「…で、何?」
 放課後。美華子はコイレに、半ば強制的に屋上に呼び出されていた。授業が終わり、クラスの人間がだらだらと帰り始めたのがつい先ほどのこと。美華子もカバンを持って帰ろうとしていたが、廊下に出たところでコイレに呼び止められ、連れていかれてしまった。何か面白くないことが起きる。それだけで、美華子は面倒がって逃げ出そうとしたが、そのたびにコイレは美華子の手を引っ張り、逃げられないようにしていた。
「砂川君をあきらめてほしいんだ。あなた、彼が言ってた、告白してない子でしょ?」
 コイレが美華子の目を見つめる。コイレと美華子は、およそ10メートルほど離れて、向かい合って立っていた。
「いや、私じゃないし。さっきもう一人いたやつ…錦原って言うんだけど、あいつの姉を好いてるってさ。私は修平とは特に何もないんだけど」
「嘘をつかないで。その証拠に、いつもレストランで、砂川君の隣に座るでしょ?」
 面倒くさそうに答える美華子に、コイレは目の色を変えた。確かに、修平の隣には美華子が座ることがある。それは、大柄な修平の横には小柄な人間が座った方が効率がいいからで、真優美が座ることだってある。コイレの目には、そのときのことは入っていないようだ。
「友達だけど、恋人まで行かないし。用ってそれだけ?」
 危ない物を感じた美華子が、右手をポケットに入れる。そして、ポケットの中にあった「それ」を、強く握った。
「じゃあ、このことはここでお終いにしましょう。もう一つ。お願いがあって」
「何?」
 コイレが腰に手をやり、何かを抜き取った。木目模様のついた、板状の何か。ナイフの形をしているそれは、見まごう事なき凶器だった。
「私と戦ってくれないかな」
 コイレの好戦的な態度に、美華子は思わずどきりとした。コイレの目は本気だ。
「バカみたい。今時、そんなの流行らないよ。下手なバトルマンガじゃあるまいし、痛い目に遭うのはやだね。修平が欲しいならどうぞ。止めないから」
 美華子はコイレに背を向けた。そのとき、美華子の横を何かが飛んでいった。頬に鋭い何かがかすり、痛みを感じる。
 かんっ
 転落防止のフェンスに、それはぶつかった。木製のナイフだ。刺さることはないだろうし、当たってもそれほど痛くはないだろうが、それに込められた敵意だけは間違えようのない本物だった。
「逃げないでよ。あなたはもう逃げられない」
 すっ、とコイレの手が動いた。手に持っていた木製のナイフが、今度は美華子の額めがけてまっすぐに飛んでくる。と、ポケットから美華子が手を抜いた。その手には、黒光りする銃が握られていた。
 ガスッ!
 銃が圧縮空気を吐き出した。先の丸い、厚紙相手でも刺さることのなさそうなダーツが、ナイフと空中接触した。ダーツガン。以前、美華子に惚れた男子が、彼女に残していった、殺傷能力を持たない銃。この状況で役に立つかどうかわからないが、ないよりはあった方がマシだ。
「危ないじゃない。何がしたいの?」
 ぶつかったナイフとダーツは、両者とも下に落ち、からからと音を立てた。
「ふぅん…やっぱり、スナイパーなのね」
 コイレがまたナイフを取り出し、美華子に向かって投げつける。
 ガスッ!ガスッ!
 2本、飛んでくるそれを、美華子は銃で狙い、弾き返した。
「投げナイフ?」
「うん。相手が飛び道具使うときだけ。ごめんね」
 美華子の問いに、コイレが答える。
「いい腕してるね。楽しみ、ふふ」
 コイレがナイフを取り出した。両手に、まるで扇子か何かのように広げる。美華子はその様を見て、この間の会話を思い出していた。
 それはちょうど1週間前。真優美、アリサと一緒にいた時だった。
「最初は美華子、格闘技やってる人に興味あるって言って、私たちと一緒に来たのよね、そういえば。どう?強くなれた?」
 その一言が始まりだった。そのとき、自分がどう答えたかは覚えていない。その後に、真優美が口を開いた。
「そういえば、美華子ちゃん、天馬高のスナイパーって呼ばれてるんですよね。3年生にも、なんかそういう人がいて…」
 真優美の話を、ゆっくりと思い出す。曰く、普段は明るい性格で、子供に護身術を教えたりしているのだが、何かで「スイッチ」が入ると、バトルジャンキーになる女性がいると。身体的特徴や得物まではわからなかったが、今目の前にいるコイレこそ、その女性だという確証があった。
『面倒は嫌なんだけど…』
 美華子は銃を握り直した。もう片方の手にも、もう一挺のダーツガンを出して握る。
「それでいい。無抵抗な相手をいたぶるのは好きじゃないからね」
 コイレは微笑んだ。一見、優しい女性の微笑みに見える。
「何でこんなことすんの?そんなにしてまで修平が欲しい?」
 美華子が油断なく後ろに下がった。足下に落としたカバンを、そっと後ろに蹴りやる。
「戦ってみたいだけ。砂川君は正直関係ないよ。力比べ、だね。負けたと思ったら、潔く頭を下げるわ」
「あ、そ。変態なんだね」
「ふふ、そうね」
 挑発的な台詞を吐く美華子に、コイレは笑いかけた。美華子は悟った。コイレの中で、何らかの事象が完結している。それに横やりを突っ込むことは出来ない。そして、その事象は、美華子に対して敵意を持っている。
 ガスッ!
 美華子はコイレの手を狙い、ためらいなく引き金を引いた。数瞬前までコイレの手があったところを、ダーツがすり抜けていった。大仰な、踊るようなモーションでコイレが振りかぶり、手に持ったナイフを離した。
「ふっ」
 美華子がしゃがみ、ナイフを避ける。美華子の腕力は余りにも弱い。真優美に腕相撲で勝てないほどに。故に、近距離戦はとても不利だ。間合いを取らなければならない。銃を構え、横走りしながらコイレを撃つ。本当ならば、1、2発は当たっているはずなのに、コイレは美華子の弾を簡単に避けた。
「怖い怖い。正確なんだね」
 コイレがくすくすと笑った。からかわれたような気がして、美華子は目を鋭くした。
「からかってるならばもうやめて。ムカつく」
 かしゃん、かしゃん
 ポケットに入っていたマガジンを出し、銃を片方ずつリロードする美華子。彼女の声には怒りが含まれていた。
「からかってないよ。あなただって、あたしの投げを避けてるじゃない」
 コイレが、手に持つウッドナイフを見せた。
『突っ込んで、一気に当てて終わりに…』
 美華子はその言葉に応えることなく、銃を撃ちながら走り始めた。コイレに向かって、一気に間合いを詰める。
「あら、接近戦出来るの?すごい。じゃ、遠慮なく」
 コイレが美華子との間合いを詰める。銃弾をどれだけ撃ち込んでも、コイレは射線から身を逸らす。美華子は焦りを感じ始めた。2、3発当てれば、そこで勝負は決まるだろう。コイレは相手が倒れるほどの戦闘をしたがっているようには見えない。どちらかというと、腕相撲のような純粋な腕比べをしたいだけに見える。それだけに、ある程度の戦力差を感じれば、そこで「試合終了」となるだろう。だが、その試合終了を、美華子が作ることは出来ない。ぐんぐん近寄るコイレが、にやりと笑った。
「んっ!」
 ばしぃっ!
 コイレが体を独楽のように回転させた。伸びた足が、美華子を的確に捉えた。かろうじて、美華子は回転蹴りをガードしたが、腕に持った銃が破損したのを感じた。中でヒビが入っている。プラスチックとアクリルで作られた銃だ。今ほど強い衝撃を受ければ、簡単に壊れるだろうことは、予測していた。そして、その衝撃は銃を突き抜け、美華子の胸にダイレクトに伝わった。
「あ…ぐ、ぅ…」
 美華子の顔が歪む。強烈な痛みだ。骨がみしみしと音を立てた。コイレはそれで勝利を確信したらしい。もう一度体を回転させた。
「う、く…」
 2段目の蹴りを両腕で受ける美華子。その打撃が、腕を吹き飛ばす。がら空きになった体に、コイレの尻尾が鞭のように撃ち込まれた。
「がっ!」
 美華子はダメージを受け流すことが出来なかった。体がいきなり、制御を失ったロボットのように崩れ落ちる。後頭部を堅いコンクリートに打ち付け、美華子が倒れた。
 がしゃっ
 彼女が落としたダーツガンが、音を立てて壊れた。散らばった部品は、銃の臓物のようにも見えた。
「それなりに楽しかった。ありがとう。いきなりこんなことをさせてごめんね。機会があったら、またやりましょう。じゃあね」
 コイレが丁寧に頭を下げ、礼を言って去った。美華子は正直、彼女が礼を言おうが言うまいが、関係がなかった。やはり、自分はケンカには強くないのだと、それを悟っただけで十分だった。涙が溢れそうになる。もちろん、普段からケンカをしている人間ではないし、そんなことが出来なくてもいい。負けず嫌いかと問われれば、勝敗には無頓着だと言い切ることが出来る性格でもある。だが、ここまであからさまに「負け」を突きつけられた彼女は、とても惨めな気分になった。
「はーっ…」
 大きく息をつくと、肺に痛みが走った。内蔵にもダメージが来ているようだ。空の雲をじっと見ながら、呼吸を整え、痛みに耐える。流石に、このまま死ぬとは思っていないが、状況はつらい。
「美華子さん…大丈夫か?」
 聞き慣れた声に、顔をそちらへ向けると、竜馬が立っていた。心配そうな顔をしている。
「なんでここに?」
「いや、コイレさんが、美華子さんにケンカ売って派手に倒しちゃったっていうから、心配になってさ…ほら、起こすよ」
 竜馬が美華子の手を引いて、ぐいと引っ張った。起こされた美華子は、少しよろめいた後、足下に落ちているダーツガンの残骸を拾い上げた。丁寧にポケットに入れ、ふうと息をつく。
「美華子さん…あの…元気出してくれよ」
 竜馬がおずおずと口を開いた。それと同時に、美華子の心に悔しさがこみ上げる。負けたことに対する惨めさは、自分の心の中でどうとでもなった。しかし、他人に気の毒に思われていると重うと、自尊心が大きく傷つけられたような気分になった。自分がここまでプライドの高い人間だったのかと、疑問に思うほどの感情が溢れる。
 ぎゅう
「わ…どうしたの?」
 美華子が竜馬に抱きついた。両腕に力を入れ、ぎゅっと抱いた。
「何も言わないで。しばらく、こうさせて」
「え、でも…」
「いいから」
 おろおろする竜馬に抱きついたまま、美華子は歯を食いしばった。泣くまいと、頬に力を入れた。竜馬も、美華子の悔しさに気が付いたらしく、彼女の頭にそっと手を置いて、優しく撫でた。


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