別れてから十数分後。アリサは早速、たこ焼きを買って食べ始めた。真面目に捜索する気は最初からないらしい。
「まあ、普通に回ってても、縁があったら見つけられるでしょ。そんなことより楽しまないと…」
 つぶやきながら、辺りを見回すアリサ。狭い路地、ビルの非常階段、足下、そして車の下など、犬猫がよくいそうな場所を中心に見て回る。もちろん、食べることも忘れない。お祭り気分を満喫する方が優先だ。
「それにしても、真優美ちゃんが余計なことに首を突っ込まなければ、猫探しなんてしなくてもよかったのよね。困った子よね」
 アリサは頭の中で真優美を思い浮かべた。今回のことも善意なのはわかるが、他人を巻き込むのは感心しないとアリサは思っていた。
「それにしても、100万かぁ…そうだ、かっこいい服買って、竜馬に迫っちゃおう。くふふ」
 アリサは未来の自分を想像してみた。服屋で買った、ちょっと洒落たミニスカートに、獣人用のジャケットを着て、チョーカーをつける。
『どう?似合うかしら?』
 想像の中でアリサがくるりと一回転した。竜馬が自分に見とれている。そして、彼は一言「好きだよ」とだけ言うに違いない。
「ああ、いいよぉ、すごくいい!」
 アリサが尻尾をぱったぱったと振った。なんとしてもアオオオネコを見つけ、おしゃれ代金を手に入れなければならないと、アリサは気を新たにした。
「いってて、くそ…なんだよ、あの猫…」
 と、彼女の前を、一人の男が通り過ぎた。金髪で細身の若者が、足を撫でながら歩いている。アリサは彼の一言を逃さず聞いていた。
「ちょっとごめんなさい。あの猫って?」
 アリサが男に後ろから話しかけた。誰に話しかけられたか振り向いた彼は、アリサを見て、一瞬顔を緩めた。
「あの猫って、どの猫かしら?」
 アリサに再度聞かれて、男は表情を引き締めた。
「今、青い猫がぶつかっていきやがって。すっげえ青い猫で、でかいやつ。まじ意味不明、あれほんとに猫か?っていう」
 若者は通りを曲がる方向を指さした。そちらにも多数の屋台が並んでいる。
「私が探してた猫だわ。ありがとう。迷惑かけてごめんなさいね」
 アリサはにっこり笑って礼を言った。そのまま行こうと踏み出すと、前に若者が立ちはだかる。
「よかったら、俺と一緒に行かねえ?ちょー美味いケーキの店とか知ってんだけど」
 男がにこりと笑う。容姿も悪くはないだろうし、話してみればそれほど悪い人間ではないのかも知れない。しかし、竜馬のことしか頭にないアリサにとっては、ナンパなどたちの悪い嫌がらせ以外の何物でもなかった。
「ごめんなさい、私急いでるから」
「そんな急ぐことないって。あんだけ珍しい猫なら、誰か捕まえてくれんべ?」
「そうじゃなくて。私は彼氏いるもの。今はこの場にはいないけど…」
「うわ、その彼氏って、君放っといてるわけ?俺は放っておけないんだけど。真面目に、一緒に行こうよ」
 話をしているうちに、アリサはだんだんといらついてきた。吐き捨てたガムのようにまとわりつく男の言葉が、アリサの耳には不快だった。
「しつこいわね。必要ないって言ってるの。わかる?」
 アリサが軽蔑のまなざしで男を見つめた。子供なら泣き出し、犬猫なら逃げ出すような視線だ。男が怯んだのがわかる。
「で、でもさ。俺は…」
 男が話を続ける。もうアリサには限界だった。一発かまそうと、拳を握る。
「あ、アリサ。お前こんなところで…」
 アリサの後ろから誰かが話しかけた。竜馬の声だ。
「りょぉま〜!」
 たこ焼きを落とさないように気をつけながら、アリサはくるりと振り返り、竜馬に抱きついた。尻尾をぱたぱたと振る。
「あ、こら、お前暑苦しいのに…」
 竜馬はあからさまに嫌な顔をした後、目の前で自分を睨んでいる男に気が付いて固まった。
「ごめんね、彼氏いるの」
 アリサが勝ち誇ったような顔をして見せた。
「ああ、そう…」
 男は腹立ちを隠そうともせず、人混みの中に流れていった。悪態をついているのが聞こえる。
「あの人は誰さ?」
 竜馬が後ろ姿を見ながら言った。
「知らない人。私をナンパしようとしてたのよ。くふふ、いい根性してるわよね」
 アリサが竜馬の胸に頬を擦り寄せた。
「あー、あつっくるしい!そんなことより猫探すぞ、猫!」
 竜馬はアリサを引き剥がして歩き始めた。とことことアリサが後を追う。
「ねえ、竜馬。このたこ焼き美味しかったのよ。一つ食べてみない?」
 アリサが手に持っているたこ焼きのトレーを見せた。
「食べたいけど、立ちながらは往来の邪魔だろう。後でもらうよ」
「うーん…あ、あそこにベンチあるじゃない」
 アリサは道の端にあるベンチに目をつけた。人が休めるように、祭りの運営委員会が所々に設置したようだ。
「ね、とりあえずこれ食べたら、また探しましょう?竜馬、何も買ってないじゃない」
 アリサが竜馬の頬を撫でる。
「んー…まあ、少しくらいはいいか」
 アリサの手を払う竜馬。ベンチに座り、額の汗を手で拭った。
「食べさせてあげる〜。くふふふ」
 アリサが爪楊枝をたこ焼きに刺した。
「いいよ、自分で食うよ」
 竜馬はうっとおしそうに手を振った。
「もう、恥ずかしがっちゃって。あんまりわがまま言うと、前回のアレ、みんなにバラしちゃうわよ?ほら、デートの…」
 アリサがくすくすと笑った。そして、竜馬は凍り付いた。前回のアレ、というのが何を指すかはわからないが、竜馬にとって危ないものだということは確かだ。前回、竜馬はアリサにお金を借りる代わりに、1日アリサの彼氏になった。そのとき、何かしたことをアリサが覚えていて、それをばらすと言うのだろう。
「ほら、あのとき…」
「わーったよ!ったく、しょうがねえな…」
 竜馬がアリサの話を途中で切った。彼自身も聞きたくない話が出て来る可能性があるようだ。
「はい、あーん」
 竜馬は嫌そうに口を開けた。アリサがにっこり笑って、たこ焼きを運ぶ。
 ぱくっ
「え?」
 たこ焼きは竜馬の口には入らなかった。何物かがたこ焼きを食べてしまっている。
「ん?」
 竜馬とアリサが、自分たちの間にいる何かに目を向けた。海碧色の体毛の猫が、口をもぐもぐさせている。ただ、猫と言うには少々体躯が大きいようだ。
「これって、俺らが探してる、あれだよな?」
 竜馬が猫を指さした。猫はたこ焼きを飲み込み、ぺろんぺろんと口の周りを舐めた。
「たぶんそうだと思うけど…案外簡単に見つかっちゃったわね」
 アリサがそっと手を伸ばした。アオオオネコはその手に気づき、さっと避けて威嚇行動を見せる。
「人を怖がってるのかなあ…怒ってる」
 竜馬がベンチから下りてアオオオネコに近づいた。じりじりと後ろに下がったアオオオネコは、お尻を建物の壁にぶつけた。
「ほら、おいで。帰ろう」
 アリサが手を差し出した。
「ギニャァ!」
 猫が叫んだ。その瞬間、何かおかしな事が起きた。竜馬とアリサ、2人の頭がいきなり痛み、体中の平衡感覚が狂い始めた。
「な、なんなんだ…」
 頭を押さえる竜馬。と、彼の頭の中に、何者かが干渉してきた。
「うわ!」
 竜馬は思わずしゃがみ込んだ。強烈な恋愛感情だ。その感情に中てられて、竜馬は心臓がばくばくと高鳴るのを感じた。体中から汗が噴き出し、息が苦しくなる。
『好き、好き、だーい好き!キスしたい、抱きつきたい、すりすりしたい!』
 脳内に大声でアリサの声が響き渡った。アリサの感情が竜馬に流れ込んでいる。
「も、もうやめてくれぇぇ」
 竜馬はがっくりと膝をついた。
 一方、アリサもアリサで頭を抱え込んでいた。彼女の頭には、竜馬の感情が流れ込んでいた。アリサを嫌悪する感情と、少しは好いてやってもいいかも知れないという感情、それに非難が加わる。
『ほんっと俺の言うこと聞かないよな。どうせアリサは俺の彼女として、一緒にいて楽しいようにとか努力しないんだから、もう諦めよう。こんな女、こんな女…』
 竜馬の声がアリサの頭に響き渡った。それほどでもない言葉のはずなのに、嫌悪が真っ直ぐに突き刺さるせいか、アリサの心が痛む。
「う、うう、なによー!」
 とうとうアリサは怒りだした。しかし、心はだいぶ痛いらしく、耳を伏せ、ぶるぶる震えている。2人は、お互いがお互いの感情に流され始めていた。アオオオネコは、バカにしたように鼻を鳴らすと、一目散に逃げ出した。
「あ、待て、この野郎!」
 竜馬は後を追おうとして、蹴躓いた。脳内に今度は、アリサの恋愛感情と怒り、悲しみが流れ込む。
『何で嫌うのよ!やだよう、嫌わないで…嫌わないでよぉ…』
 そして、アリサの脳内には、竜馬の感情が流れ込む。
『俺か?俺が悪いのか?俺だって嫌いたくないのに!頼む、泣かないでくれぇ!』
 2人は身動きがとれなくなってしまった。お互いの思いや感情に振り回されている。アオオオネコは立ち止まり、ざまあみろと言わんばかりににやりと笑って、人混みの中に姿を消した。


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