一方そのころ、演劇部の部室では、問題が発生していた。
「うーん…」
 島村が頭を抱えている。彼の目の前にいるのは、一人の男子。顔をよく見れば、彼が演劇の主演男優だということがわかる。その隣にいる女子は、ヒロイン役の役者だ。だが2人とも、体のどこかしらを怪我している。男子は腕に包帯を巻いているし、女子は片足にギブスをして杖をついていた。
「来る途中に自転車で2ケツしてたんですが、事故しちゃって…」
「わかったわかった。本当なら入院レベルの怪我なのに来てくれてサンキューな」
 言い訳をする男子に、島村が頭を下げた。
「しかし、困ったっすねえ…脇役から誰か上げますか?」
「や、そらあかんだろ。人数もいっぱいいっぱいだし…何より、こんな細いスーツが入りそうなやつはいないし…やっぱ外から引っ張ってくるしか…」
 湯似九郎の提案に、島村が渋い顔をする。
 がちゃり
「女子の着替えが終わったぞ。後はヒロインの人だけだな」
 ちょうどそのとき、着替えをしていた部屋から、恵理香が顔を出した。4人の視線が恵理香に集まる。
「よしっ!採用!今から君は、この物語のヒロインだー!」
 がしっ!
 島村が恵理香の肩を掴んだ。
「え、ええ〜?」
「ヒロイン役の子が怪我をしてしまったんだ!君なら出来る!信じろ、自分の中の芸人魂を!」
 戸惑う恵理香に、島村が一気に畳みかける。
「本当なら出たいけど、足を折ってしまって…よければお願い出来ない?確か汐見さんって本職で役者やってるんでしょ?」
 ヒロイン役の女子が、恵理香の顔を覗き込んだ。彼女も一生懸命練習していたのに悔しいだろうが、ここで駄々をこねてもどうにもならないことを知っているのだろう。
「そ、それはそうだが、台本も読まずに演劇など…」
「あと40分だ、40分ある!その間に、全てを暗記し、一流のヒロインとなるのだ!」
 がくがくがくがく
「やめんかー!」
 島村が恵理香を前後に強く揺さぶった。
「よーし、ヒロインは決まった。後は主人公だ。湯似九郎、探してこい!」
 げし!
 島村の足が、湯似九郎の尻を蹴り飛ばした。
「乱暴だな、もう!行くっすよ!」
 蹴られた湯似九郎は、尻を押さえながら本棟の方へ走って行った。
「今回のヒロインはモニカ・フランソワ。18歳の…」
「ふむ。ということは、この服を…」
 ヒロイン役だった女子と、恵理香が、台本を睨んで打ち合わせをしはじめた。主人公役だった男子も、台本を見て、恵理香にあれこれとアドバイスを始めた。他の部員も、自分の役をこなすために、事前練習を始めている。
「だあああ!待ってらんねえ!俺も行く!」
 いらいらと貧乏揺すりをしていた島村が、まるでゴムおもちゃか何かのように立ち上がり、本棟へと駆けて行った。
「先ほどから思っていたのだが、あの部長は…」
「彼はお芝居が大好きなんだよ。それだけに、熱が入りすぎてしまうんだ。心配いらない」
 困った顔の恵理香に、男子が答えた。
「まあ、それならばいいのだが…」
 恵理香が言葉を濁した。今の彼女は、不安と緊張の塊だった。今まで、何かの演劇をするときには、最低でも1週間の練習期間はあった。修羅場もくぐり抜けて来たはずだった。だが、当日の、しかも40分前という状況で演劇を行うのは初めてだ。
『これもまた修行、か…こんなところでまで演劇をするとは、よほど縁があるな』
 ふっと笑う恵理香。これも後で思えば、高校生活のいい思い出になるのだと思うと、緊張がばかばかしく思える。恵理香は気を引き締めなおし、もう一度台本に向かい合った。


「…で、俺はなぜここに?」
 竜馬は両肩を掴まれ、演劇部の借りている部屋に連行されていた。右肩を島村が、左肩を湯似九郎が掴んでいる。さながら、黒い人々に捕まった宇宙人のようだ。もっとも彼は獣人でも爬虫人でもない地球人だし、捕まっていた宇宙人のようなタイプの人類とは、人間はまだコンタクトを取っていないが。
「さっきも言っただろ?演劇の主人公にぴったりの体格でね。主人公役が怪我をした代わりに演劇してほしいんだ」
 にこにこ顔で島村が言った。代替の人間を見つけて嬉しいようだ。
「他にも人がいるでしょ?なぜ俺が…」
「そりゃあ、体育館の入り口周辺をうろついてて、最初に目に入ったからだ」
「そんな理由かよ!俺、午後から屋台のシフト入って忙しいんだよ!」
 両腕を掴む2人を、竜馬が振り払った。
「ま、待ってくれ!もう少ししか時間が…」
「いーや、待たん!他をあたってくれ!」
 つっけんどんな態度を見せた竜馬は、部屋を出ようと、ドアに手をかけた。
 がちゃり
 竜馬がノブを回す前に、ドアのノブが回り、ドアが開く。
「お、っと。すみま…」
 すみません、と謝ろうとした竜馬が凍り付いた。目の前に立っていた女性は、黒いレザージャケットに青いTシャツを着て、太股半分までのカットオフジーンズを履いている。足には黒いエナメルのブーツ、爪には赤基調のネイルアートがされている。竜馬が凍り付いたのは、そんな格好をしないであろう人物がその服を着ていたからだった。
「あ…竜馬か…」
 その人物…恵理香が、恥ずかしそうな声で言った。肩までの青銀色の髪を後ろでまとめている彼女は、竜馬と目を合わせないように俯いた。
「え、恵理香さん、その格好は?」
「この演劇のヒロイン役が怪我をしてしまってな。私が代わりに出ることになったんだ」
 動きがかくかくしている竜馬を横目に、恵理香は置いてあった衣装の中からストールを取り、腰に巻き付ける。
「うーむ…やはりこれでは尻尾が隠れないな。大きな尻尾がなんとやら、というやつか」
 困った顔で恵理香が衣装ケースを漁る。
「別にヒロインが地球人という設定はないっすから、問題ないっすよ。頭の方はこいつで隠れるっすが、尻尾はさすがに無理っすね」
 湯似九郎が白いニューヨークハットを取り出し、恵理香の頭にかぶせた。
「そうだな。耳はこれで隠れるか…ところで、竜馬はなぜここに?」
 竜馬の方に振り返った恵理香は、彼が自分のことをじっと見ていることに気が付き、顔を赤くした。
「あ、あまり見ないでくれないか。私もここまで肌を露出するのは恥ずかしくて…」
 恵理香の手が太股を隠した。
「えーと…いつもはそんな服着ないから…素敵だなあと…」
 思わずそう言った竜馬が今度は赤面した。
「素敵だとか、恥ずかしいこと言ったなあ…ごめん、恵理香さん」
「いや…そんなことを言われるのは久しぶりだ。こちらこそ…」
 2人は少しの間黙った。何故だかわからないが、とても気恥ずかしくなった竜馬は、恵理香を正視することが出来なくなった。
「ああ、俺がなんでここにいるかだったね。この演劇の主人公役やらないかって…」
「やってくれるのか?助かるよ。なんせ、あと20分程度しかないのに、人がいない状況だったからな。私も恥ずかしい格好ではあるが、やはり頼まれたら…」
 暗い顔の竜馬を見て、恵理香が困惑した表情を見せた。
「えー、と。違うのか?」
 恵理香が一同を見回した。
「嫌なんだとよ。また別のやつを探さないといけねえ」
 島村がため息をついた。部屋全体に、重く苦しい空気が流れ始める。
「午後から屋台あるんだ。あれがなければ問題ないんだけどな。出ようにも…」
「ああ、そのことだが、午後はアリサと一緒に店番をするのよな?」
「…なんですと?俺はあいつと一緒にならないようにシフトを組んだぞ?」
 恵理香の言った一言に、竜馬が目を皿のように丸くした。
「ああ、アリサが言っていたのだよ。無理を言って他の人に代わってもらったと」
 言ってはいけないことを言ったような顔をする恵理香。竜馬は焦り始めた。ただでさえ今の彼女は怒りの塊になっている。一緒にいたくないのに、同じ屋台で仕事をするとなったら、何をされるかわからない。戻って焼きそばを作るより、いっそ…と言った気持ちがわき上がった。どちらに行ったとしても、もう片方には言い訳が効くのだから。
「ともあれ、竜馬…もう一度私からも頼む。演劇に出てくれないか?」
 恵理香が頭を下げた。その姿は真剣だ。劇団員を志す者にとって、例え学校のお芝居であったとしても、中止にさせたくない気持ちが働くのだろう。その姿に、竜馬は悲しさのような、感動のような、不思議な感情を覚えた。
「…わかった。やらせてもらうよ」
 その一言で、部屋の中の空気がいきなり柔らかくなった。
「やってくれるか!助かる!このお礼はするぜ!」
 島村が興奮して叫んだ。彼だけではなく、湯似九郎も恵理香もとても嬉しそうだ。他の演劇部員も、主役がようやく見つかってほっとしているように見えた。彼らには彼らの役があるだろうし、主役をやって目立ちたいなどという、利己的なことを考える人間はいないようだ。
「さっそくこのスーツに着替えて欲しいっす。Yシャツは今着ているもので問題ないはずっす。これがネクタイで、台本はこれで…」
「カンペ作っておいた、使ってくれ!1部終わるごとに新しいものを作っておく!」
「これが小道具のピストルで、これが眼鏡で、これが…」
 次々に様々なものを渡される竜馬。竜馬はそれを受け取り、ブレザーを脱ぐ。あと少ししか時間がない、急がなくてはならない。
『そうだ、演劇で一生懸命なところ、真優美ちゃんに見せればいいんだ。ま、人助けだし、クラスの方には仕方がないってことで、彼女が証人になってくれるだろ』
 スーツに着替えながら、竜馬はぼんやりと考えた。恐らく真優美も、これで納得してくれるはずだ。


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