―――――六―――――
〜意地と意地とのぶつかり合い!〜

「ありがとうな」
「いいんだいいんだ。彼氏さんと仲良くな」
 軽トラックに乗った年輩の男性に、積雷が例を言った。ぐったりしたままの直樹が、積雷の肩を借り、ぐったりとしている。軽トラックはすぐにその場を去り、後には積雷と直樹の二人だけが残った。山に少し入った、広い駐車スペース。五十台は駐車が出来そうだ。斜面側と反対で、櫛沢路の街方面に視界が開けているため、街を一望出来る。斜面側は、緩やかに坂になっており、原生林が広がっている。入り口には、一部だけチェーンが張ってあり、後は適当なポールにぐるぐる巻きにされていた。地図についた赤い粒は、この辺りを指している。
「おとなしくてたな。よしよし」
 積雷が満足そうに、直樹の体を担いだ。直樹はそれを拒否し、地面に降りる。ゆるゆるとではあるが、もう歩けるようになった。
「ここで、抵抗、しても、他人に、迷惑、かかる、だけ、だし……」
 痺れていて、言葉がまだ上手く話せない直樹は、一語一語切って話した。
「そうだ。お前は無力な一般人だってことを忘れんな。そして、真相を知りゃ、少しはあたし側に心も傾くさ。あたしはお前の味方でありたい。ほら、肩貸すぜ」
「いらない」
「そうか。はは、嫌われたな」
 積雷が少し寂しそうに笑った。積雷の言う真相がなんなのか、直樹にはまだわからないが、だいたいの見当は付く。直樹は、美玉に会うことが、だんだんと怖くなり始めた。たった四日ではあるが、信頼関係が少しは築けたと思っている。これが、崩壊してしまうのではないかと思うと、空恐ろしい物がある。
「あ……」
 駐車スペースの端、数本の木が生えている辺りに、バイクに跨った美玉の背中が見えた。美玉のバイクの前には、ぶすぶすと焦げる黒い塊が三つ転がっている。人の形をしているが、人間ではない。新聞紙のような紙を、人の形に丸めて固めたものだ。
「物騒よね。ごめんね、私も死にたくないし」
 美玉が紙の塊を見下ろす。ちらりと見えたその目は、まるで氷のように冷たく、人の持つ感情というものがどこにも見て取れなかった。ぞく、と背筋が凍った直樹は、声をかけることをためらった。
「直樹君、無事かな……」
 エンジンをかけようと、美玉がハンドルを握る。
「待ちな。ったく、せっかく手に入れた式をダメにしやがって」
 後ろから声をかけられた美玉は、振り返るべきかためらった様子で、しばらくじっとしていた。が、観念してバイクから降り、振り向いた。
「よぉ。ようやく会えたな。ここで逃げようとしたら、こいつがどうなるか。わかるよな? バイクの鍵を捨てな。それと鞄もだ」
 直樹がどさりと地面に降ろされた。体が上手く動かず、立ち上がることが出来なくなった直樹は、アスファルトに正座の格好で座った。
「あんたも賞金稼ぎなら、私が人間の男一人に気兼ねするかどうかくらい、わかるでしょ?」
「さあてな? そうならば、こいつを殺して、お前を追うだけだ。もうお前の臭いは覚えた」
 しばらく睨み合っていた二人だったが、美玉が諦めたように、バイクの鍵を地面に転がした。鞄を降ろし、足下に置いた美玉は、銃を向けられたときのように、手を挙げて丸腰だというアピールをした。直樹は、バイクの鍵に付いていた、クリスタルのキーホルダーが破損していないか心配になったが、今はそんな場合ではないと自分に言い聞かせた。
「私が行けば、直樹君は離してくれるわけ?」
「もちろん。無駄な殺しはしないつもりだ。こいつは巻き込まれただけの、ただの一般人だぜ」
 ぽん、と積雷が直樹の頭の上に手を置く。
「それより、お前。こいつに何も話してないらしいな。話してやれよ」
 積雷の言葉を聞いた美玉が、顔をしかめる。その表情には、今まで彼女が話さなかった「何か」が、広がっている気がした。だが、その何かと自分の間には、壁のようなものがあって、向こうを見ることは出来ないのだ。見ない方が幸せかも知れない。だが……。
「言う必要ないでしょう。彼は無関係よ」
「知られたくないのか。この期に及んで」
 ふてぶてしさの感じられる美玉の態度に、積雷が怒りを溜め始めた。
「ええ、知られたくない。あんたも……」
「黙れ!」
 美玉の言葉を積雷が怒鳴り声でかき消す。
「あたしは、お前がどういうことをしたか、知ってんだよ。何の罪もない人間を二十一人、お前が殺したってな。今から百年前の話だ。知らないとは言わせねぇ! お前みたいに開き直る糞妖怪を見ると、虫酸が走るぜ!」
 ばちぃっ!
 激しい音を立てて、積雷の体から電流が走った。直樹はその一部を受け、痛みに顔をしかめた。
(妖怪……?)
 妖怪は積雷の方だろう。なぜ美玉に、妖怪などと言う語句を使う必要がある? 直樹は、混乱し始めた。
「犯罪者風情が、人間の面しやがって……きっちり片つけてやる!」
 ぎゅうん
 積雷が後ろに拳を振りかぶった。と、積雷の足が瞬時に地を蹴り、美玉の前まで飛び込んだ。まるで、ワープでもしたかのような速度だ。
 バチバチバチバチ!
 積雷の拳が美玉に突き刺さった……ように見えた。が、美玉はその拳を、両手で瞬時に受け止めていた。電流も、美玉に流れてはいないようだ。行き場を失った電流は、空中に向かって放電し、ガードレールや空き缶など、近くの電気伝導体に向かって白く細い線を伸ばしていた。
「ぐぅっ……ぅぁぁあ!」
 ざわざわざわ、と美玉の肌が波打った。そうとしか、表現のしようがないのだ。人の肌に有らざる動きをしたように感じられた。そして一瞬、彼女の体が暗くなったかと思うと、毛むくじゃらのケモノのような姿に変化した。形と髪は人間、見た目は獣。そう、まるで虎猫のような。橙色と白色の毛皮のグラデーションが美しい。
「とうとう化けの皮を剥がしたな」
 積雷が拳を引く。積雷の手から、白い煙が立ち上っている。美玉が猫の姿になっても、直樹は驚きはしなかった。むしろ、彼女の人間離れした一部の能力を目の当たりにしていた彼は、これこそ自然な姿のように感じていた。今まで、妖怪というものを何度も目にしてきて、慣れてきた結果だろうか。美玉は、人間が人間離れした方向に成長した存在ではなく、元より人間ではなかったのだ。直樹は、二本の足で立ち、二本の尻尾を振り回すその姿に……。
(きれい、だ……)
 という感想を抱いていた。美人……違う。言うなれば美猫だろうか。動物園やペットショップで見るような、最上級の猫のような気品と美しさを、目の前に立つ猫妖怪……猫沢美玉は持っていた。
「何も知らないくせに、正義感ばっかり振り回して……こうまでされたんじゃ、手加減をするだけの余裕はないわ」
 ぱっ
 美玉が右手を振った。彼女の手に残っていた電気が、地面に向かって流れた。この場合は、右手ではなく、右前足になるのだろうか。否、彼女はまだ半人の姿ではあるから、右手でよいのだろう。
「直樹、驚いたか? これがこいつの正体だ。今から百年前、山奥の村で二十一の人を殺し、六十の人を行方不明にした大化け猫、猫沢美玉だ!」
 強く帯電し、憎々しげに美玉を睨み付ける積雷。美玉は、積雷の雷を受け流そうと、猫の姿のまま拳を構えた。
「美玉、さん……? この人の言ったこと、マジ?」
 直樹が名を呼ぶ。彼女は美しい猫ではあった。しかし、その実は、殺人を行う妖怪だと言う。とてもじゃないが、信じられない。美玉はと言えば、否定も肯定もせず、悲しそうな顔で俯いていた。二つに分かれた尻尾が、いらいらと動く。
「猫沢よ。今投降するなら、命までは取らん。殺しはしねぇ主義だからな。どうする、おとなしく捕まる気はあるか?」
「冗談。そう簡単に捕まるつもりはないわ」
 親指を地面に向け、挑発のジェスチャーをする積雷に、美玉が怒りを溜めて言葉を吐き出した。
「下がってろ」
 ぐい
 直樹の肩を押す積雷。動きづらい体を必死に動かし、直樹がふらふらと後ろに下がる。
「うるぁっ!」
 積雷が先に仕掛けた。左足を軸に、右足を持ち上げ、ミドルハイトの回し蹴りを美玉に打ち込む。鋭い音と共に、美玉の左腕に足先が食い込んだ。美玉が足の内側を走り、積雷の胸に爪を打ち込む。間一髪で爪をかわした積雷は、足を戻し、地面に手をついた。
「ふっ!」
 両足を支えに、低い滑り蹴りを放つ積雷。足を取られた美玉は、危うく転びそうになったが、四つ足になって体を支えた。
「たぁ!」
 ごんっ!
 猫手を握り、美玉がエルボーを積雷の頭に打ち込む。バランスを崩した積雷は、地面に大の字に転がった。即座に、美玉は地を蹴って空中に飛び上がり、積雷の首もとめがけて踏みつけを行う。と、積雷が首を横にねじり、足は髪を軽く削っただけで地面にぶつかった。
「はあっ!」
 がんっ!
「ぐあっ!」
 美玉は、まだ倒れたままの積雷の顔めがけて、強烈な猫パンチをたたき込んだ。拳は鼻を逸れ、頬に強烈にぶち当たった。べしぃ、べしぃっと、美玉の猫パンチが連檄を繰り出す。積雷は不利を悟り、ぐぐっと体を折り曲げると、半馬乗り状態の美玉に向かって蹴りを打ち込んだ。一瞬、美玉が怯んだ隙を逃さず、積雷はアスファルトをごろごろと転がって美玉の支配圏から脱した。
「けっ、素早い動きしやがる。この半人半猫が」
ぺっ、と血混じりの唾を吐き出す積雷。どうやら口の中を切ったようだ。
「ふん、そんなこと言って」
 ぶぅん!
 美玉のジャンプソバットが、積雷の頭を掠めた。アスファルトに、積雷の被っていた帽子が、ぱたりと落ちた。
「あんたも人間じゃないじゃん」
 美玉に指摘され、積雷ははっとした顔をした。そして、帽子で隠れていた頭部を触る。いつの間にか、そこには獣のものとおぼしき耳が二つ、髪から顔を出していた。
「ちっ。見られるはめになるとはな。気ぃ抜くと、耳が立っちまう……くそ、てめぇますます気に入らねぇ。とっとと捕まえてここから去るつもりだったのによ」
 手のひらに雷を溜める積雷。美玉はそれを見て、じりじりと道の方へ後退した。後数歩歩けば、道路に飛び出すところだ。
「逃がしゃしねえよ!」
 積雷の手から、パリパリパリと音がする。こんなもの受ければ、いかに妖怪と言えど、死んでしまう。
「も、もうやめよう!」
 積雷の腰に、直樹が抱きついた。
「てめぇ、この期に及んで、邪魔する気か! 何してんのかわかってんのか!? あいつは殺人妖怪なんだぞ!」
「殺人妖怪がラーメン屋でバイトしたり、子供を助けたりなんかするか! きっと、きっと何か理由があったんだって! そうだろ、美玉さん! 美玉さぁん、お願いだから、教えてくれよ!」
 大声で美玉の名を連呼する直樹。が、美玉は直樹の呼びかけに応じる様子はないかった。ちらりと、直樹のことを見た後、積雷に向かって戦闘態勢を取る。
「子供を助けたことなんて知るか! どんな理由があろうと、殺人は殺人だ!」
 ぐいっ!
「うわっ!」
 直樹は積雷に引き剥がされ、地面に倒された。
「罪は裁かれないといけねぇんだよぉ!」
 びくっ!
 力のこもった叫び声。積雷の声を聞いて、美玉が体を震わせた。
「取ったぁ!」
 その隙を見逃す積雷ではなかった。雷を溜めた右手を、まっすぐに美玉に向かって伸ばした。手のひらから、雷が走る。
 ジビビビビビビ!
「はうっ……!」
 高出力の電流は、美玉の額を直撃し、体に沿って地面に向かって流れた。美玉の猫髭がぴんっと張り、そのままたらりと下がる。がくりと膝を付き、手を付き、美玉はアスファルトに頬をぶつけた。
「美玉さん?」
 返事がない。呼んでも、彼女は返事をしない。
「美玉さん!」
 必死に美玉へと駆け寄る直樹。体の痺れを我慢し、直樹は美玉の横に跪いた。美玉は、何かを欲するかのように、片手を直樹に向かって伸ばした。ふにり、と肉球のついた手が、直樹の頬に触る。
「ごめ、んね。お揃いの、カップで、コーヒー、飲もうって、言ったのにね……」
「わかったから! くそっ、医者に……いや、吉田さんところに! うちの店は、妖怪も来るって言ったろ? もしかしたらその関係の医者も……」
「本当のこと、話せないで、ごめんね……ありがと……」
 ぱたり
 美玉の手が、アスファルトに落ちた。もう動かない。美玉は、ぴくりとも動かない。
「美玉、さん……おい、俺ら、まだ知り合って四日だろ? こんなん、嘘だろ? 美玉さん? 美玉さんってば。おい、おい!」
 ぐいぐいと美玉を揺さぶる直樹。美玉はまだ暖かい。この体が、だんだんと冷たくなるのだろうか。積雷に死体を持って行かれてしまうのだろうか。これが、別れなのだろうか。だとしたら、あまりにも理不尽で……。
「てんめぇ……! てめぇだって、俺を殺すだとか言ってたくせに!」
 直樹が立ち上がり、積雷を強く睨み付けた。体を無理に動かすことで、どうやら血流が戻ってきたらしい。少しは動ける。
「この女を追いつめる方便に決まってんだろ。本気であたしがお前を殺すとでも?」
 無表情で、積雷が直樹の方を向いた。彼女の頭に生えている耳は、三角形で、ぴんと立っている。この耳を見て、そしてこの態度を見て、直樹は積雷のことを、やはり人の法から外れた生き物なのだと確信した。
「ああ、思ったさ! いきなり電気で痺れてさ、居座られてさ! 何が殺人は罪だよ! てめぇだって、言い分も聞かずに殺してんじゃねえかよ! ふざっけんなよ!」
 いつまた電撃が来てもいいように、直樹は身構えた。この女の電撃がどんな射程で、どれぐらい早く撃てるのかわからないが、これだけ警戒していれば、不意打ちを受けることはないだろう。美玉の死体を守るように、積雷の前に立つ。
「じゃあお前は、殺人妖怪と同居しててもよかったと? 数日後には、お前も殺されてたかも……」
 がっ!
「ぐっ!」
 直樹が積雷の胸ぐらを掴み、ぐいと上に引っ張った。黒いTシャツがぐんと伸びる。
「余計なお世話だ、タコ!」
 すぱぁん!
「あっ!?」
 積雷の頬に、直樹の平手が炸裂した。積雷が頬を押さえる暇もなく、直樹が積雷をがくがくと揺さぶる。
「何が殺されてたかもだ? うちの店は、面倒を起こすバカ以外はみんな客だし、一般人なんだよ! まだ美玉さんはなんの面倒も起こしちゃいねえ! てめぇのお節介で殺されたんだぞ! もし俺を説得したいなら、美玉さんに俺を殺させてみろよ!」
「お、落ち着けよ! あたしはただ、賞金首を捕まえようとしただけで……本当なら、殺して持って帰るつもりじゃなくて……」
「あぁ!? 言ったろうが、金でただの女を売る気かって! 言い訳なんかすんなよ、実際殺してんじゃねえか! 俺はこの子から、布団の代金も返してもらってねぇんだぞ! ちくしょう、もう代金なんざ受け取れない! 死んじまったんだからな!」
 直樹の怒りは止まらなかった。目の前で人が殺されるのを見るのは、人生で初めてだ。しかもこんな、理不尽な殺され方を見るのは、人生で二度とないだろう。直樹の目から、涙がぼろぼろこぼれる。
「てめぇ、許さねぇ……見ろよ、おい。お前が殺した美玉さんの顔を見ろよ!」
 ぐっ!
 積雷を引っ張り、後ろを振り向く直樹。倒れている美玉に向かって、謝罪をさせる……つもりだった。
「え?」
 美玉がいない。そこにあったのは、美玉の鞄とバイクの鍵だけ。しかも、さっきまで閉まっていた鞄の口が、半開きになっている。
「なん、だ?」
 積雷の目も、美玉が倒れていたはずの場所に、釘付けになっている。と、積雷の背中に、一瞬影が落ちた。
 びたぁん!
「ぐあっ!?」
 何かがぶつかりあう音が響いた。直樹が音のする方向に身構える。半猫姿のままの美玉が、何か白くて細長い紙を、積雷の背中に貼り付けたところだった。
 バチバチバチバチバチ!
「うあああああ!」
 積雷と紙の間、数ミリの隙間に、激しい発光が起きる。もし手でも突っ込もうものならば、焼き手羽先になって出てくることだろう。直樹はそのあまりの様相に恐怖を感じ、じりじりと後ずさった。
「や、やめ、やめろぉ……!」
「やめない。あんたは危険だからね」
 何が起きているか、さっぱりわからないが、積雷の苦しそうな顔から見て、彼女に苦痛を与えているのは確かだ。さっきまで、マグマのように煮えたぎった怒りを抱えていた直樹だったが、だんだんと不安になりはじめた。
「お、おい……」
「触らないで!」
 痙攣する積雷に触ろうとした直樹に、美玉が制止の声をかけた。延ばした手を止める直樹。と、目の前の積雷が、さらに大きく痙攣し始めた。
「うあ、あ、あああああ!」
 ばちぃん!
 次の瞬間、太いワイヤーが地面にぶつかった時のような音を立てて、積雷が強く発光した。


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