「えぐ、えぐぅ…うううう…」
 真優美が座布団に座って泣いている。気絶して数分後に、同じく風呂に行こうとしていたアリサと美華子に見つかった真優美は、とりあえずその場を上手く片づけてから一緒に風呂に入った。怯えていた真優美だったが、アリサと一緒だということで、少しは安心したようだ。
 適当なところで風呂からあがった真優美は、新しい浴衣は見つけたが、替えの下着がないことに気づいた。仕方なく、一緒に上がった美華子に付き添ってもらって、こっそりと部屋へ戻った。その間も、またキツネコブラが来るのではないかと怯えていたが、部屋へ戻ってトランプをしていた残り4人を見て気が抜けたのか、泣き始めてしまった。そして戻ってきたアリサに、泣きやみそうなタイミングを見計らってからかわれ、さらに泣くのパターンを繰り返していた。
「ほら、もう泣かないの」
 美華子が真優美の頭を撫でる。
「うう…美華子ちゃん、怖かったよう…」
 真優美が目を擦る。
「そうよね、怖すぎてしーしーしちゃったんだもんね、くふふ。かわいいおもらしわんこなんだから」
 挑発するように、アリサが尻尾で、真優美の頬をぺしぺしと叩く。
「う、うううううう…言わないでぇ…」
 真優美の目にまたもや涙があふれた。
「お前というやつは、ほんっと嫌なやつだな」
 真優美の横に座っていた竜馬がアリサを睨む。
「そうだよ。さすがに今回は同意できんよ。ほんとに怖かったんだろうしさ」
 テーブルの上に置かれた多数の湯飲みに修平は、先ほど自販機で買ってきた冷たい茶を注いだ。
「なーによー。2人とも女の子相手だからっていい子ぶっちゃってさ。どうせこういうのが目当てなんでしょ?」
 ばっ!
「あ!」
 アリサが真優美の浴衣の膝をめくる。真優美は、パンツを、まだ履いていなかった。竜馬は飲みかけの茶を噴き出し、修平が鼻血を出して慌てて鼻を押さえた。
「のーぱんわんこ〜、くふふ〜」
「う、うう、あーん!あーん!」
 アリサがくねくねと、おかしな踊りを踊りながら真優美を馬鹿にすると、真優美は大きな声で泣き出した。部屋の隅で、修平がティッシュを鼻に詰めている。
「こら、アリサちゃん。あんまりからかうのはやめなさい」
 清香がじっとアリサを見つめる。
「お姉さん…そんな格好で言われても、説得力ないわよ?」
 アリサが清香の方をちらと見た。正座している彼女の後ろには、恵理香が座り、肩をぎゅうぎゅうと指で押している。
「肩もみしてくれるって言うからさ〜。ん〜、くうう、気持ちいい〜」
 清香がぐったりと頭を垂れた。
「なんか、昼もこのシチュエーションを見た気がする…」
 美華子が一口、茶を飲んだ。
「うう、竜馬君、嫌わないで…嫌いにならないでぇ…えぐ、えぐ…」
 泣いている真優美の目が、竜馬を見つめている。
「大丈夫、嫌いになんかならないよ」
 竜馬の手が、真優美の頭を撫で回した。
「すんすん…えぐっ…お漏らしわんこでも…?」
「ああ、もちろん」
「ぐす…ぐす…のーぱんわんこでも…?」
「ああ、もちろん」
 真優美の目が大きく潤む。
「竜馬君〜!」
 竜馬の首に真優美が抱きついた。
「あー!あんた、私の竜馬に…」
「うっさいな、黙ってろよ!いい加減にしろ!」
 真優美を指さすアリサ。そのアリサに怒鳴る竜馬。真優美は怒鳴り声に一瞬びくりとしたが、竜馬は彼女を安心させるために撫で続けた。
「竜馬君…竜馬君…」
「よしよし。もう安心だからね」
 泣きじゃくる真優美を、竜馬がしっかりと抱いた。
「うー…お姉さんも何か言ってくださいよ」
 アリサが清香の方を向いた。
「ああ、竜馬の部屋には、その手のAVがあったね〜。獣人がお漏らししちゃって…」
「わあああああああ!!」
 清香の言葉を遮るように竜馬が叫んだ。
「…変態」
 美華子がぼそりと言う。その蔑むような視線に、竜馬は思わずびくりとした。
「恵理香ちゃん、ありがと。気持ちよかったよ。さーてと、そろそろ動くかね」
 壁に立てかけてあった長いケースを手に取る清香。開くと、中には1本の木刀が入っていた。当たり前のように、それを浴衣の腰に差す。
「さー、腕に自信があるやつはあたしについてきな。これからいっちょ狐狩りとしゃれ込もうじゃないか」
 雑貨屋で買ってきた食料の中から、手頃なカップラーメンを出す清香。それを持ち、部屋を出る。
「お、おい、姉貴!…行っちまった。しゃあないな…」
 竜馬が立ち上がって外へ出た。アリサ、恵理香がその後に続く。修平は鼻血を拭いてから外に出て、美華子と真優美はしんがりをつとめた。
「このわかりやすい場所にね…」
 談話スペースの真ん中、自動販売機の前にカップラーメンを転がす清香。ころがした後、近くにある従業員用の上り階段に潜む。
「ほら、なにぼやぼやしてんの。あんたらも来なさい」
 清香にせかされ、残りの6人も同じように隠れた。
「清香姉…こんなので来るのか?」
「来るわよ。お姉さんを信じなさい」
 清香が酒臭い息で恵理香を説得した。いつの間にか真優美も泣きやみ、転がっているカップラーメンをじっと見つめている。
 ぽんぽん
「はい?」
 一番後ろにいた真優美は、何者かに肩を叩かれ、そちらを振り向いた。
「ミュー」
 ふっさふさの体毛。蛇腹。お盆と見まがうような大きな耳に、熊だって裸足で逃げ出すだろう巨体。
 そこにいたのは、キツネコブラだった。
「き、きゃあああ!!」
 真優美がパニックになって階段を駆け下りる。残りのみんなも、いきなりのキツネコブラの襲撃に驚き、逃げ出した。
「姉貴、なんであっちにいるんだよぉ!」
「知るか!」
 一気に2階を駆け回る7人。と、目の前に、宴会用の大きな広間への扉が見えた。
「あそこに一旦逃げよう!」
 ばたんっ!
 清香が扉を開けて中に転がり込む。と、中には、後ろにいるはずのキツネコブラがすでに先回りをしていた。
「グオオオオン!」
 キツネコブラが両腕を持ち上げる。その咆吼が、旅館全体に響いた。
「はっ、好都合だ!かかってきな!」
 酔っぱらって気が大きくなった清香は、何を考えたのか、木刀を抜刀してキツネコブラへと駆けだした。
「でえい!」
 清香は剣を大きく振りかぶり、真っ直ぐにキツネコブラに振り下ろした。
 ぱしぃっ
 キツネコブラがその両手で木刀を受け止める。清香は東京の某地域で女番長をやっているほどの腕前だ。まともに行けばサジタルプレーンを切り裂くこの斬撃を、キツネコブラは受け止めたのだ。
「な…これは…狐真剣白刃取り!」
「同じ狐キャラだからって張り合わないでいいよ」
 ファイティングポーズを取る恵理香に、美華子が呆れて言い放つ。
「グオウ!」
 ばきっ!
「ぐあっ!」
 キツネコブラの蹴りが、清香の腹に入り、清香はごろごろと転がった。
「清香さん!」
 慌てて修平が清香に駆け寄る。
「な、何あれ?むっちゃくちゃ強い…あー、いったた…」
「清香さん、大丈夫ですか?上手く動けます?」
「それが、体が思うように動かなくて…くっそー、まだ出し惜しみしてる奥義あるのに!」
 清香は何度か起きあがろうとしたが、体が重く、起きあがることは出来なかった。だいぶダメージを受けてしまったらしい。
「ということは、今俺が清香さんに何しても、抵抗できないってことっすね!」
 ぎゅうううう
 修平は清香に抱きついた。
「やめんかー!痛、痛てぇ!てめえ、このやろー!」
「お姉さん!お姉さん!お姉さーん!」
「えーい、今はだめだって!後でにして!あ、あ、だめぇ!」
 清香が殴ろうが蹴ろうが、修平はその腕を緩めることはなかった。修平に向かって竜馬は物を言おうとしたが、思いとどまった。今は目の前の危機を回避する方が先だ。
「やるっきゃないか…」
 キツネコブラの捨てた木刀を握りしめる竜馬。否が応でも力が入る。動物虐待は本意ではないが、やらなければやられる。
「えーい、何か手はないのか!」
「ソーコムでもグロッグでも、まともな銃があれば校長だって殺ってみせるのに!」
 ぴこーん!ぴこーん!ぴこーん!
 いつの間に出したのか、恵理香と美華子がピコピコハンマーを持ち、キツネコブラを叩き回している。と、キツネコブラが恵理香のハンマーを奪い、今度は2人を叩き始めた。
「な、何をする!私など食べても美味しくないぞ〜!」
 恵理香がよくわからない声をあげて駆けだした。
「危ない!」
 恵理香をかばうように前に立つ竜馬に、キツネコブラがピコピコハンマーを振り上げる。
「こいつっ!この!この!」
 ばしっ!ばしっ!
 竜馬が木刀を使い、キツネコブラとチャンバラを始めた。竜馬の剣がピコピコハンマーにことごとくはじかれる。たかだかプラスチックで出来ているおもちゃすら破れない自分の腕に、竜馬は少なからず苛立ちを感じていた。
「こわいよ、こわいよぉ…」
 乱戦模様を見て、真優美がまたもや泣き出した。見かねたアリサが、何か液体の入った小さな入れ物を真優美に渡した。
「これ、飲んで」
「え…え?」
「勇気が出るから。ほら、早く!急いで!」
 アリサに、急かされて慌てて液体を飲む真優美。と、彼女の顔つきがいきなり変わった。
「うふふ…力が漲ってくる。あなたなど、道ばたの石ころほどの価値もない。後悔させてあげる!」
 真優美が瞬発的に床を蹴った。稲妻のような速さでキツネコブラに近づく。気が付いたときには、彼女のハイキックが、キツネコブラの持つピコピコハンマーを蹴り飛ばしていた。
「グ、グオ?」
 真優美の顔を見て、キツネコブラが後ろにじりじりと下がる。薄ら笑いを浮かべ、しなやかに体を動かし、キツネコブラを見つめている。
「おい、アリサ、あれって…」
「そう、例の性格むちゃくちゃ薬!」
 アリサがブイサインをして見せた。
「詳しくは7話を読んでねとか言い出すつもりか!お前、まだ持ってたのか!」
 竜馬がアリサに詰め寄る。1学期の終わり頃、アリサは惚れ薬を通販で購入したのだが、実はそれは惚れ薬ではなく、性格がめちゃめちゃになってしまう薬だった。これを飲むと、アリサは従順に、美華子は陽気に、修平はもてもてに、そして真優美は凶暴になってしまうのだ。なんと説明的であろうか。
「いいじゃん。ほら、見て?」
 アリサが真優美を指さす。そこには、キツネコブラの拳をいなし、蹴りを避け、体当たりをかわす真優美の姿があった。踊るようなステップの1つ1つが、攻撃を避ける最小の動作であることがわかる。
「どうしたのかしらぁ?それだけ?それでおしまいなの?うふふ」
 キツネコブラの爪を受け止め、真優美がにやりと微笑んだ。
「なかなかに楽しかったけど、これでおしまいね。んっ!」
 どすっ!
 真優美のアッパーがキツネコブラの腹にクリーンに入った。もう片方の手で首から顔へと拳を投げつける。暴走少女に殴られたキツネコブラは、やけにスローに床に倒れた。
 ごろん
 キツネコブラの首が落ちた。
「…え?」
 竜馬が慌ててキツネコブラの後ろに回る。落ちた首は、よく出来てはいるが、ただのきぐるみだ。中には地球人の男の顔が見えた。真優美のアッパーがよほど強かったのか、気絶している。その顔に、みんな見覚えがあった。
「この人…和尚の手伝いの、村川とかいう人!」
 美華子が素っ頓狂な声をあげた。確かにこの男は、道成和尚の手伝いだという男だ。見間違いはない。
「よくやったわ、真優美ちゃん!」
 ごん!
 アリサが竜馬の木刀を奪って真優美を殴った。
「はうっ…!」
 真優美がばたりと倒れる。
「お、おい…」
「この薬の効果、衝撃を受けないと治らないのよ。暴走した真優美ちゃんは危ないんだから」
 しかめ面の恵理香に、アリサが説明する。アリサは気絶した真優美をそっと抱いた。
「…ということは、だ。キツネコブラ騒動は嘘だったってことか?」
 竜馬が足下の男の顔を覗き込んだ。と、どこかから自分たちを見つめている視線がある。顔を上げれば、廊下をこそこそと逃げる、道成和尚の姿があった。
「あ、和尚が逃げるぞ!捕まえないと!」
 恵理香が蹴られた鞠のように走り出した。一緒に竜馬が走り出す。美華子とアリサは足下の男を縄で縛り、修平は相変わらず清香にしがみついて離れなかった。
「ん…?」
 走っている途中、何かを蹴った恵理香が、足下を見た。カップラーメンのフタだ。先ほど清香が仕掛けたカップラーメンと同じ銘柄のもので、拾い上げてみると暖かさを感じる。
「あれ、偽キツネコブラはあっちに…」
 清香が階段をふと見ると、カップラーメンを美味しそうに食べる、キツネコブラの姿があった。清香の視線に気づき、ぴたりと動きを止めたキツネコブラは、冷や汗をかきはじめた。
「またきぐるみか!とりあえず和尚だ!あいつを捕まえて、どんなことをしてたか吐かせてやる!」
 キツネコブラを放置して、恵理香は道成和尚を追った。もし彼女に洞察力があれば、このキツネコブラにはファスナーも首の切れ目もないことに気が付いただろう。恵理香の投げ捨てたカップラーメンのフタが、からんと音を立てて転がった。


前へ 次へ
Novelへ戻る