「ここから俺の新生活が始まるんだな」
竜馬は目の前に堂々と建っている校舎を見上げた。建造されてから間もない校舎だ。校門には大きく「私立天馬高等学校」と彫られている。校庭には駐車場と樹木が立ち並んでいる。入ってすぐにある掲示板のマップを見るに、グラウンドやプールは校舎の後ろ側にあるようだ。
前もって配られたプリントを見ると、まずはクラス分けをした後に入学式の流れになるらしい。一年生の教室は2階にあるようで、竜馬はまず学校内に入ることにした。事前に配られた出席番号を見るに、竜馬は2組になるようだ。
「君は新入生かい?」
唐突に背後で声がして、竜馬は驚いて振り返った。そこにいたのは、同じ学生服を着た、巨体の男だった。身長はゆうに180はあるだろうか。顔、肩、髪型、全てが角張っている。筋肉が盛り上がっているところを見ると、何かの格闘技をしているように見える。一見宇宙人にも見えるが、ただの地球人だ。
「え、ええ。新入生です」
竜馬は少しおどおどして答えた。このパターンだと、不良にからまれたり、おかしな部活動や宗教に勧誘されることが多い。この顔だと、そのどれもがありそうでさらに怖い。竜馬の愛想笑いを見て、巨体の男もにっこりと微笑んだ。
「俺も新入生なんだ。砂川修平って言う。修平って呼んでくれ。よろしく」
修平と名乗る男が手を差し出す。竜馬は少しためらった後、修平の手を握った。
「あ、ああ。よろしく、サガワ君、じゃなくて修平。俺は…」
「錦原君だろ?錦原竜馬。違ってたら悪いね」
「あ、いや、その通りだけど、なんで俺の名前を?」
目の前の巨体を見上げるように立ちながら、竜馬は修平に聞いた。
「君のことは、剣道関係で知ったんだ。なんでもものすごい剣の達人らしいじゃないか。俺も柔道と空手をやってるから見逃せなくてね」
楽しそうに笑いながら修平が言う。
「達人ってほどでもないよ。段位だってまだ初段だし、持ってないも同じだよ」
「謙遜するなよ。中学剣道のチャンピオンだったって、調べはついてるんだぜ?」
「ああ、知ってるのか。あれは本当に偶然だったんだ。俺もなんでだかわからないで…」
そう言いながら、竜馬は中学剣道選手権の時のことを思い出していた。
中学三年生のときの剣道選手権。竜馬が今まで戦ったのは、全国から集まった、強豪と言える相手ばかりだった。地球人だけではないし、中学生とは思えない体躯の相手もいた。だが、自分が勝てないと思っても、何かしら運の力が彼を救っている。相手が転んだりだとか、竹刀の握りが甘かったりだとか、決勝戦に至っては自分の2倍以上の腕力を持つ相手だったにも関わらず、隙をついていとも簡単に勝ってしまった。周りは竜馬のことをもてはやしたが、竜馬自身はそれについて、納得がいかないままだった。
「まあ、錦原君がどう言おうと、中学剣道チャンピオンだって事実は変わらないんだぜ」
玄関に入った修平が、掃除された下駄箱に靴を入れ、真新しい内履きを履く。それに習って、竜馬も内履きを履いた。
「ああ、俺も竜馬でいいよ。にしても、やっかいなことになっちゃったなあ。俺がそうだって知ってるやつ、他にいそう?」
靴ひもを結びながら竜馬が聞く。
「知らないな。まだ教室にも行ってないし、何が起こるかは…」
修平がいきなり言葉を切る。何事かと顔を上げると、そこには一人の少女が立っていた。ケモノのような体毛と顔つき。体毛はクリーム色で、背中の半分まで伸びる頭髪は金色をしている。長い髪にカチューシャをつけ、髪の中に飛び出てピンと立つ耳の先は黒い。腰の辺りから生える、犬のようなふさふさ尻尾は、とても柔らかそうだ。そして、肉食獣のような青い目が、竜馬を見下している。彼女をよく見れば、朝に自転車でアパートの前を駆け抜けていった少女と、同一人物だった。
「な、なにか用ですか?」
見下ろしてくる少女に、竜馬がおどおどと声をかける。少女は何も言わず、靴ひもを持ったままの竜馬に向かって、にやりと笑いかけた。
「あいたかった。ずっと待っていたわ。まさかあなたも同じ学校に入るとは思ってもいなかったの」
「え?」
少女の微笑みに、竜馬が怪訝な顔をする。靴ひもを結んで立ち上がると、少女は一瞬で竜馬に抱きついた。力強いその抱擁に、竜馬は恥ずかしくなった。
「人の前だからって、知らないふりしないでいいのよ?それとも、久しぶりで、見違えた?」
くふふと笑いながら、少女は片手で竜馬の背中を撫でた。鼻先を竜馬の左耳にこすりつける。竜馬は顔を赤くしながら、少女を引き剥がした。
「た、たぶん人違いです。あなたの探してる人は、俺じゃないと思うんで」
「人違いじゃないわ。竜馬君でしょ?」
疑問符を浮かべながら少女が竜馬の顔を覗き込んだ。さらに恥ずかしくなった竜馬は、少女を見ないように目を逸らす。
「なあ、竜馬。君のお知り合いかい?いきなり抱きつかれるなんて、うらやましいな」
修平が少し遠慮するように竜馬に聞き、竜馬は首を横に振った。少女は驚いた顔をする。
「覚えてないの?」
「覚えてないもなにも、あなたは誰です?」
竜馬が少し引け腰になりながら間を取る。見覚えがない少女が、自分を知っているというのは、おかしなことだ。それもいきなり抱きついてくるというのは、おかしいを通り越して異常である。
「アリサ・シュリマナよ。同級生じゃない」
もったいぶった声で、少女が言う。
「なんだ、同級生か。俺は錦原竜馬。たぶん君の探してる竜馬じゃ…」
挨拶をしようとした竜馬の顔に、少女がびしと指を指した。
「竜馬なんて名前、そんなにあるわけないじゃない。本当に思い出さないの?この私を?」
竜馬は指から逃げるように、後ろににじにじと下がりながら、首をまた横に振る。
「俺は…」
「じゃあ、何も言わないでいいわ。きっとあなた、この高校時代に、一生忘れられない思い出を手に入れるから。そうそう、あなた達にだけ教えてあげる」
アリサが腕を下ろし、竜馬と修平の顔を見る。
「な、なんだよ」
「後できっと、何かが起きるわ」
アリサはそれだけ言うと、腕を下ろして背中を向けた。
「待ってくれよ。何かが起きるって、なんなんだよ」
竜馬がアリサの背中に声をかける。
「言ってどうなるの?」
「気になるじゃないか。言う義務とかあるんじゃないのか?前にあったことがあるとか、そういう話だって…」
「大丈夫よ。そのうちわかるから」
何を言っても聞かない雰囲気のアリサに、竜馬はため息をついた。アリサは少し怒っているようだ。
『そんなつんつんされても、ほんとに覚えがないんだよ…』
遠ざかるアリサの背中に向かって、竜馬は心の中でつぶやいた。彼自身、アリサの名前に、何かを感じたのだが、それが何だかは彼にもわからなかった。懐かしさでもないし、デジャヴとも違う。言い換えるなら、それは「いやな予感」という類のものだ。犬のような尻尾を振りながら、廊下の向こうへ消える彼女を、二人はあっけにとられて見送ったが、修平が口を開いた。
「何だ、あれ。中二病か?」
「何なんだろうな。何か起きるって…」
カバンを持ち、歩き出す竜馬。その後ろを追うように修平が続く。
「とりあえず、教室行くか。そろそろ入学式もあるし」
少し呆れた声で、竜馬が言った。
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