ぼろぼろになってしまった一行は、体勢を整えるため、公園に戻ろうとしていた。まだ聞いていないアオオオネコの弱点どがあるかも知れない。先ほど修平が、竜馬に戻るようにメールをしたが、返事は返ってこなかった。
「痛かったなあ…うう、乱暴な手はしちゃいけないってことですよねぇ…」
 真優美が顔を撫でた。彼女の顔は、アオオオネコに何度もひっかかれ、跡になっている。
「考えてみれば当然だな…猫であれ、何であれ、暴力に頼っていては何も解決しないな」
 考え込んでいた恵理香が結論を出した。
「あ、あれ」
 公園の方を美華子が指さした。ベンチに座り、アオオオネコの飼い主、メキャと話す竜馬の姿が見える。
「ああ、竜馬君…」
「竜馬ぁぁ〜!」
 真優美がその名を呼ぶが早いか、アリサが竜馬に向かって駈けだした。竜馬が走ってくるアリサに気づき、ベンチから立ち上がる。
「竜馬!竜馬ー!」
 がっ!
「ぐふぅ!」
 アリサは手加減まったくなしに竜馬に突っ込んだ。アリサを何とか受け止めることが出来た竜馬だったが、それは走ってきた少女を受け止めるような格好ではなく、まるで突っ込んできたクォーターバックを止めるアメリカンフットボールの選手のようだった。
「うう、竜馬、痛かったよぅ、ううう」
 アリサがぱったぱったと尻尾を振る。アリサを突き飛ばそうとしていた竜馬だったが、彼女の顔にひっかき傷を見て、思いとどまった。
「ひどい傷じゃないか。大丈夫か?」
 竜馬が心配そうにアリサの顔を覗き込む。
「竜馬、お前は怪我ないか?」
 4人が近づく。竜馬はそれぞれの姿を見て、驚いてしまった。アオオオネコのせいだと思われる傷が多数ついていたからだ。
「ひどいな…あいつ、気が立ってるのか…」
 呆然と立ちつくすメキャ。くわえているたばこから、灰がぽろりと落ちた。
「何かこう、決定的な手はないのか?例えば、ドラヤキが好きだとか、鯛焼きが好きだとか、おでんが好きだとか…」
 全員分の虫網を持たされていた恵理香がベンチに座った。今度はステージで、やはり面白くないマジックショーをやっていた。
「好きな物か…そうだな…」
 メキャが顎に手を当てて唸り始めた。しばらく彼はそうやってうんうん言っていたが、はっと何かをひらめいたようで、顔を上げた。
「そうだ、たこ焼きだ」


「こんな罠で本当に捕まるのか?」
 恵理香が懐疑的な視線を目前の罠に向けた。皿に乗せられたたこ焼きが湯気を立てている。その上には、鳥を捕るときのようなザルが斜めに立てかけられており、たこ焼きに口をつけたとたんにザルが倒れる仕組みだ。ザルはそれなりに重い金属で出来ており、被さったらなかなか持ち上げることは出来ない。もちろん、口をつけないでも、引っ張れば棒は取れて網が被さる。
 一同は草むらに隠れ、アオオオネコが来るのを待っていた。メキャの案でこの罠を作ったはいいものの、本当にアオオオネコを捕まえることが出来るか、とても不安だった。
「本当は罠になんかかけたくないんだけどな。あいつが本気で逃げるなら、俺の手じゃ捕まえることは出来ない。きっと、かかるさ」
 メキャはいたって真面目だ。その真面目さが、高校生一同の不安に拍車をかけた。
「大体ねー、こんな罠だとわかりやすい罠に、動物がかかるわけないじゃない。もう…」
 馬鹿馬鹿しい、といった態度で、アリサがため息をつく。
「俺もそう思う…」
 珍しく竜馬もアリサと同意見だった。こんな単純な罠では、アオオオネコどころか野良犬や野良猫すらかからないだろう。罠というのは、それが罠だと気づかせないから罠なのだ。こんな見た目にも怪しいものに猫が入るわけがない。
「うーん、でも、アリサちゃん」
「何よ?」
 修平が唸りながらアリサの名前を呼んだ。
「ほら、あれ」
 修平が罠の方を指さす。アリサが見てみれば、そこには美味しそうにたこ焼きを食べているアオオオネコの姿があった。罠にかかったことにすら気づいていないようで、ザルの中でたこ焼きを噛んでいる。アリサと竜馬は気が抜けて、ばったりと転んでしまった。
「結局、ケダモノなんだね…」
 これはさすがに予想外だったらしく、美華子が軽蔑とも呆れともつかぬ視線を投げかけていた。
「…ア?」
 たこ焼きを食べ終わったアオオオネコが顔をあげた。そこで初めて自分が罠にかかったと理解したらしい。顎が外れている。
「フギャ!ニャー!ニィィィィ!」
 ケモノ丸出しの鳴き声で暴れ回るが、金属製のザル相手には傷を付けることすら出来ない。ザルの中で、たこ焼きを置いていた皿が、がらんがらんと音を立ててひっくり返った。
「散歩はもういいだろう。ほら、一緒に帰ろう」
 メキャが草むらから出て、アオオオネコに顔を近づける。アオオオネコははっとした顔をして、ザルの中をうろうろと決まり悪そうに歩き回った。小さい声で唸っているのが聞こえる。
「こうして見るとかわいいな。あんなに暴れた猫と同じ猫とは思えない」
 アオオオネコを覗き込む恵理香。動物を見て何か感じるものがあったのか、太い尻尾をゆっさゆっさと揺らしていた。
「ほら、言ってみ?どうして逃げ出したんだ?」
 メキャがタバコをくわえて火をつけた。
『…わかってるくせに』
 アオオオネコが思考を送り込んだ。悲しみと苛立ちが一緒に流れ込む。何かしらの原因がメキャにあるようだ。
「心当たりがあるんですか?」
 竜馬が静かに聞いた。一同は、何も言わず、メキャを見つめる。
「んー…こいつが楽しみにしていたウナギの缶詰、食っちゃったんだよ…それくらいしか…」
『嘘ばっかり!それ以外にも、タバコやめてとか、もっと早く帰ってきてとか、一緒にどこか行こうとか、みんな蹴ってたくせに!』
 アオオオネコがメキャの言葉の最中に割り込んだ。ギャアギャアと猫らしく叫ぶ。
「なんかまるで…」
「亭主に文句を言うかみさんみたいだなあ…」
「うん…やっぱ、結婚とか難しいんだな…」
 竜馬と修平が顔を見合わせた。普段は彼女欲しい欲しいと言っている2人だが、こういう場面を見ると、女性に対しての感情が複雑になる。
「まあ、竜馬は私と結婚することになるんだから、特に問題もないと思うけどね。精一杯優しくするわよ?」
 アリサが当然のことのように言った。
「うっとおしいなあ…バカの相手は出来ない」
「もう、照れちゃって。なんでそう素直じゃないかなあ?」
 アリサが竜馬の腕に抱きついた。竜馬がため息をつく。
「あのな、君たち。俺はこいつと夫婦なわけでもなんでもないんだぜ?だいたい、ケダモノと人が夫婦になんかなれるものか」
 メキャが不快感をあらわにした。そして、彼の言葉を聞き、またアオオオネコが暴れ出す。
『この陰険男!バカ!変態!死んじゃえー!』
 がたがたがたがたがた!
 金属製のザルが揺れる。どうやら、彼にその気がなくても、アオオオネコは自分を妻だと思っていたらしい。
「えーと、その…お、お似合いのカップルだと思いますよ〜?」
 真優美が微妙な半笑いでフォローを入れたが、メキャはそれをよしとしなかったようで、真優美を睨み付けた。真優美の尻尾がびくんと跳ねる。
「いいかい?俺は恋人にはなることは出来ない。でも、お前を大事な親友として、相棒として扱ってるつもりだ。不満があるか?」
 メキャが一語一語、噛んで含めるようにアオオオネコに言って聞かせた。その目は真剣そのものだ。対するアオオオネコの方は、自分が軽く扱われていると感じているのか、不機嫌だ。ザルに爪を立て、なんとかメキャをひっかこうとがんばっている。
「どうしたもんかな…俺は仲良くしていたいだけなんだけどな…はあ…」
 メキャががっくりと肩を落とした。この問題を解決しない限り、アオオオネコが彼の元へ帰ることはないだろう。
「あんたもだいぶ女々しいね」
 美華子がアオオオネコを挑発した。アオオオネコを見下し、鼻で笑う。
『もっかい言ってみなさい!その顔、チェックのシャツにしてやる!』
「何度でも言うよ。そんな女々しい女、好かれるわけない。所詮ケモノだね、つまらない」
 美華子の一言に、アオオオネコが切れた。
『んだと、ニャア!あんた許さない!噛んでやる!ひっかいてやる!蹴ってやるー!』
 がっちゃがっちゃがっちゃがっちゃ
 アオオオネコが本気でザルに向かって抵抗を始めた。
「ね、ねえ。やばいんじゃないの?」
 アリサがおどおどし始めた。アオオオネコの怒りも無視して、メキャに預けてあった荷物の中からアンプを取り出す美華子。背負っていたギターを取り、アンプに繋ぐ。
「美華子さん、何をするんだ?」
 美華子のすることを見て、恵理香が不思議そうな顔をする。
「ちょっと、ね。この猫に、魂を見せてあげようと」
 そう言いながら、美華子はギターケースの中にあったスリングベルトをつけ、ギターを首からつり下げた。一音一音、丁寧に調弦をしているところを見れば、彼女がギターを扱い慣れていることがわかる。
「美華子ちゃん、ギター弾いたことは…」
「少し。うん、本当に」
 真優美の問いに、美華子が答えた。最後は自分に言い聞かせるかのように言う。どうやらギターのセッティングが終わったらしく、美華子は片手でネックを、もう片手でボディーを抱えた。
「じゃ、行こうか」
 ジャラララン
 美華子がギターを一つ鳴らした。ミ、ラ、レ、ソ、シ、ミの6つの音が、一つの流れのように公園に流れる。
「ん…」
 美華子はすうっと息を吸い込み、ギターを弾き始めた。悲しく、弱く、そして優しいバラード。雨の降る日にでも流れていそうな曲だ。
「あ、上手い」
 アリサが目を丸くして美華子を見つめる。美華子にこんな特技があるとは、誰も考えすらしなかった。公衆の面前でありながら、美華子は恥じる様子もなく、ギターを弾き続ける。
「…」
 アオオオネコがじっと美華子を見つめている。彼女も彼女なりに、何か思うところがあるのだろう。先ほどまでうるさく鳴いていたのに、今は声一つあげない。ヒゲがぴんと張り、その瞳が美華子の方を見つめている。
「なんだ?」
「あっちの方でもなんかやってるみたいだぜ」
 つまらないマジックショーを見ていた客が、だんだんと美華子の回りに集まり始めた。美華子の弾くバラードが、風と共に公園を流れていく。祭りの熱気も、まるで他の世界のように感じられる。
 ジャン…
 最後の一音が、風になって公園を吹き抜けた。歓声がわいた。いつの間にか、美華子の回りに多数の人が立っている。それは彼女のギターを聞き、それに感銘を受けた人の数だった。
「落ち着いたみたいだな。また話し合おう。ほら、今日のうちは、一緒に帰ろう」
 メキャがザルの中のアオオオネコに言った。アオオオネコはばつの悪そうな顔をしていたが、顔をあげ、耳をぱたぱた動かした。
『うん、わかった』
「よし、いい子だ」
 メキャがアオオオネコを撫でようとして、ザルがあることに気づく。重いザルを持ち上げようと手をかけた、ちょうどそのときのことだ。
 ジャァァァン
 美華子がギターをかき鳴らした。ディストーションの強くかかった、歪んだギターの音が響き渡る。
「アンコール!アンコール!」
 周りの人間が声を一つにして、美華子にアンコールをせがんでいる。彼女もそれに受ける気になったらしい。2曲目が始まろうとしていた。
「ノリがいいな。いつもの美華子さんからは考えられない」
 恵理香が感心したように美華子を見つめる。その尻尾の動きが、16ビートを刻んでいる。純和風少女の彼女にも、ギターのビートに反応するだけの熱い血は流れているらしい。
「ニィ?」
 困惑した声でアオオオネコが鳴いた。
「ふっ」
 ギュワワワン!ギャアアアン!
 美華子が小さく息を吐き、ギターを強く弾きはじめた。指が、体が、そして音が激しく揺れ動く。ギターの叫びが空気を切り裂く。陽光の下に飛び散る音の破片は、祭りの騒々しさにも負けはしない。
「うおおお、すげえ!」
 観客が一気に沸いた。まるで火山の噴火だ。マジックショーをやっていたマジシャンも、自分の仕事を放棄して観客の一人と化している。
「すげえ、地球も捨てたもんじゃないな」
 メキャが小さくつぶやいてアオオオネコを見た。
「フギャ!ニャア!ニャアア!」
 アオオオネコが丸まっている。伏せた耳を前足で押さえ、ぶるぶる震えている。
『み、認めないわ!雑音よ!ギターの悲鳴よー!』
 アオオオネコが思念波をまき散らす。しかし、そんなものも、この聴衆の熱気に比べればまるで大海とコップ一杯の水だ。アオオオネコの心に、熱気が入り込み、伏せた耳からはギターの音が容赦なく入り込んだ。
『む、無理、だめ…』
 がくっ
 アオオオネコの意識は暗転した。


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