更衣室には多くの人が出入りしていた。ドレスの着付けを手伝うのは、美しいメイクアップアーティストの女性達だ。
「わあ…」
 ウェディングドレスに着替え、化粧をした自分を、アリサは鏡で目の当たりにした。いつものアリサとは違う、晴れ舞台への旅立ちを目前とした犬娘がそこにいた。彼女は、自分が世界の頂点にでもいるのではないかという錯覚に陥っていた。他の出場者も美しいが、自分も負けてはいないはずだ。今のまま竜馬に迫れば、竜馬は惚れてしまうかも知れない。
『アリサ、すごいよ!ほんときれいだ…ああ、愛してる…』
 竜馬が自分を賞賛する声が聞こえるかのようだ。アリサの頬が緩む。
「シュリマナさん?」
 声をかけられたアリサは、一瞬で現実に戻された。目の前に、メイクアップアーティストの一人が立っている。
「これ、番号札です。そちらのステージに進んでください」
「あ、はい」
 番号札を胸に付けたアリサが、ステージに押しやられる。披露宴会場をこのために一時改装したらしく、少々狭苦しくなっていた。ステージ側と観客席側を隔てるカーテンは分厚い。
「ふぅん…」
 並べてあるイスを見るアリサ。どうやら11人の女性が出場するようだ。アリサの番号札は3で、既に5人ほどの女性が、ステージ上にあるイスに座っている。皆、落ち着かないようで、腕時計を見たりきょろきょろしたりしていた。
「ふぅ…」
 自分のイスに座ったアリサに、いきなりプレッシャーが襲いかかる。あまり多い人数でもないだろうが、公衆の面前で大仕事をやってのけるのだ。大学祭の時、アリサは演劇部の舞台に勝手に上がり込み、アドリブで行動をしたことがあった。あれはまだ学校内だから出来た話で、知らない人間ばかりのこの場では、持ち前の度胸も発揮できない。
『真優美ちゃんはどこで何してるのよう。一緒に出るものだとばかり思ってたのに…』
 アリサがそわそわと周りを見回した。徐々に、着替えを済ませた他の出演者達が、ステージに出始める。
『うう、緊張するなあ…』
 アリサが頭を垂れ、自分の膝辺りに目を落とす。そのとき、彼女の敏感な耳が、ステージ最前列に座っていた友人の声をキャッチした。
「…まあ、アリサさんのことだから、いいところまで行くんじゃないかな」
 祐太朗の声が聞こえた。彼はアリサのことが好きなだけではなく、アリサのことを賞賛もしている。今日も、アリサが優勝すると信じて疑っていない様子だ。
「アリサはそれなりの教養があるからね」
 今度は美華子の声だ。友人に応援されていると思うと、アリサは嬉しかった。思わず尻尾が揺れる。
「俺は、アリサがまた何か騒動を起こすんじゃないかって、気が気じゃないんだ」
 その次に聞こえた竜馬の声に、アリサは表情を凍らせた。
「ありそうだな。ここぞというとき、不真面目で調子に乗るのが、アリサの欠点だと私は思うぞ」
「確かに。何するかわからんってのはあるな。竜馬はアリサちゃんを心配しているってよりは、自分を心配してるんじゃないのか?」
「わかるか。恥をかくことがなきゃいいけどな。はあ…」
 誰が誰の声だか、アリサはしっかりと記憶した。恵理香と修平と竜馬。後で、噛みついてやろうと思いながら、アリサはイスに深く座り直した。
『ご来場の皆さん、お待たせしました。ただいまより、ウェディングコンテストを開催します』
 ホール内に大きな声で放送が入った。カーテンがゆっくりと開いていく。目の前に広がる人の列に、アリサは思わず尻尾をびんと立てた。11人のうち、獣人がアリサを含めて3人、爬虫人が2人、残りは地球人だ。さっきまであった、自分が一番きれいだと思っていた心などどこかへ行き、今では自信がすっかりなくなってしまった。
『う、うぬぼれを払えたと思えばいいのよ。落ち着いて…』
 アリサがぴしっと座る。ステージの上から見る竜馬は、他の女性のことを見ている。自分をもっと見て欲しい、とアリサは嫉妬に似た感情を感じた。
「それでは、出場者の方11人に、それぞれ自己紹介をしていただきましょう。お名前、お仕事、趣味などをどうぞ」
 1番の人間女性にマイクが回る。自己紹介があるとは、アリサは思ってもいなかった。このコンテストに出る前に書いた、提出書類に書いてあることが全てだ。
「えーと、片田明美です。えーと、職業は、普通に会社で事務やってます。なんかいっぱい人がいて…緊張します」
 1番の女性は、渡されたマイクを手に取り、簡単な自己紹介をする。
「このコンテストに出ようと思われた理由は?」
 司会がにこにこと笑い、女性に話を続けさせた。
「えーと…彼氏が出たらどうかって…」
 女性が頭を下げる。彼氏、という言葉に、アリサがぴんと反応した。やはり、女性が自ら出ようとはせず、周りに勧められて出るパターンが多いのだろう。
『おい、出てみろって!絶対きれいだから!』
『え〜?でも、無理だよ。面倒くさいし』
『いいから!出ろって!』
 そんなやりとりが聞こえてくるかのようだ。アリサはぼーっと自分のことを考えた。竜馬がもう少し自分を好いてくれたら、展開も変わるのかも知れない。竜馬が…
「次は3番の方です。どうぞ」
 マイクを渡されたアリサは、はっと気が付いた。会場中の視線がアリサに集まる。いきなり息が出来なくなったアリサは、金魚か鯉のように、口をぱくぱくさせた。
「あ、あのあの、えーと…」
 意味のない言葉が口からこぼれる。顔が熱をもったのがわかる。と、アリサの目に、竜馬の顔が飛び込んだ。先ほどまではあちこちを見ていた竜馬も、今は真剣にアリサのことを見つめている。それだけで、アリサは心が落ち着いていくのを感じた。好きな男の視線が、こんなに心を安定させるものだとは、アリサは思ってはいなかった。
「アリサ・シュリマナです。女子高生です。今日のこのコンテストは、彼氏のために出場しました」
 はっきりと通る声で、アリサが言い放つ。その声量は、マイクがいらないほどだ。
「彼氏さんのためですか?彼氏さんは、今ここに来ておられるのですか?」
 司会がにこにこと問いかける。
「はい。あの最前列に座っている彼がそうです」
 臆することなく、アリサが竜馬を指さした。会場の視線は、アリサから竜馬へと映った。竜馬は最初、自分の事を言われているとは気づかなかったが、周りの目線にようやく気づいたようで、微妙な顔をして会釈をした。
「付き合って長いんですか?」
「ええ。だいぶ長いです。私は彼を愛してます。ただ、彼は恥ずかしがっているのか、あんまり私を構ってくれないんですけど」
 司会の質問に、アリサがすらすらと答えた。もうここまで来れば、アリサの独り舞台だ。アリサの口から、ありもしない愛情話が出るたびに、竜馬の顔がどんどん暗くなった。
「…だから、きれいになった私を彼に見せてあげたかったんです」
 締めくくったアリサが、マイクを司会に渡す。
「あ、ありがとうございました。えーと、がんばってくださいね。では次に…」
 司会が少し引き気味になって、次の女性にマイクを渡した。アリサは、竜馬が自分を射るような視線で見ている事に気が付いた。
『お前、後で覚えてろよ』
 その視線はそう物語っている。
『照れちゃって。竜馬、好きよ』
 アリサは微笑んで、視線でそう返した。
『しかし…ほんとに真優美ちゃんは寝過ごしちゃったみたいね。今頃、どこで何をしているのかしら』
 アリサが観客席を一渡り見回す。真優美の姿はない。彼女はきっと、寸前で竦んでしまって、出場することをやめてしまったのだろう。今日一日に、この会場で起こったことを土産話にしようと、アリサは心の中で微笑んだ。


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