会社説明会を、一番前の席で聞いているのは、百合子だ。今は、会社説明の概要が終わり、何をしている会社なのかを司会が話し始めている。大型スクリーンに映し出されるプレゼンテーション画面を、百合子はぼうっと見つめていた。
『アリサさん、どうしてるかな』
 百合子がぼんやりと考える。昨日夜、百合子がアリサに吹き込んだのは、竜馬に対する接し方だった。長い間竜馬と家族をしていた百合子だ。彼のことをよく知らないと言えば嘘になる。
 百合子はアリサが気に入っていた。気が合う女性として、仲良くしていきたいと思っていた。それだけに、竜馬と仲良くしてほしいとも思っていた。2人の仲を強力にプッシュすれば、きっと2人のためになるとも考えていた。
『上手く行くといいんだけど…でも、相手はあの竜馬だし…どうなるやら…』
 スクリーンに映し出された文字を、機械的にノートに取りながら、百合子が沈思した。


「…で、その女性は僕を食事に誘ってくれたんだけどね、僕は断らざるを得なかったんだよ。仕方ない話だろう?」
「まあ、な。その前に、そんだけ食べてりゃなあ。それも、3人の女の子から奢られるなんて…」
「うん。その子で4人目だね。さすがに遠慮せざるを得ない。でも、意固地になった彼女を説得するのは、南極の氷を掘るより難しく…」
 竜馬と祐太朗が、大きな声で話をしている。竜馬、祐太朗、そしてアリサの3人は、大きな道沿いにあるファミリーレストランに来ていた。店内は明るく、多くの客でにぎわっている。いつの間にか、ドリンクバーで時間を潰すような空気になってしまった3人は、何をするでもなくおしゃべりを続けていた。
「そろそろ、ポシェットの修理にいかないと。だいぶ長い間、ここにいたもの」
 飲んでいたコーヒーのカップを置き、アリサが言った。アリサに言われて、竜馬はカバン屋に行くという用事を思い出した。修理に出しに行かないと、百合子が見学を終えて出てきてしまう。そうなると、彼女を待たせることになり、非効率的だ。
「よし、じゃあ行くか。いつまでもぐだぐだしてるわけにもいかないもんな」
 カウンターに向かい、支払いを済ませた3人は店を出た。太陽がゆっくりゆっくりと昇っているのがわかる。もう少しで、南中するだろう。
「あのポシェット、大事なもののようだね。いつから使っているんだい?」
 祐太朗が自分の顔を軽く撫でた。
「昔からずっと使ってるのよ。竜馬は知ってると思うけどね」
 アリサが大きく伸びをした。冷たい風は吹いているが、空は明るく、日が射しているので、それほど寒さも感じない。
「どうして俺が知ってるんだよ?聞いた覚えないけど…」
 不思議そうな顔で、竜馬が問いただす。
「覚えてないの?あれは、竜馬が誕生日プレゼントでくれたのよ?」
 アリサが含み笑いをして見せる。
「あれー?そうだっけ?猫のハンカチなら覚えてるけど…」
 ゆっくりと記憶を辿る竜馬。彼の記憶にあるのは、アリサの誕生日に猫のキャラクターがプリントされたハンカチを贈ったということだけだった。
「その1年前よ。幼稚園のころ。お小遣い貯めて買ったって言ってたでしょ?嬉しかったなあ。竜馬の誕生日には、私はクレヨンセットを贈ったのよね」
「あー、それか」
 アリサがくふふと笑い、竜馬は思いだした。確かに彼は、ポシェットをアリサに贈ったことがある。それは幼稚園の年長の時。竜馬は、アリサがそんなに物持ちがいいとは、全く思っていなかった。
「なるほど。そのころから、アリサさんは竜馬君を?」
 対抗意識が燃えているようだ。祐太朗の目がきらりと光る。
「そうよ。正直、あんたなんかお呼びじゃないのよね。私と竜馬の仲は、並大抵の深さじゃないんだから」
 アリサがつんとそっぽを向いた。
「竜馬君。どうやら僕たちは、戦う運命にあるようだよ。わかるかい?」
 敵愾心を燃やす祐太朗は、竜馬に向かって挑発するように手を振った。
「いや、争わないでもいいよ。ほら、欲しいんならやるよ」
 アリサの首根っこを掴んだ竜馬は、それを祐太朗の方へ押しやった。
「何よー!私は嫌なのよー!竜馬が一番いいのー!」
 アリサが竜馬の腕をふりほどき、竜馬に抱きついた。
「ほら見ろ。女性を物扱いしている点でもいただけないが、そんなことをされても嬉しくはないな」
 やれやれ、と言いたそうな顔で、祐太朗が頭を振った。
「よし、アリサ。今ならチャンスだぞ。お前が祐太朗と恋人付き合いをする、と言えば、俺はお前が望むだけキスしてやる」
 アリサの両肩を掴み、竜馬が真面目な顔で言った。
「き、キス…?ほんと?」
 アリサが急にしおらしくなった。きっと、毛の下では赤面していることだろう。
「そうだ。さあ、言ってくるんだ」
 竜馬がアリサの背中を押した。アリサはしばらくもじもじしていたが、そのうちはっとした顔をした。
「…それって、おかしくない?要するに、私に祐太朗の彼女になれってこと?」
 くるりとアリサが振り返る。
「その通り。俺はお前なんか好きでもなんでもないし…」
 がぶぅぅぅ!
「あだー!」
 アリサが竜馬の腕に噛みついた。
「こいつー!ひっどい目に遭わせてあげるんだから!」
 アリサが何度も噛みつく。竜馬と祐太朗は、大慌てでアリサを押さえ込む。
「えーい、お前が祐太朗の彼女になれば話はみんな丸く収まるんだよ!」
「バカバカ!やーよ、そんなの!」
「アリサさん、なんでそんなに僕を嫌うんだ!あいた!噛みつかないでおくれ!」
 道行く人が、何事かとこの集団に目を向けた。竜馬がしばらくアリサを押さえ込んでいると、アリサはゆっくりとおとなしくなった。竜馬に抱かれているというシチュエーションに酔っているようにも見える。
「大体…」
 説教を始めようとした竜馬は、目線の先に見慣れた動物がいることに気づいた。キツネコブラだ。彼は今日もまた、土木工事の仕事をしていたらしい。ヘルメットをかぶったまま、路上のベンチに座り、お気に入りのカップラーメンを食べているところだった。
「ああ、あれは天馬祭に来ていた彼だね。そうか、本当にカップラーメンを食べるのか」
 祐太朗が興味深そうにキツネコブラを観察した。
「おい、変なのがいるぜ」
 キツネコブラの周りに、いかにも不良といった様相の青年が、5人集まっている。
「なんだこいつ、こんなもん食ってやがる」
「ぎゃははは」
 キツネコブラは、不良からにじみ出る敵意に気づいたらしく、少しおどおどし始めた。体は大きいのに気は小さい。それがキツネコブラだ。だんだん、不良のからかいが、エスカレートし始めた。
「なんでやり返さないのかな、あの子…あんなに図体が大きいのに」
 だいぶ怒っているようだ。アリサが不機嫌な顔で、不良集団を睨んでいる。
「お、っと」
 ばしゃ
 それは、偶然だったのだろう。不良の手が、キツネコブラの持つカップラーメンをひっくり返してしまった。キツネコブラの毛に、カップラーメンのスープがかかる。
「…」
 すっく、とキツネコブラが立ち上がった。無表情で、何も言わず。
 べしぃん!
「うあ!?」
 キツネコブラは、ノーモーションで腕を振り、不良を殴り飛ばした。殴られた不良は、1メートルほど吹っ飛んだ。
「グルルルルル…」
 凶悪な顔で唸るキツネコブラ。周りにいた不良がたじろいだ。
『やばい…あいつ、このままじゃ殺人しかねん!』
 そう思った竜馬は石畳を蹴り、キツネコブラに抱きついた。
「おいおいおい、お前やめとけ!人間社会で生きるにはそれなりの法ってもんが…」
「お前、誰だよ!」
「あ?」
 キツネコブラを押さえ込む竜馬を、不良の一人が怒鳴りつけた。
「なんだ、てめえらもグルか!仲間が怪我しちまったじゃねえか!どうしてくれんだよ!」
 アリサと祐太朗の周りにも、不良が壁を作る。
「うーん、困ったね。端から見る限りは、君らの方がそこの動物に因縁を付けているようにも見えたけど…」
 祐太朗がクールな顔で言ったそのとき、彼はいきなり胸ぐらを掴まれた。
「君、何様?俺ら、怪我してんすけど。何調子くれちゃってんの?」
 祐太朗に向かって拳を握る不良を見て、アリサがびくっと体を震わせた。少しの間、呆然としていたアリサだったが、そのうち泣き始めた。
「ひぐ…えぐ…なんでそんな…私たち、悪くない…あ、あんた達が、あの子虐めるから…」
 涙をぽろぽろこぼし、アリサが悔しそうに言い返す。その姿に、竜馬は口をあんぐりと開けた。いつも強気、相手が総理大臣だろうと言い負かすアリサが、この日に限って泣いていることに、違和感を感じる。不良はその涙を見て、毒気を抜かれたのか、祐太朗を離した。
「泣けば許されると思いってないよね?治療費頼むわ。いくら物知らないでも、ただで済むとは思わないよね?」
 下卑た笑いで、リーダー格の一人がアリサに近づく。
「あの…あの、き、聞いて…私…私…」
 アリサが両手で、涙を拭う。何事かと不良が顔を近づけた。
 がしっ
「せいっ!」
 ぐぉん!
 電光石火とはこのことだろうか。アリサはリーダーの頭を掴むと、力の限りに地面に叩きつけた。まるで、石と石がぶつかったかのような音が鳴る。
「彼氏はそっち。これはお荷物よ。無礼なお子ちゃま達ね。その皮剥いで、新宿駅西口にぶら下げてあげようか?」
 アリサがくすくすと笑った。涙が止まっている。先ほどまでとは、明らかに空気の違う、サディストな犬娘がそこにいた。
「やる気かぁ!」
 一人がアリサに向かって殴りかかった。横にひょいと避けたアリサは、その腕を掴み、下に引っ張った。足をかけることも忘れない。哀れな不良は、まるでつぶれたカエルか何かのように、地面に突っ伏した。
「お間抜けさん。あの子に最初にケンカを売ったのはあなた達。それで怒らせて殴られたのよ。制止しようとしただけの彼に絡むのは筋違いね。わかる?」
 アリサは悪魔のように微笑んだ。道理を説いている、というよりは、ケンカをしたがってるようにしか見えない。
「バカ、アリサ!無駄な争いはやめんか!」
 竜馬がアリサを制止した。後ろから前に腕を回し、動けないように締め上げる。
「おっぱいなんか触って、竜馬ったら本当にスケベなんだから。じゃあどうするのよ。ケンカしないでどうしろと?」
 冗談を言うアリサだが、目は笑っていない。冷たい、まるで氷河のような色をしている。
「こういうときは逃げるのが先決だろうがー!西田、キツネ、お前らついてこい!」
 ばっ!
 アリサを抱えたまま、竜馬は走り出した。祐太朗とキツネコブラが、訳も分からないまま後を追いかける。
「…あ!てめえら、待て!逃がさねえよ!」
 不良達は呆気にとられてその後ろ姿を見送ったが、すぐに気が付いて、後を追い始めた。


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