「あれか…」
 修平は虫網をぐっと握りしめた。祭りをやっている通りのだいぶ外れた所、ラジカセで音楽を流している雑貨屋台の前で、アオオオネコが伏せている。ぶかぶかのシャツを着てジャマイカンスタイルの髪型をしている屋台主は、夏の熱気が心地よいのか、居眠りをしていた。道行く人が、アオオオネコを物珍しそうに見ているが、立ち止まる人はいない。5人は路地に入り込み、通りの様子をこそこそとうかがっていた。
「どうします?このまま行っちゃいますかぁ?」
 真優美がビルの影から屋台の方を見ている。その後ろから修平とアリサが同じ方向を見ていた。アオオオネコは尻尾をぱったんぱったんと動かしているが、どこかへ歩き出す気配はない。夏、それも日の当たるアスファルトの上に寝ているというのに、アオオオネコは涼しげな顔をしていた。
「少し待とう。ともすれば、このまま寝てしまうかしらん」
 アオオオネコを目の端に捕まえながら恵理香が言った。確かに、アオオオネコは今にも寝そうな顔をしている。テレパシーなどという手強い能力を持っている相手だ。慎重を期した方がいいだろう。
「うう、暑いわ…」
 アリサが浴衣の胸元をぱたぱたと扇いだ。路地に差し込む日の光が、アリサを真っ直ぐに灼いている。真優美やアリサは体毛があるせいで、蓄熱率が地球人の比ではない。毎年この時期になると、獣人の熱中症患者が病院によく運び込まれている。
「あ、寝たか…?」
 修平がひそひそ声で言った。アオオオネコは頭を垂れ、目を閉じている。さっきまで振っていた尻尾の動きが止まった。
「よーし、じゃあ、1、2の3で出るぞ」
 恵理香が虫網を構えた。路地からアオオオネコまでの距離、およそ5メートル。ダッシュで詰め寄れば、猫は逃げる間もなく虫網の中に入ることだろう。
「1…2…さんっ!」
 ばっ!
 5人が路地から飛び出した。通行人が何事かと振り向く。
「ええい!」
 アリサの網が猫をすくい上げた。頭と前足までが網に入っている。猫がばたばたと体をくねらせた。
「今です、このスイッチを!」
 かちり
 真優美が虫網のスイッチを入れた。と、そのとたん、真優美とアリサが耳を押さえた。
「な、何これ!猫だけじゃなくて私たちにも聞こえてるじゃない!」
「あ、あう!ひどい音…ふあああ…」
 真優美がくらくらしはじめた。どうやら高周波の音がアリサや真優美に聞こえてしまったらしい。
「おい、大丈夫かよ」
 倒れてきたアリサの肩を修平が受け止める。彼女の手から網が落ち、アオオオネコが地面にべたりと落ちた。
「ニ、ニィィィ…」
 アオオオネコがのたうち回っている。どうやらこちらにも音が聞こえていたらしい。当初の目的は一応果たしているが、それは余計なところで自分たちにも跳ね返ってきていた。
「も、もうだめぇ…」
 かちり
 真優美が涙目になってスイッチを切った。と、何かの圧力から開放されたかのように、アリサと真優美が正気に戻る。
「ひ、ひどかった…真優美ちゃん、あんたなんでこんなものをー!」
 アリサが真優美に掴みかかろうとした、ちょうどそのときだった。
 ばしぃ!
「きゃん!」
 アリサは首元に強い衝撃を受けて、仰向けに地面に転んだ。アオオオネコがアリサの首元にフライング体当たりをしたようだ。
 ばりばりっ!
「ああー!」
 アオオオネコは爪を立て、アリサの顔をひっかいた。そして、敵意むき出しの目で残りの4人を順繰りに見て回った。
『お前たち、許さない…!』
 唐突に4人の脳に声が響いた。若い女性の声だ。
「え?」
 恵理香が周りを見回す。店の前で起きる珍事にも無関心なジャマイカンな店主と、祭りに来ている客以外、自分たちに話しかけそうな人間はいない。
「まさか…これがテレパスってやつか?」
 修平が物珍しそうにアオオオネコを見下ろす。
「私にも聞こえた。すごいね、初めてだよ、こんなの」
 美華子が珍しく興奮している。思念波を送ることが出来るだけでも驚きだが、会話のようにその場にいる全ての人間に話しかけられるというのも驚きだった。
「今の声からして、女の子なのかなあ…」
 正面から真優美がアオオオネコを見据える。地球人、獣人、爬虫人の性別くらいは見分けがつくだろうが、さすがにケダモノの性別まではわからない。
「ま、なんでもいいし。とりあえず捕まえておしまいにしよう」
 美華子が虫網を振りかぶった。アオオオネコはそれを敵意の現れと見たらしい。ぐっと体を縮め、まるでスーパーボールか何かのように跳ねた。
「うわ!」
 ばりぃっ!
 アオオオネコの前足の爪が美華子の顔をひっかいた。返す爪が、修平の腕を切り裂く。
「いてぇ!」
 修平が腕を押さえている間にアオオオネコが地面に降り立った。その顔は憎しみしか映さない。どうやら、下手を打ってしまったようだ。
「大丈夫か…」
 どすっ!
「あうっ!」
 傷を見ようと2人に近寄った恵理香が、真っ正面から蹴り飛ばされ、ノックアウトされてしまった。
「お願い、話を聞いて…」
 真優美が涙目でじりじり後ろに下がる。からん、と音を立てて、虫網が倒れる。
『うるさいっ!意地の悪い人間めー!』
 ばっ
 アオオオネコが飛びかかり、真優美の顔に張り付いた。
「あ」
 ばりばりばりばりばりっ!
「きゃあああ!」
 アオオオネコの爪が、何度も何度も真優美の顔をひっかいた。


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