それからは、アリサにとって嫌なことの連続だった。祐太朗は何度もアリサに愛の告白をし、アタックをしてきた。最初のうちは上手くかわしていたアリサだったが、かわすことにも疲れ、とうとう攻撃をはじめた。ところが、祐太朗は何度言葉で倒しても、何度肉体的に倒しても、まるで不死身のごとく起きあがる。そして、今日の業務が終了した後、アリサは逃げるようホテルへ戻り、そこからまた街へと出かけていた。
「あー、ひどい…あいつ、なんなのよ。竜馬がいるから無理だって何度も言ってるのに」
 アリサがぶつぶつ言いながら歩いている。つい先ほど、彼女は毛の手入れをするために、グルーミングサロンへ行っていた。地球人で言う床屋のようなその施設は、読んで字のごとく、獣人の体毛を整えるための店だ。散髪、ブラッシングなどはもちろん、お金を出せばマッサージや入浴、さらには装飾品の調度などもしてくれる。夏毛から冬毛に変わるとき、またはその逆のときなどには、獣人がグルーミングサロンで毛を整える。もちろん自宅で出来ないこともないのだが、専門の美容師に頼んだ方が楽だし安全だ。アリサはいつか、竜馬にグルーミングしてもらうことを夢に見ていた。
「大体、図々しすぎるのよね。竜馬がもう少し行動的なら、こんなことにはならないのになあ…」
 はあ、とアリサがため息をついた。と、彼女の頭に、一つのアイディアが浮かんだ。明日は終業、終わった後に軽く話があって、開放になるだろう。そのときに…
「そうだわ!いい手があるじゃない!そうと決まれば早速…」


 パラパパパーパパーパパララー
 竜馬の携帯が鳴り響いた。ちょうどそのとき竜馬は、ファミリーレストランで修平と腕相撲の真っ最中だった。
「ぐぐぐぐぐ…!」
 竜馬が力を込めれば、修平も力を込める。それを、真優美、恵理香、美華子が見守っている。
「携帯…」
 美華子が携帯電話をちらりと見た。
「待って、今出るから!ぐぐぐぐ…」
 竜馬が力を入れた。顔が赤くなる。修平がそれに耐えていると、竜馬は腕から力を抜いた。限界が来ている。刹那、修平の目が光ったと思うと、竜馬の腕がテーブルに叩きつけられた。
「あたー!」
 竜馬が手をぱたぱたと振り、手の甲を撫でる。
「ま、負けた…あー、だめだ、俺…」
「だから、電話」
「あ、うん」
 美華子に促され、携帯電話を持って走る竜馬。店の外に出て、電話を取る。
「もしもし?」
『竜馬〜?』
 アリサの声だ。
「ああ、アリサか。また寂しくなって電話か?」
 アリサならば待たせたとしても怒らないだろうと、竜馬は少しほっとした。これが清香ならば、出なかっただけで嫌味を雨霰とぶつけられている。
『あのね、明日仕事終わって、そっちに帰るんだけど、そのときに迎えに来てくれない?』
 アリサは何でもないことのように言う。
「え、何で?俺、車もバイクも免許ないし、無理だって」
『そうじゃなくて〜、こっちまで来てほしいのよ。ご飯奢るから、一緒に食べよ?』
「なんでだよ。嫌だって。一人で帰ってきてくれよ」
 竜馬は店内をちらりと見た。美華子と真優美が腕相撲をしている。美華子は力を入れているようだが、あっさりと真優美に負けてしまった。
『うーん、やっと帰れる嬉しい日だから、友達といたいのよ〜。美味しいステーキハウス知ってるの。ね、行こう?』
 アリサが早口で捲し立てる。竜馬は考え込んでしまった。食事を奢らせるのもあまり気分はよくないし、アリサのことだからまた暴走するだろうと思う。しかし、帰れる嬉しさを誰かと分かち合いたいというアリサの気持ちも、わからないでもない。相手が誰であろうと、根本的に嫌いきれないのが、竜馬の優しさでもあった。
「電車代とか時間は?」
『時間はまだわかんないかな。電車代はもちろん私が出すわよ。来てもらうんですもの、当然よ?』
 アリサがくふふと笑った。
「うーん…西田だっけ、そいつと行けばいいじゃん。俺はいいよ、遠慮する」
 竜馬はやんわりと断った。
『嫌よ!』
「うわっ!」
 アリサが叫び、竜馬は思わず電話を取り落としそうになった。
『ひどいのよー!嫌だって言ってるのに、好きだの、付き合ってくれだの、結婚しようだの、もうしつっこいの!いくらイケメンでもあれは無理無理!』
「む、無理なのか…」
 竜馬の頭の中で、警鐘がなった。このままではいけない。アリサと祐太朗をくっつけなければ、自分が誰かに手を出すたびに、アリサに噛みつかれ、引っかかれ、殴られる生活が続いてしまう。
 ちょうど今日の昼、小さな出来事があった。昼休み、食堂に行ったときのこと。ちょうど竜馬が席についたとき、向かいに真優美が座った。
「…で、宿題なくしちゃって。そのとき、美華子ちゃんが助けてくれたんですよぉ。図書室のコピー機で、ノートをコピーしてくれたから、もう一度問題が解けて…」
 真優美の話はとりとめがない。食べている大盛りラーメンの話が、電気屋の話になり、家族の話になり、ついには回り回って宿題の話になる。ともすれば、最初にしていた話の結論も出ていないまま、最後の話が終わってしまうこともある。
 ちょうど、彼女が話に夢中になり、声を高くしていたときのことだ。
 ぽろり
「あ」
 真優美の手から箸が落ちた。箸はころころと転がり、テーブルの下へと入っていった。
「あらら…」
 真優美が箸を拾う。食堂の床は掃除が行き届いていないらしく、埃まみれになってしまっていた。
「はい」
 箸を取りに行こうと立つ真優美に、竜馬が箸を差し出した。食堂の割り箸は使い勝手がいいので、竜馬はいつも1膳2膳くすねて、持ち帰っていた。
「あ…り、竜馬君、これってもしかして…」
 真優美が箸を受け取る。その顔は恥ずかしそうで、尻尾がぱったぱったと揺れていた。
「もしかして?」
「もしかして、間接キス…ですか?」
 言っちゃった、といった顔で、真優美が自身の頬に手を当てた。
「いや…予備の箸持ってたんだ。大丈夫だよ」
 竜馬が自分の箸を見せた。
「あ、な〜んだ…」
 真優美は一瞬残念そうな顔を見せたが、すぐにそれを消し、取り繕うようにえへへと笑って見せた。その顔の移り変わりを見て、竜馬は思った。
『あれ…真優美ちゃん、かわいいんじゃね?』
 一度気にすると、その感覚はなかなか離れない。アリサがいなくて、制約がなくなっている今、竜馬の目は他の女の子にも注がれていた。
 そこで彼は真理にたどり着いた。お互いが思い合い、愛し合ってこその恋愛。一方的に恋を押しつけることや、逆に押しつけられることさえされなければ、自分も恋愛に関しては正常ではないかと。
 昨日彼を包んでいた違和感。これはつまり、アリサから一方的に恋愛感情を押しつけられることに慣れてしまったせいで、竜馬の恋愛中枢がバグを吐き出していた結果だったのではないか。寂しい、と感じてはいたが、実際は寂しくもなんともなかったのだ。
 数えるだけで、竜馬のクラスには18人の女子がいるわけだし、真優美や美華子、恵理香とはとても仲がいい。彼女たちが無防備な今、もし竜馬がその気になれば、恋愛に発展させることが出来るかもしれない。だからこそ、今ここでアリサが祐太朗とくっつかなければ、困ったことになってしまう。
「やっぱ俺、行くよ。飯も奢ってもらえるって言うし、ほら、その会社だっけ、ちょっと見てみたいしさ」
 竜馬は慌てて嘘を言った。祐太朗がどういう人物なのかはよくは知らないが、自分がアリサと恋仲でないことや、アリサを好いてもらってかまわないことなどを言って説得すれば、彼もそう見るだろう。そうすれば、アリサを彼が引き取ってくれるはずだ。
『さっきまで嫌がってたのに、どういう風の吹き回し?』
「気が変わったんだよ。来るなって言うなら、行かないが?」
 竜馬が冗談っぽく、しかし脅すように言った。
『そ、そんなことないよ〜。じゃあ、時間決まったら、メールするね』
「ああ、うん。頼むわ。じゃあ、また明日」
『うん、明日。お休みなさい〜』
 電話が切れた。これで、下手さえ打たなければ、問題ないだろう。
「しかし、電話ばっかりしてる気がするな…」
 竜馬は店に戻り、席に座った。既に料理が数品並んでいる。
「おう、おかえり。なんだったんだ?」
「ああ、なんでもないよ。なんでもな」
 修平の質問に答える竜馬。明日の計画をゆっくりと考えながら、竜馬はフォークを手に取った。


前へ 次へ
Novelへ戻る