「…でさ、そのモルモットがすごくかわいかったんだよ。あれはよかったな」
「ふぅん」
 歩きながら、竜馬が必死に話題を作っている。美華子はそれに対して、興味があるともないとも言えないような態度をとっている。美華子は、自分から他人に働きかける人間ではないし、他人から働きかけられても興味がなければ流す人間だ。それだけに、彼女にとてもつまらない思いをさせているのではないかと、竜馬は不安になってしまった。
「美華子さんは好きな動物とかいる?」
「犬かな。おっきいやつ」
「犬かー。いいね。どんな犬が好き?」
 ようやく食いついた話題に、竜馬がにこにこと笑顔を見せる。
「アリサとか真優美」
 悩む素振りすらも見せず、美華子が口に出す。
「は?」
 突拍子もないその一言に、竜馬が思わず立ち止まった。既に日は落ち、美華子の顔ははっきりとは見えない。
「だって、かわいいじゃん。ああいうの好きなんだけど」
 さらりと美華子が言った。声のトーンから察するに、彼女はおかしなことを言ったとは思っていないようだ。
「そんな…み、美華子さん、まさか…お、男の子より女の子の方が好きな人とか…」
「ここの八百屋じゃない?」
 焦る竜馬のことを無視して、美華子が明かりのついた店の中に入った。小さな個人経営のスーパーのようだ。主に野菜を扱っているようで、冷蔵機の前には手書きの値札がたくさん貼られている。
「いらっしゃいませ」
 人のよさそうな年輩のおばさんが、竜馬と美華子を見て、営業スマイルを見せた。
「こちらで松茸を予約してた、錦原なんですが…」
 足下に置いてある箱を踏まないように気をつけながら、竜馬が話を切りだした。
「ああ。清香ちゃんところのね。こっち、取り分けておいたから、どうぞ」
 おばさんが、A4サイズより少し大きい程度の木箱を持ってきて、フタを開いた。中には、大小さまざまな大きさの松茸が、両手の指では数えられないほど入っている。
「すごいね」
 美華子が興味深そうに箱の中を覗き込む。ふわっと、松茸特有の香りが漂った。
「まるで料亭で宴会でもするときみたいな具合だな…」
 竜馬がフタを閉じた。箱を受け取ったおばさんが、それをビニールの袋に入れ、竜馬に渡す。
「じゃあ、ありがとう…」
 例を言って去ろうとした竜馬が、ちらりと奥を見ると、そこには大きな段ボール箱を持った老年のおじさんがいた。ふら、ふら、ふらと、今にも倒れそうな挙動で、店の方へ歩みを進める。
「お父さん!もう、体調を崩しているんだから、休んでてください!お店のことはあたしがしますから!」
 おばさんが慌てて男性の荷物を受け取った。受け取ったというよりは、奪い取ったという方が正しいだろうか。
「んにゃ…やらにゃあ、あかんだろう…荷物の受け取りにもいかんといけん…うぐぇほ!げほっ!」
 つらそうに咳をするおじさん。その姿を見た竜馬は、実家にいたときのことを思い出した。竜馬が幼い頃、彼の父が風邪を引いたときの話だ。
 その日は清香の誕生日だった。清香の誕生日ケーキを菓子屋に注文していたのだが、ちょうどそのとき母は手を離せない用事があったため、マスクをした父が車を運転して取りに行ったのだった。帰ってきた父の手には、大きなケーキの箱があった。
 しかし、そのまま倒れ込んでしまった父は、病院でインフルエンザだと診断され、ケーキを食べることが出来なかった。年末には実家に帰ろうと思っていたその心持ちと、目の前の男性の姿が重なり、竜馬は軽いホームシックのような感覚を受けた。
「大丈夫だと言ってるだろう!ったく、年寄り扱いしていけねえ」
 おじさんは箱を開き、中の野菜を陳列し始めた。
「明日の朝でもいいでしょう?ほら、お休みになってください」
「いーや、今日やらないといかん。お前だってろくすっぽ寝てないだろうに、これぐらい俺でも出来るわ」
「あたしはお父さんが心配で…」
 とうとう、おじさんとおばさんが言い争いを始めた。飼われている猫だろうか、真っ黒な猫が奥から出てきて、何事かと覗いた後にまた戻っていった。竜馬は今日の不運具合を思い出し、黒猫の姿にぞっとした。
「ああ、もう。見てらんない。手伝う」
 軽く怒ったように言い放ち、美華子が店の奥に入った。
「そんなわけにも…」
「こうしてぐだぐだしてんの見てる方がつらいから。これは?」
 置いてある商品を手に取る美華子。その顔は、少なからずいらついているようにも見えた。
「これは、そっちで…」
 おじさんが美華子に指示を下す。美華子は言われたとおり、品物を陳列しはじめた。竜馬も、それに続くように、手伝いを始める。
「すまないねえ。いつも清香ちゃんに助けられてるけど、弟さんと彼女さんまで助けてくれるとは思いもしなかったよ。ありがとう」
 おばさんがにこにこと微笑む。
「い、いや。世話んなりましたし…」
 竜馬が少し顔を赤らめる。美華子を彼女だと言われたのは、今回が初めてだ。美華子はそれに対して、何を言うわけでもなく、もくもくと仕事を続ける。
「こんなもんかな。すまねえなあ。せめて、礼をしないとな」
 大体の仕事が終わったところで、おじさんが腰を上げた。隅に置いてある段ボール箱を開く。
「あれ?おい、アレ、どこ行ったか知らねえか?」
 箱をごそごそと漁り、おじさんが顔をしかめる。
「アレって…ああ、もうなくなりましたよ」
「なにぃ?しまったな、この子らに持たせてやろうと思ったんだが…」
 おばさんの言葉に、おじさんががっくりと肩を落とす。
「アレってなんですか?」
 竜馬が額の汗を拭い、おばさんに問う。
「いえね。地球じゃ取れないはずの珍しい野菜があってね。大体秋ぐらいの季節に、ちょこっとだけ生える、向こうでもだいぶ価値のある野菜なのよ。それが、偶然こっちでも発見されたもんで、越後小屋さんっていうお店から下ろしてもらったんだけど…はてね、もうなくなったかね」
 おばさんが首を傾げる。
「ありゃ美味ぇからなあ。たぶん、越後小屋の方にはまだあるだろうから、分けてもらいにいくといい。あそこの親父とは知り合いなんだ。俺が今、電話で言っておくからよ。越後小屋の場所はわかるかい?」
「あ…はい。何度か行ったことあるんで」
 おじさんの言う言葉に、竜馬が応える。この越後小屋というのは、少々遠いところにある店で、食料品から酒、衣料品まで幅広く扱っている。この店には何度か行っている竜馬だが、こんなつながりがあるとは知らなかった。
「よしよし。じゃあ、もう向かうといいわ。ほい」
 置いておいた松茸の箱を、おばさんが竜馬に渡す。竜馬はそれを受け取り、美華子と一緒に外に出た。夜風は冷たく、どこか湿っぽい。
「あっちの大きい道を通って行けば早いな。川を越えるような感じだね…そうだ、姉貴にメールしとかないと」
 太い道に足を向けて、竜馬が携帯電話でメールを打ち始めた。しばらく、2人は何も言わずに歩く。
「そ、そういえばさ。さっきのおばさんに、カップルみたいに見られちゃったね。とんだ誤解だよね」
 竜馬が小さく笑った。
「とんだ誤解?」
 美華子が竜馬の方を向く。
「うん。ほら、そんな恋人付き合いなわけじゃないしさ。だから、間違われちゃったなーって。ははは…」
 だんだんと、竜馬の笑い声が小さくなる。美華子の視線は、まるで凍り付いたつららのような鋭さで、竜馬を射る。
「その話を出して、どうしたいの?」
「え?あ、いや。特に意味はないんだけど、勘違いされちゃったねって。仲良く見えたんだねっつか…」
「ふぅん…あ、そ」
 美華子がまた黙り込み、ずんずんと先に行く。竜馬はどうにも訳が分からなくなり、黙って後を追った。
『なんか怒らせちゃったかな…もしかして…』
 竜馬が美華子の横に並ぶ。
「あ、あのさ。俺と恋人同士だったって、そういう話が嫌だったんなら、謝るよ。そんなつもりじゃなくて…」
 言い訳を始める竜馬。口の中が乾き、上手く物が言えない。
「普通、嫌がってると思うなら、話をぶり返さないはずだけど。私は、錦原の方が、迷惑してるのかと思った」
 美華子が痛烈に言い放ったその言葉は、竜馬に強く突き刺さった。とうとう、何も言えなくなった竜馬は、とぼとぼと後を続く。
 ぽつ、ぽつと雨が降り始めた。暗い夜の空から降る雨は、アスファルトに当たり、小さな染みを作っていった。


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