あなたは運命という概念を信じるだろうか。運命論とは、何か人間の理解を超えた者が、人間の生きる道全てを決めているという考えのことである。人間の行動によって未来が決まるのか、それともあらかじめ決められた道を人間がたどっているのか。それを知ることが出来る人間は、きっといない。しかし、修平は今だけは、運命というものを信じていたかった。
「…要するに、何が言いたいかってと、俺が決めることは出来ないから、運命に任せたいんだよ。清香さんも好きだし、コイレさんと恋仲になりたくもある。わかるか?」
 放課後の教室で、修平が愚痴を言っている相手は、爬虫人の少年、マグスァだ。同じクラスで、彼と少しは話すこともある修平は、コイレと同じ爬虫人の意見を聞いて参考にしたかった。教室にはまだちらほらと人がいるが、そのうちみんな、部活動に行ったり帰宅したりで、誰もいなくなることだろう。
「しかしな、俺だって女心がわかるわけじゃねえしな。俺も彼女いるけど、マジでわがままだべ。言うことがさっぱりわからん」
 マグスァが腕を組み、考え込む。
「確かになあ…うん」
 修平は大きく頷いた。彼の脳裏に、美華子の顔が映る。
 つい先ほど、彼は「美華子とコイレが戦った」という話を、竜馬から聞いていた。何があったかわからないが、美華子は異様に竜馬にくっついていた。抱きついて、頬ずりするほどに。その様は恋人同士のようにも見えた。普段の美華子はクールで、何を考えているかわからない。だが、今の美華子はクールではなくなったが、さらに何を考えているかわからなくなっていた。そして、美華子だけでなく、女性一般に対して「何を考えているかわからない」というイメージがついてしまっていた。
「そもそも、バトルジャンキーって何よ?今の時代にそんなのいるの?」
 呆れ顔で背もたれに背を預けるマグスァ。彼自身、血の気は多いが、意味もなく人と戦おうとはしない。
「ああ、いるんだ。俺だって、コイレさんがそういう人だって知らなかった」
 修平が困り切った顔で答える。
「どうもなー、痛い目に遭わせたいってわけじゃなくて、力の優劣をつけたい感じらしいんだよ。そんな人が、なんで俺に惚れたんだろうなあ…うーん…」
 修平が机に突っ伏して、唸り始める。
「なんで好きになったか、理由は聞かず終いなんだろ?」
 マグスァがイスに座り直し、尻尾を振った。夕日が教室の中に射し込み、教室の中が赤く染まる。
「ああ、まあ、な。俺、自分が女性に好かれるだけの価値がある男だと思ってないしなあ…彼女は欲しいが。やっぱさ、アリサちゃんみたいな子がいいよな」
 修平がにんまりと微笑む。竜馬に抱きつくアリサの図を、修平は思い出していた。アリサは見た目がまずかわいい。そして、性格的にも、とてもかわいらしい。竜馬がされて嫌がってることも、修平はお茶目で済ませられる自信があった。
「だよな。なんであいつあんな嫌がってんだろ?わけわかんねえ」
「ん。うらやましいよなあ…」
 2人が、唸りながら悩み始める。人間は、互いに理解できる部分と、そうでない部分が混在した生き物だ。だからこそ面白くもあるのだが、竜馬がアリサをそれだけ嫌悪する理由が、修平にはまだ理解できなかった。
「まあ、仕方ないわ。お前なりに、どうするか考えてみればいいじゃん。さて、と。俺は彼女待たせてるから、もう行くわ」
 マグスァがカバンを持ち、その場を去った。残された修平は、ポケットから複数の紙を取り出した。コイレとやりとりした、弁当アンケートだ。これを読む限りは、コイレはバトルジャンキーの片鱗すら見せていない。むしろ、他人に優しいお姉さんと言った印象を受ける。
「押しも強いんだよなあ…あれ、性格なのかな…」
 修平がはあとため息をついた。たしかに、コイレはそれなりにかわいい。しかし、清香を想いながら他の女性に手を出すというのは、修平の性格上、上手く行かないだろう。それに、そんなことをしたいとも想っていない。
「あー、ようやく掃除が終わったわ…あれ、修平。あんた、まだ帰ってなかったの?」
 教室前方の入り口から、アリサが顔を見せた。彼女は今週、理科室の掃除当番だったせいで、帰りが遅くなっていた。
「ああ、うん。ちょっとね。アリサちゃんはこれから帰り?」
 修平が、アンケート用紙をポケットにしまった。
「そうよ。帰りに、竜馬の家に遊びに行くつもり。借りてたディスクも返したいしねー」
 手に持ったビデオディスクを、アリサがひらひらと振ってみせた。アリサはとても幸せそうだ。竜馬に惚れている彼女は、何かと理由を付けて、竜馬の家に遊びに行きたがる。そして、また何かと理由を付けて、泊まって行きたがる。4月に入学してから、1月に数度、アリサが隙を見つけては、竜馬のベッドで一緒に寝るという行為を繰り返していた。それに対して竜馬は、部屋の鍵をかけたりと警戒するのだが、姉である清香がもう2人の仲を承認してしまっているので、あまり意味はなかった。
「んー、そうか。ちょっと相談に乗って欲しかったんだけどな」
 イスの背もたれによりかかり、修平が言った。
「何?付き合ってほしいの?私には竜馬がいるから無理よ〜」
 アリサがかんらかんらと笑う。さっそく、持ち前のポジティブ自意識過剰が発動したようだ。
「そうじゃなくてさ。ついさっき…」
 修平はアリサに全てを話した。コイレが美華子と戦い、美華子をうち負かしたこと。コイレが自分のことを、熱烈に愛していること。しかし先ほど、竜馬の腕に美華子が抱きついていたことは、あえて言わないことにした。
「修平、よかったじゃない。私はその場面、見てなかったけど、いろんな意味で勝ち組コースまっしぐらよ?愛してあげればいいじゃない」
 アリサがくふふと笑った。
「いや、俺が問題にしたいのはさ…」
「わかってるわよ。バトルジャンキーねえ…初めて聞く単語だわ。そんな人、いないから」
 深刻そうな顔の修平を見て、茶化してはいけないと悟ったのだろう。アリサは真面目な顔に戻った。
「そう言う人がなんで俺を好きになったかがわかんないんだよなあ…」
 先ほど、マグスァに言ったことを、そのままアリサに言う修平。もし彼に尻尾があったら、垂れてしまっているだろう。それほどに、彼のテンションは下がっていた。
「でも、ね。好きになるのに、理由はあんまりないかな。私、竜馬がすっごい好きだけど、理由を言えって言われても上手く言えないよ?」
「意外だな。あんなに好き好きなのに。いいところくらいは言えるだろ?」
 恥ずかしそうに言うアリサの目を、修平がじっと見た。
「うーん…私に対しては意地悪だし、好きって言っても好いてくれないし、みたいなことは言えるけど…誉め倒せって言われても、難しいわよ」
 アリサの顔は、とても幸せそうだ。けなすことが簡単に出来るのも、逆に誉めることが難しいのも、彼女の中ではプラスの要因にしか働かないらしい。
「うーん、なんだろ…とりあえず、誰彼かまわずケンカをふっかけてるような人なのかね。好きとか嫌いとか以前に、そうならば止めないといけないだろ?」
「なんで?」
「なんでって…だって、危ないじゃんかよ」
 当然のことだと言うように、修平は言ったが、アリサは腑に落ちない様子だ。
「だって、修平はそれを知る必要もなければ、止める義務もないでしょ?」
 それが当然、と言うような口調で、アリサが言う。
「それに、聞いてる限りだと、ただ試合をしたいだけにも思えるのよね。極端に嫌がってる相手とは、戦わないと思うし…あんまり他人が言うのも、お門違いなんじゃない?」
 アリサの言うことに、修平は詰まってしまった。確かに、彼女の言うことも一理はある。だが、何か言いしれぬ不快感が、修平の胸の中に居座っていた。意味のない暴力はいけないという、根本的なところと繋がっているようも見えるし、女性はケンカをするものではないという、修平なりのジェンダーに繋がっているようにも見える。なぜ止めなければいけないと思ったか、それを理論的に説明しろと言われても、修平には不可能だった。
「えーと、さ…なんか、嫌なんだよ。暴力はいけないと思うし、女の子がケンカはいけないとも思うから…それで、彼女が何かこう、嫌な目にあったら、かわいそうだろ?」
 修平がしどろもどろになりながら、アリサに説明をした。
「ふぅん…優しいのね」
 アリサの言った言葉を聞いて、修平は小さな衝撃を受けた。この論法は、人によっては「優しい人」に見られるものなのだと、少し驚いた。そして、やさしいと言われたことに対して、くすぐったいような恥ずかしさを覚えた。
「まあ、やっぱ、ケンカを売るには代わりがないのかもね。本人に言ったら?」
 アリサが入り口の方へ顔を向けた。修平が釣られてそちらを向くと、コイレが教室の中をじっと見ていた。修平が他の女性と話をしているのを見て、躊躇した様子だ。
「あの、コイレさん…話が…」
 修平は、ゆっくりと部屋の外に出た。
「大体はわかってるよ。ケンカをやめてって言うんでしょ?それは出来ないかな」
 何でもないことのように、コイレが否定する。
「じゃあ、どうすりゃやめてくれるんです。俺、女の人が、楽しそうに戦う姿を見たくない。そんなことじゃ、俺、あなたに告白されても、付き合うことが出来ないです」
「でも、あなたの友人達も、戦うことはあると思うけど?」
「質が違うんです。自己の実力を試したいならば、試合でもすればいいじゃないですか。これじゃあ、何にもなりませんよ」
 一語一語言うたびに。修平は体が熱くなるのを感じた。それを押しとどめながら、修平はコイレをじっと見つめた。
「そう、ね…これは性みたいなものなんだけど…そこまで言うなら、仕方ないか」
 尻尾をするりと振って、コイレが手を顔に当てる。
「あたしより強い人と試合をさせて。それで、何かつかめれば、あたしは戦うことをやめるかも知れない。うん」
 コイレはそう口に出した。まるで、倒されることを望む魔王のように。魔王と違うのは、彼女にうぬぼれや尊大さが見えないところだろうか。
「それって、俺でもいいんですよね」
 修平はためらったあげく、コイレに問いただす。
「うん、いいよ。あなたが勝てると思ったら、来てほしい。楽しみにしてるね」
 コイレが背を向け、歩き出す。
「ああ、それと…明日も、お弁当、楽しみにしててね」
 コイレが片手を、軽く振った。修平は少しとまどったが、小さくうなずいた。


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