「…ってわけでさ。歯が抜ける夢を見たのよね。なんか気持ち悪くて」
 学校に着き、朝のホームルームが始まる前、アリサは親しい友人数人に話を聞いていた。アリサの正面に座っている、キツネの耳に尻尾を持った、青銀髪ロングヘアーのハーフ少女は汐見恵理香。向かって右側に座っている、褐色の毛にショートパーマなシルバーブロンドの犬獣人少女は真優美・マスリ。左側には、夢の中にも出てきた、美華子が座っている。
 恵理香は、古風に考え物を話す少女で、副業で大衆演劇役者をしている。真優美は大食らいのわんこ娘で、アリサと同じく竜馬に想いを寄せている。美華子は銃の扱いが上手く、普段何を考えているかわからない。趣味もずれ、性格も不揃いなこの4人の女子高生は、何故だか気がよく合って仲良くしていた。
 ここ、天馬高等学校は、東京都の外れにある私立学校だ。望めば、近くにある天馬大学への編入もできる。アリサ達は1年生で、まだこの学校の勝手に慣れていなかった。ちょうど先週、体育祭があったばかりで、生徒達はまだ抜けきらない疲れに半ばぐったりとしながらも、毎日の授業を消化していた。
「確か…身内の不幸ではなかったか?歯が抜ける夢は身内の不幸の前兆だと聞くぞ」
 恵理香が顎に手を当てた。
「ああ、それ、あたしも聞いたことあります〜」
 真面目な顔で、真優美がそれに同調した。
「あー、そういえば…」
 昔の記憶を取り戻すアリサ。夢占いのウェブサイトには、親類縁者との離別、または親類縁者の不幸を意味するとあった。ただ、そのときにはそんな不吉な夢を見ることもないと思っていたし、軽く流していたのだ。
「ただ、心理学的なところでは、現在の自分に自信がない、という場合にもこういう夢を見るそうだ。この手の夢占いは多いぞ」
「例えば?」
「そうだな…病気になる夢は、他人に心配してもらいたいと言う心の現れだとか、蛇が出てくるのは運がいい証拠だとか。性行為は、欲求不満の現れだとかな」
 アリサのことを、恵理香がちらりと見る。
「…なによ、その目。誰が欲求不満なのよ。そもそも、私の行動は愛が主成分よ?」
 恵理香の目線に悪意を感じ取ったアリサは、顔をしかめた。
「愛、ね。プラスチックは燃えたらダイオキシンを出すが、アリサの愛は燃えると毒が出る。竜馬も燻されて、煙たくて仕方がないことだろうと…」
 べしぃん!
「あうっ!」
 モグラ叩きでもするかのごとく、アリサが恵理香の頭を叩いた。
「この狐女ー!私がダイオキシンなんか出すはずないでしょ!」
「えーい!竜馬はいつだって嫌がってるぞ!」
 もう一発叩こうとするアリサの手を、白刃取りのごとく恵理香が手を掴む。
「夢占いなんて迷信でしょ。そんな目くじら立てなくてもいいと思うけど。私が夢の中に出てきたっていうのもよくわからないし」
 美華子がぐったりと机に突っ伏してみせる。
「まあね。お父さんとかお母さんは問題ないと思うんだ。でも、不吉な夢には変わりないじゃない?」
 アリサが心配そうな顔をした。何の気なしに、手に持っていたテニスボールを放り投げる。すると、テニスボールは何度か跳ねた後、窓際にたてかけてあった箒にぶつかった。箒が倒れる。
 べしぃ
「いてっ」
 倒れた箒が当たったのは、竜馬だった。何が起こったのか飲み込めない様子で、いきなり倒れてきた箒を睨んでいた。
「…思うんだけどさ。災難に遭う近しい人って、竜馬じゃないかしら」
 アリサがぽつりとつぶやいた。
「なぜそう思う?」
 恵理香が不思議そうに聞いた。
「だって…思えば、朝から竜馬、ベッドから転げ落ちたり、朝の地震のせいで落ちてきた辞書が頭に当たったりってことがあって…今だって、箒が当たったでしょ?」
「今のは人災だろう。それに、なぜ朝のことをアリサが?」
「だって、一緒に寝てたもの」
 涼しい顔で言ったアリサだったが、それを聞いた恵理香が一瞬で顔を真っ赤にした。真優美も、尻尾をびしと立てて見せる。
「あら、顔が赤いわよ。どんな淫らなこと考えてるのかしら。くふふ」
 アリサが流し目で恵理香をちら見した。
「アリサはどうしようもないな…」
 恥ずかしくて仕方がない顔色の恵理香。太い狐尻尾がぱったんぱったんと揺れる。
「アリサさん、ずるいー!あたしだって、竜馬君とふかふかしながら寝たいもん!」
 アリサに食ってかかったのは真優美だった。常日頃から、真優美は引っ込み思案で、竜馬にアリサほど強くはアタック出来ていない。その焦燥感が、こうして形に出ているのだろう。
「あーら、だめよ。私の専売特許なんだから。悔しかったら奪ってごらんなさい?もっとも、へたれわんこの真優美ちゃんじゃあ、役不足でしょうけどねー」
 にやにやと笑い、真優美を挑発するアリサ。真優美の目に、だんだんと涙が溜まる。
「また始まった。アリサ、相変わらず意地が悪いね」
 呆れ顔で、美華子が携帯電話を開いた。
「意地悪じゃないわよ。好きな人相手には、愛という名のプレゼントを贈るのよ?」
 アリサが尻尾を振り、泣きべそをかく真優美を抱きしめた。アリサの手が真優美の頭を撫でる。
「プレゼント、ねえ。そのプレゼントが、竜馬に不幸をもたらさないといいけどね」
 黒板の近くに立っている竜馬を見ながら、美華子がぽつりとつぶやく。ちょうど竜馬は、落としてしまった黒板消しのせいで、チョークの粉がついて真っ白になってしまったところだった。


 3限になり、竜馬のクラス、1年2組はパソコンルームに移動した。この時間と次の4限は、パソコンを使って簡単な作業をする時間だ。パソコンの操作に慣れるのが目的となっているせいか、やっている内容はそれほど難しいものでもなく、いつも余裕が出来た中盤ごろから私語が始まっていた。担当の男性教員は既に慣れたもので、隅の教員用パソコンで自分の仕事をしている。
「竜馬、どうよ。課題終わったか?」
 パソコンを扱っている竜馬の横から、一人の人間少年が顔を見せる。背が高い角刈りで、体格がいい。彼の名は砂川修平。竜馬と仲がいい男子の一人だ。
「いや…今日は異様にパソコンが調子悪くて。なんか変なんだよ」
 カチカチ
 マウスを使い、画面上のアイコンをクリックする竜馬。何も起こらない。しばらく待っていると、いきなり画面が消え、目が痛くなるような青い画面と、白い英語の文章が現れた。
「え…と。初めてこの画面が出たときは再起動してください、そうでない場合は…なんだ、これ。英語わかんねえよ」
 竜馬が顔をしかめる。
「そうでない場合はサポートに電話してくれ、って出てるな」
 残りの文章を読む修平。迷わず、竜馬はパソコンをリセットした。
「あーあ。やってたのが、全部消えちゃったよ。これでもう3度目か…」
 竜馬が肩を落とす。画面には、パソコンが起動しようと頑張っているメッセージが流れはじめた。
「そんなことより竜馬。今晩、どうする?」
 修平がにやにやと笑う。
「今晩?なんかあったっけか」
 起動したパソコンにパスワードを入れながら、竜馬がぼんやりと考える。
「忘れてるな、お前。秋の食材を買いあさって、料理会するだろ?」
「あー、そうだったそうだった。忘れてたわ」
 苦笑する修平の言葉に、竜馬は記憶を取り戻した。ひょんなことからちょっとした金を手に入れた清香が、唐突な思いつきでこの企画を立てた。既に清香は大学の授業を切り上げ、一流の秋素材が揃うという幻の桃源郷へ足を向けているとのことだ。鯛や平目が舞い踊るような宴にはならないだろうが、それでも十分に楽しい食事会になるに違いない。
「まあ、任せろ。俺もあれから料理は上手くなった。十分に手伝えると思うぜ」
 幸せそうに笑う修平。彼は真優美ほどではないが、食べることが好きだ。きっと、いろいろと想像しているのだろう。
「帰るころには、姉貴が下ごしらえしていてくれるってさ。お前がそんな気を入れる必要はないぜ」
 竜馬が苦笑しながらパソコンをいじる。
「むう、そうか?まあ、美味い飯食えるならなんでもいいけどな。あ、家にメールしとかないと」
 いそいそと、修平が携帯を出した。それすらも、教師は注意しない。
「こういう企画もたまにはいいよな。毎日ってわけにもいかないけど」
 かたん
 竜馬がエンターキーを叩く。今度は、パソコンが止まることもなく、スムーズに動いている。
「毎日はダメか。俺から言わせてもらえば、毎日がイベントの繰り返しだね」
 空いているイスを取り、修平が座る。
「お前、ポジティブなのな。毎日イベントって言うが、人生そんな楽しいか?」
 参照するデータを開きながら、竜馬が言った。
「んー、楽しいイベントだけが起きるわけじゃないんだぜ?嫌なイベントだって、もちろん起きる。同じイベントでも、人によって嬉しさも変わる。そういう意味では、その日一日に、自分の好きなイベントがどれだけ起きたかによって、良い日や悪い日が決まるわけじゃん。それを決めるのが運だと俺は思ってる」
「運か。嫌いなイベントばかり起きるときには、運が悪いって判断していいのか?」
「そうとも限らん。それによって、その人物が成長するようなことがあれば、ある意味では運がいいってことになる。相対的な判断によって、いつでも運の良さは変わるのさ。そこに価値観が入ってくるならば、価値観をいい方向へ変えればいい。見方を変えるんだ。そうするだけで、天中殺がラッキーデイにだってなりえるんだぜ」
 ラッキーデイ、という言葉に力を入れ、修平が締めくくる。彼の理論展開には、それなりの説得力があった。もっとも運という一転に関しては、今の竜馬には、どんな説得力がある言葉だろうとあまり効果はなかったが。
「なんか、話がタイミングよすぎるな。お前、どうしてそんな話をしようと思ったんだ?」
「どうしてって…別に、どうしたわけでもないよ。どうした?」
「運要素の話で正に困っててだな…」
 竜馬は修平に愚痴り始めた。彼は今日、痛い目に遭うことや、嫌なことが起きることが多かった。朝も早くからアリサと一緒に寝ていたこと、痛い目に遭ったこと、宿題を忘れたこと、怪我をしたこと、本を閉じようとして手を挟んだこと、窓を開けた瞬間に鳥が飛び込んできてぶつかったことなど、今日起きた不運の限りをぶちまける。
「…で、今はパソコンが消えまくりだぜ。これは流石に、見方変えても…」
 がっくりとうなだれる竜馬。彼の周りに、負のオーラが漂っている。
「気にしすぎだよ。つーか、お前、注意力散漫なんだろ。そんだけ痛い目に遭ってるってことは、ぼーっとしてるんじゃないのか?」
 難しい顔で聞いていた修平が、簡潔に結論づける。
「正真正銘、紛れもなく平常通りだっつの。電車だって止まらねえよ」
 不機嫌に竜馬が返した。
「電車か…そういや、台風来るって話あるよな。あれってどうなるんだろうな」
 修平がするりと話題を変更した。携帯を開き、天気図を出す。大型の低気圧が、既に西日本にかかっている。これは、下手をすると東京を直撃するコースだ。
「台風ではないよ。ただの低気圧だ。今日は降らないって聞いた。たぶん大丈夫だろ」
「そうだな。明日は勤労感謝の日で休みだし、今日帰れたらそれで問題ないか」
 無愛想に返す竜馬の言葉に、修平が頷く。
「ともかく、今晩、楽しみにしてるぜ。じゃあ、また後でな」
 ばんっ
 修平が軽くモニターを叩き、その場を去った。その瞬間、画面は凍り付き、またもや青い画面が表示された。モニターが叩かれたことと、パソコンが凍り付いたことは全くの無関係なのだろうが、竜馬は修平に恨みの視線を一応送っておいた。


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