それから3時間が過ぎた。一行の乗る車はまず東京都西部から高速道路に乗り、少しだけ神奈川をかすり、山梨に入った。途中、2つのパーキングエリアで休憩を挟み、名古屋、長野のジャンクションを長野方面へ進み、一路北へ。中途半端なところで高速道路を降り、山道へ入ったはいいのだが、早速道に迷ってしまった。
「あれぇ〜?こっちでいいんだっけか?」
 最後の道の駅を出て、20分が過ぎている。少し広くなったスペースに停車して、ハザードランプをちかちかさせながら、清香は携帯電話で地図を見ていた。
「国道出ない方がよかったんじゃないの?知らないけど」
 美華子が手元のトランプとにらめっこしている。後部座席の3人はいつの間にかトランプを取り出し、大富豪をして遊んでいた。アリサははしゃぎすぎて、既に疲れてしまったらしく、竜馬に寄りかかって寝ている。寝顔だけはかわいいのに性格は…と、竜馬は考え、少し憂鬱になった。
「えーと、こっちからこう外れて、こう山奥に行くんだっけか。富山と新潟の間くらいだから…たぶんいいんだよね」
 車から降り、辺りを見回す清香。停車している反対側は崖になっていて、遙か遠くに人家らしきものが見える。
「GPS使えばいいんじゃないですかぁ?」
「なんかねー、山奥に行けば行くほど精度悪くなってね。あたしら、よくわかんない湖に浮かんでることになってるもん」
 真優美の呑気な声に、清香が答える。山の形と道の位置で現在地は割り出せるのだろうが、あいにくとそんな技術や洞察力を持つ人間は、メンバーの中にいなかった。
「不知火温泉郷だったっけ。確かに軒並み宿泊費は安いし、いい感じの画像は乗ってたけど、交通アクセスが不便な場所らしいしなあ」
 修平の手元には地図が握られていた。グローブボックスに入っていたその地図には、温泉郷の名前は乗っていない。2020年度版の古い地図だからだろうか。
「でもま、景観はいいよな。風は涼しいし、これなら気持ちよく遊べそうだ」
 竜馬はそっとアリサを反対側に倒し、自分も車から外に出た。
「向こうに泳げる川があるらしいから、水着を持ってきたよ。今度はすくうる水着じゃないぞ」
 恵理香が手札からキングを2枚捨てた。
「はは、別にバカにしたりしないのに」
 竜馬が大きく息を吸い込む。木の間から漏れる日差しが暑い。空気は澄んでいて、とても気持ちがいいが、暑さは東京とそれほど変わらない気がした。
「あー、わかった。こっからあと300メートルくらい登って右に行けばすぐらしいよ」
 言うが早いか、清香がエンジンをかけなおした。竜馬も慌てて車に乗る。
「温泉なんて久しぶり〜。楽しみですねえ」
 真優美が尻尾をふりふりしている。窓から覗く森林が一瞬切れ、目の前に横道が現れた。ためらわず曲がる清香。少し車が走った後、大仰なゲートをくぐると、そこは小さな温泉街だった。ゲートには大きく「不知火温泉郷へようこそ!」と書かれており、ここが目的地であることを確認するには十分だった。谷間に川が流れ、ところどころで湯気が立っている。蝉の鳴く声が谷に反響して、夏らしさを山いっぱいに流していた。
「いいね、この雰囲気」
 美華子がカードを手放して窓の外を見ている。
「さーて、あたしらが泊まる旅館はあそこだな?」
 車をするりと旅館の駐車場に留める清香。「恩募路温泉旅館」と言う看板がかかったそこは、老舗の旅館らしく、外装や庭などが、日本の建物だという自己主張をいっぱいにしていた。文句をつけるところがあるならば、古すぎてぼろぼろになっている部分があるところだろうか。
「あらまた、遠いところを、ようこそいらっしゃいまして」
 暇そうに掃除をしていた、着物を着た年輩の女性が、一行の乗る車に頭を下げる。
「予約をしていた錦原です」
 清香も同じように頭をさげた。その間に、他の人間が車から降りる。
「おい、起きろ。ついたぞ?」
「ふぁ…?」
 竜馬がアリサの頬を軽く叩くと、アリサが薄目を開けて目を覚ました。寝ぼけ顔のまま車から降り、背筋を伸ばすように伸びをする。
「あー、はいはい、2部屋のお客さんね。狭いけんど、まあ我慢していただければ…」
 トランクから荷物をおろし、それぞれが持とうとしたところ、おばさんが全て抱えて持ち上げた。
「だ、大丈夫か?ご婦人…」
 恵理香が心配そうにおばさんを見つめる。
「熊担いだことだってあるさね、大丈夫です。さて、2階のお部屋です、誰か一人受付で名前だけ書いてもらえばいいんで」
「あ、はい」
 清香がフロントに行き、名前を書く。他の6人は、靴を脱いで屋内用のサンダルに履き替えると、おばさんの後をついていった。
「この奥の部屋2つです。えーと、荷物はどうすればいいんで?」
 ごんっ
「あうっ」
 おばさんがくるりと振り返った。荷物が音を立てて美華子に当たった。
「あ、一部屋に置いてくれれば、俺ら適当にするんで、いいですよ」
 竜馬が慌てて言った。
「そうですか。んじゃ、そうします」
 おばさんは美華子に荷物が当たったことに気がついていないらしい。部屋の鍵を器用に開け、中に入ると、畳の上に荷物を置いて去っていった。
「あー、疲れた。でも、運転してる方は、もっと疲れてるんでしょうね」
 アリサが大口をあけてあくびをした。畳の広い部屋が1部屋、窓際にイスが2つとテーブルが1つ置いてある小さな部屋があり、クローゼットに浴衣がかかっていた。畳部屋の押入の横には、一輪挿しを飾ってあり、その反対側にはテレビが置いてある。畳部屋の真ん中には低いテーブルと、座布団の置いてある低い座椅子が4つ、向かい合うように並べてあった。入り口には玄関が、そして玄関の板間はトイレと洗面所につながっている。
「こいつは洒落てるねえ」
 修平が窓から外を覗く。目の前には、道を一本挟んで、立派な川が広がっていた。向こう岸へと目を移せば、温泉街の町並みと、山の方へ登っていく小さな道、やや霞んでいる山、そして竹林が見える。竹林には見慣れない鳥がいたが、急に飛び立ってしまった。
「さて、部屋分けか。2部屋ということは、男部屋と女部屋…」
「私と竜馬の部屋とその他でしょ?」
 恵理香の言葉をアリサが途中で遮った。
「相変わらずお寒い発想だな。男女で部屋を分けないと、何かあったら困るだろう」
 相変わらず、冗談か本気かわからないようなことを言うアリサに、恵理香が呆れた声を出した。むっとしたアリサだったが、言い返しても面白くないと思ったのか、何も言わない。
「でも、隣もこっちも4人部屋ですよねえ。5人はちょっと…」
 真優美が館内マップを見て言った。このフロアにある部屋は全て4人部屋だ。布団も4組しかないだろうし、部屋の広さから言ってもそれ以上は無理だろう。
 がちゃり
 悩みはじめたそのとき、清香が部屋へ入ってきた。
「鍵もらってきたよ。なにさ、みんな辛気くさい顔して」
「いや、姉貴。部屋割りどうすんだよ?」
 脳天気な清香を竜馬が見つめる。
「適当でいいんじゃないの〜?部屋2つで容量8人、うちらは7人、何の問題が?」
 清香は飾られている花瓶に早速興味を持ったらしく、持ち上げて底を見ている。
「あのな、そのうち2人は男だぜ?」
「間違いを起こすほど無節操でもあるまいし、大丈夫でしょ。あたしはあんたらを信用して、部屋を借りたんだからね?」
 清香の目が、竜馬と修平を見た。
「俺、清香さんに信用されてんのか…」
 修平が感動したような表情をしてみせた。よほど嬉しいようだ。
「まあ、いいけど…じゃあ、クジで…」
 ポケットから財布を取り出す竜馬。適当なレシートを人数分にちぎる。そして、3つの紙を取り、先にペンで色をつけた。
「いいか、恨みっこなし、一度だけ。部屋チェンジなし、交換なしだからな」
 竜馬がアリサを睨んだ。
「なんで私を見るのよ〜」
「お前が一番駄々こねそうだからだ」
「こねないわよ。じゃあ、私から…」
 アリサがクジに手を伸ばした。


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