かちゃり
「よし、開いた」
ドアに鍵を差し込み、鍵を開けるバル。ドアを開けて中に入ると、そこはそれなりに広い廊下だった。壁は相変わらず同じ素材で出来ており、廊下は途中で、左方向に直角に曲がっている。
「またさっきみたいなのが出てこないとも限らない、警戒して進もう」
剣に手をかけ、リキルが言った。3人は廊下をずんずん進む。時折、壁に窪みが出来ており、丸いガラス玉がはまっている。試しにガラス玉を抜こうとするバルだったが、かなりしっかりはまっており、取れることはない。
「む…」
曲がり角へと出たバルは、その先にまた曲がり角があるのを見た。今度はT字路だ。T字路の壁には、何かの絵が描かれている。また、右側からは、白い色の光が漏れ来ていた。
「気を付けて。何か、いるわ」
メミカがバルとリキルにそっと囁いた。バルは、カンテラに布を巻き、光が漏れないようにした。3人は、足音を殺し、ゆっくりとT字路に近づく。近づくに連れて、壁に描かれているものがわかった。猫だ。虎ほどの大きさに、かなり精巧に描かれている黒猫が、こちらをじっと見つめている。
『なんだか不気味だな』
バルはごくりと唾を飲んだ。もうすぐT字路だ。右側へ向き、バルはカニ歩きで近づく。
ばっ!
剣を抜いたバルが、T字路に飛び出した。同時に、リキルとメミカも飛び出す。
「おや。君たちは…」
廊下の途中に、光を纏った少年がいる。白い一繋ぎの服、緑色の髪の毛、一見ヒューマンの子供のように見える顔立ちと背丈。
「バスァレ?」
バルは、恐る恐る名を呼んだ。
「久しぶりだねえ、旅人君。そちらは確か、メミカ。後、初めましてさんが1人いるね」
くすくすと笑う少年。この少年の名は、バスァレ・ソウ。妖精族の少年で、何度かバルと出会っている。バルの持つ指輪と同じものを求め、あちこちに出没している。
「初めまして。僕はバスァレ・ソウ。妖精だ。君は?」
「僕はリキル・K・シリウス。リキルでいい」
握手を求め、リキルに手を差し出すバスァレ。その手を、リキルは剣を鞘にしまった後に、強く握った。
「あの…」
メミカがバスァレに声をかける。バスァレに、メミカは軽く借りがあるのだ。彼女の師匠、ライアの関係である。バスァレは、それを見透かしたかのように笑った。
「しかし、よく会うねぇ、旅人君。なかなかに素敵な運命の絡み方をするじゃあないか」
「俺はここに、人捜しで来た。君は?」
「奇遇だねえ。僕も、人を捜してここに来たんだよ」
バルの言葉に、バスァレが驚いた顔をする。バルは、どうもこの妖精が好きになれない。どこかしら、不道徳で嘘つきの臭いがするのだ。飄々としていて、はぐらかしたような話し方をするところも、どうも苦手だ。
「しかし、明るい。魔法か何かか?」
「ああ、これ。妖精は光るものと、相場が決まっているんだよ、剣士君」
驚いた様子で言うリキルに、バスァレはまた笑った。羽こそないものの、彼の容姿は妖精的である。その当人に、妖精は光るものだと言われたら、例え本当でないとしても信じてしまうだろう。
「このダンジョンには、人形などもうろついているし、危険だと思うんだ。どうだい、一緒に行かないかい?」
パーティを組もうと、バスァレが誘う。思えば、この少年と共に戦ったことは、1度もない。大抵、バルが探索を終えた後の遺跡に現れていたので、彼が戦うところを見たことすらないのだ。
「私はいいと思うわ。人が多い方が、探索は楽になるでしょうし」
メミカが早速賛成した。リキルもまんざらでもない様子だ。となると、後はバルだけ。なんとはなしに、バスァレと行動を共にしたくはなかったが、反対することも出来なかった。
「決まりだねえ。じゃあ、よろしく」
バルの方に手を差し出すバスァレ。バルはそれを、軽く握った。
「おやや、旅人君。掌に怪我かい?」
バスァレが、バルの手を握り、じっと見つめる。
「ああ。さっき、少しあってね」
もう凍っているようなことはないが、それでもまだじんじんする。薬を塗るほどでもないが、気になってしまう。
「不便だろう。少し待っててくれるかい?なんとかしてあげよう」
口の中で、何かつぶやき、バスァレが傷を指でなぞる。傷は、白い光を発し、まるで溶けるかのようにすうっと消えていった。後には、いつも通りのバルの肉球が戻っていた。
「おお、治癒」
感心した声を出すリキル。火炎や氷結のように、自然現象を対象にした魔法を使う人間は珍しくはない。だが、治癒や人体強化のような、他の生物に影響を及ぼす魔法は、少しだけランクが高くなる。バスァレがこんな特技を持っていると、バルは知らなかった。
「ありがとう。まさかこんな特技を持ってるなんてね」
すっかり傷の消えた掌を、何度もにぎにぎして、バルは感触を確かめた。傷をする前より、かえって動きやすいくらいだ。
「さぁて、どっちに行こう?」
メミカが、左右を見回した。T字路の左右の道は、どちらも少し行ったところでまた曲がり角になっている。右に曲がった方は左へと、左に曲がった方は右へと曲がり道が続いており、方角的には両者とも同じ方角へと向いているようだ。
「こっち、かなあ」
バルが右方向へと進む。後ろの3人は、バルに続き、右方向へと来た。曲がり角を曲がると、その先にはまた左への曲がり角。そして、正面には、白猫の絵。
「なんだ、また猫の絵か」
少し怖くなりながらも、バルが曲がり角へと歩く。曲がり角へと来たバルは、左を向いた。一番奥に、また左へと曲がる道がある。距離から行って、さっきの道に繋がっているかも知れない。
「猫に気を付けろ、と言われたが、何かの謎かけか?」
こんこん
壁を叩くリキル。何も、おかしなところはない。
「猫に気を付けろなんて、誰に言われたのかな?」
「ああ。外に、この遺跡に埋葬されているという人たちの霊がいてね。教えてくれたんだよ。侵入者がこの遺跡を荒らすから、なんとかしてくれって言われたんだ」
「ふぅん。なるほどね。興味深いねえ。侵入者か…」
髪を手で撫で、バスァレが目を細めた。
「ねえ、こっちはさっきの道に繋がってるみたいよ」
先に奥まで歩いていったメミカが、3人に向かって言った。この回廊は、ロの字型になっているようだ。先に進むべきドアも道も見あたらない。
「おかしいなあ…ここで行き止まり?」
そんなはずはない、と思いながら、バルが来た道と反対側の道を、最初の分かれ道へと歩く。回廊外側の壁に、今度はオレンジの猫が描かれているが、それ以外に何もおかしなところはない。これで3匹目だ。
「やっぱり、猫が何かの鍵なんだろうな」
最初のT字路で、黒猫の絵をこんこん叩きながら、リキルが言った。
「目がスイッチとか、尻尾がスイッチとか…」
壁を撫で、何かおかしなものがないか、メミカが探している。恐らく見つからないだろう。猫は、壁面に描かれたただの絵に過ぎないし、それが平坦な面に描かれたものであることはよくわかる。よく目を凝らしても、スイッチの類は見つからない。
「魔法的な物かもねえ。そういう類は、巧妙に隠してあるから、見ただけじゃあわからない」
バスァレのつぶやきに、バルは心の中で同意した。魔法が関係していることに間違いはないと思われる。先ほど、人形達が魔法を使っていたところを見るに、この遺跡も魔法が関係していることは明らかだ。
「他の猫の絵が関係しているのかもな。そっちに行って、白猫を見てみよう」
白猫の絵がある方の曲がり角へ、リキルが歩いていく。曲がり角まで来たところで、リキルは足を止めた。
「…あれ」
「どうした?」
目を擦るリキルの隣に、バルが行く。彼の感じた違和感の正体に気が付いた。
「移動、してるな」
白猫は、確か突き当たりに描かれていたはずだが、右側の壁に移動している。
「そうだね。やはり、魔法的なものか。黒猫を撫でたから?」
「わからない。メミカさんかバスァレさん、その黒猫を撫でてみてくれないか?」
リキルの呼びかけを聞き、メミカが壁の黒猫を手で撫でた。白猫を見るリキルとバルだっだが、何も変わらない。
「どういう条件かがわかればなあ。せめて…」
ぐるるるるるる
「なんだ?」
回廊全体に、剣呑な声が響く。地面から響いてくるように感じられ、バルは足下に目を落とした。
「うわ!」
リキルの叫び声が聞こえる。顔を上げたバルが見たのは、壁の中で、本物のように動く猫だった。黒猫が、尻尾を膨らまして毛を逆立て、威嚇している。
「フギャア!」
ぶぅん!
「きゃ!」
猫の手が、壁から突き出し、メミカの胸の辺りを掠めた。メミカが後ろに身を反らしてそれを避ける。
「な、なんだ!絵が立体化してる!」
剣を抜いたバルが、黒猫の方へと剣を向けた。敵意を持っているのは明らかだ。次に腕が出てきたところを、たたき落としてやる。そう思って、バルが黒猫との間合いを計った。
「足下だ、旅人君!」
バスァレの声が響いた。いつの間にか、足下の床に、オレンジ猫が来て、大きく口を開けている。
がぶぅ!
「うわあ!」
足下に落とし穴が開いたかのように、バルは足をくわえ込まれた。鋭い牙が、足とズボンに穴を開け、鋭い痛みをもたらした。
「くそっ、バルを離せ!」
剣を地面に突き立て、リキルが叫んだ。
「ふぎゃぁお!」
猫はバルの足を口から離した。途端に、バルは足を蹴り上げられかのように、地面から追い出された。
「ピンチかな?」
小さな短剣を右手に持ったバスァレが、後ろに下がった。壁の中に存在する3匹の猫は、4人をターゲッティングしたらしく、獲物を追いつめる虎のような表情で周りをぐるぐる回っている。彼らは壁の中の住民らしく、天井や床まで移動している。かなり危険な状態だ。
「こいつぅ!」
槍を振りかぶり、メミカが白猫に飛びかかった。白猫の額に、メミカの槍が突き刺さる。
「ぎゃああお!」
壁越しの槍でもダメージがあったらしい。白猫は壁の中を駆け、天井まで逃げ出した。
「ぎゃあお!」
黒猫の手が、バスァレを狙い、壁から飛び出した。
「バスァレ、危な…」
危ない、とバルが叫ぶ前に、バスァレはその腕に短剣を当てていた。短剣は、黒猫の皮膚どころか肉まで切り裂き、大きなダメージを与えた。
「ぎゃあ!ぎゃあ!」
黒猫が苦しそうな鳴き声をあげた。バスァレは躊躇することなく、黒猫に何度も突きを繰り出す。
「終わりだ」
最後に、バスァレの短剣が壁を切り裂くと、黒猫は顔に大きな切り傷を負って動かなくなった。そして、まるで水でも蒸発するかのように、すうっと壁から消えた。
「よし、倒せるぞ!」
勝機があると見たリキルが、剣を振りかざし、オレンジ猫に斬りかかった。オレンジ猫の爪と、リキルの剣が、何度もぶつかって火花を散らす。猫の爪は、相当硬いらしい。絵が具現化するのだ、爪が硬くてもおかしくはない。
「下がって!」
メミカの手の中で、火球が生まれる。リキルが下がると同時に、メミカは火を放った。
「ぐにゃあああ!」
壁の中まで、魔法の火は届くらしい。オレンジ猫は、火だるまになり、転がった後に動かなくなった。そして、壁に焦げ跡だけ残して消えた。
「後はお前だけだ。どうする?」
バルが、白猫に剣を向けた。大きなバトルソードの切っ先は、猫の額を向いた。まるで感情が無く、敵意だけの白猫は、威嚇行動を取った後に、壁面から飛び出した。
「危ない!」
メミカがバルを押し倒す。白猫は、水から飛び出す魚のような挙動で、向かい側の壁に飛び込んだ。伏せなかったら、今頃バルの頬は白猫の爪によって削がれていたところだろう。
「うぎゃあお!」
猫は、壁と床の間にあった、小さな隙間に吸い込まれるかのように消えていった。コイン1枚、入るか入らないかという隙間だ。そして今度は、天井にあった亀裂から、ずるりと姿を現した。
「この野郎!」
がつん!
バルが剣を振った。猫はまた隙間に潜り込み、その剣を回避した。壁の中にいられては、剣も当たらない。
「逃げたか…まるでモグラ叩きだねえ。この隙間は、あちこち繋がっているのかな?」
隙間を覗き込むバスァレ。いつ飛び出してきてもいいように、バルが剣を構える。
「いだあ!」
尻尾を押さえ、メミカが壁から離れた。
「大丈夫か?」
「噛まれた…いったぁ」
メミカの尻尾には、牙の食い込んだ跡がくっきりと残っている。出血もしているようだ。
「くそっ、来るなら来い!」
剣を握り直すバル。1秒、3秒、5秒。緊迫した空気の中、時間だけが過ぎていく。
「バル、後ろだ!」
「え?」
リキルの声で、振り返ろうとしたバルだったが、その前に背中に痛みが走る。
「ぐあ!」
剣を落とし、転がるバル。その上に、白猫がのしかかる。
「ぎにゃあああ!」
がちっ!
バルの喉笛を噛みちぎろうとしたその牙を、バルが必死に避ける。猫は、その熊ほどもありそうな手で、バルの顔を何度も殴った。そのたびに、爪がバルの顔に刺さる。
「ぐううう!」
猫を押しのけようと、バルは力を入れるが、いくら力を入れても岩のように動かない。「えええい!」
どすっ!
「ぎゃあ!」
メミカの槍が、横から猫を串刺しにした。そのまま腕を付きだすと、槍が壁に刺さる。猫は、壁の中に逃げ込む事も出来ず、じたばたともがいた。
「悪いね」
バスァレのナイフが、猫の首筋を切り裂く。猫は、びくっと体を震わせて、動かなくなった。そして、煙のように姿を消した。
「終わった、みたいだな」
きんっ
剣を鞘に入れ、バルが息をついた。顔を手で触ると、軽く血がにじんでいる。これぐらいならば、薬を使うほどでもない。
「全く、人形なんかよりよっぽど質が悪いわ。攻撃がなかなか当たらないんだから…」
メミカが赤毛のポニーテールを後ろに払った。
ゴゴゴゴゴ
「え?」
足下が揺れている。重いものを動かすときのような音と振動が響いてくる。どうやら、通路の向こう側からの様子だ。一行が、さっき行き止まりだったところへ行くと、奥へ進むための扉が開いていた。さっきまで、切れ目一つなかった壁が、大きく左右に開いているのだ。その先には、また通路が広がっており、奥には機械人形の姿が見える。
「休む暇はないようだねえ」
一度しまったナイフをまた抜き、バスァレが構えを取った。
「ああ。確実に、ゆっくり進もう」
リキルが盾を顔の前に構えた。前衛をリキルとバスァレが勤め、後衛にバルとメミカが入る。4人は、通路の奥へ向かって、駆けだした。
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