高い見晴らし塔の屋上展望台には、強い風が吹いていた。全方位に視界が広がり、街以外の人工物はほとんど見えない。遠くに、木こりの家らしき小屋が見えるくらいだ。その展望台にあるベンチに、バルはぼんやりと座っていた。見晴らし塔にはバルの他は誰もおらず、とても閑散としていた。
元々、この見晴らし塔は、戦争をしていた時代に遠くから来た敵を見るために建てられたものらしい。だが、今のランドスケープ王国は外交にも問題がなく、戦争など起きていないため、ただの観光場所として扱われている。隣の国との間に、国境砦もあるため、この見晴らし塔はいまいち役に立たないのだ。有事には、見晴らし塔屋上の小部屋にて見張り兵が寝起きするという話だが、そんなことはなかなか起きないだろう。
部屋に荷物を置き、3人はその場で自由行動を取ることになった。バルは早速、メミカの後ろをついていき、メミカの行動を見張ろうとしていた。メミカがまず入ったのは、街の行政を扱う館だ。そこでバルとメミカは、ニウベルグという男についての情報を得ようとしたのだ。
だが、折り悪く館内には、作業着を着た多くの労働者が詰めかけていた。漏れてきた話を聞くに、彼らは大工であり、数日前の魔物出現の時に壊れた家を修理している途中なのだそうだ。しかし、急なことだったために材木の備蓄が足りず、なんとか調達出来ないかとの相談に来ていた。2人は、彼らの話が終わってから話を聞くとカウンターにいた事務処理員に言われ、かなり長い間待っていたのだが、話し合いが終わる気配はなかった。仕方なく、日を改めることとした。
次に2人が来たのは、衣服を扱う店だ。半ば、メミカがバルを引っ張るように連れてきた。
『せっかく服で有名な街に来たんだから』
そう言って、彼女は服を選び始めた。バルは正直、衣服の選定などすぐに終わると思っていた。機能的で値段が手頃な物を買えばいいのだ、服を買うほど早く済む用事はない。だが、メミカはあの服がいい、この服がいい、と延々と服を見続け、なかなか決断をしなかった。
その服屋では服だけではなく、アクセサリーや宝石も扱っていた。バルは宝石を見るのが好きだ。その石が、どんな山のどんな土の中に埋まっていたのかを想像すると、わくわくする。だが、バルが一通り石に思いを馳せ終えた後も、メミカはずっと服や装飾品を選び続けた。この服と合う装飾品はこれで、予算がこうで…と言った具合だ。
待つことにすっかり飽きてしまったバルは、メミカに一声かけ、店から抜け出してきた。彼女には、見晴らし塔の方で待つと伝えてあるが、ここにいるのもそろそろ飽きてきた。もう夕日が街を照らし、風が冷たくなり始めた。街の方では、気の早いランプの明かりが光っている。
「はぁ…」
こんなことでいいのだろうか、とバルはぼんやり考えた。メミカもメミカで思い悩んでいるのだというのはわかる。だが、今のように服にはしゃいでみたりと、彼女の考えがよくわからない。メミカ個人がこうなのか、それとも女の子全部がこうなのか。
「降りよう」
唐突に、バルはベンチから立ち上がった。メミカはすぐにはやってこないだろう。下にあるレストランで、何か軽く食べながら待つこととしよう。バルは、建物内の螺旋階段を下り始めた。塔の中は4階層に別れており、それぞれの階は塔の内周に円状の足場が作られたものとなっている。そして、塔の内側を伝う螺旋階段がそれを繋いでおり、真ん中は吹き抜けになっている。
「ん?」
4階から誰かが登ってくる。黒いフード付きの上着に黒いズボン、背中には矢立を背負い、弓が腰にぶらさがっている。被っているフードのせいで、顔はよく見えないが、身のこなしと背格好から見て男性だろう。腰に見える尻尾から、狐か犬の獣人だと言うことがよくわかる。
「…」
男は、上まで登り切り、立ち止まった。そこでバルは初めて、自分が屋上の出入り口に立ちふさがっていることに気が付いた。
「ごめんなさい」
バルが後ろに下がった。男性は、頷いて外に出た。
ひゅう
強く風が吹き、男のフードが外れる。そこにあったのは、狐の獣人の顔だった。茶色い毛で、口から喉元にかけてが白い毛になっている。目つきは鋭く、他人を信用しない雰囲気を漂わせていた。
「君」
男が口を開いた。少し高めの、優しい声だ。行こうとしたバルが立ち止まり振り返る。
「金貨を持っていないか」
「金貨?」
「ああ。出来れば、純度の高い金がいい。ないか?」
男は、大まじめな顔でバルに聞いた。タバコや食べ物をねだられることはあったが、金貨をねだられるのは初めてだ。どちらにせよ、今バルは金貨など持っていない。
「両替ならば、それを専門に扱っている人のところに行けばいいんじゃないかな」
油断無くバルが言った。追い剥ぎということもなさそうだが、少し警戒しないといけない。
「そうか…それも、そうだ。ありがとう」
フードを被り、男が礼を言った。バルは軽く会釈をして階段を下りる。いろんな人間がいるものだ。それなりに若いように見えたが、どういう類の人間なのだろうか。世間を憎んでいる感じの人間かと言えばそうでもないが、ただの旅人にも見えない。
「うーん…」
悩みながら降りているうちに、もう3階まで降りてきた。また、下から誰かが登ってくる。
「はぁ、はぁ…」
メミカだ。両手に、大きな袋を1つずつ持っており、さっきと服が違う。少しランクの高い、私服用ローブを身に纏っている。
「あ、メミカさん」
バルがメミカに声をかけた。
「もう、ひどいよ。勝手に行っちゃうんだもん」
メミカがぷんすか怒っている。バルは軽く笑い、ごめんと言葉を返した。
「上に登ってみる?荷物の番をしてるよ?」
荷物を受け取るべく、バルが手を差し出した。
「じゃあ、少しだけ。バル君は?」
「俺はもう十分見てきたからいいや」
「わかった。荷物、お願いね」
メミカがバルに荷物を持たせた。バルはそれをひょいと受け取ろうとして、あまりの重さに前のめりになった。中には何が詰まっているのだろうか。思えば、力の強いラミア族であるメミカがふぅふぅ言いながら持ってきた荷物だ。重くないはずがない。メミカが登っていった後、バルはようやくのことで、荷物をベンチに置いた。
「ふぅー…」
こんなとき、魔法が使えれば楽なのに、と思うこともある。魔法は、超自然的な何かの力を、自分の魔力を用いて意のままに操る力だ。高位の魔法使いになると、自分の筋力では持ち上げられないような重い荷物を、魔法で持ち上げることも出来るらしい。しかしながら、その対価となる魔力は、体の中にある一定量が溜まっているものらしく、魔力が切れると肉体的にも精神的にも強い疲労を感じると言う。腕力で荷物を持ち上げるも、魔法で荷物を持ち上げるも、だいたい同じくらいだという話だ。
『それでも、あこがれるよなあ…』
大魔法使い、という言葉には、大きな魅力がある。魔法使いはどこに行っても需要があるから、食いっぱぐれることはない。貴族や王などは、魔法を使って家事をするメイドなども雇っているそうだ。せめて、枯れ草や薪に火打ち石を使わず着火出来るだけでも、大きく旅の助けとなるだろう。
むしろ自分が魔法を使えなくても、魔法使いが旅仲間にいたら、旅も楽になるのではないだろうか。様々な魔法を組み合わせて、自然の草や木をベッドにしたり、食材を料理したり出来るのではないだろうか。特に料理は重要だ。焼き締めた固パンや、長持ちするけど美味しくない固形食料を持ち歩かなくても、生麦をその場で調理できるかも知れない。それは大きな魅力だ。
『いいなあ…』
バルは、魔法使いの相方と旅をすることに、思いを馳せた。今まで、一時的に仲間がいたことはあるが、継続的に旅をする仲間がいたことはなかった。そろそろ仲間が欲しいが、出会いだけは自分の意志でどうにかなる問題でもない。
「バル君、ただいま」
メミカの声がして、バルは現実に引き戻された。いつ戻ったのか、メミカが目の前に立っている。
「おかえり。早かったね」
袋を持ち上げ、バルが立ち上がった。
「展望台、すごかったわ。夕日が沈んでくのが見えた」
「もうそんな時間か。そういえば暗くなってきたね。食事にする?」
「そうね。宿の酒場で食べてれば、リキル君も来るわ」
やはり、リキルも「君」を付けるのだと、バルは苦笑した。リキルは16歳、18歳のメミカよりはやはり若い。
夕日が沈む前だけあって、見晴らし塔の中もだいぶ暗い。いくつかかがり火が立っており、塔内を照らしている。誰かが火を付けに来た様子もなし、夕方前からずっとついているのだろうか。薄暗い塔内に、バルは何かが出てきそうな気がして、背筋を震わせた。
「あ、そうだ。ちょっと変なこと聞くんだけど…」
「ん?」
バルの手から、荷物を1つ取ったメミカが、バルの顔を見た。
「メミカさん、金貨って持ってる?」
何の気無しにバルが聞いた。彼女が上に行ったということは、さっきの男に金貨のことで何か聞かれたのではないかと思ったのだ。
「持ってるけど…なぁに?夕飯のお金が足りなくなりそうなの?」
ふふっと笑うメミカ。お姉さんらしいといえばお姉さんらしい。バルはまだ、年上の女性に甘えていい年齢なのだろうが、そんなことはかっこわるくて出来なかった。
「そうじゃないんだ。上に、獣人の男の人がいたでしょう?」
「え?いないよ?」
バルの問いに、メミカが首を横に振った。
「そんな馬鹿な。さっき屋上で会って、少し話をしたんだ。金貨が欲しいとかなんとか…」
「ううん、いなかったわ。私が来る前に降りたんじゃなくて?」
「そんなことはないよ。俺が塔を降りてた時、彼が登ってきたのと、すれ違ったんだから。で、この階でメミカさんと会ったじゃない」
「ええ、そうね。バル君が降りてきたのと会ったわ。でも、男の人なんて見てないなあ」
メミカは嘘を言っている様子もない。嘘を言う理由もない。
「そっか…さっきまでいたんだけど」
バルは、釈然としないものを感じながらも、会話を切った。特に重要な話ではないのだから、気にする必要もなかったのかも知れない。2人が気づかないうちに、塔を出ていったのかも知れないし、展望台より上にある見張り部屋に入っていったのかも知れない。
「そんなことより、ほら、ご飯に行こうよ」
メミカはのんきな顔をして階段を下りていく。もう1度、バルは塔の上の方を見た。暗くてよく見えないが、人がいる気配はない。悩むことも意味のないように感じたバルは、何も言わずにメミカの後に続いた。
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