小屋の中はあまり広くはなかった。中は6畳ほどの大きさで、隅にはよくわからない大きな機械がでんと置いてある。こういう施設は、大抵の場合は汚いものだが、ここは蜘蛛の巣どころか、落ち葉一つない。電灯はないが、窓があるせいか、外から街灯の光が少しだけ入ってくる。誰かがここに前にいたのか、ばらばらになった雑誌が数冊散らばっていた。
「鍵がかかってなくてよかったね。もらったガム、どっかで口から出てったみたい」
 美華子がポケットに手を入れ、携帯電話を取り出した。ライト機能を使い、小屋の中を照らす。
「うあ、しまった。携帯が水没したせいで壊れちゃったよ…」
 竜馬が自身の携帯を出して振ってみせる。ぺちゃぺちゃと中で音がしているところをみると、水が溜まってしまったようだ。
「防水になってないの?私の携帯は全然大丈夫だけど」
 美華子がかすれそうな声で聞いた。
「なってるはずなんだけど…ああ、わかった。これ、ヒビ入っちゃってる。こっから水入ったみたいだ。くそっ、今日はついてないな…」
 竜馬が床に腰を下ろした。濡れた体に、砂がまとわりつく。
「何これ…火がついてた跡?」
 携帯電話のライトで、美華子が壁を照らした。顔ほどの高さの壁に、黒く何かの跡がついている。
「タバコの火を消した…とか?じゃないな」
 竜馬がよく観察すると、どうやらそれは穴のようだ。その横に、コンクリートボルトが刺さっている。等間隔に、4本だ。どうやら、今の穴にも同じものが刺さっていたように感じられる。
「ちょうどいい。これに服かけさせてもらうわ」
 ばさっ
 美華子が上に着ていたハーフコートを脱いだ。上はハーフコートにロングTシャツ、下はミニスカートにハーフパンツの美華子だ。あまり暖かそうな服装にも見えないが、今は濡れてしまったせいで、さらに寒そうになっている。
「な…美華子さん…」
 竜馬が何か言う暇もなく、美華子はシャツとハーフパンツのみになってしまった。服をぎゅうと絞り、水気を払った後に、壁のボルトにかける。
「寒…まあ、着てるよりはマシだね」
 美華子がニヒルに笑い、座り込む。
「み、美華子さん。その…」
「錦原も脱いだ方がいいよ。乾くとは思えないけど、何もしないよりはいい」
「あ…うん…」
 言われた竜馬も、上着を脱ぎ、水を絞る。気恥ずかしかった竜馬は、ズボンは脱がずに座った。
「美華子さん、恥ずかしくない?その…そんな格好で…」
 竜馬が顔を赤らめる。
「夏はこんな感じだし。気になる?」
「そりゃあ、少しは…」
「スケベ。ま、男ってそんなものだしね」
 美華子が妖しく微笑む。冗談を飛ばしながらも、彼女の体調がよくないことは、目に見えて明らかだ。唇の色が、紫色になっている。
「なんか、火を付ける物があればいいんだけど…」
 散乱する破れ雑誌を集める竜馬。中が暗く、何があるかよく見えない。手元にあるのは、高価なキノコに高価なイモだけ。今はあまり役に立たない代物だ。せめてライターなどがあればいいのだろうが、あいにくと竜馬はライターを使う用事がないため、携帯はしていなかった。
「さっきは、とっさに助けてもらって、ありがとう。美華子さんまで水浸しにしちゃってごめんよ」
 小屋の中をごそごそと漁りながら、竜馬が感謝の言葉を口にした。
「流石にほっとけないし。怪我とかない?」
「あるにはあるけど、大丈夫だよ。美華子さんこそ、大丈夫?」
「怪我はないけど、寒い。うん、真面目に寒いね。やばいかも」
 美華子の歯がかちかちと鳴った。体が小刻みに震えているのが、暗闇の中でもわかる。
「マジかよ。まずいな…」
 小屋の隅から機械の裏まで、竜馬はくまなく探したが、火を付ける道具は見つからない。外の雨は強くなっているようで、雨音が大きくなってきている。
「ねえ、錦原。抱いて暖めてよ」
 美華子のその言葉に、竜馬は不覚にも転んでしまった。頭がコンクリートと衝突する。
「みみみみみ美華子さん!そんな…」
「このまま寒いよりはよっぽどいいと思うけど」
「だ、ダメだろ!俺達、男と女で…」
 竜馬の言葉に、勢いがなくなった。美華子が目に手を当て、体を震わせている。すんすんという、鼻をすする音が、やけに大きく響いた。
「み、美華子さん。泣かないでくれよ…その、悪かった」
 竜馬が美華子の顔を覗き込む。
「う・そ。錦原、騙されやすいね」
 美華子が手を顔から離してみせた。その顔は、泣いていたようには見えない。
「嘘泣きか…なんだよ、美華子さん。びっくりしたな」
「ごめん。でも、寒いのは本当だし。これ以外ないでしょ?」
 ぎゅっ
 美華子が手を伸ばし、竜馬をぎゅっと抱く。美華子の体の、わずかな熱が、竜馬に伝わった。
「わ…」
 竜馬が体を硬直させた。いつも、アリサ相手ならばこんなことがよく起きるが、美華子相手に抱き合ったのは初めてだ。
「おー、冷たい。錦原、冷えてたんだね。まあ、何もないよりはマシか」
 美華子の目が、妖しく光る。竜馬の胸がどきどきと早鐘を打つ。手足が痺れ、息が苦しくなる。
『竜馬ぁ!私以外の女の子となんか、くっついちゃだめなんだから!』
 唐突に、アリサの声が聞こえた気がして、竜馬はばっと小屋の中を見回した。もちろん、ここにアリサがいるはずもない。破れた雑誌に描かれた、マンガのキャラクターの目線を感じるだけだ。
「どうかした?」
 いきなり背後を向いた竜馬に、美華子がいぶかしげな表情を見せた。
「いや…アリサの声が聞こえた気がして…」
 背筋を振るわせる竜馬。それは寒さのためだけではなかった。
「ふぅん…そう。重症だね」
 美華子の目つきが鋭くなる。何かをたくらんでいそうなその顔に、竜馬はいくらかぞっとした。
「アリサはここにはいないんだから。それより、寒い。早く」
 ぎゅうぎゅう
 まるでぬいぐるみか抱き枕でも抱くかのように、美華子が竜馬を抱く。
「美華子さん、大胆だなあ…」
 美華子に抱かれたまま、竜馬が赤面した。
「恥ずかしがってて風邪引くよりはいいし。錦原だから、別に気にもならないしね」
「はは、ひどいな。男として見られてないってことじゃんか」
 美華子のからかい口調に、竜馬が笑った。
 ピシャァ!
「うお!」
「わ!」
 突然、すさまじい音と共に光が走る。雨だけではなく、雷まで鳴りはじめた。
「…これじゃ、当分帰れないな。美華子さん、誰かにメール頼める?」
「わかった」
 美華子が携帯電話をぱたんと開いた。画面をちらりと覗く竜馬。どうやら、相手はアリサのようだ。メールの内容は見る必要もないと思った竜馬は、また目を逸らした。美華子と触れている肌が、だんだんと暖かくなる。それと同時に、竜馬はだんだんと頭がくらくらとするのを感じた。泥の臭いに混じって、美華子から女の子の匂いが漂う。
「みっ、美華子さん!俺、俺…!」
 がばっ!
 竜馬が両手で美華子を抱きしめる。
「きゃあ!」
 ばしぃっ!
 美華子の平手が竜馬の頬を叩く。ばっと顔を上げ、竜馬の顔を睨む美華子。その顔は、とても驚いていて、さらに怯えていた。
「ん…と、ここじゃムードも何もないし…何より、寒いし…」
 えへへと笑う美華子。竜馬のしたことに、必死でフォローを入れる。
『俺、何やってるんだ…』
 竜馬は、今自分がした行動が、彼女をとても不安にするものだと理解した。外は大雨、体は冷たい。小屋の中も決して暖かいとは言えないこの状況で、一緒にいる友人が手のひらを返したかのように襲いかかれば、美華子でなくとも不安にはなる。その中で、彼女は竜馬をフォローし、竜馬を傷つけまいと努力している。それだけで、竜馬は自分がどれだけ下卑た思考だったかを思い知ることが出来た。
「…ごめん。もうしない」
 自己嫌悪にどっぷりと浸かった竜馬が、美華子を離す。美華子は軽く微笑んだだけで、言葉を発することはなかった。


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