―――――四―――――
〜何かが裏で、起きている〜

 結論から言えば、美玉はすこぶる有能な店員だった。どの仕事も、完璧とまではいかないが、かなりの水準でこなしてくれた。そして、直樹の仕事が、どんどん減っていくのだった。
 既に美玉が店に来て四日目になる。一日目が定休日、二日目と三日目は営業日。仕事がかなり楽になって嬉しかった直樹だが、これでいいのかと悩み始めた。もしかしないでも、自分が必要ない存在になっているのではないかという恐怖感がある。
 今まで彼が働いてきたバイト先では、使えないバイトはどんどん切られていた。直樹自身が切られたこともある。彼は一年の間に、五度バイトを鞍替えすることになった。一度は確かに彼のせいだが、残りは純粋に直樹のせいという話で済ませることが出来ない理由があった。
 彼は一生懸命働いたし、仕事もそれなりに出来る部類に入る男だった。エースになることは出来なかったが、いつも二番手三番手というポジションに食い込んでいた。例え嫌な仕事であっても、仕事だと割り切ってちゃんとした成果を出すことも出来た。
 しかし、なぜか働いている店が潰れたり、大ミスを彼のせいにされたりで、ことごとく解雇されて来たのだ。もう偶然では済まされないレベルまで来ている。腑に落ちない直樹は、仲間にも意見を聞いたが、「運が悪かった」だの「お前のせいじゃない」だの、あまり参考にならない意見ばかりだった。
(せっかくここで、アパートまで用意してもらって働いてんのに、追い出されたりしたら洒落になんねえなあ……)
 直樹が悶々しながら生ゴミを捨てる。美玉はと言えば、注文のあったソフトクリームを、サーバーからひねり出しているところだった。
「いい子が来ましたねえ」
「そうですねえ、おじいさん」
 カウンター席に座る老人が、横に座る老婆と話している。この二人も常連である。老人の名前は飯塚竹生、老婆は梅と言う。二人は夫婦で、この店によくラーメンを食べに来ている。どこかの大富豪だとか、実業家だとか、社長だとか、無茶苦茶な噂がよく飛び交う怪夫婦だ。思わず、直樹が耳をそばだてる。
「一体どこから来たんでしょうねえ。この辺りの子じゃないみたいですが」
「何か、働かないといけない理由があるんでしょうねえ。ジェイムスさんのところに居候をしているそうですよ」
「居候さんでしたか。しかしなんとも、よく働きなさる子ですよねえ。今だって、こんなにお客がいるのに、嫌な顔一つせずにねえ」
「そうですねえ、おじいさん。私の若いころを思い出しますよ」
「おばあさんは若いころからかわいかったですからねえ。もちろん、今もね」
「まあ、おじいさんったら。お上手なんだから。うふふふ」
 飯塚夫妻が美玉の方を向いた。連られて、直樹も美玉を見る。やはり彼女はきれいだ。容姿端麗とはこのことを言うのだろう。年がいくつだかはわからないが、大人の色気を惜しげもなく振りまいている。この前の話から察するに、彼女は自分より年下なのに、あの「落ち着いた雰囲気」はなんなのだろう。今はこの店に初めて来た時と同じ、色気のかけらもない服装だが、これでもっと露出の多い服を着たならば……。
(あかんわ、そんなこと考えてばっかじゃ……)
 かちゃん
 することのなくなった直樹が、皿を洗い始めた。家具も何も持っていない美玉は、一時的に吉田の家に住んでいる。吉田は吉田で、持ち前の人のよさで美玉に接している。この環境に、美玉はとても助かっている様子だった。
(そうだよな。美玉さん、家出少女だもんな)
 直樹が美玉の後ろ姿を見て、ぼんやりと考える。彼女は今の生活が楽しいと言っているし、しばらくはここにいるつもりだろう。願わくば、ずっといてほしい。もっと仲良くなりたいものだ。そして、出来れば自分も、ずっとここにいたいものだ。冗談抜きで。
「白沢さん、最初はどうなることかと思ったが、雇ってみて正解だったね」
 いつの間にか、直樹の横に立っていた吉田が、にこにこ笑った。
「……そうっすね」
 無愛想に吉田に返す直樹。焦燥感が来る。彼女ががんばっているのを見ると、自分が今までにがんばっていなかったのではないかという気持ちになる。我が身と比べてしまうのだ。
「なかなかに手際がいいしね。接客業、初体験じゃないみたい」
「ああ、なるほど」
「恥ずかしがることなく声をあげてくれるね。今時、見ない子だよ」
「ああ、確かに」
「さすがに麺とか仕込みとかは任せられないけど、店の回転がよくなったよ。やっぱ初印象で決めちゃいけないね。勝手にビールを飲みだした時にはどうするかと思ったけど、今ではそれも許せちゃうね」
「ああ、そうだね」
 一瞬、吉田と直樹の間に、沈黙が流れた。
「吉田さぁぁぁん! 俺を解雇しないでくれぇぇぇ!」
 がくがくがくがく!
「やめんかい!」
 泡だらけの手で、直樹が吉田につかみかかった。
「ここ追い出されたら、俺もう行くところねえんだよ! 頼む、頼むよ!」
 半泣きで訴える直樹。自身の生活を守るためならば、恥ずかしい男にでもなろうというものだ。
「わーかってるわかってる! 大体、おじさんが君を解雇するなんて話、どこで聞いたよ? アルバイトが二人いるから、俺はラーメン作りに集中出来て、すっごい助かってるんだぜ?」
 当然のことだ、とでも言わんばかりに、吉田は苦笑した。彼が嘘をついているという様子はない。要するに、単に直樹が早とちっただけだったのだ。
「マジ助かります! 俺、一生懸命働きます!」
「ははは、期待してるよ」
 大仰に頭を下げ、直樹が礼を言う。吉田は、そんな直樹の頭をぽんぽんと叩き、大きなお玉を手に取った。このお玉一杯分で、ラーメン一杯分のスープ量になる。大盛りの場合は、量をもう少し調整をして出すことになる。かなり使い込んだそのお玉には、土曜屋の歴史が見てとれた。とは言っても、それほど長い歴史ではないが。
「いつ見ても大きいお玉だね」
 ぽつりと直樹がつぶやく。
「呼んだ?」
 そのつぶやきに、美玉が反応して、くるりと振り向いた。
「いや。どうして?」
「お玉って言ったから、私のことかと思って」
 何故を問う直樹に、美玉がさらりと答えた。彼女は前に、お玉と呼ばれていたことがあったのだろうか。現代にしては、幾分か古風だ。
(まあ、俺も、ナオキンなんてあだ名で呼ばれてたことあるしなあ)
 あまり人のことは言えない。学生時代は、彼はナオキンと呼ばれていた。最初はただの直樹だったのが、なぜかingが付きナオキング、それからgが消えてナオキンという流れだ。今にして思えば、なんであんな名前になったのか、理解出来ない。
「ビールひとつー! コップ四つでー!」
 大きな声で、客の一人が叫んだ。さっと店の中を見渡す直樹。美玉は接客中だし、吉田は別の仕事をしている。空いているのは自分しかいない。
「はーい!」
 やる気十分に直樹が返事をした。電光石火で冷蔵庫から瓶ビールを出し、同じく冷やしてあるグラスを四つ出す。盆に乗せたそれを、直樹は一目散に客の元へと運び込んだ。
「お待たせしまし……た……」
 直樹の声が凍り付く。四人の内の一人は、鋭い顔をした女だった。黒髪ショートヘアで、頭には青を基調としたキャップを被っている。まだ春だというのに、黒い半袖シャツに、グレーのハーフパンツという、涼しそうな服装をしている。何より目を引くのは、日焼けした肌だ。いや、首もとや太股など、総合的に体を見るに、肌を焼いているわけではない。どうやら、これがこの女性の元の肌らしい。
「ありがとう」
 女性は読んでいた週刊漫画雑誌を置いて、にっこり笑った。直樹は栓を抜き、女性をちらりと見た。
(こらまた……最近、俺、女運いいなあ。それとも、店に女運が回ってきたのか。この人、夏女って感じだよな)
 美玉とは別の意味で美人である。美玉を喉越し爽やかな清涼水と評するならば、目の前の女性は味濃く喉を焼く炭酸水といったところだろうか。とても若く、女子高生程度に見えるが、はばかることなくビールを注文するということは、成人しているのだろう。最近は女運も良いようだし、これは何かアプローチをかけて、あわよくば……。
(あ……)
 にこやかに話しかけようとした直樹は、ぴたりと動きを止めた。女性以外に、男が三人。彼らも、女性と同じような肌の色をしている。皆、筋肉ががっしりついた大柄の男で、いかつい顔をしていた。ここで下手に女性に手を出せば、この男性方が黙っていないだろうというような雰囲気がある。
『おら、沈めや、糞ガキが!』
『う、うわー!』
 ふっと、ドラム缶にいっぱいコンクリートが詰められている図が思い浮かんだ。その中に、肩まで浸かっている自分の姿……危なすぎる。ここは、女性に手を出すのをやめて、逃げ出すべきだ。そうだ、美玉だって射程内にいるのに、わざわざ危ない女に手を出す必要などない。
「なあ、兄さん」
「は、はい! なんでしょうか!」
 逃げだそうとした矢先、直樹は女性に話しかけられて、足を止めた。
「あそこの女の人、いつからここに?」
 女性が美玉のことを指した。
「ちょうど、四日前からここで働き始めたんです」
「ふうん。四日前か……最近だな」
 女性の視線が、美玉を睨め回す。上から下まで、品定めをするように一通り見つめた後、女性の視線は直樹に戻った。
「なんか過去のこと、話してたか?」
「いや全然」
「昔はどこにいたとか、何をやっていたとか……」
「いやいや全然、いや全然」
 女性の質問に、直樹は即座に答えた。母親がいないとか、家がないとかは聞いたが、それを軽々しく口に出すべきでもないだろう。女性はまだ何か言いたそうだったが、口を開きかけてやめてしまった。
「じゃ、じゃあ、これで」
 強面の男達三人に見られている気がして、直樹はそそくさと逃げ出した。女性達のいる席から死角になっている、副菜調理用のコンロに立ち、ふうと息をつく。
「お、常田君。いつもは調理に回りたがらないのに、今日はやる気あるね。じゃあ、頼むよ」
 何を勘違いしたのか、吉田が嬉しそうな顔をして、刻み野菜を置いていった。注文票の方へ目を向けると、五目焼きそばなどという、手間のかかる注文が入っている。直樹は、掃除や皿洗いや接客は大して苦にしないが、調理だけは苦手だ。店で出す食品は、自分だけで食べるものと違い、気を使わなければいけないからである。かといって、与えられた仕事を放棄する事も出来ず。仕方なく、直樹は苦い顔をして、フライパンを暖め始めた。


「んまいっ!」
 吉田家の居間に、直樹の声が響き渡った。三人の座るコタツテーブルには、多数のつまみと、いろいろな種類の酒が置かれている。宴もたけなわ、空瓶や空缶が転がり、部屋には酒の匂いが充満していた。
 夕方になり、客足が途絶えたころ、早めに店を閉めた吉田は、前に言っていた酒飲みを今日にしようと言い出した。始終にこにこ顔の吉田は、たまの飲み会だということで、よくわからない高級な酒を多数持ってきていた。中には直樹には合わない物もあったが、ほとんどが美味く、どれだけでも飲めてしまうような味わいだった。
「ほんと、おいしい。これは?」
 美玉も、コップの中の日本酒を口に含み、にんまりと笑った。
「櫛沢路の酒でね。名前は櫛沢路丸。まさに、櫛沢路生まれの、純米の大吟醸さ」
 我が事を誉められたかのように、吉田が機嫌良く笑う。恰幅のいい男性が、顔を赤くして腹を揺らしながら笑っている様は、とてもよく似合っている。
「うん、美味い。なんかほのかに甘くて、アルコールが溶ける感じがする。日本酒ってどぎついイメージあったけど、これすごいわ」
 惜しみなく賞賛の言葉を浴びせる直樹。隣に座る美玉が、うんうんと頷く。美玉も美玉で、かなりの量の酒を飲み、機嫌良く笑っていた。
「純米酒って普通のお酒とどう違うの?」
 手酌で自身のコップに酒を注ぐ美玉。だいぶ飲んでいるはずだが、彼女の顔色は変わらない。
「ものすごく簡単に言うと、米、水、あと米麩だけで作ったお酒だね。醸造したアルコールなんかを足してない、江戸や明治には当たり前だった作り方だよ」
「じゃあこれは、醸造アルコールが入ってないからおいしいってこと?」
「醸造アルコール自体は、悪酔いする場合もあるけど、基本悪いものじゃないんだ。丁寧な作りをすれば、アルコールを足しても美味い酒は出来る。ただ、こいつはそういうレベルの話じゃなくて、最初から最後までちゃんとした日本酒をやってる。吟醸ってのは、醸を吟味するって書くだろ? 吟醸酒の肩書きを取るには、面倒くさい審査もあるが、こいつはそれを通り抜けたまさに精鋭ってこと。格が違うんだな、これが」
「へぇ。吟醸酒って、今まで意識して飲んでなかったけど、選ばれたお酒なんだ」
 美玉の質問の気をよくした吉田がうんちくを垂れる。正直、こんな話はどうでもいい直樹は、適当な相づちを打ちながら、イカを噛んでいた。
「じゃあ、今度はこっちあけてみようか。常田君もワイン飲むだろ?」
「実は飲んだことがなくて」
「マジで? いい機会だし、飲んでみなよ。おいしいよ」
 直樹が差し出したコップに、吉田が白ワインを注ぐ。コップを傾け、直樹が一口飲んだ。
「うぇっ! 酸っぱ! しっぶ!」
 直樹が顔をしかめる。ワインを飲むのは初めてのため、予備知識の全くない状態で飲んでしまった。映画などでは、くるくる髭の紳士どもが口に入れて「うーん、フルーティーでテイスティーですねぇ」などと言っていたため、ジュース感覚で飲もうとしたのが失敗だったらしい。
「合わないか。これはまだ甘口のワインだよ? そりゃあ、安物ではあるけど、飲み慣れると美味いんだぜ?」
 渋い顔をする直樹に、吉田が呆れの表情をした。そのワインを、美玉が横からひったくって、コップに注いで飲み始めた。
「すっごい。ブドウの匂いするね〜。確かに飲みやすい」
 美玉には、ワインの美味さがわかるようだ。白ワインを口に含み、にへらにへらと幸せそうに笑っている。
「ワインってブドウの蒸留酒だっけ?」
 飲めなかったワインのコップを、直樹がテーブルに置く。そのコップも、美玉は持っていき、残ったワインを飲んでいた。
「ブドウの蒸留酒はブランデーだよ。ワインは醸造酒。皮が入ってるのが赤、入ってないのが白だ。直樹君、どっかで習わなかったかい?」
「少なくとも学校の授業で習う話じゃないな」
 ぐいぐい白ワインを飲む吉田に、直樹がじとっとした目線を向ける。 
「うーあ……おじさん、ちょっとトイレ」
 だいぶ酔ってしまっているらしい。直樹の前を横切り、吉田がよろよろと居間を横断して、廊下に出た。残ったのは、直樹と美玉の二人だけだ。
「……白沢さん」
「なーにー?」
 直樹が、真面目顔で話を切りだした。美玉は、相も変わらず酒を飲み、だいぶいい具合になっているようだ。
「単刀直入に行こう。あんた、タダの人間じゃないだろ」
「はあぁ?」
 直樹の切り出した話に、美玉が顔をしかめる。
「人間じゃないって……私、そんな非道な行いをしたっけ? 確かにちょっと踏んづけたりはしたけど、あれは直樹君が悪いもん」
 腑に落ちないといった表情の美玉。ワインをぐいと飲み、ふはっと息をつくその仕草に、直樹は愛らしさを感じた。
「そうじゃなくて。本当の意味で、人間じゃない生物に近いっつかね、なんつかね」
「なにそれ? 要するに、見た目とか中身が人間に見えないってこと? 失礼ねえ、そんなこと言うなんて」
 少しずつ、美玉が不機嫌になっていく。それも仕方のないことだろう。出会ってから数日の人間に、人間じゃないなどと言われれば、直樹だって怒る。だが、ここではっきりさせなければ、何かが起きると、直樹は危機感を感じた。
「例えば最初にやったあの催眠術。あれ、人間業じゃないよ」
 彼女がおかしな妖術を使った時点で、直樹は美玉が普通の人間ではないことを確信していた。こんな、妖怪の集まるラーメン屋で働いているのだから、人とそれ以外の見分けなどもなんとなくわかる。彼女の妖しげな技は、ただの人間の使うものではないという結論に、直樹は至っていた。今まで生きてきた中で、直樹はテレビ番組などで、催眠術の類を目にしてきた。だが、そういったものと美玉の技とは、根本から違うような気がしてならないのだ。例えるならば、魔法のような。
「催眠術?」
 対する美玉は、彼が何を言っているか理解できないという顔をして、ワインを飲み続けている。
「催眠術だよ。なんか、吉田さんにやってたの、俺はしっかりと見たぜ」
「見たって、何を? 夢でも見たんじゃなくて?」
「いーや、違う。あんた、髪の毛の先に五円玉縛り付けて、それを吉田さんの目の前でぶらぶらさせてたろ。違うか?」
 ずばりと直樹が言い放った。あんなステレオタイプな催眠術で、人がどうにか出来るとも思っていないが、実際に吉田はあの場で、美玉のことを雇ってしまったのだ。証拠がなくても、事実はある。
「……はあ。しょうがないなあ」
 これ以上ごまかしても仕方ないと思ったのか、美玉は話を始めた。
「大学時代、心理学の勉強をしていてね。スウェーデンから来た教授のところで、外的刺激で行動を意のままにする法を研究してたの。その成果があれ。まだ効果は弱いけど」
「要するに、人を好きに動かせるってことか。おっそろしいなあ……そんなこと、可能なのか?」
「案外簡単よ。人は好みで、いわば好きか嫌いかで動いてる。物事に対して、そのバランスを過度に崩せば、動かすことが出来るの。例えば順法精神を持った人っていうのも、法律を守ることが好きな人と、罰則が嫌いな人と、二種類の人間がいるじゃない。簡単に言えば、その気にさせただけよ〜」
 くい
 またワインを飲む美玉。既にワインは空に近くなっている。これだけのハイペースで酒を飲む輩を、直樹は見たことがなかった。
「あれ、大学時代……俺より年下なんじゃなくて?」
 違和感を感じた直樹が、ストレートに聞いた。
「細かいこと気にしないの」
 空になったワインの瓶を横に置き、美玉がまた別のワインを開ける。今度は赤ワインだ。どことなく、酢を連想する匂いに、直樹は顔をしかめた。やはり、ワインは合わない。
「私は<ヒト>のつもりなんだから……」
 ぽつり、と呟いた美玉が、コップのワインをぐいっと飲んだ。
「そういや……今日、女の人が来てたな。美玉さんの過去のことを知りたがってたけど、大学時代の友達だったりするのかね。なあ……」
 冗談めかして言う直樹だったが、すぐに口を閉じた。彼の言葉を聞いた美玉が、なぜか真剣な顔をしていたからだ。
「どんな人だった?」
 ワインのボトルを置いた美玉が、まっすぐな目をして直樹に質問を投げかけた。
「褐色の肌で、スレンダーな人。活発そうな感じで、ショートヘアだった。男の人三人と来店して、ビール頼んでたよ。知り合い?」
 特徴を記憶から引っぱり出す直樹。美玉が首を横に振る。
「なーんか、イヤな予感がするんだよね」
 美玉がうつむいて、親指の腹を自分の唇に押し当てた。
「なんかって、なんさ」
 たじろいだ直樹は、その不安の根元を、美玉に問いただした。
「なんか、よ」
 彼女も明確な答えを持っているわけではないらしい。ただじっと、何かについて、考えている。彼女がどんなことを考えているか、直樹には察することは出来なかったが、何かがあるのだろうということだけは読みとれた。


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