「はぁ、はぁ、ふぅぅぅ…ここまで来れば…」
 狭い路地から竜馬が通りを見る。路地は幅2メートルもない小さな道で、隣の雑貨屋の物らしいコンテナが数台置いてある。おかげで、外から中を覗こうという気にはならない。両サイドのビルには非常階段も付いており、退路も十分に確保されていた。
「ホント、困ったわねえ。ケンカなんて私のガラじゃないのよね」
「グオウ…キュウーン…」
 アリサとキツネコブラが、顔をつきあわして愚痴を言っている。
「あのなー!お前らがあそこで騒ぎを大きくするからだろうが!」
 竜馬が一人と一匹を怒鳴りつけた。
「だって、腹立つじゃない。きっと他の人たちにも似たようなことしたわよ、あいつら」
 面白くなさそうな顔で、アリサがキツネコブラの背を撫でる。
「まあ…僕たちが制裁を加える必要などないのかも知れないけどね。何か事件が起きれば、誰かしらが同じことをしただろうよ」
 通りを、祐太朗がちらりと見た。不良集団はここを見つけていないようで、まだ姿は見えない。
「あー、くそっ…こういうとき、修平がいれば、アイディアが出るんだけど…」
 竜馬が地べたに座り込む。
「修平が?」
「ああ。あいつ、案外頭いいよ。俺、こないだ感心することがあって…あっ」
 竜馬が言葉を切り、口を塞いだ。路地の外に、先ほど見た不良と、また別の不良の姿が見える。
「いねえな。あいつら、竜馬とかアリサとか言ってたけど…」
 不良がぼそりと言う。竜馬とアリサは顔を見合わせた。あの場で、名前を呼び合っていたか、2人とも記憶になかった。
「竜馬って、錦原?三木下を殴ったやつじゃねえか」
 三木下という名前に、竜馬がびくりと反応した。以前、美華子の彼氏だった男だ。美華子に対して勝手な理由で復縁を迫った彼と、竜馬がケンカをしたことがある。もっとも、そのときのケンカは、竜馬が負傷したところを、偶然現れた清香に持っていかれた形になってしまったが。
「お前あっち行け、俺こっち行く。見つけたらメールな。OK?」
「わかった」
 2人の不良が路地前から姿を消した。竜馬は落ち着いて息を吐いた。
「さっき見ない顔だな…つーことは、人数が増えてるよ。どうすりゃいいんだよ…ほんとに…」
 竜馬が顔を手で覆い、壁に背を預けた。
「簡単よ。竜馬が私を好きになってくれればいいのよ」
 ぎゅううう
 アリサが竜馬に強く抱きついた。
「…それで、問題が解決するのか?」
「しないわよ」
 聞くだけ無駄、という竜馬の事前予想は当たったようだ。げんなりした様相の竜馬に、アリサが元気いっぱいに答えた。
「アリサ…」
 怒ったような悲しんだような声で、竜馬がその名を呼んだ。
「な、何よぅ…」
 また何か、怒られるのではないかと、アリサが身を固くする。しかし、意に反して、竜馬はアリサの頭をなで始めた。
「お前、暖かいなあ。毛皮のおかげか」
「え?ど、どうしたのよ」
 哀れむような顔で頭を撫で続ける竜馬に、アリサが違和感を見せる。
「もうなんだか、嫌んなった。俺、どうせどこ行っても争いに巻き込まれるしよ。風が寒いしよ。ダメだ、もう。あー、アリサは暖かいな。お前、そんなかわいい顔してんのに、なんでそんな嫌な性格なんだ?うざいし、憎たらしいし…」
 竜馬がアリサの顔を見据えて、ぶつぶつとつぶやくように言った。
「見たところ、錯乱に近いな」
 祐太朗が竜馬の顔を覗き込む。
「どうしてよ?」
「よく見るんだ。目に光がない」
「え?…あ、本当だ」
 竜馬の目は、光を宿していない。とてもうつろに見えた。
「まずは、竜馬君の妹さんが就職説明会を終えるまで待つ必要があるな。そうしたら、みんなでこっそりとどこかへ逃げてしまおう。それで…」
 パラパパパー
「うわあ!」
「グォウ!」
 突然鳴り響いた電子音に、竜馬とキツネコブラが叫び声をあげた。竜馬のポケットで、何かが振動している。携帯電話だ。
「お、おどかすなよ…ったく」
 携帯電話のサイドボタンを押し、音を止める竜馬。メールが届いている。メールを見る前に、竜馬はもう一度メールが来てもいいように、携帯電話をマナーモードにした。
『From:松葉美華子 今送ったGPSの辺りにいるんだけど何か買い物とかあるなら受けるよ』
 メールは美華子からだった。短い本文の他に、添付されているファイルにGPS情報が乗っている。
「あれ、ここって、今私たちがいるところの近くね」
 アリサが竜馬の携帯を覗き込む。
「…アリサ。KOコーポの会社説明会、いつ頃終わる?」
 竜馬が携帯電話を握りしめたまま、アリサに問いかけた。
「え?もう12時近いから、あと30分くらいかな」
 アリサが時計を見る。
「ここは美華子さんに協力してもらってだな…」
 竜馬の目に光が戻った。彼の頭には、逃げる方法は1つしかなかった。急いで美華子への返信を打ち始める。
「一体どうしようって言うんだい?」
「まあ、任せておけよ…」
 怪訝な顔をする祐太朗に、竜馬が気の入っていない返事を返す。竜馬が最後にボタンを押すと、携帯電話の画面に、メールを送信したことを意味するメッセージが表示された。
「竜馬、何をたくらんでるか知らないけど、それで私たち、大丈夫なのね?」
 アリサがじとりと竜馬を見つめる。キツネコブラも不安なようで、耳を伏せてしょんぼり顔でアスファルトにあぐらをかいている。
「後は待つだけでいいんだよ。安全な逃げ道の確保を美華子さんにお願いしたから…」
「いた!」
「…え?」
 素っ頓狂な声が、竜馬の言葉を遮った。道路の方へ目を移すと、息を切らした不良が1人立っている。
「ああ、待ってればいいんだ。へー」
 アリサが非難の入り交じった口調で言った。不良が仲間に連絡を取ろうと携帯電話を出す。一瞬、時は止まった。
「に、逃げろ!わああ!」
 竜馬が走り出すのにあわせて、アリサと祐太朗、そしてキツネコブラも後を追った。追っ手を呼ばれないよう、不良の手元から携帯電話を叩き落として行くことも忘れない。足を必死に動かしながら、竜馬が考えていたのは、この世の理不尽さだった。


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