「それじゃあ…この良き日に、乾杯」
 ちん
 手に持ったグラスを、竜馬のグラスにぶつけるアリサ。中に注がれた、白く泡だった液体を、くいと飲む。
「嬉しいわ。竜馬と2人きり、こうしてクリスマスを過ごせるなんて…愛してる」
 目を細め、アリサがグラスをくるくると回した。中の泡が、グラスの動きに合わせて回る。
「ねえ、竜馬。アリサって、名前を呼んでくれる?それだけでいいの…」
 アリサがグラスに口をつけた。
「…アリサ?」
「うん…なあに?」
 竜馬の呼び声に、アリサが首を傾げた。
「この状況で、そこまで陶酔出来るお前は、すごいと思うよ」
 竜馬が周りを見回した。あちらもこちらもカップルや家族連ればかり。今いるのは、日本中に支店のあるファミリーレストランだ。クリスマスだというのと、休日の夜だというのが相まって、レストランの中は並ではなくうるさかった。さらに言うならば、アリサが飲んでいるのは、シャンパンやワインなどではなく、ただの炭酸飲料。2人きりの夜を演出するには、少々弱い。
「確かに、ロマンチックにはほど遠いわねー。もう、風情がないんだから」
 かちゃ
 スプーンを手に取り、最後のパフェを口に入れるアリサ。彼女は彼女で、何か思惑もあろうが、今のレストランではそれは実現出来ないようだ。
「でも、飯は美味かったじゃないか。それでいいと思うが」
 食事を終えた竜馬が、自分のコップを手に取った。
「もう、竜馬ったら…いつも私を避けてる竜馬が、今日は珍しく乗り気だと思ったのに」
 頬を膨らませたアリサが、ぷいとそっぽを向いた。
「何が不満なんだよ?」
「そりゃあ、色々よ。相変わらず鈍感なのね」
 首を傾げる竜馬を横目に、アリサが拗ねてみせた。
「わかったわかった。じゃあ、飯も終わったみたいだし、帰るか」
 竜馬がイスから腰を上げた。しょうがなく、と言う風にアリサが続く。忙しげに働くウェイトレスに代金を渡し、レストランから出る。時計をちらりと見ると、午後7時半を指し示していた。
「こうねー。どばばーん!って言うような、すごいイベントが起きて欲しいのよね」
 歩道橋の階段を上がり、アリサがつぶやいた。
「あ…」
 アリサが歩道橋の上で立ち止まった。クリスマスの街が、きらきらと輝いている。あちこちには、赤や緑、青のイルミネーションが光っているし、あちこちに赤い服を着たサンタクロースの姿もある。
「きれいねー。ほんと」
 ふうと息をつき、アリサが歩道橋の欄干に手をついた。竜馬がその隣に並ぶ。
「ねえ。たまにはさ、こう、ぎゅっとしてよ。今日一日は、いい子にしてるから。ね?」
 ご褒美をもらおうとする犬の顔で、アリサが竜馬の顔を覗き込んだ。潤んだ目が、きらりと光る。ここ数日、おとなしかったアリサのことを見ていた竜馬は、彼女が変わりつつあることに気がついた。それが、竜馬のためか、他の人間のためかは、わからなかったが。
「…わかったよ。じゃあ、今回だけだからな?」
「ほんとに?くふふ、嬉しい」
 竜馬は少し顔を赤くした。こうして、アリサを女の子として、しっかり扱うのは、どれだけぶりだろう。少なくとも、春に久々の再会を果たしたときには、アリサのことを思い出さなかったので、彼女を女性として扱っていた。だが、それからずっと、竜馬はアリサのことをうっとうしいものとして扱っていた。いざ改めて、アリサを女の子として扱うとなると、気恥ずかしさを感じる。
「ん…」
 思い切って、竜馬はアリサをぎゅっと抱きしめた。アリサが嬉しそうに目を細める。
「実はね、私、最近嫌なことがあったの。だから、一人でいたくなかったんだけど…」
 話を途中でうち切ったアリサが、遠くを見つめる。竜馬がつられてそちらを向くと、駅前の立体歩道の上にある、クリスマスツリーが目についた。
「どうした?」
「ん…あの子、私たちがご飯を食べに行く前から、あそこにいない?」
 ツリーの下を指さすアリサ。獣人の少女が立っているのがわかる。フェレットか何かの獣人だろうか、小柄なその肩が、息をするたびに上下した。
「誰かと待ち合わせしてるんだろ。気になるのか?」
 アリサを離し、竜馬が聞く。アリサは無言で頷いた。寂しげなその獣人少女は、時折時計を見ている。
「ちょっと、行ってみようよ」
「あ、おい」
 言うが早いか、アリサは駆けだしていた。竜馬が慌てて後を追う。追いつくころには、2人はクリスマスツリーの下にいた。
「ねえ、ちょっと」
 少女に声をかけるアリサ。少女は、びくりと体を震わせ、怯えた瞳でアリサを見つめた。
「あ…」
 アリサが声を失った。少女に近寄った竜馬は、アリサが絶句した意味を知った。少女はフェレットではなく、虎猫だったようだ。しかし、まるで野良猫のように毛はぼろぼろだし、鼻には大きな切り傷がついている。片耳の先は、何かに食いつかれたかのようにちぎれている。どうやら、元の顔の造形もそれほどよくはなかったらしい。有り体に言ってしまうならば、彼女はあまりかわいくない少女だった。ただ、漂う雰囲気は、容姿だけがかわいい女性と比べてとてもかわいらしく見えた。
「なんですか?」
 不安げな視線が、アリサと竜馬の間をうろついた。
「ん…あの、ここに長い間立ってるから、どうしたのかなって心配になって。中学生かな?」
 彼女を安心させようと、アリサはにっこりと微笑んだ。
「高1です…彼を待ってるんです。バイト、らしいんですけど…」
 それだけ言って、少女は俯いた。うなじの毛並みも、誉められたものではない。竜馬は、その毛並みをブラシか何かできれいにしてあげたい衝動に駆られた。
「あ、私たちと同い年なんだ。えーと、その…暖かいところで待つことは出来ないの?あそこには喫茶店だってあるし、あっちにはハンバーガーショップだって…」
「ありがとうございます。でもいいんです。もうすぐ来ますから」
 アリサの言葉を、半ば受け流した少女は、そのまま立ち続ける。
「俺、竜馬って言うんだ。こっちのはアリサ。君の名前は?」
 竜馬がアリサと少女の間に割り込んだ。
「あたしは…グメニュ・シュリです」
 名前だけ言った後、少女はまた黙り込んだ。
「その彼氏さんってさ、何時ごろ来るって?」
 目をあわせられなくなった竜馬が、少し外したところを見ながら話す。
「わかりません。来ないかも知れません…」
「え?もうすぐ来るんじゃないの?」
「彼、帰るときは駅で電車だから、ここで待っていれば来ると思って…」
 今にも泣きそうな声だ。グメニュはきっと、こうして待っていることが無駄だと悟っているのだろう。
「見てわかる通り、あたしはブスです。毛並みボロボロだし、顔汚いし…でも、彼、あたしのこと好きって言ってくれました。クリスマスぐらい一緒にいたいけど、彼はバイトで忙しくて…終わったら来るって言ってくれたけど、待てなくて…バイト先の店長さん、厳しいみたいで、休めないって…あたしが行っても、迷惑だろうし…」
 とうとう、グメニュは泣き出した。涙をこぼすその姿は、とても不憫に見えた。まるで、主人に捨てられた子猫のように。
「大丈夫。私が交渉してあげる。お店の場所を教えて?」
 アリサがグメニュをぎゅっと抱いた。
「え?でも…」
「私ね、こんな特別な日に、一人で泣いてる女の子をほっとけるほど、器用じゃないの。ね?」
 戸惑うグメニュの頭を、アリサは優しく撫で続ける。
「ありがとう…」
 泣きやんだグメニュが、アリサのことをじっと見て、にっこりと笑った。


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