アパートでは、既にほとんどの食事が済んでしまっていた。美華子と竜馬があまりにも遅いため、どこかで雨宿りをしていたり足止めをされていたりするのではないかと、清香が言ったからだ。清香は竜馬に、何度かメールや電話をしたのだが、繋がることはなかった。心配をしながらも、食事が始まり、竜馬と美華子の分だけを残して大抵の物は平らげられてしまっていた。
 ミャーパパパーミャー
 部屋の中に大きな音が鳴る。さっと、アリサが携帯電話を取り出して、ディスプレイを注視した。
「竜馬と美華子、雨がひどすぎるせいで、立ち往生してるみたい。濡れちゃったから少し休んでから帰るって。仕方ないかなあ」
 アリサがふうと息をつく。
「心配だな。これから雷雨になるとも聞く。2人とも、何か事故に巻き込まれなければよいのだが…」
 箸を置いた恵理香が、口を拭う。
「うん、心配よね。あの2人、傘も持ってってないし。でも、連絡が来て、まだよかった。今の時点では大丈夫ってことじゃない」
 何でも前向きに考えるアリサらしい発言だ。彼女は大きく伸びをした後に、食べ終わった食器を片づけ始めた。
「アリサちゃん、来たメール見せてもらっていいかい?」
「いいわよ」
 修平がアリサに断ってから、アリサの携帯電話を手に取った。今来たであろうメールを開く。
「あれ、添付画像がある」
「え?」
 修平の言葉に、アリサが振り返る。添付画像を受信する修平。その画像は、ハーフパンツとシャツだけになった美華子と、上半身裸できまりが悪そうにしている竜馬の、抱き合っている写真だった。
「あー!あああー!」
 真優美が携帯電話をひったくり、画像を睨む。その横から、恵理香が画面を覗き、顔を真っ赤にした。
「何?そんなすごいの?はは、竜馬もやるねえ」
 清香がタバコを肺に吸い込んだ。えへらえへらと笑っているその様は、典型的な酔っぱらいだ。彼女はだいぶ酒も飲んでいるし、ますますもって何を考えているかわからなかった。
「みっ、美華子!あー!わ、私の竜馬に…」
 ようやく画像を見たアリサは、怒りに体をうち振るわせた。狼の顔になっている。
「えぐ…ひぐ…竜馬君のえっち…もう知らない…男の子なんて…男の子なんて…」
 めそめそと真優美が泣き出した。
「ほら、泣くな。真優美ちゃんが悪いのではないぞ。よしよし」
 それを恵理香が優しく撫で、慰める。
「こ、こうしちゃいられないわ!探しにいかないと!」
 コートを身にまとい、大きな傘を2つ手に持ったアリサは、誰かが止める間もなく外に飛び出した。


「…なぜ写真を?」
 竜馬が恥ずかしそうに目を逸らす。だが、熱を逃がさないために、体はぴったりとくっついたままだ。
「アリサに嫌がらせ。楽しいじゃん」
 そう言う美華子は、とても楽しそうだ。さっきまで震えていたとは思えないほどに、体力を回復している。
「また勘違いされて、面倒なことになるよ?」
 アリサが怒る様を想像して、竜馬はぐったりとした。
「別にそれでもいいし。錦原は嫌いじゃないしね」
 ふふっと、美華子が含み笑いをした。彼女の言ったその言葉に、竜馬は一瞬耳を疑った。それが愛の告白に聞こえたからだ。
「ただ、さっきみたいなのは勘弁。驚いたよ」
 見透かしたような目で、美華子が竜馬を正視する。その指が、竜馬の頬を撫で、首筋まですべりおりた。
「…そうだ。さっきの話、しようか」
 携帯電話を閉じた美華子が、それをポケットに入れた。
「恋愛観の話、かな?いいのか?」
 何かいけないことを聞こうとしているような気がして、竜馬の表情が沈む。
「うん。別に隠すこともないし。そろそろ誰かに話して、楽になりたいんだ」
 対照的に、美華子は悟ったように、それでいて楽しそうに笑った。
「どっから話せばいいかな。小学生のころからか」
 美華子の雰囲気が、いつもと変わった。いつものクールな美華子ではない。
「同じクラスにさ、結構バカなやつがいて。6年のころ、好きだって思ったんだ。すごく、一緒にいて楽しかったし。特に何かする前に、卒業して別々の中学行ったから、わかんないけど」
 美華子がゆっくりと過去を思い出している。竜馬を抱くその腕に、きゅっと力が入った。
「それで、中学入って。3年の終わり頃、三木下と付き合い始めたんだ。三木下わかる?」
「ああ、うん。4月頃、俺らがケンカした相手だよね?」
 竜馬が記憶を辿る。4月頃、美華子の元彼氏だという地球人の男、三木下が、勝手な理由で復縁を迫った上に、暴力行為をしていたのを、竜馬含む5人が止めるという事件があった。そのとき、竜馬、アリサ、真優美、修平の4人は、美華子を守るために、三木下以下数人の不良とケンカをすることになった。そのときは、偶然通りかかった清香が、勝負を持っていく形になったので、竜馬自身はまともなケンカはしていない。
「前に、錦原のお姉さんも言ってたね。私と三木下の別れ方。常日頃から、すごく利己的な扱いされてる気はしてたんだよ。でも、あいつも私のことを好きだと思ってたから、我慢してたんだ。好きあってないのに付き合うはずないって」
 美華子の目線が床に注がれる。その目は、何も見ていない。もしかすると、過去を見ているのかも知れない。それを知ることは竜馬には出来ない。
「あれ?でも、結局は…」
 記憶を辿り、竜馬が口を挟む。
「ん、その通り。結局、最後はうざいって言われて、殴られて別れちゃった。そのとき、うざいって言われた理由、知ってる?」
 暗い目をした美華子が、顔を上げた。
「わからないな…んー…」
 首を傾げ、竜馬が悩む。
「私、暗いんだってさ。空気読めないし暗いし、言うことがいちいちうざいんだって。ま、わからないでもないけど。今でもずけずけと物を言うもんね」
 自嘲的に、それでいておどけるように、美華子が腕を広げた。
「ま…仕方ないね。私は私。嫌われ者だし。ここまで友達が出来るのも、初めてだったかも…いや、実は友達じゃないって言われても、驚かないよ」
 立て板に水を流すように、美華子が早口で捲し立てた。美華子が息をついたそのときから、空気が変わった。重く、淀んでいる。それは雨のせいだけではない。
「そんなことないよ。俺達、友達だろ?」
 漫画で読んだような台詞が、どうフォローしていいかわからなくなった竜馬の口をついて出た。
「えーと、さ…少なくとも、俺は友達だと思ってるよ。性別とか違うけどさ。だって、仲いいしね。美華子さんといると、楽しいよ?」
 するするとまではいかないが、それなりにすんなりと、竜馬は思ったことを言うことが出来た。じっと、美華子の横顔を見つめる。
「錦原は優しいね。こんな私、嫌いになってくれていいのに」
 両手の平で、竜馬の顔を挟む美華子。その顔には、いつもとは違う、悲しそうな微笑みが宿っていた。
「…あんまり自虐的なのは好きじゃないな。強気なのが美華子さんだろ?」
 竜馬が声を絞り出した。
「自虐って言うか、事実だし。仕方ないんじゃない?言いたいことあるの?」
 カッ!
 外で、何度目かわからない雷が鳴った。一瞬照らされた美華子の表情は、とても暗かった。
「さっきのあれだって、都合のいいところに女の子がいたからでしょ?別に私じゃなくたっていいんじゃない?」
 暗い目のまま、美華子が言う。
「じゃあ、はっきり言うよ。俺は美華子さんを友達だと思ってる。アリサだって修平だって、他のみんなだってそうだ。それに、美華子さん、自分で思ってるよりずっとかわいいよ。さっきしたことの言い訳になってるみたいだけど、本当にそう思って…いや、それはいいんだ。つかさ、美華子さんは嫌われていたいわけ?」
 語気を荒げ、竜馬が言い放った。力強いその言葉は、怒っていると思われてもおかしくはない。実際に、竜馬は少々、怒りを感じていた。
 いつも、どこかひょうひょうとしていて、からかい口調の美華子。興味のあることには全力で、興味のないことには指すら触れない美華子。猫のような彼女が、今は自分を卑下し、思ってもいないことを言わせようとしている。それが、竜馬には腹立たしかった。
「んー…嫌われても仕方ない、と思ってはいるけど…」
 美華子が言葉を濁す。
「そうじゃなくて。美華子さん、嫌われたがってるみたいだからさ。なんか、すげえ俺、裏切られた気分だ。俺ばっか、仲いい気でいたから」
 ぎゅう
 竜馬の腕が、強く美華子を抱いた。濡れた肌は乾き、だんだんと暖かくはなっているが、それでも11月終わりの、ましてや雨の降る中での半裸は寒かった。
「…そうじゃないよ。嫌われたくなんか、ない」
 少しした後、美華子が口を開いた。その声がかすれている。
「そっか」
 竜馬も、短い返事を返す。美華子の体が震えている。溢れる涙を止めようと、目を押さえる。美華子が涙を流すところを、竜馬は今まで見たことがなかった。彼女を泣かせてしまった罪悪感が、今までの怒りを全て消していく。
「美華子さん…ごめん、言い過ぎた。その…俺は、美華子さんが好きだから。つーか、俺以外のみんなも…だから、そんな自分を嫌うことなんかなくて…なんて言えばいいかわかんないけど…」
 しどろもどろになりながら、竜馬が美華子を落ち着かせようとする。ところが、少女の涙は止まらない。とうとう、美華子は肩を振るわせ、声をあげて泣き出した。
「だ、だって、怖いじゃん…みんなに嫌われるなんて…好きだった彼氏にまで、裏切られて…そんな、嫌なら、最初から言ってほしかった…」
 美華子の、涙混じりのか細い声。その声は、今までの美華子の作り上げたイメージを、全て崩した。震える美華子の肩を、竜馬が抱く。
「大丈夫だよ。美華子さんを嫌うなんてこと、しないよ。大丈夫」
 竜馬が優しく美華子の髪を撫でる。素っ気なく振る舞っていたのは、人と深い関係を作るのが怖かっただけ。自分が嫌われても仕方がないと言っていたのは、そう思いこもうとしていただけ。竜馬が今抱いているのは、仮面を取り払った、松葉美華子という一人の女の子だった。


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