「…納得いかない」
 アリサがぶちぶち言いながら、みんなの後ろをついて歩いていた。部屋決めの終わった後真優美から、近くの雑貨屋で滞在時のお菓子を買ったりしようという話が出て、それに同意した一同は部屋を出ることにした。部屋は、1部屋目が竜馬、真優美、美華子。2部屋目は恵理香、修平、アリサ、そして清香になった。竜馬と同じ部屋になれなかったアリサは不満たらたらで、駄々をこねないと先に言っていたにも関わらずぶうぶう文句を言っていた。
「…でな、そのときには上手く行ったんだが、2度目がダメでな」
「練習が足りなかった?」
「それもあるが、舞台装置が壊れてることに気がつかないで…」
 ぶうたれるアリサをほっといて、美華子と恵理香が楽しそうに話している。恵理香は本業こそ学生だが、副業として演劇役者をやっている。その体験を楽しく話す彼女を中心として、いつの間にか話の輪が出来上がっていた。
 温泉街にはたくさんの人がいた。観光に来ているであろう人以外にも、この街に住んでいるであろう人の姿も見える。
「ほら、アリサ、いつまでもそんなしょぼくれた顔してるんじゃないよ。別に温泉自体が枯れたわけでもないんだし」
 川を渡るための橋に足をかけ、竜馬がアリサを慰めた。アリサと相部屋という、最悪の事態を回避した彼は、彼女を慰める心の余裕まで出来ていた。
「じゃあ、私と同じ部屋で寝てくれる?」
「それは嫌だ」
 アリサがしおらしく、耳を寝かせて竜馬を見つめたが、竜馬は拒否の言葉ですぐに切り返した。
「ふん、だ。バカ竜馬。後でひっどい目に遭わせてやるんだから。アレをこうして…」
 アリサの呪いの言葉すら、今の竜馬の心に宿る、すがすがしい気持ちを削ぐことは出来なかった。
 谷間を抜ける爽やかな風は、川のせせらぎと共に涼を運ぶ。太陽の日差しは強く、明るく、大地を照らす。建物の瓦屋根は日光を受けて光り、様々な種類の樹木があちこちに見える。鳥は舞い、魚が川で泳ぐ。この半年、東京という街で暮らして消耗していた竜馬は、この自然豊かな土地に来て、心に余裕を取り戻しつつあった。
「あれが雑貨屋ですね〜。案外おっきい〜」
 橋を渡り終えて、真優美が眼前に見える店を指さした。雑貨を売っているだけではなく、甘味や軽食も扱っているようだ。中に客の姿は見えないが、奥で誰かがもぞもぞと動いている。
「ごめんくださ…」
 真優美が店の中を覗き込んで凍り付いた。その後に、修平も店に入ったが、「いぃっ?」と間の抜けた声を出して固まった。
「どうしたんだよ?」
 竜馬が肩越しに中を覗き込む。入って左側は雑貨や食料を扱っている店、右側には狭い座敷にテーブルが2つ、座布団が多数並べてある。正面にはカウンターと調理場が見えるが、人影は見えない。
 「それ」は、座敷に座っていた。体長は2メートルほどあるだろうか。全身に金色の体毛がふさふさに生え、腹の部分は蛇のような白い蛇腹になっている。顔を見れば、熊のような、猫のような、それでいて狐のような風体だ。耳は先っぽがピンと尖っていて、団扇のように大きい。手や足には爪が生え、黒々とした肉球が見える。
 その生き物は、右腕には箸を持ち、左腕にはどんぶりを抱えていた。どんぶりをよく見れば、有名メーカーのカップラーメンだということがわかる。
「…え?」
 竜馬は目をこすってもう一度見たが、生き物の姿は消えない。清香やアリサも同じことを考えているようで、その生き物をもっと間近で見ようと、店の中に入った。
「ねえ、これ何?芸とかするの?」
「俺に聞かれても知らないよ…」
 アリサに聞かれて、修平が答える。その生き物は、麺とスープを、まるで吸い込むかのように口に流し込み、箸とカップを投げ捨てた。カラン、と音がして、畳に残りのスープが飛び散った。右腕で口を拭い、よっこらせとばかりに立ち上がると、猫背で丸まっていた体は、大柄な獣本来の姿を取り戻した。
「グオオォォォォォン!」
 生き物が吠えた。その声は、狼の遠吠えより大きく、熊の声より少し高かった。その生き物が、威嚇しているのだということに気がつくまで、それほど時間はかからなかった。
「にゃー!いやー!」
 真優美がよくわからない叫び声を上げて店の外に逃げ出した。それを合図にしたかのように、竜馬達は蜘蛛の子を散らすかのように、一斉に走り出した。
「何だあれ!何だあれ!何だあれ!」
「ちょ、洒落になんないんだけど!」
 生き物が、逃げる一同の後を、4足になってたったかたったかと追いかける。
「うわー!」
 人々がその生き物を見て逃げ出した。生き物はかまわずに竜馬達を追いかける。
「あーっ!」
 ばたん!
 真優美が蹴躓いて転んでしまった。倒れた真優美に、謎の生き物がぐんぐん近づく。
「てめえ!」
 落ちていた木の棒を拾い、竜馬が生き物と真優美の間に躍り出た。そのときだった。
 バリバリバリバリッ!
「ギャオオオ!」
 閃光が川沿いに走ったかと思うと、生き物の体に電撃が走った。青色の光が、陽光より強く辺りを照らす。
「ウオーン!ウオオーン!」
 生き物は、鳴き声だか雄叫びだかよくわからない声をあげて、登山道の方へと逃げていった。
「大丈夫かな」
 腰を抜かしている竜馬の前に、ぬうっと1人の人間男性が現れた。頭髪を剃り、袈裟を着ているところを見れば、彼が僧侶であることは容易に想像出来た。
「えっと…お坊さん、ですか?」
 清香が僧侶をまじまじと見つめる。
「いかにも。危ないところでしたな。もう少しであなた方は、きゃつの胃袋に納められるところだった」
 僧侶が手を合わせ、慇懃に礼をする。彼の手には数珠が握られていた。
「和尚さん、またやつが現れたんですか?」
「ああ、怖かった、どうなってしまうかと…」
 謎の生き物がいなくなったのを見計らってか、僧侶の周りに人が集まりはじめた。そして、竜馬達はその人混みに押しやられるように、僧侶から遠くへと来てしまった。
「なんなんだ…一体…」
「わからん…」
 恵理香と修平がその光景に呆然としている。
「あの、すみません。さっきのは…」
 近くの店から出てきた人間の男性店員を、真優美が捕まえて質問する。
「ああ…この温泉街に2年ほど前から現れた動物でね。元々地球にいない動物なんだ。キツネコブラというらしい」
「はあ…そうなんですか…」
 真優美が気抜けした顔で僧侶を見つめる。街の人々が、僧侶に少しずつお金を渡し、僧侶が何度も頭を下げているのが遠目に見えた。
「あの人は道成和尚。キツネコブラを、法力を使って追い払ってる坊さんさ。キツネコブラはすごい知恵を持っててね。自分でカップラーメンを作ったり、人の飯をたかったりするんだが、どうやら餓鬼がついているせいで食にどん欲になったという話らしくてさ。人間が襲われることも多々ある。もし和尚がおらなんだら、この温泉街はもっとひどいことになってるはずさ。すごい人だよ」
 店員が和尚を熱っぽい視線で見つめて話を締めくくった。道成和尚の隣に、いつの間にか1人の男が立っていた。小柄な地球人男性で、髪がだいぶ薄い。笑い顔がどこか卑屈に見える。
「あの人は誰ですかぁ?」
 真優美が男を指さした。
「あれは和尚の手伝いをしている村川さんだ。こうやって人が集まったとき、和尚はなかなか寺に帰ってこない。そのたびに迎えに来るんだよ」
「なるほど。和尚は人望があるのだな」
 恵理香が道成和尚を見つめる。道成和尚は村川に説教され、寺の方へ連れていかれるところだった。
『あれ、なんだ…』
 その後ろ姿に、恵理香は何か違和感を感じた。何かがおかしいことは確かだ。だが、何に対して違和感を感じたのかがわからない。恵理香が悩んでる間に、和尚は足を進め、どこかへと行ってしまった。


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