風呂から上がった後、みんなやることを本当に無くしてしまった。だが、別に暇だというわけでもなく、各々土産物屋を覗いたり、川で泳いだりと、思い思いの行動をとっていた。
「観光のはずが、とんでもない生き物を見ちゃったなあ…」
 部屋に戻っていた竜馬が、畳に寝転がり、大きく伸びをした。部屋の中には竜馬の他に、清香、修平、美華子が残っている。
「うん。顔は案外かわいかったのに」
 美華子が、手に持っている本の1ページをめくる。
「まあ、ね。見た目じゃ中身はわからないもんさ。見た目はかわいいのに、中身はド変態っていう犬娘もいるわけだしな」
 竜馬が窓から外を見た。川沿いで、水着を着て水遊びをしているアリサが見える。彼女の周りには、真優美や恵理香、地元の子供達がいて、楽しそうにはしゃいでいた。旅館の方を向いたアリサは、竜馬の姿を見つけたらしく、にっこり笑ってぶんぶんと手を振った。
「こら、竜馬。せっかく友達になった人間に、そんなこと言うのやめなさい」
 清香がじっと竜馬を見つめる。
「姉貴な…そんな格好で言われても説得力ないぜ」
 竜馬が清香の方をちらと見た。うつぶせに寝ている彼女の上には、修平が馬乗りになり、背中や肩をぎゅうぎゅうと指で押している。
「マッサージしてくれるって言うからさ〜。ああ、うう、気持ちいい〜」
 清香がぐったりと畳に額をくっつけた。
「だいぶ硬いっすね。運転の疲れですか?」
「ん〜、慣れてるからそんなに疲れるとは思わないんだけどね〜。普段いろいろと体使ってるからかね」
「長距離じゃ、普段と勝手が違うのもあると思いますよ」
 修平が手に力を込め、清香の背中を強く押しほぐす。そのたびに清香が小さくうめき声を上げた。
「だめだこりゃ…俺、ちょっとこの辺を散歩してくるわ」
 竜馬がかけ声をあげて立ち上がる。
「私も行く」
 竜馬が立つのを見て、美華子も本を置いて立ち上がった。
「気をつけてね。車に轢かれたりするんじゃないよ」
 清香が背骨を拳で押され、カエルがつぶれるような声を出しながら、竜馬と美華子を交互に見た。
「へいへい」
 竜馬は清香の言葉を聞いて苦笑した。言うことがまるで母親だ。靴を履いて部屋を出ると、冷房が利いた客室内とは違った、少し蒸した空気が2人を包んだ。
「錦原、どこ行くか決めてんの?」
 美華子が手で自身を扇ぐ。
「んー、はっきりとは…美華子さん、見たいところあるの?」
「ん。旅館の裏庭とか」
「裏庭?そんなのあったっけ?」
 さらりと言う美華子に、竜馬が首を傾げる。
「ん。窓から見たら、野球場くらいの大きさで庭があるよ。ただの林かも知れないけど」
 彼女はすたすたと歩き、階段を下りた。外へ出ると、夏の暑い日差しが容赦なく降り注ぎ、気温が一気に増した。しばらく2人は無言で歩き、旅館の後ろ側へ足を進めた。
「うーん、裏庭というか、裏山というか…」
 目の前の車止めを手で触る竜馬。ステンレスで出来た車止めの先には、しばらくは太い砂利道が続いていたが、それを通り過ぎると細い土の道が見えた。左右には広葉樹の林が展開し、時折なんだかよくわからない鳥の声や、獣の声が聞こえてくる。
「この自然だけ見れば、変な生き物がいるとはまったく思えないよなあ」
 きょろきょろと辺りを見回す竜馬。羽虫が数匹飛んでいる。
「これ、使った方がいいよ」
 美華子がポケットから小さなスプレー缶を出す。
「何これ?」
「オレンジのスプレー。虫除け。いらないならいいけど」
「あ、いや、ありがたく使わせてもらうよ」
 竜馬が慌ててスプレーを受け取る。肌が露出してる部分に吹き付けると、オレンジの香りが漂った。
「ん…じゃあ、まあ、適当に散策する?」
 一通り使った後、竜馬がスプレーを美華子に返す。
「そうだね」
 スプレーを受け取った美華子は、それをポケットに入れて、歩き出した。竜馬がそれにくっついて歩く。
『もう少し美華子さんが、話を振ってくれる子だったら、いいんだろうけどなあ…』
 竜馬は苦笑いして、無言の美華子について歩く。恩募路旅館からしばらく行くと、小さな池のある空き地に出た。ほぼ360度を木で囲まれ、竜馬達が通って来たのと同じ道を来ない限り、外部の干渉は無さそうだ。
「いいね、こういうの」
 美華子が池の隣の、背丈の低い草が生えている地面に、仰向けに寝転がった。大の字に大きく伸びる。
「美華子さん、寝転がっちゃったら、草とか体についちゃうよ?」
「別に気にしない。気持ちいいし。錦原も寝たら?」
 美華子の目が空の雲を見つめている。蝉の声がサラウンドで響きわたる。竜馬は美華子の隣に腰を下ろし、同じように空を見つめてみた。
「錦原、ちょっと聞いていい?」
 美華子が上半身を起こした。
「うん、どうした?」
 飛んでいく鳥の腹を見ながら竜馬が答える。
「錦原ってえっち出来なかったりする?」
 がくぅ!
 心理的に不意打ちを食らった竜馬は、危うく転がって池に落ちそうになった。
「ななな、なにを馬鹿な…」
 笑っているような怒っているような顔の竜馬。冷や汗をかき、体が軽く痙攣している。
「いや、アリサに迫られても何も感じてないみたいだし」
「だからって出来ないわけじゃないって!俺は、あれだ、アリサ相手じゃ無理なんだよ!あの性格じゃ、ほら、なんども俺言ってんじゃん」
 普通に言ってのける美華子相手に、竜馬が必死に弁解する。
「ああ、わかった」
「わかってくれたか…そりゃ俺だって相手がいれば…」
「ホモなんだ?」
 ばしゃぁん!
 予想の斜め上を行く返答が、竜馬の体を押して、池の中へと突き落とした。
「女の子がいいに決まってんじゃねえか!美華子さん、変なこと言わないでくれ!」
 ぐしゃぐしゃの竜馬が池から這い上がった。頭には藻と蓮の葉が乗っている。
「じゃあ、私にもチャンスはあるんだ?」
 すっ…
 美華子の手が、竜馬の背中に回る。
「え…」
 彼女の表情に、竜馬はどきりとした。心の中がかき乱される。
「錦原…」
「な、なに?」
 美華子の手が竜馬の背中をまさぐった。
「背中、こんなのついてる」
 美華子が手を戻した。彼女の手に、茶色いザリガニが握られていた。黒い目が出っ張り、ヒゲがぴこぴこ動き、大きなハサミがぱくぱくしている。
「ははっ、錦原、何勘違いしたの?」
 ザリガニを池に戻し、美華子が楽しそうに笑った。
「お、俺は…うう…」
 対する竜馬は、沈んだ表情で、膝をついた。
「ごめん、そんな沈むと思わなかった。ちょっとからかっただけだって、元気出してよ」
 美華子が竜馬を引っ張り、立ち上がらせた。その指が竜馬の耳から頬を撫でる。
「みっ、美華子さん…」
「藻なんかつけちゃってさ。かっこわるいんだから」
 美華子の妖しい微笑みが竜馬を正面から捉えた。彼女が何を考えているか、竜馬にはさっぱりわからなかった。もし手を出せば手に入る場所にいるのだろうか…
「ところで錦原。あれ、なんだろ?」
 美華子が竜馬の後ろ側を指さした。振り向くと、そこには2つの人影が見えた。道成和尚と村川だ。村川は大きなバッグを持ち、道成和尚は何か箱のような物を持っている。2人は恩募路旅館の方へ行くようだ。
「この…で、あれは…だから…」
「そうですなあ…金…観光客…」
 切れ切れに会話が聞こえて来る。竜馬は直感的にやばいと感じ、向こうから見えないようにしゃがんだ。美華子がそれに習う。そうこうしている間に、和尚と村川の姿が消えた。
「錦原、あれ、なんだったんだろう?それにあの荷物…」
「さあ?キツネコブラ退治の何かじゃないかな…」
 そう言っても、竜馬には確信はなかった。ただ、彼は直感で、1つだけ理解していた。この温泉街には何かある、と。


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