないとか言ってる?」
 恐る恐る聞く竜馬に、アリサはキッと目を向けた。アリサの目つきに、自分が失言をしたことに気が付く竜馬。自分の言った言葉を考え直して見れば、自意識過剰な男の言葉に聞こえても、仕方がないだろう。
「失礼ね。そんなわけないじゃない」
「ごめん、ちょっと言い方が悪かった。その…」
 言いかけたとき、いつの間にか先ほどの教師が隣に立っているのに気が付いた竜馬は、言葉を切って前を向いた。
「仲がいいのはかまわないけど、私語はだめです。学校が終わってからゆっくりと話してね。わかった?」
「はい、すいません…」
 教師の、妙に優しい言い方に、竜馬は反論もできなかった。アリサはと言うと、人ごとだと言わんような顔で、つんと前を向いている。竜馬は少し悔しく思いながら、前を向いた。
「時間がないから、このまま体育館に入って。本当はクラスの順番に並ぶとかあるけど、遅れちゃってるから」
 教師が大声で言う。生徒は立ち止まらずに、廊下から体育館の入り口へと足を進めた。入学式会場の体育館は紅白幕が張られ、多くのイスが並んでいた。新入生が入ると、そのたびに在校生から大きな拍手がわき上がる。
『こういうのって変わらないよな、どこでも』
 竜馬はその光景に、どこか小学生のお遊戯を思い出し、大きくため息をついた。


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