そして、今に至る。クリスマスは面倒くさいということで、バイトをさぼる人間が多数出たらしく、店にはサンタのコスチュームが3着ばかし余っていた。店に入っているのは、ヒュダと店長以外に、バイト店員が一人だ。
 アリサは無理矢理、店長を脅すような方法で、今日だけバイトに入った。最初は渋っていた店長も、アリサや竜馬が有能に働くことを知ると、とたんに手のひらを返したように歓迎し始めた。2人とも、この仕事を早く終わらせて、ヒュダをグメニュの元に送り返すことしか考えていなかった。
『いつもこうなんだよな。面倒に首突っ込んで…でも、見ず知らずの他人のため、あんなに頑張れるアリサはいいな。こういうのは嫌いじゃない』
 トングを使い、ドーナツを袋詰めしながら、竜馬がぼんやりと考える。店の中は暖房がついていて、動き回っている竜馬にとってはかなり暑く感じられた。
「悪いな。俺のことなのに、手伝わせて」
 こそこそと、ヒュダが囁いた。
「いいんだ。好きでやってることだよ」
 無駄口を叩いている間にも、どんどん人がやってきて、ケーキを買っていく。特に売れ行きがいいのは、苺の乗ったケーキだ。真っ白いクリームの上に、苺がぺたぺたと乗り、中央にはチョコレートで出来たログハウスと、メリークリスマスと書かれたホワイトチョコの板が乗っている。他のケーキも同様に売れているが、オーソドックスなものが一番売れることには変わりはなかった。
「…グメニュは確かにブサイクさ」
 ヒュダが、まるで蚊の鳴くような、小さな声で言った。隣にいる竜馬にしか聞こえないだろう。
「まあ、そうだろうね。毛並みはあれだったし、耳は…」
「…君。こういうことは、彼氏だけが言う特権みたいなもんだろうに」
「ああ、悪い…」
 顔をしかめるヒュダに、竜馬が頭を下げた。
「俺さ、パティシエを目指してるんだよね。すっげえ難しいんだよ。親も兄弟も反対してんだけど、あの子だけは、反対しなかったんだ」
 チーン
 レジのトレーが音を立てて開く。
「ああ、それで好きになったって?」
「違うね」
 流れを止められた竜馬は、がくりと転びそうになった。
「じゃあ、なんで…」
 ケーキの箱に、チーズケーキを詰めながら、竜馬が聞く。
「好きじゃなかったんだけど、ね。なんとなく、ね。一緒にいるうちにね。付き合ってたんだ。君も、そういうの、わかるだろ?」
 ヒュダに同意を求められた竜馬は、首を横に振った。好きでもないのに、一緒にいるだけで付き合うなんてことは、竜馬にはさっぱりわからない。竜馬はアリサと成り行きでつきあい始めた自分の姿を、頑張って想像しようとしたが、それは徒労に終わった。
 この店は、通りに面した一面が全てガラス張りになっている。なので、前を通るお客の姿もよく見える。だんだんと、通りを歩く人が少なくなっているのを見た店長は、後ろに倒してあったテーブルと立て看板を出した。
「だいぶ客足がゆっくりになってきた。品も少なくなってきたし、ラストスパートだな。店の前で宣伝するから、手伝え」
 そう言って店長は、店内販売用のケーキと、屋外販売用のケーキに、品を分け始めた。立て看板には、クリスマスケーキを宣伝する大きな文字が書かれている。最初からそのつもりで作ってあったらしい。
「あ、じゃあ、私が行きます。机、手伝って」
 アリサが竜馬の手をぐいと引っ張った。2人でテーブルを運び出し、立て札を立てる。
「うう、寒…」
 アリサが体をぶるっと震わせた。テーブルの上には、販売するケーキと、ある程度釣り銭の入った簡易なレジスターが置かれた。
「クリスマスケーキ販売してまーす!予約を忘れた方、おみやげに買っていかれてはいかがでしょうかー!」
 アリサが大声を張り上げ、人々を呼び止める。夜になったクリスマスの街には、多くの人が行き交っており、ちょっとしたお祭りの様相を呈している。屋外での販促を考えるのはこの店だけではないらしく、通りに面したあちこちの店で、クリスマスセールと題して店員が屋外販売をしていた。
「あのー、チョコレートケーキ、ひとつ…」
「はい、ありがとうございます!」
 客が注文を言い終わる前に、アリサが素早く反応した。ケーキの販売をしているうちに、周りに多数の人々が集まり、並び始めた。やはり、この店のケーキは人気のようだ。
『この分だと、すぐなくなりそうだな』
 店の中に戻った竜馬は、アリサに負けじと接客を始めた。
 しばらくの間、店はただ忙しいだけで、平穏平和だった。その平和が破られたのは、外に聞こえる大きな怒鳴り声のせいだった。誰だかわからないが、外から男性の大声が2つ聞こえる。
「何だろう…彼女さん、大丈夫かね」
 ヒュダは外をちらちら見ながら、竜馬にこっそり耳打ちをする。
「うっ、あれは彼女なんかじゃ…」
「そうかい。彼女じゃないかね」
 むっとした顔の竜馬に、ヒュダが苦笑をしてみせた。
「トラブルなんかあったら困るだろうし、見てくる」
 組み立てていたケーキの紙箱を置き、竜馬は外に出た。竜馬の目にはまず、おろおろしているアリサが映った。次に、店の前で殴り合いのケンカをしている、2人の若者の姿が見えた。殴り合ってるのは、まだ20にもなっていないであろう男で、挙動を見るに、お互いが本気になっていた。
「ああ、竜馬。よかった。ねえ、どうしたらいいと思う?怖がって、お客さん、寄りついてくれないのよ」
 アリサが竜馬にすり足で近寄る。男2人の様子から見て、どちらかが立ち上がれなくなるまで殴り合いは続くだろう。
「ちょっと聞いてくる…」
 店の中にこそこそと戻る竜馬。ケンカは店の中からも見えていたようで、バイト達と店長が渋い顔で外を睨んでいる。
「あの、あれ、どうしましょう」
 竜馬が店長に話しかけた。ケンカのせいか、店の中にいた客も逃げるように帰り、客足がさらに遠のいている。
「一応警察に電話しました。よそに出払ってて、来るのに時間がかかるそうです」
 奥から出てきたバイト店員が、携帯電話を折り畳む。
「困った、ね。このままじゃ…」
 ヒュダが口を開いた、その時だった。
 べしぃぃん!
「うわ!」
 大きな音が店内に響き渡った。窓にアリサが張り付いている。ケンカをしている2人を止めようとして、投げ飛ばされたか、押しつけられたかしたらしい。
「おい、大丈夫か?」
 取り乱した竜馬が、店の外に出て、アリサを抱き起こす。外はひどい有様だ。2人のケンカはかなりの被害をもたらしたようで、ケーキを売っていたテーブルの足が片方折れ、ケーキの箱とレジスターがタイルに転がっていた。
「止めようとしたら、こんな…うう…」
 アリサが鼻を押さえる。その目に、涙がにじんでいた。友人に暴力を振るわれたという事実が、竜馬の血をかっと熱くさせる。
「おい!ケンカならどっか他んところでやってくれよ!」
 ケンカをしている2人に向かって、竜馬が声を張り上げた。
「んだ?糞ガキ」
「邪魔すっとてめぇもぶっ殺すぞ!」
 男2人はかなり熱くなっている上に、言ってる言葉もろれつが回っていない。どうやら、かなりの量の酒を飲んでいるようだ。
「こっちは商売してんだよ!こんなところでケンカされたら、客が来ねえだろ!」
 相手の気迫に、一瞬怯みかけた竜馬だったが、なけなしの勇気を振り絞って叫ぶ。こちらもケンカ腰で対応してはいけないのはわかっている。しかし、既に身内に暴力を振るわれているわけで、竜馬は冷静に対応出来なかった。
「は?うぜえよ。当事者でもねえのに首突っ込むなや!」
 どん!
「あぐぁ!」
 一瞬、何が起きたのかを理解することは出来なかった。顔を拳で殴られたのだと気付くまでに、少々の時間を要した。まるで火がついたかのように、熱さが顔を覆う。
「あんた、何するのよ!ケンカはよそでやってって言ってるだけじゃない!」
 2発目を殴ろうとした男の手を、アリサが止める。
「首突っ込むそいつが悪いんだろうが!邪魔すんな!」
 ばしぃっ
「きゃん!」
 黄色い声をあげたアリサは、地面に尻餅をついた。男はアリサと竜馬を無視して、ケンカに戻る。そこまでして、何を争っているのかわからなかったが、竜馬は急速に醒めていくのを感じた。暴力では、何も解決しない。ここは、警察が来るまで、おとなしく店の中で待つしかない。自分も暴力を使って、この2人と同じレベルまで落ちるのが嫌だと、竜馬はぼんやりと考えた。
「…ん?」
 目の端に、アリサがいる。彼女は相当怒っているようで、狼の顔をしている。アリサは竜馬の見ている前で、ケーキとレジスターの乗っていたテーブルに手をかけた。
「せぇい!」
 と、ぐいとそれを持ち上げたかと思うと、力一杯2人に向かって投げつけた。
 ガシャアン!
 間一髪、テーブルは2人のどちらにも当たらず、街灯にぶち当たった。その衝撃により、街灯がぐらんぐらんと揺れ、クリスマスイルミネーションが強風にでも遭ったかのように振り回される。
「てめえ、何すんだ!」
 男の片方が、アリサを怒鳴りつけた。が、アリサは怯まない。彼女の中にある、狂暴のスイッチが入ってしまった状態だ。正に狂った暴力。その狼の顔を見て、竜馬は逃げ出したい衝動に駆られたが、先ほど殴られたせいでどこか打ったらしく、体が思うように動かない。
「くふふふ…うっさいのよ。あんた達、優しく言っても聞かないんですもの」
 ぐしゃ
 アリサの足がケーキを蹴り飛ばした。プラスチックの箱に入ったケーキは、まだ食べることはできそうだが、ぐしゃぐしゃに潰れてしまった。
「あっ、アリサ!お前、殺人とか…」
「しないわよー。大丈夫。竜馬はそこで見てて?」
 一歩一歩、アリサが足を進める。竜馬はその姿を見て、震えるしかなかった。狂暴になってしまったアリサは、何をするかわからない。以前には、コンクリートの支えがついたバス停を、振り回したこともあった。今の彼女の状態を比喩するとしたら、危険の2文字。付き合いが長い竜馬にも、何をするかわかったものではない。
「やる気か!」
 ぶぅん!
 男の片方の拳が、真っ直ぐにアリサの顔を狙った。それを、眉一つ動かさず、アリサが受け止める。
「何がしたいの?くふふ、ねえ」
 ぐぎぐぎぐぎぐぎ!
「あだだだだあああああ!」
 その手を握り締めるアリサ。彼女の握力は、どうやら骨の方まで伝わっているようで、男の手の指がばきばきと音を立てた。
「何がしたいか聞いてるの。あんた、どうしたいの?」
 アリサの目は、猛獣の目になっている。狂暴になってしまったアリサは、並大抵のことでは倒すことは出来ない。それを知っている竜馬は、男2人の運命を想像し、心の中で合掌した。
「てめえ!」
 もう片方の男が、アリサを蹴り飛ばそうと、蹴りを繰り出した。軸となる足を中心に、もう片方の足を回す。いわゆるローキックだ。今まで手を握っていたアリサだったが、そこでぱっと手を離すと、両手でローキックの足を受け止めた。
 ぐいっ
「ぎゃあ!」
 足を引っ張ると、男が倒れる。そのまま片方で足を持ったアリサは、肩の上に足を乗せた。男の首から下が、地面にぶつかる。
「こうしてやる!こうしてやる!」
 びったぁん!びったぁん!
「げふっ!ぐふっ!」
 まるで、布団か何かでも振り回すかのように、アリサは男を何度も地面に打ち付けた。あまりにもパワフルなその攻撃に、通行人から悲鳴があがる。
「おい、アリサ!やめろよ!」
 ふらふらの竜馬が、アリサを後ろから羽交い締めにしたため、男はようやくアリサの手から離れることが出来た。
「竜馬〜。私、悔しいのよ?だって、こんな痛い目に遭ったし、仕返ししたいじゃない」
 アリサがにたりと笑う。その顔は、まるで悪魔だった。
「こいつ!」
 手を押さえていたもう一人の男が、アリサの背中を蹴り飛ばす。アリサの着ていたサンタ服に、くっきりと靴の跡がついた。
「くふふ…いったぁい…お返ししないとね…」
 ぐい
 アリサが竜馬をぶら下げたまま、振り返る。何の前動作もなく、アリサは目の前の男を蹴り上げた。胸の辺りに足が当たり、男がかがみ込む。
「ほら、ほら!」
 どすっ!どすっ!
 アリサはまるで、バレエでも踊るかのように、右、左と、回し蹴りを続ける。竜馬はアリサを掴んでいられなくなり、手を離した。
「そーら」
 最後の最後に、アリサはひときわ高く足をあげ、それを思い切り振り下ろした。
 げしぃっ!
「あぐふぁ!」
 アリサのかかとが、男の後頭部にぶつかり、男は地面に崩れ落ちた。
「喧嘩両成敗よねー。くふふふ…」
 アリサが2人を掴み、ずるずると引きずる。
「もうやめろ!バカ!」
 ばしぃん!
「きゃう!」
 竜馬の拳がアリサの頭を叩いた。と同時に、アリサの顔が正気に戻る。彼女は周りを見回し、潰れたケーキの箱が散らばっているのと、男2人がカエルのように潰れているのを確認した。しばらく2人が惚けていると、店から店長が、憤怒の表情で出てきた。
「ひどい有様じゃないか!君、どうするんだ!」
 店長がアリサに詰め寄る。
「ご、ごめんなさい!あの、自制がきかなくて…許してください!」
 あたふたとアリサが謝った。
「彼女も、暴力振るわれてたんだし…その、悪かったのは謝りますけど…見逃してくださいませんでしょうか…」
 竜馬がアリサを弁護した。実際、竜馬もアリサも、暴力を振るわれたときに傷を負っていた。アリサが狂暴になる気分もわかってもらいたい、と竜馬はぼんやりと考えた。
「まあ、仕方なかったのはわかるよ?でもねえ、こっちも商売なんだ。これ、全部買い取ってもらうからね。いいか?」
 店長が店の前に散らばったケーキの箱を見渡した。潰れたケーキ箱を見るだけで、10箱はあるだろうか。店の中の在庫の半分を外に並べていたのだ。これくらいの数はあって当然だろう。
「嘘ぉ…」
 竜馬は目の前が暗くなっていくのを感じた。同時に、アリサががっくりと膝をついた。


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