光陰矢の如しとはよく言ったもので、それから既に2週間の時が過ぎていた。天馬祭はあと1週間後の土日に開催される。イベント事の締め切りなどは守られない、というのが学生時代の定番だ。1年2組もそのご多分に漏れず、天馬祭の準備が急ピッチで進められていた。
「ん!ん!」
 がん!がん!
 竜馬がハンマーを振り下ろしている。角材にベニヤ板を貼り付けるためだ。結局、1年2組の出し物は屋台になった。グラウンドに設置した屋台で調理したものを出すという、それはそれは簡単なもので、手間もそれほどかからない。焼きそばとお好み焼きという、鉄板のみあれば出来るメニューを出す。1クラスは40人だが、竜馬のクラスは部活動出し物の応援に行く人数が多く、19人しか残らなかった。竜馬は部活動に所属していないので、クラスの戦力として数えられている。
「竜馬、そっちはどうだ?」
 竜馬の後ろで資材管理をしていた、がたいのいい人間少年が声をかけた。彼の名は砂川修平。竜馬の友人の一人で、よく連んでいる。彼もまた、部活動に所属しておらず、戦力にされてしまった一人だった。
「終わらないよ…何が簡単な屋台だから、だ…くそっ、レンタルすればいいじゃねえか!」
 がんっ!
 竜馬がハンマーを振り下ろした。と、そのとき。
 ばきっ…
「あ…」
 嫌な音を立てて、角材が割れた。縦に大きくヒビが入ってしまっている。どうやら、釘を強く打ちすぎてしまったらしい。小さな部品だったせいで、全体が真っ二つになっている。もう使用できない。
「…新しいの取ってくれないか?」
「わかった」
 竜馬が割れた角材を取り除き、修平が新しいものを取った。逃げ出したい気持ちを必死に抑える。時刻は既に7時を過ぎていた。
「手伝う。こっち終わった」
 クラスの男子が、ハンマーを持って竜馬のサポートに入った。
「ああ、悪い。頼むわ」
 2人でがんがんとハンマーを打ち付ける。どうやらこの面はあと少しで終わるようだ。上にガスレンジや鉄板が乗っても壊れないように、丈夫に作らなければならない。責任は重い。
「とりあえず、前日に終わるように屋台出来ればいいな」
 竜馬が額を拭う。クラスには10人ほどの生徒が残っていた。残りは、用事で帰ってしまっていたりするのだが、一部の生徒が外に、文房具などの買い出しに行っている。
「ん、そうだな。ところで、女の子グループはどんな感じ?」
「見たまんまだな」
 修平の問いに、竜馬が背中で答える。女子は屋台の幟を縫ったり、看板にペイントをしたりしている。看板に使う絵の具がもう残り少ないため、今は縫い物の方に手をつけていた。その中には、仏頂面の美華子の姿もあった。
「本当に終わるのかよ…俺、疲れた。少し休ませてくれ…」
 竜馬がふらふらと立ち上がった。
「わかった。じゃあ、俺が続きやるわ」
 修平がハンマーを受け取り、続きを始めた。教室の隅のイスに座り、目を閉じる竜馬。このまま寝てしまえそうだ。だんだんと、意識が暗転していく。
「竜馬〜!」
 がっ!
「うわあ!」
 睡眠の沼に落ちようとしていた竜馬は、何者かの強い包容を受け、思わず叫んだ。面食らった竜馬が目を開けると、目の前にアリサの顔があった。
「竜馬、帰ったよ。買い出し終わったよ。差し入れで、食べ物も買っちゃった。くふふ」
 にこにことアリサが微笑んだ。
「ああ、そうかい…」
 竜馬がげんなりした動作でアリサを引き剥がした。
「あ、待って。お帰りのちゅーは?」
 アリサが竜馬を後ろから抱きしめ、頬をこすりつけた。
「んなもんねえよ」
「もう、照れちゃって。これからまた忙しいんだから、出来るうちにしとこ?」
 アリサが竜馬の顔を撫でまわした。肉球が竜馬の鼻や唇をくすぐる。
「離さんか!ただでさえ忙しいんだから!」
「わ!」
 竜馬が怒鳴りつけると、アリサが驚いて手を離した。そのまま、竜馬は何も言わず、買い出しの荷物に手を伸ばした。既に数人がサンドイッチやおにぎりなどを食べている。
「なんだ、痴話喧嘩か?」
 一人の男子生徒がにやにや笑いで竜馬をからかった。竜馬が鋭く睨み付けると、にやにや笑いをこわばらせて、すすすと後ろに下がっていった。
「なあ、ひょうま、ほれをほほひ…」
 修平がサンドイッチを噛みながら、丸い金具を見せた。
「日本語で頼むわ」
 アリサの襲撃で精神的に疲れた竜馬は、つっけんどんに返す。修平は口の中の物を飲み込み、手に持っていた包装ビニールを捨てた。
「すまん、この金具ってどこに…」
「旗立てだな。俺やるから置いといて」
「あ、そうか。すまん」
 金具を置く修平。おにぎりを手に取った竜馬は、おにぎり片手に金具を付け始めた。
「ねぇ、竜馬。なんでそんなに怒ってるのよう。最近ずっとそんな感じだよ?」
 アリサはまだ諦めていないようだ。サインペンで紙に色を塗る片手間に、竜馬に話しかける。
「加害者はすぐにものを忘れるよな。都合がいいったらないぜ」
 がん!がん!
 金具をつけた後に、また竜馬が釘を打った。これで金具は滅多なことでは外れないだろう。
「竜馬が好きだって言ってくれたからだったのに…」
「あれはお前が俺をはめたんだべ?」
「そうかも知れないけど…じゃあ何?もしあれが罠じゃなかったら、今でも私のこと、好きだった?」
 アリサは怒りのこもった目で竜馬を睨んだ。
「ああ、そうさ。俺はお前の真心が好きになりかけてたのさ。今までみたいな姑息なこともしない、言うことはちゃんと聞き、計算打算なしで抱き合えるような真心がな」
 がんっ!
 ハンマーが大仰な音を立てて板にぶつかった。一瞬、周りが静かになったが、すぐに騒がしく作業を続けた。
「…真心…」
 アリサが手を止めて考え込む。彼女の顔は、いつになく真剣だった。
「そうだよ。少しは反省しろ、ボケが」
 竜馬の言葉を最後に、2人は口をきかなくなった。竜馬は黙り込んだままハンマーを振るい、アリサは何も言わずに紙に色を塗り続けた。そのうち、別の女子に呼ばれたアリサは、少し離れた場所で雑談を始めた。
『俺、悪くないぞ…』
 心の中で竜馬はつぶやいた。罪悪感はある。しかし、彼女が成長しないのならば、罪悪感以前の問題になってしまうだろう。
「な、錦原よ」
 竜馬に声をかける者がいる。ちらりと見ると、そこには男子生徒がいた。彼の名は黒田。眼鏡でむっつり、そして脇役。少なくともこの話の中では主人公になることのない男だ。
「どうした?」
「さっきの会話聞いてたんだ。で、言いにくいんだけどよ…」
「なんだよ」
 竜馬がいかにも煩わしそうな声で答えた。
「台詞回しがアニメだったな。俺、聞いてて笑ったわ」
 くくく、と黒田が笑った。
「言いたいことを言ったまでだ。言い回しとかどうでもいい」
 竜馬はいらいらを隠す気もなく、不機嫌に返事をした。
「でもなあ…痛い子みたいだぜ?」
 無神経に黒田が言い放った。ぷつり、と竜馬の中で何かが切れた。
「死んでしまえぇぇぇぇ!」
 ずどん!
「ぐはぁ!」
 気が付くと、竜馬のアッパーが、黒田を吹っ飛ばしていた。


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