剣を背負い、ナイフを差したバルは、ニウベルグと同じテーブルについた。メミカを起こし、同席させようとしたのだが、メミカは寝入ってしまって起きることはなかった。仕方なく、紙に書き置きだけして、バルは部屋を出た。思えば、彼女を危険な目に遭わせないために、バルはここまで来たのだ。ニウベルグと会話をさせること自体、危険な部類に入るだろう。
「警戒するなよ」
 緊張した面もちのバルに、ニウベルグが軽いノリで声をかけた。決して友好的な声ではなく、バルは警戒の色を強めた。
「目的はなんだ。俺は、お前と一緒に食事なんかしない」
 腕を組み、バルはニウベルグのことを睨み付けた。
「おぉ、怖い。敵意丸出しだな」
 肩をすくめ、ニウベルグは出された葡萄酒の栓を抜いた。漂う匂いに、バルはくしゃみをしそうになった。バルは自分のことを、まだ酒を飲む年齢ではないと自覚している。飲んでも美味いとも思えないからだ。美味く思える年齢になるまで、酒は飲まない。
「まずは、お前が遺跡にいた理由だ。メースニャカの地下神殿。なぜあそこにお前はいた?」
 葡萄酒を瓶からそのまま飲み、ニウベルグがバルの方を見た。
「あんたが原因だ」
「俺が?」
 バルの返答に、ニウベルグは眉をぴくりと動かした。
「ああ。メミカさんと一緒に、俺はあんたを追ってあそこに入ったんだ。あんたがあの遺跡に入ったという話を聞いていたから」
 バルの前にウェイトレスが来て、水差しに入った葡萄ジュースを持ってきた。コップに注いだバルは、それを口に含む。
「俺を追ってきた理由はなんだ?アネットならともかく、見ず知らずだったお前に憎まれる覚えはないんだがねぇ」
 その質問に、バルは怒りが沸騰しそうになった。アネットというのは、ライアの別名だと聞いている。ライアをあのような目に遭わせておいて、この男はこんなことを言っているのだ。ナイフを抜きそうになったが、バルは必死に我慢した。今ここで事を起こせば、周りが迷惑を被るのだ。
「わかったわかった。そう睨むんじゃねぇよ」
 大仰に手を振るニウベルグ。一体何がわかったというのだろうか。バルはまだ怒りを抑えきれず、ジュースを飲んだ。
「俺とアネットの話はどうでもいい。俺が今日お前に会いに来たのには理由がある」
 ざっ
 テーブルの上に、ニウベルグが手を出した。
「お前が持っている指輪を出せ」
「…何?」
「指輪だ。何度も言わせるな」
 バルは、口の中が乾き始めた。
「持っていったんじゃないのか?」
 笑おうとするが、上手く行かない。前にニウベルグにやられたときには、指輪を1つ奪われている。そして、それと同じ系統の指輪を、バルはもう1つ持っている。そのことを、目の前の召還士は、どうにかして知ったのだ。
「知らないというならそれでも結構。だが、ここからは遊びのつもりはない。寄こせよ」
 ニウベルグが、バルの目を真っ直ぐに見据えた。
 ぶぅぅうん
『あ、れ?』
 おかしな音が聞こえた気がした。なぜだか、体が言うことを聞かない。どっと冷や汗が溢れる。
「お前がもう1つ持っていることに気がつかなかったのは失敗だった」
 ニウベルグの目が、大きくなったり小さくなったり、よくわからない。声も出せない、腕も動かない。
「さあ、出してもらおうか」
 その言葉が、絶対であるかのような気がする。耳鳴りが止まらない。尻尾の先が痺れ始める。
『な、ん、だ』
 バルの頭の中に、ぼんやりと霧がかかり始めた。思考がシャットダウンされる。唾を飲み込むことすら考えつかない。意識の芯のようなものは残っているが、それが体を制御できるかというと、そんなことはない。眠りにつく一瞬前のような状態だ。
「どこに指輪がある?」
 バルは今、手元に指輪を持っていない。3階の部屋にあるのだ。それを言うつもりもないし、言ったつもりもないのに、ニウベルグは全てを把握したようだ。にやりと笑う。
「案内しろ」
 がたっ
 バルは立ち上がり、ふらふらと階段の方へ向かった。視界の端にウサギ獣人のウェイトレスがいた気がするが、気にする事すら出来ない。
 とん、とん、とん
 階段を3階まで上り、バルは自室のドアを開いた。まだメミカが寝息を立てている。
「取ってこい」
 ニウベルグは部屋に入らずに、バルに命令を下した。部屋に入ったバルは、自分の鞄に手をかけた。
 がさ、がさ…
 一番大きなポケットの、一番奥を探すと、青色に光る指輪が入っていた。カルバ神の力を秘めた、大事な指輪。ひとたび悪意のある人間に渡せば、どうなるかもわからない。それをバルは知っているはずなのに、ニウベルグに従わずにはいられない。
「ぁ…ぁ…」
 声にならない声をあげ、バルは指輪を差し出した。ニウベルグはにやりと笑い、それを受け取った。
「もう用はない。邪魔したな。アネットの弟子によろしく言っておいてくれ」
 ニウベルグが階段を下りていく。バルは追いかけようと思ったが、体がいつまで経っても動かない。
 ばたん
 ドアが閉まった。バルは、部屋の入り口で、棒立ちになったまま動けなかった。
「首尾はどうだ?」
 聞き覚えのある男の声が部屋の外から聞こえる。これは確か、昨日見晴らし塔で会った、獣人男の声だ。
「上出来だ。まずはこいつを受け渡すか」
「見晴らし塔へ行こう。そこに来るらしい」
 足音が遠ざかっていく。ニウベルグとあの獣人男は知り合いだったのだろうか。一体なぜ、何のために指輪を…。
『ああ…』
 足を動かすのも腕を動かすのも無理だ。立ったまま金縛りになってしまったかのようだ。体が動かない状態だと、1秒すらこんなに長く感じるものなのかと、バルは痺れきった体で考えた。だんだんと、体が疲労してきて、バルはふらふらしはじめた。
「バル君〜?」
 ようやく起きたらしいメミカが、バルの方を向いた。
「ぁ…」
 バルは目だけそちらへ向けた。
「…バル君?どうしたの?顔色が悪いわ」
 しゅるりと降り、メミカがバルに近寄った。メミカの手がバルの顔に触れる。その瞬間。
「あっ…!」
 バルの頭に激痛が走り、バルは倒れ込んだ。
「バル君?大丈夫?バル君?」
 どこか遠くでメミカが自分を呼んでいる。だが、それに頓着する事も出来ず、バルは意識を手放した。


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