美華子の元にメールが来たのは、つい2分前のことだった。竜馬が無頼漢5人に追われているということを教えられ、彼女が頼まれたのは、「妹の迎えと退路の確保」だった。竜馬達が駅まで逃げる道が安全かどうか確認し、竜馬の妹を迎えに行く。そして、不良集団に気づかれない間に、電車で逃げる。天馬高校があるのは、ここから3駅分遠い街だ。逃げたことに気が付かせなければ、そう簡単には追って来られないだろう、というのが竜馬の言い分だった。
『地元でケンカ売られる方が怖い気がするけど』
美華子はあえて竜馬には何も言わなかった。物を言うのが面倒くさかったからだ。それに、竜馬は運がかなりいい。ここで逃げられれば、きっと戻ってからもなんとかしてしまうだろう。
今、美華子はKOコーポレーションのビル前で、竜馬の妹を待っていた。一人だけ小さな子が制服で出てくるから、という竜馬の言葉を信じて、待つこと5分。せっかちな美華子は、既に飽き始めていた。
「ふう…」
何度目かわからないため息をつく美華子。彼女の手には、冷めかけたコーヒーのボトルが握られていた。
ドアの開く音に、美華子が顔を上げる。ビルから多数の人間が外へ出始めているところが見えた。スーツを着て、ネクタイを締めた大人ばかりだ。その中に、一人だけ背の低い女の子の姿が見える。目鼻立ちが、どことなく清香に似ているところを見ると、竜馬の妹に違いない。
「ねえ」
人混みの中に入り込み、美華子が声をかけた。百合子が、いぶかしげな顔で美華子を見つめる。
「錦原に言われて、あんたを迎えに来たんだけど」
美華子が言葉を続けた。最初は、何のことだかわからないと言った顔をしていた百合子だったが、竜馬の知り合いなのだということを理解したらしい。
「…ああ!竜馬の?」
「うん」
「そっかー。もう聞いてると思うけど、錦原百合子って言います。よろしく」
相変わらず無表情の美華子にも、人なつっこい笑顔を見せる百合子。彼女は人見知りをしない性格らしい。
「それで、竜馬はどこに?アリサさんと行っちゃった?」
美華子と一緒に、百合子が歩き出した。
「アリサといるにはいるけど…」
「そっかー。昨日、アリサさんに教えてあげたんさ。竜馬と仲良くするために、いろいろと小ネタを、ね。アリサさんって、竜馬の彼女なんでしょ?」
百合子が笑みを見せる。
「彼女じゃないよ。アリサが勝手に彼女やってる感はあるけど」
いつもの2人を思い出す美華子。一方的に押し掛け、すりよるアリサを、竜馬が押しやり、蹴り返す。そんなやりとりがいつも成されているところを眺めていると、2人が彼氏彼女には思えない。
「え、ほんとに?竜馬、なんだかんだ言って、嬉しそうだったから、本当に付き合ってるものだと思ってさ」
百合子が大仰に驚いた。
「ともかく。今、錦原、ちょっとヤバめだから…」
美華子が百合子の話を打ち切り、竜馬の状況を話す。美華子も理解していない部分が数カ所あったが、その部分はぼかしを入れた。
「…あー。要領悪いからね、竜馬。仕方ない。もうちょっと遊んで行きたかったけど、そういうことなら帰ろうか。竜馬はどこに?」
「さあ。どっかにいるんだろうけど…」
何の気無しに顔を上げた美華子は、走って逃げてくる竜馬の姿を見た。アリサ、祐太朗、そしてキツネコブラも見える。
「あ…み、美華子…はぁ、はぁ、ふぅぅ…」
アリサが立ち止まり、大きく息をつく。
「あー、結局見つかったんでしょ。ま、無理だと思ってたけど」
ふふん、と鼻で笑う美華子。その馬鹿にしたような態度に、今まで精神的に追いつめられていたアリサが切れた。
「人ごとじゃないでしょ、美華子!あんたはいつもそうなんだからー!このー!」
美華子の首元を掴むアリサ。しかし、そんなことをしている暇はなかった。竜馬達の所在を見つけた街中の不良が、後ろから追ってくる。
「と、ともかく、逃げんと!」
合流し、5人と1匹になった集団は、取る物も取りあえず走り出した。
「錦原って、何でいつもこうなるんだろうね」
「知らないよ!」
無表情で走る美華子に、竜馬が大声を上げる。歩道橋を昇った一行は、向かい側から別の不良が来るのを見た。
「やばい、どうする!」
昇りきったところで、竜馬が立ち止まった。
「これは困ったね。もういっそ、ごめんした方が早いんじゃ…」
祐太朗が人ごとのようにつぶやいた。キツネコブラががたがた震えている。
「グ、グオーン!」
キツネコブラが泣き始めた。錯乱したキツネコブラは、歩道橋のヘリに手をかけ、飛び降りた。
「あ!」
5人が下の道路を覗き込む。そこから走り去るのは1台のトラック。トラックの荷台の上に、キツネコブラが大の字になってへばりついている。キツネコブラを乗せたトラックは、すぐにどこかへ曲がって行ってしまった。
「…驚き」
美華子が寸感を述べる。竜馬もこれについて思ったことを言おうとしたが、その暇もなく、歩道橋の両側に、合計6人の不良が昇ってきた。
「調子乗りやがって!」
「ぶっ殺すぞ!」
不良が口々に物騒な言葉を吐く。
「な、なんさ!やめてよ!」
百合子が竜馬にぎゅっと抱きついた。口では強がりを言っていても、本当は怖いのだろう。体がかたかた震えている。
「ふん」
ポケットから、何か筒状の物を出す美華子。それを右手に持ち、左手には何か銃のようなものを取り出した。その銃に、アリサと竜馬は見覚えがあった。
「あ、それって…」
アリサが顔を青くする。昨日、真優美が製作したレーザーガンだ。美華子はアリサの顔を見ず、筒状の物を真上に高く放り投げると、銃でそれを撃った。
ズパァァァァン!
一瞬、間をおいて、筒状の何かが爆発した。赤や青、黄色の、よくわからない色をした光が空中に飛び散る。
「うわあ!」
竜馬は驚いてしゃがみ込んだ。顔だけ上げると、無表情の美華子とアリサが見える。
「くふふ。たったそれだけの人数で私たちを手込めに出来ると思ってる?本気?」
アリサが片手を上げる。美華子とアリサが目配せをした。どうやら、今の爆発を上手く利用して、アリサがお得意のリップサービスで煙に巻こうとしているようだ。
「さっきの、見たわよね。私にとって、人間なんて軽い荷物の一つでしかないのよ。その気になれば、あなた達をまとめて投げ飛ばしてもいいわよ。こんな風に」
ぐいっ
美華子の足を掴み、アリサが持ち上げる。ちょうど、アリサの肩に美華子が座る形だ。ゆるゆると立ち上がった竜馬は、目線の位置でスカートがめくれたせいで、美華子の青色ショーツが目に映り、恥ずかしくなった。
「やる気ならかかってきなさいな。潰れたトマトみたいにしてあげる。誰を呼ぼうが、勝ち目なんか…」
「そこの君たち!今の爆発はなんだ!」
アリサの言葉を、野太い男の声がうち切った。今、アリサ達が昇ってきた方の階段から、青い制服を着た警察官が2人、顔を見せている。
「今のはこいつらがやったんっす!俺らじゃねえよ!」
不良が美華子を指さした。
「ちょっと聞くことがある。全員、交番に来てもらおうか。おい」
「ああ」
警察官2人が、ゆっくりと近づいてくる。このままでは、爆弾テロの犯人として掴まってしまうことだろうと考え、竜馬は青くなった。
「やべっ!」
「わー!」
不良が蜘蛛の子を散らすように去る。竜馬達も、機を逃さず逃げ出した。
「こら、待ちなさい!待たんか!」
バラバラに散る人間を追いかけるより、ひとかたまりに逃げる人間を追う方が簡単なようだ。竜馬達5人の後を、警察官の片割れが追いかけてくる。警察官より高校生の方が若いし体力もある。持ち前の速力で、少しずつ距離は離しているが、それでも安心は出来ない。
「あーもう!なんでこうなるのさ!竜馬、囮になってよ!」
「出来るか!」
百合子が竜馬を罵倒しながら頑張って走る。だが、彼女だけ歩幅も体力も違うせいか、だんだんと息があがってきた。
「も、だめ…」
がくっ
百合子の足がもつれる。その足を掴むように、祐太朗が持ち上げ、お姫様だっこの格好で百合子を抱き上げた。
「わっ!」
「首に掴まっていておくれ。少し揺れるが、我慢してほしい」
さも当然といった顔で、祐太朗が走る。その顔に、幼い少女の顔が紅色に染まった。
「あ、赤!」
アリサが素っ頓狂な声をあげた。走る先にある、小道との交差点の信号が赤になっている。どうやら、歩行者用の信号のボタンを押したらしく、当分変わる様子がない。まっすぐ進む先、約500メートルの所に駅が見えるのに、このままでは止められてしまう。
「んんんんー!」
走りを加速させるアリサ。目の前に一台の乗用車が出て、右折の確認をしている。
「あ、アリサぁ!」
このままではぶつかると、竜馬が目を閉じた。
「はいぃっ!」
アリサの片手が、乗用車の屋根を掴んだ。そして、もう片方の手を無理矢理に奥に置き、足で地面を蹴って跳躍した。まるで側転のような形で、アリサが乗用車を乗り越える。対向車線を走る車に右足、左足と乗せていき、アリサはいとも簡単に信号を渡り終えた。
「無茶な…」
竜馬が立ち止まっている間に、美華子と祐太朗が突っ込む。
「よ、っと」
美華子が銃を口にくわえ、次に来た乗用車の屋根に両手を置き、不格好ながらも跳び箱のように飛んで信号を渡る。数週間前、彼女は己の筋力不足で、辛い思いをするはめになった。そのときから、こっそりと筋力トレーニングをするようになったことを、竜馬は知っている。そして、その成果で、なぜか胸が少し大きくなったことも。
「行くよ、しっかり掴まってておくれ!」
次の祐太朗は、ちょうど通りがかった軽トラックの、空の荷台に飛び込む。走る車の振動に足を取られた祐太朗だったが、すぐに体勢を立て直すと、そこから幅跳びをするように飛び降りて渡りきった。
「竜馬、早く!」
「え?あ、ああ」
アリサに呼ばれた竜馬が、なんとか渡ろうとはしてみるが、車を飛び越える力もすり抜ける力も持たない竜馬は立ち往生してしまった。
「どどどど、どうしろってんだよ!」
竜馬があやふたしている間に、警察官がぐんぐんと距離を縮める。
「しょうがないね、まったく」
レーザーガンを抜く美華子。銃口の先に、信号待ちのトラックが見える。幌がロープで固定されている小さめのトラックで、何かが荷台に乗っているようだ。
「ちょ、美華子さん!やめ…」
ヴィー!
止める間もなく、美華子のレーザーガンが火を噴いた。トラックの幌を固定しているロープが見る見るうちに真っ赤になる。3つ数えない間に、ロープには火がつき、ちぎれてしまった。風で煽られた幌がどこかへ飛び去る。
「にゃあ!」
「んにゃああああ!」
「にぃぃぃぃぃ!」
乗っていたのは、ケージに入った色とりどりの猫だった。炎、そして飛び去る幌。突然のことに驚かされた猫たちは、ケージの中でめちゃめちゃに暴れる。運命の偶然か、ケージの鍵は壊れていた。
ばんっ!
開いた扉から、猫がどんどん外へ逃げ出した。交差点を渡る車が猫を避けようと、急ブレーキを踏む。
「うわー!」
どーん!
追突事故だ。まるでビリヤードの玉のように、どんどん車がぶつかっていく。そんなことお構いなしに、猫が縦横無尽に走り回る。平和だった街は、一転して混沌の支配する猫地獄と化した。
「うわ、うわ!応援を…いや、救急を…がー!」
猫を避けながら、警察官が右往左往する。その隙に、竜馬は横断歩道を渡った。再び揃った5人が、駅めがけて走る。ホームには電車が止まっているのがちらりと見えた。
『中央ライン、高尾行きが…』
アナウンスが流れている。迷う暇はなかった。ポケットから出したICカードを、それぞれが改札口に当てる。祐太朗に抱かれていた百合子が、ひらりと降りて改札を通る。電車の閉まりそうなドアに、5人それぞれが転がるように入ったその刹那、電車のドアが音を立てて閉まった。
「はっ、はっ、はっ」
「ふぅぅぅ…」
各々が深く息を吸う。電車がゆっくりと動きだし、レールの上を走り始めた。街を無茶苦茶にしてしまった罪悪感を感じながら、竜馬が息を吐く。線路沿いの道を、救急車と警官車両が駆け抜けていった。
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