外には、多数の狼がいた。気配から察するに、さらに多くの狼がいるに違いない。灰色の狼、茶色い狼、細いもの、筋肉がついているもの、様々だ。だが今は、狼の個性など観察している場合ではない。バルが走り出すと、通りにいた狼数匹が、バルの方を向いた。
「どけえ!」
 べしぃん!
 正面にいた狼を剣の腹で殴りつけると、狼が地面に倒れた。路地に入ったバルは、剣を構えなおし、さらに先に進んだ。後ろで、メミカが違う道に入った気配を感じる。
「リキルー!バスァレー!」
 狼に気付かれる危険も無視して、バルは名を呼んだ。確か、リキルはランプを持っていたはずだし、バスァレは光を出す魔法を使っているはずだ。それほど広い街でもない、すぐに見つかるはずなのに、どれだけ走っても見つからない。
「ガウウウ!」
 狼が、今度は3体現れた。進行方向をふさいでいるのは1匹、こいつだけ退かせば先に進める。
「ふん!」
 剣を振りかぶり、狼に斬りかかるバル。狼は、バルの剣をひょいと避け、低い声で唸った。
「だああ!」
 2撃目こそは食らわせようと、バルが剣を持ち上げる。
 がぶぅ!
「うあ!」
 バルの足に、後ろから来た狼が噛みついた。足を振り、狼を払うが、2匹目がバルに襲いかかる。
「くそっ!」
 無茶苦茶に剣を振り回すバル。腕が攣りそうだ。狼の数は減らないばかりか、更に多くなってきた。これ全てを回避するのは無理だし、倒すのも無理だ。
「くそっ…」
 バルの耳が寝はじめ、尻尾が弱気に揺れる。リキルとバスァレを探さなければいけないのに。こんなことをしている暇はないのに。
「グオウ!」
「ウオオウ!」
 さっと、狼たちが左右に避け、道を作った。建物と建物の間、狭い路地に、大きな影が現れた。角の生えた、他の狼よりかなり大きな狼。2階建ての建物の窓から、顔を突っ込めそうなほどに背の高い狼。
「お前は…」
 以前、マーブルフォレストで戦ったことがある相手だ。そのときには、勝つどころか傷をつけることすら出来なかった。今こうして、また目の前に現れるとは、思ってもいなかった。体がかすかに震える。
「くそっ、やるなら相手になってやる!」
 剣を構え、壁を背にするバル。もし飛びかかってきたら、薙ぎ払ってやろうと、身構える。ただではやられない、少しでも数を減らす。そうすれば、リキルやメミカ、バスァレの方へ向かう狼の数が減るかも知れない。逃げられないのなら、戦うまでだ。
『…人間よ』
 いきなり、老年男性のような声が、バルの脳内に響いてきた。
「だっ、誰だ!」
 辺りを見回し、声の主を探すバル。これはテレパシーだ。魔法の中でも、かなり特殊な部類に入り、使用者も少ない。近くに、テレパシーを送った魔法使いがいるはずだ。
『私だ。お前の目の前にいる、狼だ。お前より、大きな』
 声がまた響く。バルは、巨大狼の顔を見上げた。巨大狼は、鼻をふんと鳴らして、バルのことを値踏みするかのようにじろじろと睨んだ。これだけ巨大で知的な魔物だ、魔法ぐらい使えてもおかしくはない。
「…何か、用かい」
 話しかけて来るということは、すぐに殺されるようなことはなさそうだ。バルは剣の先を砂に突き刺し、負けじと狼を睨み付けた。
『回りくどい話をする暇なぞない。貴様の手に、13階の悪夢が渡った経緯を話してもらおうか』
 狼の問いに、バルは目を丸くした。前回こいつと戦ったとき、そのときバルが所持していた13階の悪夢を、彼によって持ち去られていたのだ。その後、また偶然手に入れるまで、13階の悪夢はバルの手元にはなかった。彼が言っているのは、最初に手に入れたいきさつか、それとも2度目に手に入れたいきさつか。恐らく、前者だろう。その後、バルがまた13階の悪夢を手に入れたことを、知らないはずだ。
 バルが狼の目をちらりと見る。こいつが一体、どんな素性の魔物かはわからないが、この状況では従わざるを得ない。
「…シケラネ教団の少女と、物々交換をして手に入れて、その後あんたに持って行かれた。これでいいか?」
 簡単に話すバル。普通サイズの狼たちが、ざわつく。どうやら彼らにも、バルの言葉は通じているらしい。
『さて、その後また貴様は、13階の悪夢を手に入れたはずだ。そして今は、13階の悪夢を持っていない。何故だ?答えるがいい』
 どうやら、そちらもお見通しらしい。バルは観念して、全てを話した。カルバのピラミッドの地下にて、天井から落ちてきた13階の悪夢を手に入れたこと、その場で力を使い切ったこと、そしてこの遺跡にて力を回復するポイントを見つけ、そこに置いたままになっていること。
『ほう…なるほどな』
 巨大狼は、全てを聞いた後、大きく頷いた。気がつけば、周りの狼たちも、ちゃんと座ってバルの話を聞いている。
「グオゥ!」
 巨大狼が吠えると、1匹の狼が前に出た。狼が、口にくわえていた物を砂の上に落とす。それは、13階の悪夢だった。
「それは…」
『掘り出させてもらった。これは、貴様等のような人間が持っていてはいけぬものだ。我々が保管する』
 小さい狼は、また13階の悪夢をくわえ、群の中に戻っていく。
「人間が持っていてはいけない?何故?」
 巨大狼に、バルが疑問をぶつける。
『これは危険なのだ。お前達が持っていると、必ず争いの種となり、恐ろしいことになるだろう』
「なるほどね。俺等を心配してくれてるわけか」
『心配、だと?』
 巨大狼の顔が歪んだ。
『ふざけるな!我々が貴様等、人間を憎んでいるということを知らぬのか!貴様等は我々の一族を殺す!我々が群を持ったとき、最初に攻撃してきたのは貴様等だ!』
 テレパシーの声が、荒々しいものとなった。ウォウ、ウォウと、狼たちが吠える。
『かつて、狼と人は友だったと聞いているが、今ではすっかり敵同士だ!私の産まれるずっと前からそうだ!貴様等は我々を殺す!ならば、我々も貴様等を殺してやる!』
 バルは声を失った。狼と人が争わなかった時代があるなど、聞いたこともない。狼の魔物は、人間を攻撃して殺すという風に、バルは親から教わった。実際、どこの地方でも、狼は危険な魔物の一部として扱われていた。飼い犬などとは違う、危険な魔物だと。それが、元は友だったとは、聞いたこともない。
『我々の一族は、人間の手に渡ってはいけないものを、回収しているのだ。我らの住むこの世界を、破壊しかねないものを、人間は躊躇なく使用する。この13階の悪夢もそうだ。貴様等に、力を与えておくのは、とても恐ろしいことなのだ!』
 憎々しげに、狼が言い放つ。
「敵同士だって言うけど、話し合いでなんとかならないのかな」
 バルが、ぽつりと言った。 
『なんとかなると思うのか?今まで、対話の1つもしなかったのにか?』
 バルのことを、巨大狼が鼻で笑う。
「それは、俺達があなた達に大して、会話をする術がないと思っていたからだよ」
『はっ、そうだな!所詮は、地を這いずるケダモノだとしか思っていないのだろうな!我々もそうだ!話など通じない、危険で自分勝手な種族だとしか思っていない!』
 グルルル、と巨大狼が唸った。狼たちは、だんだんと興奮してきた様子で、今にも襲いかかってきそうだ。
『元は我々の方が早くに、この土地に住んでいたのだ!敵対しはじめたのは、昨日今日の話ではない!理想論だけで物を語るな、小僧が!』
 グオオオウ!
 天に、狼の吠え声が響き渡った。びりびりと空気が震える。
「あんた、勘違いしてるよ」
 剣を壁に立てかけ、バルは言った。
「俺達は、人間という1つの種族じゃない。獣人、ヒューマン、ラミア、鳥羽人、悪魔人、様々な人種が集まって、1つの集団にいるに過ぎない。俺達の間でも争いは起きるし、敵対している人種はある」
『何が言いたいのだ、貴様』
「わかってるくせに」
 睨み付けてくる巨大狼を、バルは負けじとにらみ返した。
『貴様こそ、勘違いをしている。人と狼が出会った瞬間、何が起きるか。人は剣を抜き、狼は牙を剥く。お前達には会話という手段があるが、狼と人間の出会いに会話という選択肢はないのだ』
「選択肢がないわけじゃない。それは俺等がお互いに、相手を危険なものだと思いこんでるからだ。俺は、他の地方でも、あなた達と同じような狼に襲われた経験があるから、剣を持つ。でも別に、狼を個人的に憎んでるわけじゃない」
『そこらの、統率も取れず、欲だけで動くような狼と、同等に考えるな!我らの一族は、知性を持ち、理性的な行動を取る!』
「人間には、その違いがわからないんだ!あなた達は、もっと自分たちの本当の姿を、人間に訴えかけるべきだ!俺等が意味もなく、狼を狩っていると思ったら、大間違いだ!わかってるくせに!」
 バルの剣幕に、巨大狼が、うっと唸る。
「なんで人間が狼を攻撃すると思う?怖いからだ!牙を持ってる、爪を持ってる、もしかすると殺されるかも知れない、現に狼に人が殺された例もある!そんな危険な種族だと思っているからだ!あんた達が、危険ではなく、対話出来るとわかっていれば、無意味な攻撃なんかしないよ!もっと、狼のことを人間に知らせてくれよ」
 狼たちが、ざわざわとざわめく。ある者は頷き、ある者は懐疑的な瞳を向け、ある者は怒りをこらえた顔をしている。狼の群を見ていて、バルは悟った。彼らも、人間と同じだ。バルにはいつしか、狼の集団が、人間の集団に見えてきた。
『ではどうしろと言うのだ?対話の場があるわけでもない!私以外の狼は、心での会話は出来ぬ!人が我らを見て敵とすら思わなくなるまで、尾を巻いて逃げろとでも言うつもりか!』
「そ、それは…」
 手段を聞かれたとき、バルは何も言えなくなってしまった。ランドスケープ王と、会談する場でもあれば、もしかすると上手くいくかも知れない。だが、そんな危険なことを、王が行うはずもない。人々にとって、狼は恐怖の対象だ。バルのように、会話を実際にした者ならまだしも、一般人は狼と会話すると言ってもピンと来ないに違いない。
『それ見たことか。狼と人は敵、それは変わることのない事実だ。貴様のような者に…』
「いやあ、それはわからないかも知れないよ?」
 狼のテレパスを、何者かの声が遮った。すうっと通る、高めの声。少年のものにも聞こえる青年の声。
「バスァレ!?」
 バルが名を呼んだ。声はするが、姿が見えない。狼たちも、辺りを見回したり、低く唸ったりと、落ち着きがなくなり始めた。と…。
 すとっ
「うわ!」
 空からいきなり、バスァレが落ちてきた。光を身に纏っているせいで、とても眩しい。
「逆に問おうか。もし可能ならば、話し合いをしたいかい?」
 くすくすと、バスァレが笑う。
『不可能なことを論じる舌はない』
「じゃあ是非とも論じてほしいねえ。不可能ではないのだから」
『なんだと?』
 巨大狼の顔に、少しずつ苛立ちが宿り始めた。
「僕は、ランドスケープ王家に通じているんでね。もし、君たちが王国の人間と友好関係を築きたいのならば、話し合いの席をなんとか作ろう。決まり事さえ守ってもらえれば、きっと君たちも僕たちと仲良くなれるさ」
 話しながらも、バスァレには隙がない。もし、この場の狼が束になって飛びかかっても、なんとか出来るような感じを受ける。
『決まり事だと?例えば、なんだ?』
「人の物を取らないとか、人を傷つけないとか、ね。人間ならば当たり前の決まり事、法律だよ。君たちにも、似たようなものがあると思うんだけどねえ」
『ああ、あるとも。法の概念ならば、我々だって理解している』
 バスァレの言葉を聞き、頷く巨大狼。どんな生物だって、自分たちの中で決まり事を作って生きている。人間はそれに対して、法律という言葉を使っているだけだ。
「メリットやデメリットは、後から論じればいい。意志を確認することが大事だ。どうだい?」
 相変わらず、心中の読めないにやにや笑いで、バスァレは巨大狼に聞いた。巨大狼は、眉の間に皺を寄せ、じっと考え込む。
「ま、今すぐとは言わない。まあ、ゆっくり考えておくれよ。後、もしその気が君たちにあるのなら、人の前にはまだ姿を現さない方がいいね。王が、君たちと話し合いをして、ちゃんと条約を締結するまでは。お互い、無駄な戦闘は避けよう」
 狼たちは、しばらくざわめいていたが、少し経った後にいきなり静かになった。巨大な狼は、首を前に小さく落とし、背中をぴんと伸ばした。
「ウオオオオーウ…!」
 巨大狼の遠吠えが響き渡った。狼たちは、それぞれ好き勝手な方向に散り、ポイザンソから撤退を始めた。その様は、まるでグレーや茶色の絨毯が動いているかのようだ。ある程度の数の狼がいなくなったところで、巨大狼もゆっくりとひるがえった。
「待っておくれよ」
 バスァレが巨大狼を呼び止めた。巨大狼が、顔だけこちらへ向ける。
「13階の悪夢を持っているんだろう?」
 巨大狼の目に、警戒の色が移る。
「それは、危険な奴らが狙っている宝物なんだ。君たちも狙われる恐れがある。気を付けて」
 返事をしない巨大狼に、バスァレが言う。そう、ニウベルグ達もこれを狙っているのだ。巨大狼は強いし、そう簡単にはやられたりはしないだろうが、ニウベルグも同じように強いのだ。どんなことになるのかわからない。もし、ニウベルグの召還した精霊に取り囲まれたら、いかに狼の統率力が優れているとは言え、苦戦することになるだろう。
『…忠告は聞いておくとしよう』
 狼は尻尾を一つ振り、ずしりずしりと音を立てながら歩いていった。緊張の中、ようやっと立っていたバルは、緊張が抜けてその場にへたり込んだ。
「旅人君、大丈夫かい?」
 バスァレが手を差し伸べる。バルはその手を取り、もう一度立ち上がった。剣を鞘に収め、ふうと息をつく。さっきまで、多くの狼がいた路地には、今はネズミ1匹いない。
「さぁて、ここからどうなるかが楽しみだよ。5分にも満たない会話だったが、面白いことになりそうだねえ。狼の友人が出来たりね」
 いかにも愉快そうに、バスァレが笑う。
「危ないところを助けてもらって、ありがとう。あのまま議論して、彼らを刺激し続けていたら、今頃俺は引き裂かれていたかも知れない」
 バスァレに、バルが礼を言う。
「ん?まあ、気にしないでくれていいよ。僕だって、君のアイディアを途中でかっさらったわけだし、おあいこさ」
 気にするな、というように腕を軽く広げるバスァレ。彼は、味方にしたらとても頼りになる今の説得法は、多少は強引かも知れない。自分の状況を突きつけて、相手に選択を迫る。だが実際、これで狼は退いたのだ。バルが議論をしていたのだとすると、バスァレはその議論をする隙すら見せていないのだろう。
「おーい!」
 遠くから、聞き慣れた声が聞こえる。リキルだ。路地の向こう側から、剣と盾を握ったリキルと、槍を握ったメミカが走って来る。
「今まで、建物の一室に立てこもっていたんだ。扉を破られると思った矢先、あいつらが退却していくじゃないか。一体、何があったんだ?」
 まだ辺りを警戒しながら、リキルがバルとバスァレに聞いた。
「何もないと言えばないけど、あったと言えばあったかなあ」
 バスァレの言葉に、リキルはぽかんとした顔をした。  


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