体育館は2階建て構造になっている。2階には体育館、1階には少し広いスペースがあり、そこが多数の部屋にわかれている。部屋はそれぞれ部活動の部室として使われており、主に運動系の部活動がそこを使用している。ここには1つだけ空き部屋があるのだが、この空き部屋は今、体育館を利用する人間の控え室として使われていた。
「はああ、狭いな…俺、めんどくせえ…」
 眼鏡をかけた細身の少年がぼんやりつぶやいた。
「そろそろ女の子達が衣装着るっすから、俺ら外出ないといけんっすよ」
 横で荷物をまとめていた、太っている少年が、眼鏡の少年を揺り動かす。
「湯似九郎…お前、いつから部長の俺に命令出来るようになった?」
「いや、島村先輩、そういう問題じゃないっすよ」
 2人はしばらくにらみ合っていたが、島村と呼ばれた少年が先に外に出た。その後に、湯似九郎と呼ばれた少年が続く。
 眼鏡の少年は島村由高、演劇部の部長で2年生だ。太った少年は柳原湯似九郎、1年生の見習いである。12時半に開演を控え、演劇部は慌ただしく準備に取りかかっていた。もう開演まで1時間半しかない。上からは、今ライブをしている、軽音楽部のギターの音が響いている。
 今年上演する演劇の筋書きは簡単だ。アメリカはニューヨークのとある場所で麻薬を売る自堕落な男、デニス・アンソニーが、一人の女性、モニカ・フランソワとの出会いにより、正気を取り戻す。そして、麻薬を売るふりをしながら、ニューヨークの裏を暴き、麻薬を根絶する。男は警察や市民に感謝され、女と夫婦になり、遠い場所でひっそりと暮らしてハッピーエンド。今回は、作り物や手加減などのないバトルシーンが、人を呼ぶ柱だった。
「本物の空手経験者や柔道経験者を採用!銃撃戦もリアルに!小道具、大道具、なんでもござれ!見ていろ、映研!去年は貴様らのアニメに客を奪われていたが、俺はやってやるぞぉ!うはははははは!」
 島村は明後日の方向を向いて、高笑いを始めた。
「屋台や出し物をしている人にビラを配ってきたぞ。これが余り…ん?」
 と、そこへ恵理香が戻った。手には数枚のチラシが残っている。
「ああ、助かったっす」
 湯似九郎が残りのチラシを受け取った。
「…彼はどうしたんだ?」
「いつものことっすよ。いちいち気にしてたらやってけないっす」
 凍り付く恵理香に、湯似九郎がため息混じりに言った。相変わらず、島村は本棟の方を向き、「この映研がー!×××で×××だぜ!ヒャッハァ!」などと奇声を発している。
「じゃあまあ、汐見さん、中で女の子の着替えを手伝って欲しいっす」
「わかった。それにしても、ヒロイン役の先輩は、美しい人だな」
 恵理香は貼ってあるチラシを見た。チラシにメインで印刷されているのは、主人公とヒロインだ。どちらも地球人で、かなりの美男美女である。
「ええ。主人公とヒロインだけは、容姿を重視して選んだっす。だから最初は、格闘や銃の使用経験がなくて、すごく練習したっすよ」
「そうなのか。好きは努力の元、とはよく言ったものだな」
 もう一度チラシを見る恵理香。主人公もヒロインも、映画スター顔負けの演技力で写っている。
「じゃあ、私は着替えを手伝ってくるよ」
 恵理香が部屋の中に入る。湯似九郎は叫ぶ島村や他の部員を見て、気を引き締めた。


 校内には活気が溢れていた。いつもはやる気のなさそうな顔をしている生徒も、今日という今日は力を出し切っていた。楽しそうな笑い声が響き、あちこちで子供のはしゃぐ声も聞こえる。
「あー、いい日だ」
 竜馬はゆったりと校内を歩いていた。アリサもどこかへ行っていなくなった。今の時間はすることもない。今の彼は自由だった。
「どこ行くかな…ん?」
 竜馬の視界に、アリサの姿が入った。アリサは狼の顔をして、一人の人間少年の胸ぐらを掴んでいる。アリサの後ろに立つ祐太朗は、アリサを止めようとしていたが、そのたびに突き飛ばされていた。
「あ、あのあの、あのですね…」
 真っ青な顔で少年が釈明をしている。
「はっきり言いなさい!これはどっから手に入れたの?ねえ!」
 アリサの手には数枚の写真が握られている。竜馬のいる位置からでは、内容を伺い知ることは出来ないが、よほど恥ずかしいもののようだ。
「こ、これは、有志が集めてくれたものを、会員の間で売り買いしているものでして…」
「何それ!誰の許しを得てこんなことしてるのよ!」
 がくがく!
「あー!やめてください!」
 アリサが少年を乱暴に揺さぶった。
「アリサさん、やめないか。僕の好きなアリサさんは、こんな乱暴をする女性ではないはずだよ」
 シビレを切らした祐太朗は、少年をアリサの手から引き離した。
「誰もあんたに好かれようなんて思ってないわよ!このナルシストー!」
 ばしぃ!
「うあ!」
 アリサが祐太朗の頬を殴りつけた。まるで漫画に出てくる三枚目のようにぶっ飛ばされる祐太朗。その顔は、心なしか幸せそうだった。
「待て待て待てって!お前やめろよ」
 ここまで来るともう暴走だ。見ていられなくなった竜馬は、アリサを引き離した。
「あ、竜馬!見てよ、これ!」
 アリサは手に持っている写真を竜馬に渡した。その全てが、アリサの日常のショットを撮ったもののようだ。中には、プールに行ったときの水着姿を撮ったものもある。
「よく撮れてるなあ…」
 竜馬は、呆れるより前に感心してしまった。どの写真も、店頭に並ぶブロマイドに勝るとも劣らないクオリティだ。
「よく撮れてるなあ、じゃないでしょ!これは立派な盗撮よ!」
「でもなあ。お前、これだけ多くの人に好かれてると思えば、嬉しくないか?」
 怒り狂うアリサに、竜馬は冷静に言葉を返した。もちろん、アリサを擁護する気は最初からない。
「じゃあ、じゃあさ。竜馬、たくさんの女の子が勝手にファンクラブとか作っててさ。写真売り買いしてたら、どう思う?」
 アリサがずずいと竜馬に詰め寄った。その目は、次の攻撃ターゲットを竜馬に設定していた。
「うーん…ある意味嬉しいな。そりゃ、女の子が俺を好きになってくれるなんて…」
 ばきぃ!
「ぷぁ!」
 アリサの放った拳は、的確に竜馬の顎を撃ち抜いた。今の彼女は凶暴になるスイッチが入ってしまっているようだ。
「あぁ、もうだめ…暴走したい…みんな噛みつきたい…手始めはあんたよ、竜馬ー!」
 ふらふらしていたアリサが、竜馬にがっしりと抱きついた。その牙が、竜馬の肩口めがけて飛び込む。噛まれることを竜馬が認識し、抵抗を諦めた、そのときだった。
「急げ!」
「あっちだ!」
 数人の生徒が、廊下を急いで走っていった。それぞれ、肩に「天馬高校生徒会」と書かれた腕章をつけ、背中にライフル型の銃らしきものを装備している。
「な、なに?」
 噛みつこうとしたアリサが、動作を中断して生徒会員を目で追った。これ幸いと、写真を販売していたファンクラブの男子が逃げ出した。アリサは気づいていない。
「来るぞ!」
 生徒会員は足を止め、ライフルを構えた。どすっ!どすっ!と大きな音がして、廊下の向こうから何か大きなものが走ってきた。体は熊のように大きく、顔はキツネ、腹には蛇のような蛇腹が見える。この生き物の名はキツネコブラ。元々は地球には生息しない生物で、長野の山奥に住んでいた。とあるきっかけで、竜馬達が長野旅行をしたとき、車の上に乗っかって勝手についてきたのだ。カップラーメンが好きな彼は、カップラーメンを買うために日々バイトを行っていた。
「グオーン!グオーン!」
 キツネコブラが泣きながら逃げる。それを後ろから生徒会員が網を持って追う。どちらも必死だ。ライフルを持った生徒会員が、指を引き金にかけた。
「ちょっと、あんた達、何やってんのよー!」
「わあ!」
 アリサが生徒会員を慌てて止めた。
「学校の中で鉄砲撃つとか信じられない!」
「これはスタンガンだから無害だ!そんなことを言ってる間に変な熊が!」
「バカ!彼は逃げ回ってるだけよ!わからないの?」
 生徒会員がアリサに気を取られてる好きに、キツネコブラが横を駆け抜けた。キツネコブラの襲来に、ある生徒は逃げ、あるおばさんは転び、ある子供は泣き出した。と、キツネコブラの前に一人の少女が背を向けて立っている。
「あ、真優美ちゃん!」
 竜馬は少女に声をかけた。いつもワンテンポ遅い真優美は、周りがこんなに大事になっているというのに、気づいている素振りを見せない。
「え?」
 竜馬の声を聞き真優美が振り向く。彼女にキツネコブラが迫る。逃げ場はない。竜馬は彼女を助けようと、駈けだした。
「あー、元気だった〜?」
 真優美が呑気な声を出し、キツネコブラの腹に抱きついた。竜馬は、真優美がキツネコブラを、知り合いの誰かと勘違いしているものだと思っていた。しかし、どうやらそうではないらしい。竜馬達が知らない間に、真優美とキツネコブラは、お互いに仲がよくなっていたようだ。
「キューン!キューン!」
 泣きながら何かを訴えるキツネコブラに、真優美の目が鋭くなった。
「ちょっと、あなた達、この子が何かしたんですかぁ?」
 真優美が生徒会員にずかずかと近寄る。
「そりゃ…なあ?被害が出たら危ないだろう?」
「校内に大型動物が出たら、そりゃ捕まえんといけんだろうし…」
 生徒会員数人が、言葉を濁した。
「この子は、お祭りを楽しみに来ただけなんですよ。だから、もうやめてあげてください、かわいそうです!これが証拠!」
 強く言い放つ真優美。キツネコブラの毛の中に手を突っ込み、肩掛けの小さなバッグを見せる。中には学園祭のパンフレットと、狐がプリントされたかわいい財布が入っていた。
「この学校には、けだものも遊びに来るのかい?」
 いかにも呆れたような顔で、祐太朗はつぶやいた
「さあ…初めての出来事だろ。知らんけど」
 竜馬が答える。キツネコブラはと言えば、真優美の背中に必死で隠れ、生徒会員達のことを見つめていた。
「じゃあ、こいつが危害を加えないということを証明していただければ…」
 生徒会員の一人が小さな声で言った。残りが頷く。竜馬はもう一度キツネコブラをちらりと見た後、後ろを振り向いた。祐太朗は呆然と立ちつくし、アリサが周りをきょろきょろ見回していた。どうやらアリサは、この騒ぎで逃げてしまった、ファンクラブの彼を探しているようだ。傍目にもわかるほど、彼女にはフラストレーションが溜まっていた。
「うーん…ああ、ちょうどいいところに竜馬君。何か案はありませんかぁ?」
 悩み込んだ顔の真優美が竜馬の近くに歩み寄った。
「俺には何も…」
「私にいい案があるわ。任せて」
 否定した竜馬を押しのけ、アリサが前に出た。
「要はこいつが安全であることを証明すればいいんでしょ?」
 アリサがキツネコブラを睨んだ。彼女の目に宿るのは殺気。正気ではない。キツネコブラはアリサを見て、あからさまに怯え始めた。
「ええ、そうですけど…」
「ちょうどいいわ。つまりね、こいつは、こんなことしても抵抗することはないのよ!」
 ぶちぃ!
「キャン!」
 アリサが背中の毛を掴み、そのまま毛を引き抜く。アリサの指の間には、キツネコブラのふさふさの毛が束になって挟まっていた。
「グ、グオーン!」
 逃げようとキツネコブラが立ち上がった。が、キツネコブラはアリサに睨まれ、凍り付いてしまった。アリサの目が「ニゲタラコロス」と言っている。今のアリサの目に映るキツネコブラは、ストレス解消のただの毛だるまだった。
「おーほほほ!ほら、これだけしても抵抗しないのよ!いい子じゃない!おーほほほほ!」
 ぶちぃ!ぶちぃ!
 アリサが何度も毛を毟る。恐怖で動けなくなったキツネコブラは、目をぎゅっと閉じて、涙を流し始めた。
「お、おい、かわいそうじゃないか?もう十分だろう。やめてあげたらどうだい?」
 祐太朗はさすがに見ていられなくなったらしく、アリサを止める。キツネコブラの毛を毟ることをやめたアリサは、祐太朗に振り向いた。
「そうよ…あんたが私を好きになんかなるから…こんなにいらいらしてるんだわ…」
「そ、そんなことはないよ。僕が君を好きになったからって、そんな…」
「うるさい!何もかもあんたのせいよ!このバカ猫男ー!」
 がぶぅ!
 アリサの怒りが再度噴火した。行き場のなくなった怒りは、今度は祐太朗に向かってほとばしった。アリサが祐太朗の肩に噛みつくのと、キツネコブラが泣きながら逃げ出すのは、ほぼ同時だった。
「ぎゃあ!痛い痛い痛い!ひどいじゃないかー!」
 アリサをぶら下げたまま、キツネコブラの後を祐太朗が走っていく。集まっていた生徒会員は、キツネコブラがそれなりに無害な動物だというのがわかったようで、ぶつくさいいながら戻っていった。
「なんだかなあ…まだ何もしてないのに疲れた。真優美ちゃん、シフト入ってないだろ?一緒に回る?」
 竜馬が苦笑して、唖然としている真優美の頭をぽんぽんと叩いた。
「そうですねえ。それじゃあ…」
 そこまで言って、真優美がはっとした顔をした。そして、すぐに顔をしかめると、ぷいと横を向いてしまった。
「アリサさんと回ればいいんじゃないですかぁ?」
 真優美のその態度を見て、竜馬がふらっとする。
「なあ、真優美ちゃん、俺、本当に何もしてないんだよ」
「嘘ばっかり…知らないんだから…」
 真優美が俯いた。尻尾が垂れ、元気がない。
「…どうすれば信じてもらえる?もうそろそろ1ヶ月になるよな。その間、真優美ちゃん、俺ん家に1度も来なかったよな」
 さらに疲れを感じる竜馬。壁に背を預け、大きくあくびをする。
「だからなんですか?」
「別に何でもないけど、ちょっともったいなあって思ってさ。あー、こないだの白玉フルーツポンチの回は、来てほしかったなあ…」
 びくん
 真優美の耳が、フルーツポンチという語句に、大きく反応した。
「その前はホットケーキ作ったし、今度はケーキ焼こうって話になってるんだよな〜。アリサん家にでっかいオーブンあるから使おうって話でさ〜。あー、真優美ちゃんにも来て欲しかったなあ…でも無理かー、俺、嫌われてるもんなー」
「う、うう、ううう…」
 わざとらしく続ける竜馬の言葉に、真優美がわなわなと震え出した。目には涙が、口には涎が溜まっている。これを見て、竜馬は心の中で勝利を確信した。今までなぜこんな簡単な手を使わなかったのだろう。それは、彼の中に「罪の意識」があったからだ。真優美に対して申し訳のない気持ちがあったから、こんな手が使えなかったのだろう。開き直りに近い考えを持った今、真優美を食べ物で釣ることに対する罪悪感は無かった。
「ケーキうめえんだよなー。植物油のクリーム使ってカロリー抑えてさ、甘さも控えめでさ。ココア入れてチョコケーキにするんだ。アーモンドとかも…」
「わかりましたよぉ!竜馬君のいじわる〜!」
 竜馬の言葉を途中でぶった切り、真優美が叫んだ。
「じゃあ、こうしましょう。今日か明日に、竜馬君が一生懸命何かしてるところを見せてくれたら、信用することにします。いいですかぁ?」
 真優美の目が竜馬をじっと見つめた。
「いいけど…回りくどいなあ…一生懸命ってのも曖昧だし…」
 竜馬が文句を続けようとすると、真優美が鋭く睨んだ。すぐに口をつぐむ竜馬。ここで彼女を怒らせることが得策ではないのは、彼にも十二分に理解できた。
「証明できるところになったら、呼んでください。じゃあ」
 真優美はすたすたとどこかへ行ってしまった。その場に一人残された竜馬も歩き出す。真優美も実は許しているのだろうが、何かきっかけが欲しいのだろう。
『真優美ちゃんはかわいいなあ…アリサとは大違いだ。さて、何を見せればいいのかな』
 いっそ愛の告白でもするか、と考えたが、それはすぐにうち消した。何か彼女が納得する、一生懸命な姿を見せればいいのだろうが、思いつかない。何もしなくても、屋台で働くくらいは見せられるだろうが、それで彼女が納得するかと言えばそうでもないだろう。
『やめだ、やめ。そのうちなんとかなるさ』
 面倒くさくなった竜馬は、考えをやめ、歩き出した。祭りはまだまだこれからだ。


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