「キツネコブラは1匹だったって?」
 恩募路旅館の前、帰り支度をしていた竜馬が、あくび混じりに清香に聞いた。清香は何も言わずにうなずく。
 一夜明けたその後、住民による「和尚を締め上げようの会」が発足してから、既に1時間が経っていた。今まで和尚を信じて寄付をしていた人々は、騙されたことを知り、怒り心頭だった。締め上げる会は公民館で開催されていたが、前売りチケットは完売、公聴人には整理券が配られ、弁当の行商まで出る始末だ。まるで落語家のような滑稽な格好で和尚は証言をさせられていたが、彼ははっきりと「きぐるみは1人分しかなかった」と言った。きぐるみの中には発光ユニットが仕組まれており、これが法力による電撃を再現していたらしい。
「じゃあ、私が見たのはなんだったんだ?たしかにこれを食べていたんだ」
 恵理香が手に持っているのはカップラーメンのカップだ。彼女が和尚を締め上げて戻ってきたとき、自動販売機の前には折れた箸とカップラーメンのカップが転がっていた。これもきぐるみの仕業に違いないと思っていたが、どうやら違うようだ。
「さあねえ。あたしゃよくわかんない…ほらほら、荷物乗せないと日が暮れるよ!」
 清香が後ろにいた修平を怒鳴りつけた。彼女の目線の先には、ぼこぼこに殴られた修平が、幸せそうに惚けていた。隣には同じように惚けてるアリサがいた。
 修平は昨晩、ぐでぐでに酔っぱらった清香に抱かれて寝た。彼はまさに幸せの絶頂にいたが、清香は朝起きたとき、それを覚えておらず、修平をぼこぼこにしてしまった。また、アリサは勝手に竜馬の布団に潜り込み、竜馬は危うく貞操を奪われるところだった。その余韻が尾を引いて、2人はいつまで経ってもこんな顔をしていた。
「キツネコブラのことは置いておいて、ほんと、気持ちいい温泉でしたねえ…また来たいなあ。あ、これで最後です〜」
 お菓子を食べ尽くし、小さくなったバッグを車に載せる真優美。昨日のことも忘れ去った彼女は、嬉しそうに尻尾をふりふりしている。
「よーし。じゃあ、そろそろ出発しようか。乗って乗って」
 清香が一人残らず車に乗せた。キーを回すと、車が低く唸って動き出した。
「清香姉、もう私たちは行っていいのか?」
 恵理香が窓から外を見た。
「いいのいいの。後はこの街の問題だしね。あの和尚、どうやら本当の偽物だったらしいし、大変なことになるみたいよ。袈裟だって、ディスカウントショップで買ったんだってさ」
「ああ…なるほど…」
 恵理香は和尚の後ろ姿を思い出した。違和感を感じたのは、自分の心のどこかで、偽物だと気づいたからだろう。よくよく思い出せば、首のところに、サイズを示すタグがついていた。本当の着物ならばあんなものはついていない。
 車がゆっくりと発進した。恩募路旅館の駐車場を抜け出て、山道をゆっくり下る。美華子が窓を開けると、爽やかな風が車内を通りすぎた。
「色々あって楽しかった〜。また来たいね」
 にこにこしているアリサ。相変わらず、彼女はトラブルが好きだ。竜馬は答えるのもおっくうになって、寝たふりをしていた。多少抱きつかれたりすり寄られたりはするだろうが、相手をするよりは疲れないで済む。
 どすんっ
「ん?」
 何か音がして、車の加速が速くなった。石でも踏みつけたのだろうか。試しに清香は強めにブレーキを踏んだが、特におかしなところはない。
『思い過ごしかな…』
 清香は少し深めにアクセルを踏み直した。
 一同を乗せた車は、一路東京へと戻っていく。日常へと帰るために。だが、車の上に、団扇のような大きな耳を持ち、腹が蛇、体が狐という、非常識な非日常を積んでいることに、気が付く者は誰もいなかった。


 (続く)


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