「急を要するから来い、なんて話だから、来てみれば…」
 フォークを握った恵理香が渋い顔をしている。向かいには修平と真優美が、横には美華子が座っている。
「ごめんごめん。みんな、来てくれてありがとね」
 機嫌良さそうに、アリサが台所から大量の箱を持ってくる。それを手伝わされている竜馬は、疲れた様子で顔についた傷を触っていた。
「でも、いい話ですよねぇ。カップルのためにがんばったお礼に、売り物にならなくなったケーキをもらってくるなんて」
 置かれた箱を開ける真優美。中には、潰れてしまったケーキが入っている。例え潰れてしまったとしても、ケーキはケーキ。美味しそうな甘い匂いを放っていた。
「え?ええ、まあねー。くふふふ。ほんといいカップルだったのよ」
 アリサが取り繕うように笑う。真優美の言ったことは、大体はあっていたが、実はアリサは嘘をついていた。あくまで美談で終わらせたかったアリサは、潰してしまったケーキを買い取ったことは、秘密にしていたのだった。


 ケーキを買い取り、店を出た後。アリサと竜馬は、ヒュダを連れて駅へ向かっていた。まだたぶん、あの猫少女は、駅で待っているはずだ。ヒュダが来ることを信じ、暖かいところにも入らず、あのクリスマスツリーの下で。
「君らが来てくれて、助かった。早くバイトも済んだし、ありがとうね」
 ヒュダが丁寧に頭を下げる。
「いいのよ。だって、一人きりの女の子を、ほっとけないんですもの」
 にこにこと笑いながら、アリサが返した。
「あ、あれじゃないかな」
 竜馬が駅前のクリスマスツリーを指さした。グメニュが、竜馬達がそこを立ち去る前と同じように、一人立っている。時折、携帯電話を覗き、ヒュダからの連絡がないかを見ているその姿は、哀愁を誘う。
「私たちはここでお別れね。行ってあげなさいよ」
 ケーキの箱がずり落ちるのを持ち直し、アリサがヒュダの背中をどんと押した。2、3歩、ふらついたヒュダが、竜馬とアリサの顔を交互に見て、親指を立てた。
 嬉しそうに駆け出すヒュダ。その足は、グメニュに一直線に向いていた。グメニュは俯いて立ちつくしていたが、ふと顔を上げて、ヒュダを見つけた。とたんに、その顔が驚きと歓喜の混ざったものに変わった。
「あ…」
 2人がぎゅっと抱き合う。強く、強く。それは、仲のいいカップルの、深い愛情表現だった。一瞬、ぼろぼろの毛皮で、傷だらけのグメニュが、美女のように見えた。ヒュダがグメニュに何かを言っている。と、グメニュは唐突に泣き出した。何も知らない他人が見たならば、意地悪でもされたかと思うに違いない。しかし、竜馬とアリサには、グメニュが何か嬉しいことを言われて泣いているのだということがわかった。
「なんて言ってるか、聞こえるか?」
 2人の姿を、竜馬とアリサが遠巻きに見つめる。
「聞こえないけど…口の動きなら見えるよ」
「そっか。なんて?」
 アリサの答えに、竜馬が再度問い返す。
「幸せ、だって。すっごい幸せなんだってさ」
 そう言ったアリサの目に、きらりと何かが光った。それは、見間違いだっただろうか。それとも…


「…でね、その後に2人は、駅に入って行ったのよ。すっごい仲よさそうだったわ」
 アリサがほうと息をつく。
「今回は珍しくいい話で終わったね」
 ぼそりと美華子がつぶやいた。彼女は手に持った包丁で、つぶれたケーキを切り分けている。とても美味しそうだ。
「珍しくなんて、失礼ねー。まあ、いいわ。今日はみんな、ありがとね。こんなケーキでいいなら、おみやげに持って帰ってちょうだいな」
 ケーキの箱を見せるアリサ。少なくとも1週間、毎日クリスマスパーティーを開いても大丈夫なほど、ケーキがある。
「はあ…結局はアリサとクリスマス過ごすことになっちまったなあ」
 竜馬はぼやいて、人数分の紅茶を淹れる。
「口調と顔が合ってないぞ。嬉しそうな顔をしているな」
 ケーキを取り分けている恵理香が、竜馬のことを見つめた。
「んー?そうかな。俺にはわからんけど」
「とても幸せそうだ。いつもはあんなにアリサを嫌ってるのに、不自然だな。何かあったのか?」
「いやいや。何かあったとしても、さっき言ったことくらいだよ。気にしないで」
 取り分けられたケーキの皿を手に取る竜馬。彼の顔は、やはりうすら笑っているようだ。
「なに?恵理香、妬いてるの?」
 ふふんと鼻を鳴らし、アリサが竜馬に抱きついてみせる。
「べ、別に妬いてるわけじゃない。ちょっと気になっただけだ」
「またまた、そんなこと言っちゃって。正直に言っちゃいなさいよ」
 ぷに
 アリサの指が、恵理香の頬を突っついた。
「…ああ、そうだな。私は竜馬が好きだし、アリサに嫉妬もした。これでいいか?」
 半ばやけくそになった恵理香が言い放った一言が、アリサの心に突き刺さったようだ。
「な、なによー」
「お前が言ってほしそうだったからな」
 アリサと恵理香が、じっとりとにらみ合う。が、しばらくして、先に目を離したのはアリサだった。
「バカらし。こんなことしても面白くないしね」
 こそこそと、テーブルの方に向き直り、アリサがケーキを食べ始める。
「そう言えば…竜馬君、なんだか怪我してますね。どうしたんですかぁ?」
 真優美は心配そうに竜馬の顔を注視した。
「え?ああ、転んで擦りむいてね」
「うう、痛そう…気をつけてくださいね?」
 なでなで
 真優美の手が竜馬を撫でる。さすがに、ケンカがあったことを今更言うわけにもいかないしということで、竜馬は嘘をついたのだが、真優美にはそれを見破ることは出来なかった。だが、向かいに座っている修平には、竜馬が何か騒動を起こしたことがわかったようで、苦笑いを返してみせた。
「ちょっと、真優美ちゃん。私の竜馬に、何してんのよ?」
 ずずいとアリサが真優美に詰め寄る。
「だって、痛そうなんですもの…何ですか?アリサさん、こんなときにも彼女顔して。あ、あたしだって、竜馬君のこと…」
 ぎゅうう
 必死の勇気を振り絞って、真優美が竜馬に抱きつく。
「ふん、だ。みんなして…」
 いつもならば掴みかかるアリサだが、今日はそんな気分ではなかったようで、拗ねてしまった。竜馬から遠い、美華子の隣に座る。
「なんか、寒いな。窓、あいてたりしないよな」
 竜馬が立ち上がり、窓のカーテンを開ける。
「お、雪だ。おい、みんな。雪だぞ」
「マジかよ」
「本当?」
 一同がケーキを置き、窓の周りに集まった。空からはらはらと降る雪。踊るかのように、地を目指す。軽い軽い、綿のような雪が、ゆっくりと降っていた。しかし、そんな様子を見ようともせず、アリサだけは拗ねていた。
「ほら、来いよ。きれいだぞ」
 竜馬がアリサの手を取り、立ち上がらせた。竜馬に呼ばれて、アリサは膨れたまま、一緒に窓に並んだ。
「きれいだね」
 空を見上げ、美華子が言った。
「うん、本当に」
 修平が答える。雪は、自分を見上げる人間の思惑など知らないようで、自分勝手に待っていた。
 どこか遠くで、クリスマスソングを流しているのが響いてくる。クリスマスの時期には、いつも聞くことになるそのリズム。竜馬はこの曲達が嫌いだった。季節が来れば、全てのBGMがこれに変わる。一色に染まった街。正直、彼はもうお腹いっぱいだった。だが…
『これも、たまには悪くはないかな』
 普段は考えないようなことを、竜馬はうすらぼんやりと考えていた。
 ヒュダとグメニュ以外にも、今年は様々なカップルを見てきた。春先、七夕、夏祭り、そしてクリスマス。毎回、アリサに振り回される自分がいたが、それにもだいぶ慣れた。今ならまだ…
「どうしたんですかぁ?なんか、嬉しそうですよ?」
 真優美が、不審なものを見る目で竜馬を見つめる。
「いや別に。何でもないよ」
 竜馬が真優美に向かって笑顔を振りまいた。
 がつん!
「あだー!」
 と、いきなり竜馬の頭に、衝撃が走った。アリサの拳が、竜馬の頭を殴りつけている。
「私より真優美ちゃんの方がいいのね!ふんだ。もう知らないんだから!」
 ぷんすか怒って、アリサが中の方に戻っていく。
「何すんだよ!そんなだから、知らない不良とケンカなんかするんだよ!」
 竜馬がアリサににじり寄る。真優美に微笑みかけたことが、何でそんなに不機嫌の元になるか、竜馬にはさっぱりわからない。
「不良とケンカ?」
 いぶかしげな顔をする修平。竜馬とアリサは、しまったという顔をした。今日の話だけは美談で終わらせるつもりが、とんでもない失言をしてしまったものだ。まだごまかせると、竜馬が口を開こうとした瞬間、今度はアリサの蹴りが竜馬に飛んだ。
「竜馬のアホたれー!しゃべっちゃだめー!」
「しゃべらねえよ!わかったから噛むな!やめろって!あだー!」
「またやってる…あんた達、飽きないね」
「痛い!あーん!アリサさんがどさくさにあたしを殴ったー!あーん!あーん!」
「やめないか!いたっ!私まで噛むな!やめろと言うに!」
「ああー、もう!竜馬もアリサちゃんもぜんっぜん変わんないんだもんな!こんなことならコイレさんところにずっといればよかった!」
 またケンカが始まった。物が飛び、拳が飛び、周りが一生懸命にケンカを押さえこむ。これも定番。竜馬は、先ほどの考えを撤回した。やはり、アリサは暴力的で、自己中心的な少女だった。
 クリスマスの夜。寒く、しんみりとした空気の中、竜馬のアパートだけは、ケンカをする声が響く、やかましい聖夜を送っていた。おそらく、これは長い間続くだろう。そんな事情もおかまいなしに、雪はしんしんと、いつまでも振り続けた。この後、帰ってきた清香に叱られて、部屋の掃除をすることになるのだが…それはまた、別の話。



 (続く)


前へ
Novelへ戻る