和尚が去り、雑貨屋に店員が戻ってきたところで、一同は買い物を済ませ、旅館へと戻った。旅館の女将は、キツネコブラが出現したことを知っていたようで、「お客さんも気をつけてください、何かあっても責任がとれないので…」とだけ言った。本来ならこの後、軽く山登りをするつもりだったのだが、危険な生物が住んでると聞いてそのまま登りたがる人間もおらず、その話はお流れになってしまった。汗をかいて気持ち悪いという美華子に一同が同意し、せっかくだからと温泉に入ることになり、現在に至る。
「ちくしょう、混浴を期待したんだけどなあ…」
 露天風呂の岩に背を預けて、修平がつぶやいた。温泉のぐるりを、竹で出来た囲いが囲っており、内側から外を見ることも外側から中を見ることも出来ない。もちろん、男湯と女湯の間も、無愛想な竹の柵で区切ってあった。
「今の21世紀の世に、混浴温泉なんか存在するはずがないだろ」
 竜馬が顔を撫でながら言う。
「お前、ロマンがないな。いいよいいよ、覗き穴でも探すから」
 ぼーっとしている竜馬を後目に、修平は竹の柵を丹念に調べはじめた。時折、女湯の方から大きな笑い声が聞こえてくる。女性陣は楽しくやっているようだ。
「しかし、他に客がいないってのは、寂しいもんだなあ。まあ、まだ2時過ぎだし、チェックインしてないのかもな」
 竜馬が風呂内を見回した。内風呂にも露天風呂にも、竜馬と修平以外の人間はいない。
「ああ、そうだな。山登り後とかに来るんだろうな」
 修平が上の空で返事をする。
「キツネコブラとかいう変な生き物もいるし、あんまり人気ないのかも知れないな」
「そうだな…変な生き物だったな」
「宇宙にいる生き物なんだろ?獣人と爬虫人の間の子みたいな」
「ああ、そうだな。腹とか爬虫人だったな」
「爬虫人といや、この街に爬虫人がいないな〜。獣人はちらほら観光客らしいのがいたけど」
「絶対数が少ないからな。俺らの身の回りにも、うちとこの担任くらいしか…あった!」
 修平が小さく叫び声をあげた。見れば、修平はいつの間にか湯に入っていて、片腕を湯の中でぐるぐる回している。
「湯を通す穴らしい、這えば人一人は通れるぞ。柵も何にもしてないのか…不用心だな〜」
 不用心だと言いながらも、修平の顔がにやけている。
「相変わらずだな。前もアリサの着替え覗こうとしてただろ?そういうのやめろよな」
「ほんとには覗きゃしないよ。こういうのがあるってことが大事なんだ。空を飛べるとわかっていても飛ばない鳥みたいなもんだ。つまりだな…」
 修平が詳しく説明しようとした、そのときだった。
 ゴボゴボゴボ…
 先ほど修平が言っていた穴の方から、大きなあぶくが立った。
「なんだ…底でも抜けたのか?」
 竜馬が恐る恐る近づく。
 ざばあっ
「わあ!」
 湯の中から、ぬうっとアリサの姿が現れた。水を吸った毛が、ぺったりと体に張り付いている。体には白いバスタオルを巻いており、尻尾がそれを持ち上げるように立って、お尻だけが丸見えになっていた。
「あー、苦しかった。くふふ、通れるなんて不用心よね〜」
 アリサが、湯の中に尻餅をついている竜馬を見つめて、にんまり微笑んだ。
「てめえ、この色情魔!男湯まで入ってくるなんて、恥がないのか!」
 岩の上に置いてあったタオルを慌てて取る竜馬。巻く暇もなく、腰に押しつける。
「ほら、ここだけ混浴〜」
 アリサがぎゅうぎゅうと竜馬にくっつく。
「やめんか!この変態犬!」
 竜馬がぐいぐいとアリサを押し返した。
「アリサ、戻って来ないか!お前というやつは〜!」
 柵越しに恵理香が叫んでいるのが聞こえる。
「ふふんだ、他のお客さんいないから大丈夫よ〜。何、妬いてるの?」
 アリサが柵の向こうの恵理香に、からかい口調で答える。
「嫉妬などするものか!倫理的な問題だ!」
「そう言いながら、実は恵理香もこっちに来たいんじゃないの?くふふ、素直じゃないんだから」
「ばっ、な、何を!もういい!」
 恵理香はとうとう、アリサを説得することを諦めてしまった。時折、真優美が「アリサさんずるい…」と、ぶつぶつ文句を言う声が聞こえてくるが、彼女には男湯に来るほどの度胸はないようだ。
「幸せ…こんな幸せが続けばいいな」
 アリサは頬を竜馬の胸にこすりつけた。
「離れろって!本気で怒るぞ!」
「いいじゃないのよ〜。別に減るものでもないでしょ?」
「アホか!修平、お前も何か…」
 竜馬が振り返れば、修平が哀愁を背中に漂わせながら、露天風呂から上がったところだった。いつの間にか腰にタオルを巻いている。
「いいよな、お前は…自分を好いてくれる女の子がいるなんて…」
 はあああ、と修平が大きくため息をつく。
「バカ野郎!好かれたくて好かれてるわけじゃねえよ!」
「それにしたってうらやましいぜ。俺は脇役だからなあ、そんな浮いた話の一つもないからなあ…」
 修平ががっくりと肩を落とした。
「ほ、ほら、美華子とかどう?」
 アリサが慌ててフォローする。
「美華子ちゃん、か。あの子、机の上に、竜馬の写真飾ってんだぜ?」
「あれは、全員分写真あるって言ってたし…」
「飾ってあるのは竜馬だけだよ、わかってないな」
 アリサのフォローも、今の修平にはあまり意味を成さないようだ。修平は、置いてあった木のベンチに座り、俯いた。
「と、とりあえず、お前帰れよ。こっち側にいつまでもいられないだろ、他の客とか来るだろうし…」
 どうすればいいかわからず、竜馬が話を逸らした。
「そんなこと言われても嫌よ〜。向こうに戻ったら、上がった後にちゅーしてくれるとか言うならいいけどね」
 くすくすとアリサが笑う。一瞬竜馬の脳裏に、別に悪くはないと言う気持ちが浮かび上がったが、それはすぐにかき消えた。小学生から今に至るまで、彼女は竜馬をいじめて喜んでいた女の子。今も何かされるに違いない。
『そうだ…』
 竜馬の頭がフルに回転し、一つの妙案を思いついた。
「アリサ、いいか」
 竜馬が真面目な顔になり、両手でアリサの肩を握る。
「な、なあに?」
 今までの竜馬と違う真面目顔に、アリサが落ち着きをなくした。
「体の力を抜いてくれ。大きく深呼吸して、息を止めて、それで目をつぶって。その後は俺に任せろ」
「それって、もしかして…」
「嫌なら別にいい。嫌か?」
 竜馬の真剣な眼差しが、アリサの青い目の奥を、強くにらみつけた。
「い、嫌じゃない。ただちょっと、急だったから…ん…」
 アリサが目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。じっと、竜馬のことを待つ。
 ぐいっ!
「んっ!?」
 竜馬が懇親の力を込めて、アリサをお湯の中に押し込んだ。
「えーい、暴れるな!いいから俺に任せろよ!」
 竜馬が半ば怒りながら、先ほどアリサが通ってきた穴に、アリサの足を突っ込んだ。
「がぼがぼっ!うぐっ、騙し、げほぉ、騙したわね!」
 アリサがなんとか戻ろうと腕を振り回すたび、湯が跳ねて水柱が上がった。
「じゃかあしい、何とでも言え!修平、そこにある棒きれもってこい!」
 竜馬が壁際を指さした。箒の先が取れたのだろうか、竹の棒が1本置いてある。
「え?ああ」
 修平が棒を取り、竜馬に渡した。竜馬は片手でアリサを押し込みながらもう片方の手で棒を受け取った。
「竜馬のバカー!陰険ー!噛みついてやるー!」
「お前のひねくれた性格が治って、かわいくなったらいくらでも相手してやるよ!おらっ!」
 ぐいっ!
 アリサはとうとう穴の中に押し込まれてしまった。期を逃さず、竜馬が左右の岩に引っかけるように、竹の棒を突っ込んで固定する。
「がぼがぼがぼっ!」
 アリサは棒を掴み、ぐいぐいと押したり持ち上げようとしたり、湯の中でがんばっていたが、しばらくして諦めて女湯の方へ戻っていった。
 そのころ、男湯の様子がわからなかった女性陣は、その騒々しさから何かが起きていることを理解していた。
「また何かケンカでも…うっわ!」
 美華子が鼻で笑ったそのとき、湯を通す穴からいきなりアリサの足が出てきて、びくっとした。
「うう、悔しい…騙された…」
 アリサが湯から頭を上げる。
「ははは、積極的だね。でも、男湯に入っちゃだめよ」
 清香が笑い、タオルで顔を拭いた。
「好きな人と一緒にお風呂に入りたいと思うのは悪いことなのかな?私、わりかし純粋にそう考えてたんだけど」
 アリサが湯の中に鼻まで沈んでしかめ面を見せる。
「ふん、だ。性欲丸出しで、いやらしいことしか頭にない人と、誰が一緒にお湯に浸かるんでしょうね」
 抜け駆けをされて不機嫌になったらしい。普段は聞けないような暗い言葉が真優美の口から出た。
「何よー!悔しかったら自分も来ればよかったのよ!」
「そんなこと出来ません!アリサさんってえっちなんだから!」
 とうとうアリサと真優美が言い合いを始めてしまった。美華子が呆れ気味に2人の中に割って入る。いわゆるお約束がそこで展開していたが、恵理香だけはお約束の中に入っていない。視線が宙をさまよっている。
「恵理香ちゃん、どうしたのさ?さっきから黙り込んでるけど」
 恵理香の頭に、清香が片手を乗せた。
「いや…あの和尚、法力を手にしたと言っていたが、そんなことは本当にあるのかと思って…」
 それだけ言うと、恵理香はまた考え込んだ。
「実際電撃出てたよね。トリックだということは考えられるけど、どっちにしろ有害鳥獣を殺さないで追い払ってんだから、いいんじゃない?」
「まあ、そうなのだが、金品を受け取っているところを見ると、詐欺に近いことではないかと思ってしまって…」
 恵理香はうつむいた。狐の耳が、ぺたりと寝込む。
「坊さんなんてそんなものよ。托鉢で成り立ってる部分もあるしね。それに、キツネコブラがそのままここに居着いたら、大変だろうしさ。もっとも、あれが偽物だとか言うなら…」
 すぱーん!
「いたっ!」
 飛んできたタオルが清香の顔にぶち当たった。アリサが「しまった」という表情で、すすすと後ろに下がる。どうやら、アリサが投げた物らしい。真優美と美華子は、アリサから逃げるように、少し遠めのところで湯に浸かっていた。
「へぇ〜。こういうことするんだ?」
「あ、いや、その、投げようとしたんじゃなくて…その…ちょっと真優美ちゃんに…」
「言い訳無用!バカばっかしてないで、おとなしくしてなさい!」
 ごっつん!
「ぎゃん!」
 清香の拳が、アリサの頭にぶつかって、大仰な音を立てた。


前へ 次へ
Novelへ戻る