そのころ真優美は、ホテルの一室にいた。平井に連れられて来たホテルの一室には、面接官だという1人の男性が既に来ていた。こちらは、平井とは反対に痩せた中年男性で、黒島という名前らしい。黒くて長い髪を後ろで雑に束ねている。聞けば、今日は審査員に対して出場者の数が少ないので、1人ないし2人の審査員が付きっきりで話をする方針に変わったという。
「そ、それじゃあ、よろしくお願いします…」
 真優美が緊張で体をこわばらせる。
「緊張しないでいいですよ。ただ、選定は長いんで、それだけ我慢してください」
 提出書類に、黒島が目を通す。緊張するなと言われても、今の真優美には無理な相談だ。つま先から耳まで、まるで針金でも入っているかのような堅さで、用意されたイスに座っている。
「んー。16歳だっけ?ってことは、高校生?」
 コーヒーを飲みながら、黒島が真優美に聞いた。黒島からは、タバコの臭いが漂っている。真優美の敏感な鼻は、強烈なその臭いに刺激され、じんじんと痛くなっていた。
「は、はい。女子高生です。天馬高校の1年生で…」
「そこまでは聞いてないから大丈夫だよ。女子高生ね、はい」
 真優美の言葉を、黒島が中断する。それを聞いた平井が、メモ帳にかりかりと何かを書き込んだ。
「真優美ちゃん、だっけ。好きな食べ物は何かな?」
 今度は平井から質問が飛ぶ。
「え、えーと、特に嫌いなものもないって程度で…強いてあげるなら、甘い物、かなあ…」
 ようやく場の空気に慣れ始めた真優美が、ぼんやりと答える。
「ケーキも好きですけど、あんこも好きですね。全般的に、お菓子ならばなんでも。お菓子以外だったら、ハンバーガーとか、かなあ」
 真優美の頭の中には、いつも食べている美味しいお菓子が浮かんでいた。恵理香は和菓子にとても精通しているし、アリサは高級洋菓子に詳しい。それらを、小遣いをやりくりしてたまに食べるのも好きだった。
「お菓子とハンバーガー、ね。わかりました。おい」
「あ、はい」
 黒島が右手を軽く振り、平井が部屋を出ていく。
「あ、あの…これが何か、関係あるんですか?」
 真優美が、いきなりな不安に襲われ、おずおずと訪ねた。
「キャラ作りはしっかりしておかないとね。結婚式はみんながみんな、晴れ舞台なんだ。全員が主役であるためには、各々の特徴を知っておかないといけないだろう?」
 黒島が手帳から顔を上げた。その目は、心の中を見透かされそうな、それでいて突き刺すような目だった。真優美がぶるりと震える。
「そうそう。さっきの彼、平井君ね。実はカメラマンなんだ。真優美ちゃんの写真も撮らせてもらうよ」
 思い出したかのように、黒島が口に出した。
「え、写真…ですか?」
 真優美が恥ずかしそうに俯く。見も知らぬ人間に写真を撮られる経験など、真優美にはない。
「このコンテストが終わった後、自分だけの、メモリアルアルバムを作って贈るつもりなんだ。お友達や知り合いに贈る部数を、最後にメモしてもらうから、お願いね。じゃ、次の質問行こうか」
 話を締めくくる黒島。真優美は感じていた。何かがおかしい、と。言いしれぬ不安感がつきまとう。
「すいません、お待たせしました。買ってきました」
 がちゃり
 ドアが開いて、平井が入ってくる。その手に握られているのは、数袋のビニール袋。表面には、高級菓子屋のロゴと、ハンバーガーショップのロゴが入っている。部屋の中にあるテーブルに、平井が洋菓子、和菓子、そしてハンバーガーを並べた。
「わあ、すごい!」
 食べ物を見た瞬間、真優美の感じていた不安感は消え去った。
「ほら、真優美ちゃん、食べていいんだよ」
 平井がにこにことケーキの箱を開く。ショートケーキ、チョコケーキ、モンブラン、シュークリームなどの、美味しそうな菓子が、その姿を現した。先ほどまでの懐疑的な真優美はもういない。今の真優美は、甘い物に釣られた、ただの犬娘。食べ物をくれるならば、この人たちはいい人だと、真優美は勝手に思いこんだ。


『それでは、舞台変更のため、30分ほど休憩に…』
 アナウンスが鳴り響き、カーテンが閉められる。舞台の横から、ウェディングドレスを着た出場者達が、観客席の方へ出てきた。彼女たちはこのコンテストの主役だ。集まった観客の中に、友人を見つけると、楽しそうに談笑し始めた。
「本当にエンターテイメントなんだな。まさか、花嫁クイズが出るとは、思いすらしなかったよ」
 恵理香が、ふうと息を付く。
「アリサ、高得点だったよね。凄いと思った」
 寸感を述べる美華子。1ラウンド目として出た課題は、花嫁としての知識を計るクイズだった。大さじの2つ下にあるさじは小さじ二分の一であるとか、白菜の季節は冬であるという単純な問題から、ロールキャベツの作り方、包丁の研ぎ方と言った一般教養、果ては育児の問題までが出題された。クイズでは、アリサはことごとく正解を出し、高得点を叩き出していた。自分で文武両道と言ってはばからないアリサだが、それはあながち誇張でもないようだ。
「ハネムーンの語源とか知らなかったよな。元々は花婿が花嫁を略奪して、ほとぼりが冷めるまで外国で暮らしたことだったなんて…」
 座席から立ち上がった修平が、ごきりと骨を鳴らした。その横の竜馬も立ち上がり、座りっぱなしで固まった体をほぐす。
「…アリサさん、やはりきれいだなあ。僕はまた、惚れ直してしまったようだ」
 顔に手を当て、軽く笑う祐太朗。猫尻尾がふらりと揺れる。
「そいつはよかった。その調子で、アリサと付き合ってやってくれよ。俺は別の女の子を探すからさ」
 ぽんぽんと、竜馬が肩を叩く。
「僕にはわからない。アリサさんほど素敵な女性も、それほどいないと思うんだけどね」
 竜馬の方に、祐太朗が向き直った。嫉妬の念が、彼から感じ取れる。
「でも…」
「竜馬ー!」
 話を始めようとした竜馬は、またもや背中から抱きつきを受けた。こんなことをするのは、アリサ以外にいない。
「竜馬、見て見て!私、きれいだよね?」
 竜馬をくるりと回して、自分の方へ向かせるアリサ。尻尾穴のついた、サイズぴったりのウェディングドレスを着たアリサは、まるで本物の花嫁のようだった。
「あー、そうね。うん。きれいきれい。はいはい」
 投げやりに答える竜馬。その目はアリサを見てはいなかった。
「きれいって言ってくれるなんて!私、嬉しい!」
 その言葉に心がこもっているかは、些細な問題のようだ。アリサは竜馬にぎゅっと抱きつき、その頬に口を押しつけるようなキスをした。
「そうそう、美華子さん。始まる前にくれた包み、開いていいかい?」
 アリサを軽くあしらった竜馬が、ポケットからかわいらしい紙袋を取りだした。
「別にいいけど…大したもんじゃないよ?」
「いやいや。こういうのは気持ちが嬉しいんだよ」
 竜馬が美華子と楽しく話しながら、手元の包みを開いている。ちらりと竜馬がアリサを見ると、アリサは嫉妬の念に支配された顔で、じいっと竜馬を睨んでいた。
「アリサさん、怖い顔をしないでおくれ?そんなにきれいなのに、台無しだよ」
 アリサの耳元で、祐太朗がそっと囁いた。
「あんたにきれいって言われても、嬉しくもなんともないのよ」
 不機嫌丸出しのアリサが、祐太朗の顔に指を突きつける。竜馬の方はというと、美華子の包みの中から、猫の小さなキーホルダーを引っぱり出して喜んでいる。
「アリサさん。僕はね、いつまでも待つつもりだよ。あなたが僕を好きだと言ってくれるその日まで。だから、今はこれだけで勘弁してくれないかな」
 ぎゅっ
 祐太朗が、後ろからアリサを抱いた。アリサの毛が、ばっと逆立つ。
「…ねえ。私ね、いつもワサビの小入りパックを持ち歩いているの。どうしてだと思う?」
 アリサが体をわなわなと震わせている。その手は、自分のハンドバッグに伸びた。
「さあ、わからないな。どうしてなんだい?」
 祐太朗がアリサを抱いたまま、甘い声で問いかけた。
「あんたみたいな勘違い男を、嫌と言うほどなぶるためよー!」
 ばっ!
 祐太朗をふりほどくアリサ。その手に、ワサビの小袋が握られている。目にも留まらぬ早さで袋を開けたアリサは、祐太朗の頭を掴み、鼻の中に無理矢理流し込んだ。
「ふぐぅあ!ぐあああ!ぎゃああ!」
 目と鼻を押さえ、祐太朗が床を転がる。おしゃれな服も台無しだ。祐太朗の目からは、涙が滝のように流れていた。
「バーカバーカ!これに懲りたら、もう二度と私に言い寄らないことね!」
 げしっ!げしっ!
 転がる祐太朗を蹴り飛ばすアリサ。とても花嫁とは思えない。
「やめないか!お前と言うやつは!」
 慌てて恵理香がアリサを羽交い締めにするが、アリサのキックは止まらない。
「アホライオン!この変態!あんたなんか…ん?」
 アリサのハンドバッグが震えている。中にある携帯にメールが来ているようだ。携帯を開いたアリサは、いきなり難しい顔をした。
「これ…どう思う?」
 一同に携帯電話の画面を見せるアリサ。画面には、『1次選考受かりました!みんなはどこにいるんですか?』と表示されていた。送り主は真優美だ。
「選考…って、なんだろう」
 竜馬が首をひねる。
「知らない間に何かがあったのかな。私、行ってみる」
 アリサが控え室の方へ戻っていく。後には、悩むメンバーと、鼻を押さえる祐太朗だけが残った。
「選考、ねえ…真優美ちゃん、なんの選考に出てるんだか」
 倒れている祐太朗を起こし、ティッシュを渡しながら、竜馬が頭をひねった。


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